2017年06月09日

もはやテレビじゃない!「いま」を映しだす【Vlog(ヴログ)】の逞しさ



時代を映すものってなんだろう。
ふとそんなことを考えて身のまわりを眺めてみると、
実に様々なものがあると改めて気づかされる。極端な話「全て」なのだ。
でもそうなってしまうと身も蓋もないので、ひとまず自分の係わっているメディア、
特に映像媒体を例に考えてみることにした。

一昔前まではテレビは時代を映すメディアの代表だった。

「それテレビで見たよ」とか、「テレビでやってたやつだろ?」

そんな会話が頻繁に交わされて、
そこには意識するしないに係わらず「テレビ=正しい情報源」的な認識が少なからずあったように思う。
テレビを「社会の窓」なんて呼んでいた時代もかつてあった訳だから。
もちろん、いまでもそんな会話が世界中で交わされているんだろうけど、
その評価はだいぶ変わってきているのも周知の通り。
「テレビ=正しい情報源」的な部分に多くの人が疑問を持っているだろうし、
テレビが「在るがままの社会」を伝えていると考えている人は少ないはず。

どうしてテレビの評価は下がってしまったのか。

個人的には、
ニュース(民放)でやたらと見かけるようになった“映像のボカシ”なんかがその一つ、
象徴的なものだと思っている。
街角の自販機や看板、店内のビールや会議中の卓上に並んだペットボトル…、
それら商品の銘柄が、伝えているニュースの内容とは無関係に消されているあれだ。
ご存知の通り、すべて番組スポンサーとの兼ね合いでそうなっているのだけれど、
視聴者にとっては邪魔なだけの映像処理だ。
本来のニュース内容に集中したくても、
あの“映像のボカシ”のために注意が散漫になってしまうばかりか、逆に、
ニュースそのものよりも、内容とは関係のない“映像のボカシ”が気になってしまう、
なんてことも少なくないだろう。

番組スポンサーから実際に、
「競合する企業の商品が映像に映っていたら、伝えている内容に係わらず消してください」
というような要請が番組側に入っている場合もあるだろう。
だが、過去にそんな要請を受けた経験のある番組担当者が、
「スポンサーの関係があるから消しておいた方がいいんじゃないか…」
と先回りしてボカシを入れてしまうケースもあるように思う。

このところよく耳にする、いわゆる「忖度(そんたく)」ってやつだ。
「私が申し上げたことを忖度していただきたい」
最近では、安倍首相本人がそんないただけないジョークを飛ばすほど世に広まった言葉だが、
政治家や官僚だけではなく、
ニュースに携わっている人間まで、あれこれ「忖度」していたんじゃ話にならない。


そんなニュース番組、おかしくありません? 
いったい誰のためのニュース番組なんだ?
伝えるべきことをそのまま、まっすぐに伝えていないんじゃない?


視聴者がそんなふうに感じてしまうのも当然な気がする。
だからなのだろう。
ここ数年、自分の思いや考え、さらには日常を「動画」の形で一般に公開する人が増えている。

ブログやYoutubeに、自作動画をアップする【Vlog(ヴログ)】だ。
この【Vlog】をつくる人は【Vlogger』(ヴロッガー)】と呼ばれ、
アメリカなどでは情報を発信するプラットフォームとして今や欠かせない存在になっている。
人気のあるVloggerになると、数千、数万、なかには数百万人ものチャンネル登録者を抱えている。




CaseyNeistat





PlayTheGameFilms





iphoneはもとよりドローンや高性能カメラなど、
動画制作に用いられている機材は「いま」を象徴するもの。
手に入れようと思えば誰でも一般に購入できるものだから、
そうした機材面から見ても、Vlog動画が「いま」という時代を切り取っていないはずがない。

この【Vlog(ヴログ)】のポイントは、“プロ”と呼ばれる人たちではなく、
一般の人の手による動画だということ。
つまり前述した「忖度」なんてこととは無縁な訳だ。
見せたもの伝えたいことをまっすぐに、ダイレクトに動画という形で表現する。
また、
動画をつくってネットに公開するまでには、
そんぞれがその人なりに自分自身を客観視しなくてはいけない過程が必ずあるので、
少なくとも書きっぱなしの日記なんかよりは自省的にもなれる。

なにより匿名じゃなく、きちんと顔をだし、自分の在りようを公開しているところがいい。

動画の内容はVlogger(ヴロッガー)によって様々だ。
自分の打ち込んでいる仕事や趣味、流行やトレンドの紹介、
身近で起こっている“ニュース”、自分の住む国の姿、
旅先での体験をまとめた旅行記…なんでもある。
もちろんネットの世界だから玉石混合。
いいものもあれば、「ちょっとどうかなあ…」と首を捻るものまで多種雑多だから、
見る側が自分で判断、取捨選択して、
「これ、いいぞ!」
と思えるVlogger(ヴロッガー)を見極め、探しだす必要がある。




Dan Crivelli




Collective Iris





実はわが家にも一人、Vlogger(ヴロッガー)がいる。
大学生活の合間に動画をつくり、
Vlog(ヴログ)をはじめて約1年ぐらいだけれど、
既に5000人を超えるチャンネル登録者がいるというからちよっと驚く。
さらに、その数は日々少しずつ伸びているから、
相当な数の人が毎回動画を視聴していることになる。
内容はアメリカの学生生活や、
ロンドン留学中、週末ごと足を運んだヨーロッパの国々(まさに弾丸ツアー)を、
大学生の目線で撮影・紹介したもの。
日々の行動をドローンや一眼レフで撮影してまとめられた動画だ。



[ noa iimura x japan ]




「これって分りやすいかなあ…」
が大好きなテレビ番組のような押し付けがましいところがなく、
テンポ良くすきっと仕上がっていることろが人気の秘密らしい。

生きていれば色々なことが起こる。そのことに年齢は関係ない。
ささいなことから人生に影響を与えるようなことまで、
想像もつかない出来事が日々発生する。
そんな一つ一つをきちんと記録していければいいのだけれど、これがかなり難しい。
日記という手段があることはみんな知ってる。
でも、三日坊主どころかたった一行さえ書き始められない場合がほとんじゃないか?

なのにVlog(ヴログ)の場合、
自分の日々の在りようや思いを映像にして残していくのだ。
さらにその映像記録を誰でも見られるように一般公開するのだから大変なこと。
もちろん、公開する日常は自分で選択するにしても、
それには相当な覚悟が必要なはずだから。
そんなあれこれをいとも簡単にぴょんと軽快に飛び越えていくんだから、
世界中のVlogger(ヴロッガー)、大したものだ。

(飯村和彦)



newyork01double at 04:40|PermalinkComments(0) 取材ノートより | マサチューセッツ州・Amherst

2017年03月18日

人生が劇的に変わった瞬間〜自宅出産に立ち会うということ



先ごろ、我が家の二人の子どもたちがお世話になった助産師さんが現役を引退しました。
今回の文章は、上の息子が生まれた日のことについて書いたもので、去年の夏に「原爆投下から終戦までの信じがたい経緯を!21年前の夏、子どもが誕生した日に考えたこと」の中に、“「ヘイ ボーイ!」より抜粋”として掲載した部分の続きになります。
ひとつ付け加えるとすれば、下の娘が生まれたときも同じように自宅出産に立会い、さらに“その思い”が強くなったこと。
かなり長文なので、時間に余裕のあるときにお読みいただければ幸いです。

以下、「ヘイ ボーイ!」より抜粋



こどもたち
(photo:kazuhiko iimura)



考える人

一階部分がデジタル写真印刷会社の店舗兼作業場になっている三階建てのマンション。その三階の一番手前、303号室が『現場』である。
「いま帰ったよ、どう?」
玄関ドアをあけるより先に父さんは口をひらいていた。
上がり口に靴を脱ぎ捨て、短い廊下をドタドタと進む。キッチンに入ったところで、隣のリビングから母さんの声が聞こえてきた。
「あなた…」

ドアを開けると、なにかの上に全裸で座っている母さんの姿が目に飛び込んできた。
折った膝頭に頬杖をついて、顔だけをこちらに向けたポーズ。
例えるなら『考える人』。そんな格好だった。
「おか、えり」
母さんは、必要以上に声を張らない、呼吸をするようなしゃべり方で父さんに応えた。細い息を吐きながら声をだし、幾分長めのブレスをとって、また息を吐きながら言葉を繋げる。
その顔には色濃い疲労が見てとれた。

「グーはどうした、まだだね」
状態を見れば一目瞭然なのだが、父さんは確認せずにはいられなかった。
すると母さんは、ふわりとした笑みを浮かべていった。
「この子は、父さん思いの、いい子みたい」
そして、足元に置いてあった麦茶のグラスにそっと手を伸ばすと、唇を湿らすように音をたてずにひとくち飲んだ。

母さんの頬はうっすらと紅潮していて、グラスを持つ指先だけがやけに白かった。
そんな母さんの仕草や表情には、どこか人の気持ちを落ち着かせる力があって、朝からずっと走り続けていた父さんには、いわば長い文章の読点のように作用した。
「ほ〜っ」
父さんはジャケットを脱ぐとカーペットの上に腰を下ろし、部屋の中をゆっくりと見回した。
エアコンのスイッチはONになっていたが、室内はやはり蒸し暑かった。
けれども、その暑さは外の射るような暑さではなく、どこか柔らかな、いってみれば母さんの体温のようなもので、思っていたより不快なものではなかった。
繭の中というか、子宮の中というか、想像するとそんな感じ。

胎内の温度は37度ぐらいだというから、そこまでではないにしても君が生まれてくるのには丁度いい室温だったのかもしれない。

そして、考える人。

よくよく見れば、母さんが座っていたのは逆さまにしたプラスチック製のバケツだった。床掃除のときに使う、あのなんの変哲もない水色のもの。お尻の下にはクッションの代わりにバスローブが敷かれていた。
――考える人のポーズ。
それは陣痛と戦うのではなく、折り合うための方法として母さんが辿り着いた究極の姿勢だったのだろう。どこか原始的な風景のようでもあり、そこには何かしら父さんの心をしんとさせるものがあった。
父さんは本棚の上にのせてあったキャノンを手にとると、そんな母さんの姿を一枚写真に収めた。

「ともかく、写真はたくさん撮ろう」
それも、父さんと母さんの決め事だった。
胎児の成長に伴い、母体の形はどのように変化していくのか。
その変遷をあとでビュジュアル化できるように、父さんたちは定期的に同ポジ撮影まで敢行していた。
一回の撮影で36枚撮りのフィルムがなくなることもしばしばあった。もちろんカラーと白黒の両方である。

「でも、この写真をいつかグーが見ると思うとわくわくするね。どんな顔をするかしら。お腹の中にいたときの記憶は残らなくても、写真にはそのときの事実が残るからいいわよね。私もそんな写真、欲しかったな」
撮影のたびに母さんはそういっていたが、父さんにしても気持ちは同じだった。

記念写真というのは、そこに写っている自分の姿を見るというよりは、その写真が撮られたときに自分の周りにいた人たち、つまり自分と一緒に写っている人たちがどんな風だったのかを知ることができるから楽しい。
だから、自分が胎内にいたときの母の姿状や、胎動を感じたときの母の表情をとらえた写真がもしあったら、自分が「生きる」ということを考える年齢になったときに、欠かせないものになっていたはずだ。




お腹が大きい
(photo:kazuhiko iimura)



父さんは、そんなことを考えながらわが家の『考える人』をファインダー越しに眺めていた。
そして、はたと気づいたことがあった。
君が生まれる瞬間にその場にいるべき、もうひとりの人物がいないのだ。
父さんは慌てて尋ねた。
「藤井さんは? まだ来ていないの」
腕時計に目を落とすと、時刻はすでに午後2時近くになっていた。
確か、昼前には到着しているはずだったのでは?

学芸大学駅から碑文谷のマンションまでの道順をかいた地図(かなり丁寧なもの)は、きのうのうちにファックスで送ってあったし、そのあと電話でも確認した。だから、相当な方向音痴でもないかぎり道に迷うことはない。
指を噛んで、陣痛に耐えていた母さんがいった。
「お昼ごろ、電話があって、少し遅れるって」
「それで大丈夫だって?」
目の前の母さんの状態からして、父さんにはとても大丈夫そうには思えなかったのだが。
「そういっていた。たぶん、早くても、夕方だろうって」
「ふーん」

自然分娩は、文字通りかなり自然の力の影響を受ける、といつか藤井さんが説明してくれたのを思いだした。
満月や新月の前後にはお産が増えるし、一日のなかでは潮の満ち引きが重要なファクターになるのだといった。陣痛でいえば満潮の数時間前から強くなり、逆に引潮の時間になると弱くなる。だから陣痛が弱くなっても焦らず、次の満ち潮を待つのが懸命なのだという。
しかし、そうはいってもそれが全てではないだろうし、万が一、助産師の藤井さんが到着する前に分娩がはじまってしまったらどうなるのだろう。
そう考えると父さんはゾッとした。

胎児のとり上げ方までは、出産準備クラスでも教えてくれなかった。
ヌルッと出てきた君をしっかり受け止められなかったら。
上手く生まれたら生まれたで、へその緒はどう処置しらいいのか。
無闇に切っていいはずがない。
切るべき最適なタイミングと、「ここを」という位置があるに違いない。
君が生まれ出た後、どれぐらいたってから胎盤やらなにやらが母さんのお腹の中から出てくるのか。それをどう扱ったらいいのか。
不安の種は尽きなかった。
それでも、あれこれ思案した末に父さんは一つの結論に達した。
「ともかく、手だけはきっちり洗っておこう」
とっても簡単なことだが、なによりも大切なことに感じられたのだ。
綺麗で清潔な手。

――オーケー、さっそく手を洗おう。

そう思って父さんが立ち上がったときだった。
「あなた、お風呂、入れてくれる?」と母さんがいった。
「ずいぶん楽になるって、藤井さん、いっていたでしょ」
お湯の温かさと浮力で収縮(陣痛)が緩むので楽になるのだ。最近、妊婦のあいだで水中出産が人気になっているのもそんな理由からだという。
「わかった、すぐに入れる」
その後の父さんの行動は機敏だった。

バスルームに入ると、まず洗剤をつけたスポンジでキュッキュ、キュッキュと浴槽を洗った。そして、シャワーで泡を洗い流しながら同時にお湯の適温(この場合は幾分ぬるめ)を探る。それで、これだという温度になったら、綺麗になった浴槽にお湯を溜めはじめる。
その間、額やまつ毛から汗がポトポトと滴り落ちたが、まったく気にならなかった。無心とまではいわないが、黙々と山道をのぼるあの心境に近かった。


助産師の藤井さん

「ど〜も!」
インターフォン越しに、助産師の藤井さんの明るいの声がマンション内にこだましたのは午後3時をまわったころだった。
急いで玄関に走りドアをあけると、紫色の大きな風呂敷包みを抱えた藤井さんがにっこり笑って立っていた。
「お待たせ!」
普段通り、元気一杯の藤井さんである。
「どーも、待っていましたよ。道にでも迷ったんですか?」
父さんとしては、やはり遅れた理由が気になったのだ。
「とんでもない。パパさんの書いてくれた地図、バッチリでした」
藤井さんは、父さんのことを『パパさん』と呼んでいた。
「出がけに、おとといお産をすませたお母さんから電話があって…。ごめんなさいね、遅くなって。ママさん大丈夫かしら」

だからといって、藤井さんが恐縮していたかといえばそうじゃない。
余裕しゃくしゃくといった感じで、抱えていた風呂敷包みを床に置くと、履き口がマジック開閉タイプになっている健康シューズの甲の部分を勢いよくバリバリと剥がした。
父さんは訊いた。
「そのお母さんに、なにかあったのですか?」
すると藤井さんは、呆れたとばかりに手のひらをひらひらさせて応えた。

「赤ちゃんの手足が干からびて大変なんです。象みたいに皺だらけになっちゃったんですけど〜、どうしたらいいんでしょうか〜って。もう慌てちゃってね」
そういいながら藤井さんは、脱いだ健康シューズの向きをくるりと変えた。
ちなみに藤井さんは50歳代の後半である。
再び、父さんは訊いた。
「新生児によくある、脱水症状のあれですか?」
妊婦のバイブルといっても過言ではない名著、岩波書店の「家庭の育児」にそんなことが書いてあったのを思いだしたのだ。父さんはすでに、あのぶ厚い本にひと通り目を通していた。

「そうそう。オッパイあげていれば二、三日でよくなるの。でも最近のお母さんはそれが普通のことっだて知らないから、なにか大変な病気かもしれないって思っちゃうのよ。なかには母乳を止めてミルクを沢山飲ませた方がいいんでしょうか…なんてことを聞いてくるお母さんまでいるのよ」

藤井さんはいつでも、さばさばとした口調で物事の核心をついてくる。
玄関の隣にあるバスルームで入念に手を洗いながら、藤井さんは続けた。

「ほら、人工乳の缶があるでしょ。赤ちゃんといえば、あのかわいい笑顔のプチプチ肌だって思い込んでいるお母さんが多いから。本当はその人工乳が問題なのにみんな惑わされちゃうのよ、あの写真にね」

人工乳など母乳の足元にも及ばない。なのに多くの母親がなにかあると母乳育児を放棄して人工乳に走ってしまうのは、乳業メーカーの巧妙な宣伝活動によるところが大きいのだ、と藤井さんは常々怒っていた。
免疫力の高い母乳を飲んで育った赤ちゃんは、人工乳(いわゆるミルク)で育てられた赤ちゃんにくらべて、アトピー性皮膚炎などにも罹りにくいのは証明済みなのだという。
もちろん、他の病気に対しても強い。
そもそも万人に効く薬がないのと同じように、どんな乳児にも対応する人工乳(乳業メーカーにいわせれば母乳代用品)など存在しないのだ。
だからこそ人間には母乳がある。
「それぞれの赤ちゃんの体質にぴったりあった完璧な滋養物が母乳なの!」
それが藤井さんの口癖でもあった。
そんなことに考えをめぐらしながら、父さんは藤井さんをリビングに案内した。

「ママさん、どう? 顔色いいみたいね」
すでに風呂からあがり、再び『考える人』になっていた母さんを目にするや否や藤井さんはいった。
助産師としての藤井さんの関心は、妊婦がどんな格好でどんな呻き声をあげているのかではなく、その顔色や目つきにあるようだった。
例のとぎれとぎれの話し方で母さんが応えた。

「痛いけど、なんとか、頑張っています」
「今、陣痛がくる間隔はどれぐらい?」と藤井さんが尋ねた。
「だいたい、3、4分」
「もうちょっとね。お風呂には入ったの?」
「さっき」
「それはよかった。何度でも入っていいのよ。特にきょうみたいに暑い日は、清々するから」

そういうと藤井さんは風呂敷包みを開いて、荷物の一番上に載っていた真っ白い木綿の割烹着を取りあげた。そして、左右の握り拳を交互に突き上げるような格好で袖に腕を通すと、「さて」と軽く気合いを入れた。
肝っ玉母さんの勝負服。やはり割烹着は白に限る。


「そのとき」までの数時間

「蒲団の部屋に、いく」
短い息をひとつついて、母さんは、君をいたわるようにお腹の下に両手をあてがいながらゆっくりと立ち上がった。
「どっこいしょ」
藤井さんが、母さんの代わりに声をだして拍子をとった。
慎重な足取りでのろのろと四畳半の和室に入った母さんは、白いビニールシートのかけられた敷き蒲団の上に横になった。
三方が襖になっている室内は薄暗い。でもきっとそんな明るさの方が気分が落ち着くのだろう。
すると藤井さんは、母さんの横に座ってマッサージをはじめた。
膝頭から脹ら脛の裏側をゆっくりと揉んでいく。ごつごつした手。でもその手は、生身の人間に触れながら多くの夢や希望をたぐり寄せてきた手に違いないのだ。

藤井さんが父さんの方を向いていった。
「パパさんは、足の裏を押してあげてね」
脚の長さの割には、母さんの足は小さい。
父さんは母さんの足を自分の膝の上に載せると、土踏まずのあたりに右手の親指をぐっと押しあてながら、左の手で母さんの足の指全体を軽く揉みはじめた。
冷え性の母さんの足は、夏の暑さのなかにあっても指先が冷たかった。

しばらくして、室内にノーザン・オリオール(ムクドリ科の小鳥)のさえずりが響きわたった。この日のために買った掛け時計で、12種類の野鳥の鳴き声で時刻を知らせてくれる。
ノーザン・オリオールがさえずれば午後6 時ということ。
掛け時計のほかにも、リビングには君が生まれたときに必要なありとあらゆるものが準備されていた。

まず柔らかい綿製の産着。これは兄夫婦から譲り受けたもので、白地に薄水色の花火模様が入っていた。そしてバスタオル5枚と布オムツ14枚(これも兄夫婦から)。マジックテープのついたオムツカバーが2枚。
その横の木製の盆の上には、抗菌性のあるハーブの目薬(自家製。出生直後の新生児に必要)とヘソの緒を切るときに使うハサミ、熱湯で殺菌されたガーゼが入ったタッパー。
壁際にある入れ子式テーブルには、新生児(つまり君だ)の身体測定に必要な折り畳み式の木製物差しとフックのついた古めかしいバネばかりが、胸囲を測るときに使用する一巻きのたこ糸と共に並べてあった。

「お湯を沸かすのは、もう少したってからにしましょう」
分娩まであと一、二時間。母さんの子宮口の開き具合を診て、藤井さんはそう読んでいた。
「いま8センチ弱だから」
母さんはといえば、もうほとんど言葉を発せない状態だった。
俯せの姿勢で枕に顔を押しつけ、うーん、うーんと唸っては、はーッ、はーッと息を継ぐ。
目の端には涙が浮かび、右手には軟式のテニスボールが握られていた。
父さんはそんな母さんの背中を両手で撫でていた。

力んではいけない。
母さんの規則的な呼吸のリズムを乱さないように細心の注意を払う。
そのとき、藤井さんがはたと思いだしたようにいった。
「パパさん、シチューのルーは買っておいてくれた?」
「はい!」
文字通りの即答である。
「種類はなんでもいいんですよね」
「そう、ママさんの好きなもの。まあ最初は抵抗があるかもしてないけど、シチューにすればおいしく食べられるから。パパさんも試さないとダメよ」

――ああ、やっぱりマジだったんだ。

母さんの背中を撫でていた父さんの手が一瞬とまった。
藤井さんのいう[抵抗があるもの]とは、胎盤のことだった。
広辞苑には、
【妊婦の子宮内壁と胎児との間にあって、両者の栄養や呼吸、排泄などの機能を媒介・結合する盤状器官】
そして、【胎児の分娩後、続いて胎盤も排出される】とあった。

藤井さんによると、産後、母体から排出された胎盤には、お産を終えた妊婦に必要な栄養素が全て含まれているのだそうだ。
だからそれを食べる。
よって「胎盤シチュー」なのだ。
父さんは訊いた。
「みんな食べるんですか? あまり聞いたことがないけど」
父さんなりの最後の抵抗である。
ところが藤井さんは、
「野生動物は、大方食べるんじゃないかしら」
とサラリと受ける。そして続けた。
「私のところにきた妊婦さんたちには勧めているの。産後の肥立ちが抜群によくなるから。病院なんかだと生ゴミ扱いにされちゃうけど、もったいないもいいとこね」

そういいなが藤井さんは、うーうー唸っている母さんの手のひらを揉んでいた。親指と人差し指の付け根部分。そこを適度に圧迫すると痛みが和らぐらしい。
仕方なく父さんは、既に進行中の現実を受け入れるべく、実際的な質問をすることにした。
「味なんかはどうなんですか。その胎盤の…」
「悪くないわよ。塩をひとつまみ余計に入れるのポイントかな。ちょっと筋っぽいけど、じっくり煮込めばいい味がでてくる。それから胎盤と一緒にへその緒も輪切りにして一緒に煮込むの。こっちはコリコリした歯触りでホルモンみないな感じかな」

――へその緒?

そんな話は聞いていなかったような気がしたが、父さんにそんな疑問を口にする余裕はなかった。
ともかく、味の問題である。
「バジルなんかも入れていいのかな…」と父さん。
「もちろん。なんでも好きなものを入れていいの。パパさんも食べてみればわかるわよ。おいしいから。ともかく、ママさんは向こう一週間、胎盤シチューだけでOK!」
右手の指でOKサインをつくると、藤井さんはひとり笑って見せた。
やれやれ。

胎盤は(多分、へその緒も…)、藤井さんが全て切り分けてくれることになっていたのだが、当然一度に全部食べられる訳ではない。したがってそのほとんどは冷凍保存されることになる。
要するに、食事のたびにそれらを適量解凍してジャガイモやら人参やら椎茸やらと一緒に煮込んで、胎盤シチューをつくるのは父さんの役割になるのだ。
溜息の一つぐらいは許されるだろう?
その点、母さんは違っていて、藤井さんから最初に胎盤シチューの話を聞いたときから興味津々で、どこか楽しみにしている節まであった。

それは母さんの生命観とどこかで通底しているようでもあった。
人間に生来備わっている機能、広い意味でいえば生き物が生きるために自ら作りだすありとあらゆるものには固有の目的があり、それに抗うことは生き物としての自己を否定することに他ならない。
母さんはそのような信念というか、生命観の持ち主だった。
だからなのだろう。
母さんと藤井さんは妙にうまがあった。
そんな二人のまわりを衛星のように回っていたのが父さんなのだ。


そして、誕生の瞬間に…

午後7時過ぎ。
四畳半の和室(わが家の分娩室である)で母さんの触診をしていた藤井さんが、ぼそりといった。
「自然破水。子宮口も全開。ぼちぼちかもね」
実はその少し前から母さんの様相が一変していたのだ。
それまでは、陣痛の痛みをうーうーという呻き声の形に還元して体外に放出していた母さんが、突如、猛り狂った野獣のような叫び声を発するようになったのだ。

「くるくるくる、やだやだやだ!」

容赦なく打ちよせる陣痛の荒波に漂い揉まれながら、あらん限りの声を張り上げて助けを求めているといった感じ。小節の利いただみ声というのか、かすれぎみの太い悲鳴というのか、なににしろその声は襖や壁はおろかマンション全体が揺れるほどの大きさだった。

「いやーッ、いやーッ!」
「NO! NO------------OH! 」

ともかく母さんは叫びまくった。
すでに日は暮れかけていて、室内に差し込んでいたオレンジ色の西日もだいぶその明度を失っていた。東側に掛けてある遮光カーテンの隙間からは、隣のマンションの部屋に明かりが灯っているのが見えた。父さんのマンションと隣のマンションは、幅約2メートルの通路を挟んで並んで立っている。
で、ふと思った。

――隣近所にも、この絶叫は聞こえているんだろうなあ。

そう考えると、にわかに父さんの胸の中に不安が広がった。
母さんの絶叫を耳にしたどこかの誰かが、慌てて受話器を握る光景が頭に浮かぶ。
目の前では、藤井さんが触診用の新しいゴム手袋の用意をしていた。
父さんはいった。
「事情を知らない人がこの声を耳にしたら、ドメスティック・バイオレンスかなんかと勘違いして警察に通報しちゃうんじゃないかな」
状況からすれば、充分あり得ることのように思えたのだ。

ところが藤井さんはといえば冷静沈着。父さんの心配事など荒唐無稽だとばかりに軽く受け流した。
「まあそのときはそのときで、お巡りさんに近所まわりをしてもらいましょうよ」
そして、穏やかな口調で父さんに現実的な指示をだした。
「パパさん。ママさんを背中から抱えてあげて」
静かだが有無をいわさぬ力がそこにはあった。

父さんは素早く持ち場についた。
背中を押入と押入の間にあった柱につけ、両腕を母さんの背後から脇の下にまわす。それから上半身を抱え込むようにして中腰になる。そして、その体勢を保ちながらビニールシートの掛けられた敷き蒲団の上に静かに腰を下ろした。
傍から見れば、パンダかなにかを背後から抱きかかえているような格好である。

一方、藤井さんはといえば、母さんを抱えている父さんの正面で立て膝の姿勢をとっていた。
「口の痺れ、手の痺れはどう?」
藤井さんが母さんに尋ねた。
絶叫を繰り返していても状況判断はできているらしく、母さんは藤井さんの問いに二度三度、首を横に振って応えた。
特に痺れはないようだ。
そんな母さんの仕草をみて藤井さんは頷く。
「大丈夫、大丈夫。落ち着いて」
しかし、そういわれてもやはり痛いものは痛いらしく、数秒、長くても十数秒ごとに、耳を劈くような叫び声が、母さんの口から飛びだしてきた。

「いやーッ」
「ぎゃーッ」
「Oh my god!」

まさに激闘である。
よく考えてみればそれもそのはずで、母さんにとってはどれもこれもが初めての経験なのである。
肉体的な痛みのほかに、未知の世界に一歩一歩足を踏み入れていくような恐怖感だってあるだろう。ほんとうに自分は子供を産み落とせるのかという不安も拭いきれてはいないだろう。
藤井さんが、幼子を慰めるような口調でいった。
「はーい、力抜いて。そう大丈夫よ。ほーら、卵胞が出てきたよ」
卵胞? 
なんだろうと思い、一応訊いてみた。
「卵胞ってなんです?」
「赤ちゃんが入っている袋。それが出てきているから、もう直ぐのはずなんだけど」
そういいながら藤井さんは、母さんの子宮口のあたりを触診しているようだった。
「力抜いて。さあもう一回、息んで息んで!」

藤井さんの息んで息んでの声がかかるたびに、父さんの前腕を掴んでいる母さんの手に力が入った。するとその指先の爪が、ギュッと父さん皮膚にくい込んでいく。
最初のうちはかなりの痛みを感じていたのだが、何度か繰り返されているうちに徐々に感覚が鈍ってきて、暫くするとなにも感じなくなっていた。
父さんの腕はもはや父さんのものではなかった。

さらに、母さんと柱の間に挟まれている身体もまた、すでに部屋の一部になってしまったかのような感覚だった。
だからなのだろう。耳を劈くような母さんの叫び声すら、いつしかまったく気にならなくなっていた。それは、意識だけが自分の身体から遊離し、薄暗い室内の高みにそっと浮かんでいるような感覚だった。

藤井さんがぽつりとつぶやいた。
「ママさんの勢いに負けて、なかなか出てこないね」
それは母さんにではなく、父さんに向けられた言葉のようだったので、ほんの少し考えてから、父さんは応えた。
「恥ずかしがり屋なのかな」
すると藤井さんは、「照れているのかも」といって今度はけらけらと笑った。
と、そのとき午後8時を知らせるブラックキャップ・ティカディ(シジュウカラの一種)のさえずりが聞こえた。

――ということは、母さんはかれこれ一時間以上も髪を振り乱しながら雄叫びをあげていることになる。自然破水したのが午後7時過ぎだったから、いくらなんでもそろそろ出てきてもいい頃なのに…。

そう思うと父さんは少し心配になった。
「ちょっと、時間がかかり過ぎですか?」
藤井さんにそれとなく訊いたのだが、そんな父さんの言葉は母さんの絶叫にかき消されてしまったらしく、父さんへ応える代わりに、藤井さんは母さんに声援を送った。
「どんな声をだしてもいいから。がんばれ、がんばれ。もう、このお腹ともサヨナラだよ」
さすが肝っ玉かあさん。
藤井さんの落ち着きぶりはまさに百戦錬磨の強者といった感じで、その表情は、苦悶に満ちた母さんのものとは対照的に心底楽しそうでさえあった。

そのときだった!

父さんから見て左側、つまり東側のサッシ窓に掛かっていた銀箔色のカーテンが一瞬波打った。
母さんの左足が遮光カーテンの裾に触れたらしく、その爪先を見ると親指がこちら向きにギュッと反り返っていた。
その反り返った母さんの左足の親指を発見するや否や、父さんは思わず声をあげていた。

「きたきたきた、きたゾ〜っ!」

知らず、母さんを抱えていた腕にも力が入った。
前方では藤井さんが、
「はッはッはッはッ、いいよ。大丈夫。はいはい、そら頭がでたよ!」
と叫んだ。
そんな藤井さんの声を追いかけるように母さんの荒い息づかいが聞こえた。
「はッはッはッはッ、はッはッはッはッ」
いよいよである。
父さんの腕の中で母さんの身体がめいっぱい緊張する。
そして、この日最大級の雄叫びが室内にこだました。

「いやだ〜ッ!」

すると、抱えていた母さんの身体全体からスーッと力が抜けていき、同時になにかがズルリとビニールシートの上に滑り落ちる音がした。
束の間、室内がしんとした。
直後、
「はーい!」という甲高い声に続いて、「時間確認して下さ〜い」と叫ぶ藤井さんの言葉が父さんの耳に飛び込んできた。
――やった。というのか、
――終わった。というのか。
そんな感情が胸に湧きあがるのを感じながら掛け時計に目をやると、時刻は午後8時10分を少しまわったところだった。

「8時12分です」

そういいながら父さんは、母さんの肩越しにビニールシートの上をのぞき込んだ。するとそこには、藤井さんの手の中で臆病なウサギのように縮こまっている君がいたのだ。
皮膚はグレーがかった薄紫色。
顔を下にして手足をくの字に曲げているその姿は、メスのカブトムシに似ていた。それにしても小さい。

藤井さんが母さんの目の高さに君を持ち上げながらいった。
「さあ、どっちだ? あッ、男だ!」
その藤井さんの言葉に呼応するように母さんも、小さく叫んだ。
「男だ、男だ」
母さんは藤井さんから君を預かると、汗ばんだ自分の胸の上にそっとのせた。

生まれたての命である。

目はまだ閉じられたままだったが、ほの字につぼんだ口は、母さんの乳房と乳房の間で微かに動いていた。それは開花を躊躇っている小さな花の蕾のようで愛おしかった。

「息、しているね」
と父さんがいうと、
「大丈夫。グーは大丈夫」
と母さんが応えた。

その声は、幾分ざらつき掠れてはいたものの、柔らかな調子になっていた。
そんな母さんの表情をニコニコしながら眺めていた藤井さんは、「胎脂をからだに塗り込みましょうね」というと、君の身体についていた乳白色の胎脂を丁寧に皮膚全体に塗り込みはじめた。
マッサージの要領で小さな背中から細い手足へ。小さな一本一本の指にも手早く胎脂を塗っていく。
そして藤井さんがいった。
「よく頑張ったよ、きみ。どこにも問題ないね」
すると、おずおずというか、にわかにというか、君が泣き声をあげた。

「キャー、キャー、キャー」
と三回。
その後ひと呼吸おいて、また、
「キャー、キャー、キャー」
と三回。

それが、はじめて耳にした君の声だった。
産声である。
その声は想像していたよりも遙かに細く危ういものだった。
はかなくて頼りなげな泣き声。
それは生まれたばかりの子猫の鳴き声のようでもあり、どちらかといえば心許ないものだった。けれども産声があがるたびに全身が薄紫色から淡いピンク色に変わっていく様子は、神秘的でありかつ感動的だった。
新しい命が君のからだ全体に浸透していくようで見ていてぞくぞくした。

「凄いなあ」

父さんには、他にいい表しようがなかったのだ。
そんな君を目を細めて見つめていた母さんの横顔に、藤井さんがいった。
「最後、きつかったね」
「うん。でも、もう忘れたみたい」
そういいながら母さんはトントントンと三度、君の背中を優しくたたいた。
トン、トン、トン。
すると君の目が静かに開いた。
母さんの胸の上で、ほんの少し顎を上に向けるようにしながら、君はしっかりと目を開けたのだ。
父さんと母さんはほぼ同時に小さな君の顔を覗き込んだ。

ブルーグレー、鳶色の瞳。

それは父さんの色でも母さんの色でもない瞳の色だった。

「やあ、父さんだよ」

その瞬間、それまでに感じたことのない激しい感情が父さんの全身を貫いた。


生き方が変わるということ

人生が一夜にして変わるなんて到底ありえない。
常々、父さんはそう考えていたのだが、違っていた。
父さんの人生は君の真っすぐな視線を目の当たりにした瞬間、真っ二つに分かれた。
前と後にすっぱりと分離したのだ。
それも、決定的に。

厳密にいえば、君が母さんの胎内にいたときから父さんとの親子関係は始まっていたのだけれど、ともかくあの瞳だ。
あの瞬間の君の瞳がすべてだった。
その瞳は森羅万象を呑み込んでしまう深淵であり、知恵の実を食べ過ぎて穢れきった大人(親と言いかえてもいい)の本性を映しだす純粋だったように思えた。




かえるかな
(photo:kazuhiko iimura)




「ママさん、パパさん、見て。目を開けたわよ」(藤)
「見た見た。母さんを探しているんじゃない?」(父)
「あっ、今、あなたの方を見たわよ」(母)
「うん、見てる見てる」(父)
「おなかの中で聞いていたパパさんの声、覚えてるのよ」(藤)
「全然まばたきしないけど。あっ、また母さん見てるな」(父)
「顎あげちゃってどうしたの。ねぇ、君、オッパイ飲む?」(母)

そういうと母さんは、君の口を自分の乳首にあてがった。
「おっ、いきなり口にいれたぞ」
「パクパク、すごく強く吸ってる。オッパイ出ているかどうか分からないけど、すっごく強い。痛い、噛んじゃダメよ」
「でも、なんとなく老けた顔してないか?」
「どの子もそうなの。目の形なんてあなたにそっくりよ、アーモンドみたいで」
「どっち似かしら。涼しい顔してるわよね」
そんなたわいもない会話を母さんと交わしながらも、父さんの胸は自分が父親になったのだという実感で溢れていた。
それは信じられないぐらい硬い信念であり、自分自身が存在していることの最大の意味であるように感じられた。

――どんなことがあっても、とことん、わが子を守り抜く。

それ以外に父親としての存在価値はないのだ。
君の命が危険に晒されたとき、君を救う唯一の方法が自分の命を差し出すことであったなら、父さんは喜んでこの命を差し出す。
そう考えただけで父さんの身体は幸福に震えた。
喜びに胸が躍った。

大袈裟ないい方をすれば、それはまさに根元的な啓示であり、君を、そして君という新しい生命を生み出した母さんを守ることが自分の生きる目的であると確信したのだ。

これには父さん自身が驚いた。
そんな心境になるとは夢にも思っていなかったのだから。
ではどうしてそんな確信が父さんのなかに沸きあがってきたのだろうか。
それはひとえに、君が病院などの非日常的な場所ではなく、自宅という見慣れた空間で生まれたということがとっても大きいような気がする。
見慣れた空間の、連続した時間の流れのなかに生じた変化。
きのうまでは、父さんと母さんしかいなかった部屋にきょうは君がいる。
ただそれだけの変化なのだが、その変化がありふれた日常の中で起こったという事実は、想像以上に父さんの心を激しく揺り動かしたのだ。
多分、それは母さんにしても同じだったろう。

――とことん、守る!

そう決心すると父さんは、自分が実際よりもいい人間になったような気がして嬉しかった。
そう感じた自分自身が誇らしかった。
それもこれもすべて君のお陰なのだ。


サヨナラ、あんころもち、又きなこ。グー!

約束通り、母さんの胎内で「産出」された胎盤やヘソの緒は、藤井さんによって無事調理された。
ステーキナイフが胎盤を切り刻んでいく光景は、お世辞にも美しいとはいえないものだったが、そこから流れでた血液の鮮やかな赤い色には度肝を抜かれた。
胎盤シチューを楽しみにしていた母さんがあの血液を見たら、さぞや感動したことだろう。24時間近く陣痛と戦った母さんは、そのときにはもうぐっすりと眠っていた。
静かで規則正しい寝息。
そんな母さんの横には籐製のバスケットが一つ。なかでは、つい今しがたまでその鳶色の瞳でこの世の不思議(?)をしげしげと眺めていた君が穏やかな表情で眠っていた。
小さな尻をポコン!と突きだした格好は、実に滑稽だった。

やはり、カブトムシの形である。

帰りの支度を済ませた藤井さんが、そんな君と母さんに目をやりながらいった。
「ママさん、疲労困憊ってとこかしら。でも、ぐっすり眠っていられるのも今晩だけだから。パパさん、明日から頑張ってね」
昼夜の区別がない赤ん坊の世界。
そんな生活がこれから先しばらく続くのだということを、藤井さんはやんわりと父さんに伝えたかったのだ。

「重々承知しております」

父さんがわざと慇懃に応えると藤井さんは、
「OK、それじゃ」といって、すたすたと玄関に向かった。
ところが靴を履く間際になって突然クルリと振り返ると、いきなりある唄のようなものを口ずさんだ。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」

最後の〈ギュッ〉のところでは小さな握り拳をつくった。
「なんですか、それ?」
父さんが尋ねると藤井さんはニコリと笑って、
「わらべ唄よ、いいでしょ」と応えた。
「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」
口ずさんでみると、ほっかりした語感がとっても良かった。
すると藤井さんは、最後の〈ギュッ〉のところを〈グー〉に代えてもう一度口ずさんだ。もちろんその〈グー〉のところでは小さな握り拳をつくった。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。グー!」

さすがは肝っ玉かあさん。なにげに洒落た真似をしてくれる。
藤井さんのつくった右手の握り拳を見ながら父さんは思った。

――そうだなあ。もうグーじゃないんだなあ。

玄関からマンションの外階段にでてみると、やはり外は真夏の夜だった。
三夜連続の熱帯夜。
もわっとした熱気が辺り一帯をおおっていた。
唯一、遠くに聞こえるセミの鳴き声だけが、沈滞した空気に微かなアクセントをつけていた。懸命に胸を震わせて一心に生命を放散するセミ。
もし命が7日間しかないのなら、それこそ昼も夜もないのだろう。
藤井さんはこちらに手を振りながら、マンションの横にある月極め駐車場沿いの舗道を歩いていた。
その遙か向こう側。夜陰に濃い緑が点在する碑文谷の低い住宅街の彼方では、東京タワーの航空障害灯が赤く、静かに明滅していた。

(飯村和彦)


newyork01double at 23:04|PermalinkComments(0) 家族/ 子育て | ダブル秘話

2017年02月06日

トランプ的な行為・行動を、「トランプる(Trumple)」と呼ぶことに!



明らかなウソを平気でまくし立て正当化する
意見や考え、主義主張の異なる人と建設的な議論ができない
相手の気持ちを踏みにじる
気に入らない相手には激しく個人攻撃をする

そんなトランプ的な行為全般について使える言葉を思いついた。
日本では、ある人物名の最後に「る」をつけて、
その人物的な行為を表す俗語として使ったりするけど、
この「トランプる」がいいと思ったのは、
「トランプる」を英語で「trumple」とした際の語感と、
その語感から思い浮かべる意味だ。

「trumple(トランプる)」そのものは僕の造語だけれど、
実は英語に「trample」という単語がある。
うちのアメリカ人の奥さんによると、
「trample」は「〈〜を〉どしどし踏みつぶす。〈〜を〉踏みつける。
〈人の感情などを〉踏みにじる」
という意味だから、
造語の「trumple(トランプる)」の意味に似ていて語感もいいとのこと。
「tr」のあとの「u」と「a」が違うだけだから、発音も近いわけだ。
このところ機会があれば積極的に使用している。

そんなトランプがアメリカ大統領に就任して2週間が過ぎた。
イスラム圏7か国出身者を入国禁止にした大統領令はじめ、
この間にあったことは日本でも盛んに報じられているようなので、
ここで細かく紹介するまでもないはず。

「就任式に集まった観衆が過去最高だった」(明らかなウソ)と強弁したり、
大統領選挙では「300万人の不法移民が不正投票した」
と何の根拠もなくいい張って調査を命じたり。
得票数でヒラリーに300万票近くの差をつけられて負けた事実が相当悔しいらしい。
支持率も40%ちょっとで、政権発足直後でありながら驚くほど低い。
いまさらながらこれでよく大統領になれたなと思ってしまう。
また、オーストラリアの首相との電話会談の際、
切れて電話を叩ききった事実などは、彼の本性がそのままでた感じだ。

大統領選挙のときから現在にいたるまで、
やはり一番気になるのがトランプの「ウソ」だ。
枚挙に暇がないとはまさに彼のウソのことで、
明らかなウソでも権力をかさに事実だと大声でがなりたてる。
当然ながら彼はウソを認めたりはせず、
逆にウソを指摘した方を「ウソつき」だと一方的に罵倒、
恫喝まがいの発言さえいとわない。
絶対子どもにはまねさせたくない態度だけど、
それを絶対的な権力を持つ大統領やその側近がしているんだから、
常識的に考えれば、いまのアメリカ政治(トランプ政治)は、
既に破綻しているといってもいいのかもしれない。

分かりやすい例が、ご存知トランプのメディア対応だ。
お仲間メディア(FOXニュースなど)には愛想よく、
自分に批判的だったり、都合の悪い事実を伝えるメディアにたいしては、
「インチキだ」「フェイクニュース(偽ニュース)だ」
とまくし立てて聞く耳を持たない。
CNNやニューヨークタイムス、
ワシントンポストなんかに対する敵愾心は尋常じゃない。





NYT本社
(photo:kazuhiko iimura)



そんなトランプに嫌われているニューヨークタイムスが先月、
「偽ニュース」をでっちあげたある人物に関する記事を載せた。

大統領選挙が終盤に差しかかった頃、
【オハイオ州で投票箱に入った大量の不正ヒラリー票が発見された】
というウソの記事を書いた男性についてだ。
この捏造記事は、当時またたくまに広がり、
トランプ本人も鬼の首でもとったように、
無思慮にその「偽ニュース」をツイートしてばんばん拡散させた。
“その後の顛末”まで仔細にフォローしていない人の中には、
今でもこの「偽ニュース」を本当にあったことだと信じている人が多いかもしれない。
「偽ニュース」をでっち上げて広げた動機についてその男性は、
ニューヨークタイムスの取材に「金のためにやった」と答えている。
そんな行為がいい金になるのがネット社会の負の側面なのだ。

さらにある時点でそれが偽ニュース、ウソ情報だと分かったとしても、
そこに書かれている内容が自分に都合よかったり、
自身の考えに近いものであったりすると、
「いいね」を押したり「シェア」したりする人も少なくないだろうし、
もしかすると、「そんなこともあるかもしれない」、「きっと本当なんだ」
と勝手に思い込むようになるのかもしれない。
特に自分の支持する権力者のものいいに迎合するような人たちは、
その傾向が強いんじゃないか?

その上にネットの世界では偽ニュースやウソ情報が、
削除や訂正されずにのそのまま残ってしまうことが多々ある。
試しに関心のあるテーマでそれなりに事実関係をつかんでいる事柄について、
幾つかキーワードを打ち込んで検索してみよう。
結構な数の事実誤認、ウソ情報、根拠のない噂話がでてくるはずだ。
でもそれがウソやインチキだと分かるのは、あなたがそのテーマに関して詳しいから。
そうでない人や物事の真偽についてあまり検討を加えたりしない人は、
そこに書かれている内容がウソか本当なのか、なかなか判断できないに違いない。

「偽ニュース」や「ウソ情報」は昔からあったものだけれど、
いま僕たちが直面しているそれはかなり厄介な代物なのだ。

トランプ政権を例にとれば、そんな偽ニュースやウソ情報を
トランプ本人はじめ、報道官ほか政府高官までがずる賢く悪用している訳だから驚く。

例えばトランプの顧問で、就任式に来た観衆の数について、
「もう一つの事実」という訳のわからない発言をして、
物議をかもしたケリーアン・コンウェー氏。
今度は米ケーブルテレビ局(MSNBC)の番組で、
実在しない「イラク人過激派による虐殺事件」について語り、また問題になった。
ご丁寧にも今回は、
「これまで報道されていないから多くの人は今まで知らなかったはず」
とまで言ってのけた。
問題を指摘されるた彼女は後にツイッターで釈明したが、
そんな彼女のツイッターをいったいどれだけの人が見るというのか。

影響の大きいメディアで自分たちに都合のいいウソの情報を流して、
間違いを指摘されたら個人のツイッターでしらっと訂正する。
けれども流された情報の絶対量は断然ウソ情報の方が勝り、
結果少なくない人がウソ情報を事実として受け止め続ける可能性が高くなる。

そもそもが「もう一つの事実」ってなんだ?
ふざけた話だけど、こうして一つの表現としてあちこちで見かけるようになると、
そんな訳の分からないものいいまでいったん立ち止まって考える必要がでてくる。
まったくもって嫌な現状だ。





反対集会アマースト大学
(トランプ大統領令反対集会 アマースト大学/ photo:kazuhiko iimura)





極めつけはトランプお得意の個人攻撃だ。
イスラム圏7か国出身者の入国を禁止した大統領令について、
その一時差し止めを命じたジェームズ・ロバート連邦地裁判事を攻撃。
「この、いわゆる判事の意見は本質的にわが国から法執行というものを奪うもので、
ばかげており、覆されるだろう!」
とツイッターに投稿したのだ。
法の精神(司法の独立)を疎んじているとしか思えないトランプに、
法執行云々を語る資格があるのか?

さらに6日には、「なにか起きたら判事のせいだ」とまでいい放った。
とても大統領の言葉とは思えない。
判事に対する個人攻撃は前代未聞で現職大統領としてはほとんど前例のないことらしい。
トランプは、大統領選挙期間中にも「トランプ大学」詐欺疑惑をめぐり、
訴訟を担当していた判事を「メキシコ人」と呼んで人種差別だと批判されたけど、
大統領に就任してもそのままな訳だ。

そんなアメリカ大統領トランプと日本の安倍首相の首脳会談が開かれる。
いったいどんな展開になるのだろう。
ニコニコ笑っていても、意に反することが持ち上がれば、
あっという間に豹変して激高するトランプ。
そんなトランプ個人やトランプ政権を見るいまの世界の眼は極めて厳しい。
にもかかわらず、きちんと言うべきことを言わないまま、
巷間伝わっているようにエアフォースワンに同乗してフロリダまで赴き、
一緒にゴルフまでしてしまうのか?

そんなお気楽な映像が世界中に発信されると思うと恥ずかしいし、
アメリカ人の多くはきっと“いったいどんな神経をしているんだろう”
と白い目で見るに違いない。
それよりなにより、
「トランプ大統領と安倍首相は同類だ」
とテロを企む連中は確信するだろう。

これからアメリカという国はどうなってしまうのか。
分断社会、モラル低下、もろもろの差別…。
ウソを言っても大声でまくし立てれば、
何でも通ってしまうような社会になってしまうのか?
(それが「強いアメリカ」なのか?)
うちの奥さんは、大統領選挙の結果を知ったあと体調を崩した。
ショックというよりも、
これからアメリカで生活していくことが「とっても怖い」からだと。
不安ではなく「恐怖」なのですね。
たぶん、トランプ的なものの考え方に対して嫌悪感を抱いている人の多くは、
うちの奥さんと似たような精神状態だと思う。

50年以上アメリカ人をやってきて、
この地にずっと住んでいる人間がひりひりと肌で感じる怖さ。
これから先何年か(そんなに?)その怖さを感じながらこの地で生活していくこと。
それは日本人の僕なんかには到底感じられない皮膚感覚で、
長いことアメリカに住んでいても、
決して分からない類のものなんだろうなあ…と思う。

こうしてトランプについてつらつら書いているとかなり重たい気分になる。
だからという訳じゃないけれど、
最後にかなり笑える「フェイク新聞」を紹介しよう。
約30年前、初めてニューヨークに住み始めた頃、
その並外れた馬鹿馬鹿しさがおかしくて購入していた、
「National Enquirer」なる新聞(?)だ。




タブロイド
(photo:kazuhiko iimura)



記事の内容はといえば、「その子は、お父さんにそっくりだった!」
として紹介されている「人面馬(?)」の記事だったり、
墜落したUFOから「宇宙人の赤ちゃんが“生きたまま”発見された」というもの。
さらには、407ポンド、つまり約185キログラムもある、
「世界一大きな赤ん坊」の話まで。
ともかく、
いったいどこからそんなアイディアが沸いてくるんだろうという代物ばかりだ。

この新聞(?)が、いま世界中で問題になっている「偽ニュース」とは、
まったく質の異なるものであることは明らかだけれど、
これがスーパーマーケットのレジ横なんかで堂々と販売されているんだから
少なからず驚いたもの。

でも、いまある「虚構」をウリにした「虚構ニュース」などと違って、
この「National Enquirer」は、
“内容は虚構です”とも“ジョークです”とも表明していないから、
なかには「偽ニュース」とは思わないで記事内容を信じる人もいるのか?
30年前は“ほぼ”そんなことはないだろうと考えていたけれど、
今だと、もしかするとこんな新聞(?)でさえ、
情報ソースとして利用している人がいるかも知れないと思えてしまうから怖い。
それだけ世の中がウソと偽ニュースに汚染されてしまっているということなのか?

(飯村和彦)




newyork01double at 14:03|PermalinkComments(0) テロとの戦い | 取材ノートより

2016年12月11日

報道における「匿名性」の問題



薬物疑惑が報じられていた俳優の成宮寛貴さんが9日、
芸能界引退を電撃発表した。

「心から信頼していた友人に裏切られ
複数の人達が仕掛けた罠(わな)に落ちてしまいました」
としたうえで、
「自分にはもう耐えられそうにありません」
成宮さんはそう自ら文書に綴っていた。

ことの発端は、今月2日の「FRIDAY」の記事。
成宮さんのコカイン使用現場とする写真を掲載し、
その写真を提供したのは成宮さんの友人男性だと伝えた。
記事内容の根幹すべてをこの「友人男性」の話や提出素材に頼ったものだ。
“薬物疑惑”の事実関係について、
実名で報じられているのは、成宮さんだけであり、
成宮さんへ直撃取材のときの彼のコメントのみが、
匿名ではない人物の肉声だった。

事実がどうなのか、当然ながら不明。
それもそのはずで、
「友人男性」の証言などにもとづいた、
「FRIDAY」のいうところの“疑惑”でしかないのだから。
けれども現実をみると、
その“疑惑”と題した記事により、一人の役者の人生が一転してしまったのだ。

「事実無根」と成宮さんは訴えていた。
その彼の言葉を信じるのか、
「FRIDAY」のいうところの“疑惑”を信じるのか…




スタジオ
(photo:kazuhiko iimura)




今回の成宮さんの件とは直接関係ないけれど、
ここ数年、ずっと気になっているのが、
報道における「匿名性」の問題。
少し前に書いたものだけれど、加筆して改めてアップしました。

象徴的な例は、数年前長野県で発生した、
小学5年生の少年が諏訪湖で遺体となって発見された事件。
この事件では、
行方不明になった少年の足取りが、
若い女性の「ウソ」の目撃証言によって大きく歪められた。

「ずぶ濡れの少年を自宅に招きいれ、
カップヌードルを食べさせた」

「自宅まで送って行こうとしたら、
白いワゴン車にのった若いカップルが、
“僕たちが送るから”といったので、そうしてもらった」

この目撃証言は極めて重要な意味をもった。
少年の足取りのヒントであり、
なにより彼の「生存」の証明であったから。
ところがその目撃証言がウソ、
若い女性による狂言であることが後に分かる。

動機は面白半分。
報道各社のインタビューに彼女は「顔なし・匿名」で答えていた。
ウソの目撃情報にもとづいた捜索が行われれば行われるほど、
事実から遠のいてしまったという現実は重い。

もちろん、
各報道機関にも問題がある。
ここ数年、
事件が発生するたびに目にするのは「匿名報道」の洪水。

「顔も名前も出しませんから取材に応じてもらえませんか?」

溢れかえる匿名報道を見るにつけ、
現場で取材に当っている記者や番組担当者たちのそんな姿が目に浮かぶ。
「匿名報道」は、
プライバシー保護など取材対象者のやむにやまれぬ理由により、
どうしても実名報道ができない場合に限って許されるもの。

しかしそれとて、
事実関係をきちんと掴んだ上で、
当事者(取材対象者)への実名報道の必要性を説いた後に、
「それでも実名では困る…」
となった場合にだけ許される手法のはずだった。

そのプロセスをきっちり踏むことによって、
取材対象者も証言の重要性を認識し、
さらには、証言につきものの「責任」についても考えられる。
同時に、このプロセスを通して取材者側は、
取材対象者が本当のことを証言しているのかどうかを
少なからず見極めることができるのだ。

「顔も名前も出しませんから…」

この言葉を取材する側が、
安易に発しているように思えてならない。
報道現場における取材する側、取材される側の「責任」。
その所在がいま、
大いに揺らいでいる気がしてならない。

(飯村和彦)





newyork01double at 15:57|PermalinkComments(0) 取材ノートより 

2016年11月09日

トランプの勝ち!アメリカはどうなってしまうのだろう



トランプ勝利にはもの凄く驚かされた。
さらには選挙の4日前、各種データの分析をもとに「神風でも吹かないかぎり、第45代アメリカ大統領はヒラリーだ!」という文章を、ある種の確信をもって一歩踏み込んだ形で書いていた自分としてはショックですらあった。
「どうしてこんなことが起こるのだ?」と…。
けれども結果がでてしまったからにはその事実をきちんと受け止めるしかない。
潔く、自分の分析やらものの見方の甘さを認めます。



2S
(写真:BBCより)



じゃ、どうしてトランプ勝利なんてことになってしまったのか?
アメリカの新聞・テレビ等の各メディア(たぶん日本のメディアも…)は、今回の結果を受けて「選挙の最終盤にFBIが発表したヒラリーのメール問題」を一因にあげている。
きっとそれも影響したのだろう。でもそれにしたところで数あるファクターのうちの一つでしかなく、それがヒラリー敗因の決定打になったとも思えない。
先の文章にも書いたように、アメリカのメディア(特にテレビメディア)がトランプ勝利に果たした役割(トランプは見事にテレビ報道を利用した)は少なくないと思うけれど、それ自体は選挙戦が始まったときからずっと続いていた訳だから、これ自体が最後の逆転に大きな影響を与えたともいえないだろう。

トランプが勝った、というかトランプを勝たしたのは、
やはりトランプが作り上げた世界(現実的な言葉でいえば彼のいうところの「政策」やら「政治姿勢」やら「理念」なんかになるのだろうけど)、そのトランプ・ワールドに入った人たちの団結力が想像以上に強かったということなのだと思う(これについては前回の文章でも触れたけれど)。
彼らは間違いなく8日の投票日にきちんと投票にいっているだろう。

その意味では、ヒラリー支持派(多くはトランプ嫌悪派)は、最後にきて隙ができたのかもしれない。
数えられないほどのトランプの醜聞により、ヒラリーはそれなりのリードを保っているように見えたし、
実際それを肌で感じていたはずだから。
だた、映画監督のマイケル・ムーアは、そのことをだいぶ前から懸念して以下のように熱心に語っていた。
「トランプを大統領にしたくなければ、あなた自身が自分の住む地域の選挙対策本部長になったつもりで、自分はもとより知り合いを引き連れて確実に投票にいきなない。でないと本番で必ず負ける」
はからずもマイケル・ムーアのいっていた通りになってしまった訳だ。

これからアメリカっていう国はどうなってしまうのだろう。
随分前にも書いたけれど、選挙戦の間にトランプが叫んでいた、彼のいうところの「選挙公約(らしきもの)」がすぐにそのまま現実のものになるとは考えにくいけれど、今回の大統領選を通してアメリカ社会に広がった「分断」は相当厄介だ。
さらにはモラルの低下、人種や民族や性別の違いによる差別、溢れる銃…考えただけでぞっとする。
平気でウソを言っても、大声でまくし立てれば何でも通ってしまうような社会(それが「強いアメリカ」?)になってしまうのでは…と心配になる。

いま、アメリカ国内からカナダに移住を希望する人が急増しているらしい。

(飯村和彦)




newyork01double at 22:55|PermalinkComments(0) 取材ノートより 

2016年11月04日

神風でも吹かない限り、第45代アメリカ大統領はヒラリーだ!



さてアメリカ大統領選挙のことだ。
投票日を8日に控え、各メディアの報道もラストスパートといったところのようだが、そんな報道のあれこれに接するたびにげんなりする。これまでの選挙戦をずっと眺め、きちんと取材して地域や人種等の違いによる投票傾向などを見てきた人間であれば、もう結果は分かっているだろう。
ここにきて“ヒラリーとトランプの差が数ポイントに縮まった”というような世論調査の結果がでているけれど、文字通りそれだけのこと。あくまで“縮まった”にしか過ぎない。



ヒラリーキャンペーン1
(ヒラリー、選挙キャンペーンメールより)



ヒラリー勝利予測の理由はいたってシンプルだ。

勝敗を決める幾つかの重要な州でトランプの勝ちが見込めないから。
ご存知のようにアメリカ大統領選は、州ごとの勝敗によって得られる選挙人の数で勝ち負けが決まる(総得票数ではない)。もともと民主党の強い州、共和党の強い州というのがあり、極端な話これらの州では誰が大統領候補だったとしても結果は動かないので、重要なのは“結果が流動的な州”。それが今回の大統領選挙では15州程あり、激戦州と呼ばれているわけだ。
トランプが大統領になるためにはこの激戦州といわれている15程の州で少なくとも7つか8 つ以上は勝つ必要がある。ところが実際は、各メディアによって予測に若干の違いはあるももの、よくて4つか5つでしかない。

ニューヨーク・タイムスのデータ予測を例にあげれば、トランプが優勢なのはアリゾナ、オハイオ、アイオワ、ジョージア、ミズーリの5つの州だけだ。残りの10州は全てヒラリーが優勢となっている。なかでも勝った場合の獲得選挙人の数が多い、フロリダやペンシルバニア、ミシガン等でヒラリーが優位を保っているから、それこそ神風でも吹かない限りトランプが勝つ見込みはないだろう。

つまり、このところの世論調査の数字が例え数ポイント差であったとしても、間違いなく第45代・アメリカ大統領はヒラリーである。
米国史上初の女性大統領が誕生する可能性が断然高いのだ。

にもかかわらず、各種データやその傾向を仔細に検討していない方々や薄々わかってはいても“大統領選ネタで引っ張ろう”という思惑のある一部メディアは、「ヒラリーの支持率が下がってトランプと3ポイント差になったゾ!」とか、「これは最後までわかりません」であるとか、ここぞとばかりに煽るような伝え方をする。
挙句にはこの期に及んでも、「もしトランプが大統領になったら…」というような「もし○○だったら□□」形式の特集なんかを流したり。極端な話し、内容のほとんどを可能性の大きくない「もし○○だったら□□」の「□□」の部分に費やしたりする。
今回の大統領選挙でいえば、実情がどうあれメディア的(とくにテレビメディア的)にはトランプ話をした方が視聴率もいいのだろう。
本来であればより現実性の高い事象について時間をかけて検討すべきなのに“視聴者受けしそうな事象”を厚く扱う。これってとっても無責任な報道姿勢であり、これほど視聴者を馬鹿にした話はない。
派手な音楽をつけて赤や青のテロップが画面に踊る…見ていて情けなくなるでしょう?

さらには驚くことに、「トランプリスク」とかいうらしいのだが、トランプが「もし」大統領になったら世界経済が混乱するからということで株価や為替レートまで変調をきたしている。「おいおいちょっと落ちつこうよ」とは誰もいわないようだ。
「混乱=儲けどき」…と考えている方々も少なからずいるのだろう。



ヒラリーキャンペーン2
(ヒラリー、選挙キャンペーンメールより)



当初は泡沫候補だとしか思われていなかったトランプが共和党の大統領候補になり、(九分九厘負けるにしても)最後まで選挙戦を続けてこられた背景ってなんだったのか。
たぶんその答え、もしくは答えに近いものを求めてトランプのTシャツを着て集会に集うような「トランプ支持者」に話を聞いてもあまり意味はないだろう。耳を傾けるべきなのは、ずっと民主党を支持してきたが今回は仕方なく(トランプは嫌いだけれど)共和党の大統領候補に票を入れる人たちの考えだ。

例えばペンシルバニア州あたりにある鉄鋼関連の小規模企業の経営者や従業員。
産業構造の変化に取り残された彼らの中には、長いあいだ民主党を支持してきたがその間まったく自分たちの生活はよくならなかった、「もう我慢の限界だ」として“熟慮の末”、今回の大統領選挙では民主党に見切りをつけた人も少なくない。
本体なら鉄ではなく、時代が求める新規素材の扱いに取り組むべきところを、それを実行に移すだけの技術やその下地になるはずの教育を受ける機会も少なかった。当然ながら新規事業に転換する体力、つまり資金もないから、これまで通り細々と鉄鋼で生きていくしかない。いわば八方ふさがりの状態に陥ってしまった人たちである。

多くの人が指摘するように、今回の大統領選挙では、いわゆる「トランプ支持者」(信奉者ともいえる人たち)と“普通の”共和党支持者をきちんと分けて考えるべきなのだろう。
誤解を恐れずにいえば、トランプTシャツを着て声高にあれこれ叫んでいるような方々は、もしかすると“普通じゃない環境‘”の中にいるのかもしれない。
彼らはトランプがつくりだしたある種の閉じた世界に誘い込まれ、そのまま出口を閉ざされた人たちじゃないのか。その世界の中では日頃のうっぷんを晴らすことができる。それなりに理屈も通っているし、悩むこともない。強いアメリカ、最高! 迷いもない。
異物は排除(“つまみ出せ!”はトランプの口癖だ)されてしまうから、その閉じた世界にいる人たちの団結力は強い。

けれどもそんな彼らを閉じた世界の外側から見ると、どこか普通じゃないのだ。
ヒラリーのように「嘆かわしい人たち(deplorables)」とはいわない。
でも、“普通の”共和党支持者や、苦渋の選択の末に民主党を見切った人たちとは明らかにタイプが違う気がする。

そもそも、自分はこうだ!という明快な結論を持っているのが凄い。
普通(といって“普通”の定義はそれぞれ違うのだろうけれど)、結論なんてなかなかでないのだ。あーでもないこーでもないと逡巡を繰り返して、悩んで困って、いったんは「これかな」と決めてもまた元に戻る。最終的に「仕方ないけどトランプに入れよう」と意を決して実際に投票したとしてしても、「でも、これでよかったのかな」と思ってしまう。
きっと最近の世論調査にでている数ポイントの揺れは、そんな人たちの判断の揺れを表しているのだろう。

最後になるけれど、今回の大統領選挙で一番残念だったのは民主党の予備選でサンダースが敗れたことだった。政治に新しい風が吹き込む絶好のチャンスだったし、76歳(予備選のときは75歳)のサンダースが若い世代から圧倒的な支持を受けたことの意味も大きかった。
サンダースが訴えた政治改革。
それはアメリカだけじゃなく日本の政治にも間違いなく大きなインパクトを与えたはずだから。

(飯村和彦)



newyork01double at 23:07|PermalinkComments(0) 取材ノートより | マサチューセッツ州・Amherst

2016年10月16日

死を悼む方法



家族やある時期ともに大切な時間を過ごした友人や知人の訃報にせっしたとき、
あなたはどんな方法でその人の死を悼むのだろう。
自分にとってのそれは、亡くなった家族なり友人との記憶をたどり、
共有できた感情や時々の出来事について自分なりに書き残すこと。
強く印象に残っていることや真っ先に頭に浮かぶ光景はもちろんなのだが、
どちらかといえば日常的な、
些細でささやかな事柄の記憶を飾ることなく綴っていく。



朱色と青空



ひとを思いやるということ。

それは何か一つのことでも、毎日その人のことを書きとめて置くということだ。
いつだったか誰かの本で読んだ。
どんな小さなことでもいい。短くてもいいからともかく言葉を書きとめ続ける。
ところがこれは簡単なようで現実には非常に難しい。
だから自分は、せめて大切な人がこの世を去ったときだけでも言葉にして書きとめることにしたのだ。
その際の心境はといえば、遺影に向かって手を合わせているときに似ていて、
結果としてより長い時間、亡くなった家族や友人と静かで親密な対話をすることになる。

一週間ほど前、高校時代の同級生の訃報にせっした。
まだ50代半ば、がんだったという。
機会あるごとに新しいがん治療法や先端とされる研究機関を取材して、
「がん治療の新しい地平が拓けた」
というような記事を書いたり番組を制作している自分にはいちばん堪え、
どうしようもない無力感を感じざるをえない知らせである。

同じ青春の空気を吸い、ともに学び、笑い、
そして社会人になった後は、
ともに人の世の理不尽さに悔し涙を流した友人だった(…少なくとも僕はそう思っている)。
人の世、なんていうと少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、
あるとき(…確か27歳ぐらいのときだった)、
簡単には消化しきれない出来事がわれわれに個別に降りかかったのだ。
それは同世代の仕事仲間の不慮の死であり、
大切な知人の病死だった。
年齢は20代半ばから30代はじめ、どう考えても早すぎる死だった。

「なんでかね」
「悔しいね」

そんな会話を六本木あたりのバーで交わしたのを覚えている。
ポツリポツリと湧きでる言葉は、
静かに現われてはポッと消えていく、
お湯が沸騰する前のあの小さな泡のようにだった。

そんな時間を共有した友人だったからなおのこと、
本人の死を受け止めるのは難しく、いまだにできていない。
さらには長い間顔をあわせていなかったということも大きい。
「亡くなった」と知らされてもそこに現実的な手ざわりのようなものがないので、
悲しみというよりは永続的な「不在」、喪失感の方がより大きい。
最後に会ったのはニューヨークに引っ越す直前のことだから、
かれこれ25年以上前になる。

「死ぬなよ」

そういって御守りとその頃人気のあったムートンの手袋をくれた。
手袋の方は「ニューヨークの冬は耳が千切れるほど寒いから」という理由からだった。
(だったら本来なら耳あてなんじゃないか、とも思ったのだが…)
それはそれはさらりとしたもので、
その「さらり」具合が、
高校時代から変わることのなかった友人関係そのままでとても心地よかった。

「日本に帰ったときは連絡を!」
「ああ、電話するよ」

確か渋谷かどこかでそんな会話をかわして別れたのだ。
しかしその後われわれが再会することはなかった。
なぜだろうと考えてみてもこれといった理由はない。
気がついてみたら25年もの歳月が流れていたということで、
もし不幸がなければ、それはもしかしたら30年にも40年にも及んでいたかもしれない。
けれどもだからといって、
われわれが友人でなくなった訳じゃ全然ないだろうし、
もしふとした機会に再会を果たしたとしてもきっとこんな調子だったに違いない。

「どうしてた?」
「元気だよ」
「それはよかった。ビールでも飲む?」

ほんの二言三言で再会の挨拶は終了。
まるで2、3週間ぶりに顔をあわせたような気分で、
それぞれの25年なり30年なりに起きたエピソードを酒の肴にグラスを傾けたことだろう。

きっとこの文章を読んでいる多くの人たちにも、
「そういえば彼が(彼女が)そうだなあ」
と思いあたる素敵な友人がいるはずだ。
思うのだけれど、
僕たちはそんな十年一日の友人がいるからこそ、
例え辛い毎日が続いたとしてもなんとか頑張ってやっていけるんじゃないか?
普段は心の奥の方にいて意識されることはないけれど、
間違いなく自分の支えになっている存在。
だからこそ逆にそんな友人の「不在」は、にわかに信じがたく現実的感に乏しいのだ。

けれども当然のことながら、
身近にいたご家族や友人、知人の方々の悲しみは深く、
その心の痛みや喪失感ははかりしれない。



遠い夏の日の青い海。
仲間たちと泣き笑いした午後もあったでしょう。
雨降りの日は穏やかに、
風がたてば耳を澄ました。
目に痛いほどキラキラ輝いていたあの頃の記憶。
時間は進みません。
いつだってそこに在るだけ。
忘れずにいよう。
いまはもう、青空だけだから。



「生」と「死」は対峙しているものじゃない。
多くの人たちがそういうのはその通りなのだと思う。
「死」はいつだって人の「生」の中、日々の生活の中にあって、
あるときその姿をあらわす。
悔しいけれど、大抵の場合それに抗うことはできない。
だからそれぞれがそれぞれの方法で、
家族なり友人、そして自分自身の「死」と折り合いをつけるしかないのだろう。

もう数ヶ月前になるけれど、
アメリカCBSニュースが小さな私設ミュージアムの話題を放送していた。
館長は黒人男性で、自宅をそのままあるミュージアムにしていた。
室内に展示してあるのは、
4年前に亡くなったという妻との思い出の品々であり、写真だった。
音楽好きだったらしく、素敵なギターが並び、珍しいレコードもたくさんあったように思う。
そこで彼は最愛の妻と過ごした日々を回想しながら、
想い出の曲をかけて、ひとり笑顔でチークダンスを踊る。
強い人だなあと感じた。
そして何よりとっても明るくてチャーミングなのが印象的だった。
到底自分は真似できない、そう思ったのを覚えている。


(飯村和彦)


newyork01double at 00:22|PermalinkComments(0) 東京story 

2016年09月18日

「3回以上」読んだ本、何冊ありますか? 読み返すたびに浮かぶ違った景色  



「自分の意見をもつのと頭のいい悪いは別のこと」



海辺のカフカ



週末、村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返していてふと目に留まった一節。これは主要登場人物の一人であるナカタさんをトラックで富士川まで送る運転手の台詞だ。以前読んだときにはそれほど気にならなかった台詞だが、今回はこの部分でパタリととまった。
「自分の意見をもつのと頭のいい悪いは別のこと」
頭の良し悪しの基準はどこにあるのか、どんな状況でなにをしているときなのか…。それを第三者がどう判断するかは難しい(きっと本来的にはそんな判断はできない)ことだけど、それと「自分の意見をもつこと」は確かにまったく別ものだ。当たり前のことなんだけど普段改めて考えないので余計気になったのかもしれない。
で、そのとき突然頭に浮かんだのが、つい最近のヒラリーが口にした言葉だった。

ニューヨークで催された資金集めのイベントでのこと。ヒラリーは、「トランプ氏の支持者の半数は私の考える嘆かわしい人々の部類に入る」(“…you could put half of Trump's supporters into what I call the 'basket of deplorables”)としたうえで、「人種差別主義者、男女差別主義者、同性愛者や外国人やイスラム教徒に偏見を持つ人々だ」と主張した。問題となったのはこの中の「嘆かわしい(deplorables)」という表現だ。これなどは選挙戦のタイミングを考えれば、不用意な、あまり頭の良くない発言だと思った人が多いかもしれない。事実、これ幸いとトランプ陣営に付け入る隙を与えたわけから。
けれどもそうは考えず「事実なんだから仕方ないだろう」と感じた人も少なくないはず。実際ヒラリーはその後この自分の発言について「後悔している」として訂正したのだが、訂正部分は「嘆かわしい」という表現ではなく、「半数」としたその嘆かわしい人々の割合の方だった。つまり彼女は自分の意見、主張そのものの肝は変えなかったのだ。

さて、村上春樹の「海辺のカフカ」からヒラリー発言に話が飛んでしまったけれど、こんなことが頻繁に起こるから、気に入った本は幾度となく手にしたくなるのだ。
本を読んでいて何が面白いかといえば、そこに書かれている内容もさることながら、物語とは直接関係のない事象が奔放に頭に湧いてくる現象だ。同じ本でもそのときに自分の置かれている状況や社会情勢が違えば、喚起される考えやイメージも違ってくる。これは二度目、三度目のときの方がより顕著だ。たぶん一度目のときは物語そのものの内容や流れをつかむのに忙しいからだろう。それが二度目、三度目ともなるとこちらに余裕があるから、そのぶん心置きなく自由に連想を楽しめる。だから自分の場合は、二度目、三度目の方が一冊の本を読み終えるのに断然時間がかかる。先を急ぐ必要がないからね。
きっと本を読むときの自分の思考が、3+7=□ではなく、□+□=10 の設問的なものに変わっているからだろうと個人的には思っている。

とはいうものの、これまでに三回以上読んだ本が何冊あるかと考えると、実はそう多くない。仕事、またはその関連で何度も読み返す本はあるが、この場合は自由連想なんてしてる暇はないし、どちらかといえば必要に迫られて読むわけだから、たとえ楽しくてもその質は異なる。半藤一利の「昭和史」などがその例だ。だからそうではなく、「ふと読みたくなって手に入れた本」のうちで「三回以上読んだ本」となると結構少ない。アメリカに引っ越すときに大半の本を日本に置いてきたから、いま手元にある本はいわばいつでも読みたい本に違いないのだが、それでも三回以上となると…




リセット




世界の終わりとミラー





「坂の上の雲」「胡蝶の夢」(司馬遼太郎)、「リセット」(北村薫)、「コロンブスの犬」(菅啓次郎)、「砂糖の世界史」(川北稔)、「鍵のかかった部屋」(ポール・オースター)、「罪と罰」(ドストエフスキー)、「世界の終わりとハードボールド・ワンダーランド」(村上春樹)、「冷血」(トルーマン・カポーティ)、「幸福な死」(カミュ)、「変身」(カフカ)、「武士道」(新渡戸稲造)など。これらはすぐに手の届く場所にある。

幾つか本自体の写真を撮ってみたが、多くが手軽に持ち歩ける文庫本で、カバーの擦り切れ具合から相当前に買ったものだと分かりにわかに嬉しくなる。この感覚は電子書籍では絶対味わえないものだ。

北村薫の「リセット」は五回以上読んだ。直近でこの本を読んだのは去年の夏で、そのとき目に留まったのは以下の部分。例の安保法制反対の渦が日本で沸き起こっていたからだろう。

「特攻に出られた方々が最後の門出に献金していかれたお金をもとに《神風鉢巻》がつくられ、檄文の朗読と共に配られました。悠久の大義のために殉じた隊員のごとく、一人一人が神風となり、闘魂を燃え上がらせよ、というのです。
忠勇、義烈、純忠、至誠----と、厚化粧のような言葉が並べられました」(「リセット」より)

戦後70年たって、戦中に氾濫していた“厚化粧のような言葉”がまた市民権をとり戻し、政治家が真顔で口にするようになるんじゃないか。そしてそんな張りぼて感いっぱいの言葉を耳にして強く頷く人たちが増えていくんじゃないか。そんな不安に駆られたのだ。

その前に読んだときに印象に残ったのは別の箇所だった。

「自分が、このささやかな今を忘れなければ、この瞬間は《記憶の缶詰め》になり、自分が生きている限り残る。ちょうど、絵日記の中に、三年前の《夏》が残っていたように」(「リセット」より)

これらの気になった箇所は、本を読むたびにつける「うさぎの耳」があるからすぐ分かる。心に響いたり、自分なりに「ん?」と思った箇所があるとページの上隅を小さく折る。実はこの「うさぎの耳」、本を読み返すときにはいい指標の一つになる。例えば、何年か後に改めてある小説を読み返したとしよう。で、「うさぎの耳」のあるページに差し掛かったときに、前にその小説を読んだときはどのセンテンスが気になったのか、それはなぜだったのか…を確認できる。つまり、自分の感情やものの見方の変化を知ることができのだ。もちろん、なぜそのページに「うさぎの耳」があるのか思い出せないときもあるけれど。



幸福な死



なかには「ある一ヶ所」を読みたいために幾度となく手にする本もある。カミュの「幸福な死」はそんな類の本で、これはわりと最近読み返した。で、その「ある一ヶ所」が以下の部分だ。

「自分がこのままこうした無意識の状態で、目の前のものを見ることができなくなって死んでしまうのかもしれないという不安が、かれの想念に浮かんできた。村では教会の時計が時を告げたが、かれはその数が幾つだったかわからなかった。かれは病人として死にたくはなかった。…かれがまだ無意識のうちに望んでいたことは、血潮と健康でみたされている生と、死との対峙であった。そしてそれは、死と、すでにもうほとんど死であったものを対峙させることではなかった」(「幸福な死」より)

この部分を読むたびに考えるのは“意識された死”(=自覚的な死)とそうではない“突発的な死”(例えば事故やテロで突然命を落とすような場合)について。とくに後者の場合は刹那的な“死への予感”だけで、血潮と健康にみたされていた生が、突然、死に一転してしまうのだから。例えばいまのシリア。空から轟音を伴って降ってくるミサイルを見たとき、少女はなにを思うのだろうか。
また最近のことだが、落石が走行中の車を直撃し、助手席に座っていた19歳の女子大生が命を落とすというニュースもあった。極めて低い確率でしか発生しない事故。信じられないような不幸が、突然ふって沸いたとき、自分はどうなるのだろう。

と、ここまであれこれ書いていて、そういえば娘は小さい頃からある本を何度も何度も読んでいたなあ…ということを思いだした。



やかまし村の子どもたち




「やかまし村のこどもたち」。アストリッド・リンドグレーンといスウェーデンの作家の本だ。日本でも人気のある作家だから彼女の作品(ほかに「長くつ下のピッピ」「名探偵カツレくん」など)を読んで育ったというひとも多いと思うけれど、娘の場合は尋常じゃなかった。そこで彼女に聞いてみると、「何十回どころじゃないよ」という答えだ。で、「どこがいいの」と聞いてみると、「全部」とひとこと。そして「家が三軒しかない小さな村で暮らす6人の子ども達の毎日が、ともかく面白いのよ」と続けた。
木の枝を伝って隣の家の仲良しの部屋へ行ってみたり、犬や猫との子ども達の係わり。そして奇想天外な遊びに没頭する彼らをいつだって温かい目で見守る大人たち。とっても狭いエリアで展開される物語なのだが、ふと自分の子どもの頃の日常と比べてみたり。大人が読んでも十分楽しめる本だ。
「猫を好きになったのも、木登りが得意になったのも、やかまし村を読んだからだと思う」と娘はいう。
小学校の低学年から中学、そして18歳になった現在にいたっても「やかまし村の子どもたち」は、娘にとって大切な一冊なわけだ。もちろんその古びた本はいま住むアメリカの家の本棚に持ち込まれている。

羨ましいなあ…と思う。

そんな本が一冊あるだけで、どれだけ彼女の人生が豊かなものになったことか。残念ながら自分には彼女の「やかまし村の子どもたち」にあたるような本はなかったから。
まあ、これからそんな本を探せばいいのか? 読書の秋だし。
ちょうど我が家の近くに、読み終わった本を自由に交換できる「森の小さな本棚」があるから。でもあそこのはみんな英語の本だからなあ。



森の本棚
(photo:kazuhiko iimura)


(飯村和彦)


newyork01double at 17:44|PermalinkComments(0) 週末だから! | 気になるBOOKs

2016年09月02日

トランプが勝つ確率は13%!国民を侮った男の窮地



トランプが米大統領選で勝利する確率はわずか13%!

これはニューヨークタイムスの大統領選挙サイトの9月2日段階の予測だが、他の選挙予測サイトをみても勝利予測の数字ではヒラリーがトランプを圧倒している。アメリカ大統領選挙にあっては、9月初旬における戦況が11月の選挙結果を占う一つの目安になっているので、その意味では“いまの”トランプにはまったく勝ち目はないという予測だ。




87%ヒラリー勝利
(ニューヨークタイムス大統領選挙サイトより)




共和党大会で大統領候補として指名を受けた直後までは、ヒラリーと互角、もしくはトランプ若干リードの戦況だったにも係わらず、このひと月ほどでトランプの勢いは急速に衰えた。

流れが大きく変わったのは共和党大会の翌週に行われた7月下旬の民主党大会。
問題となったのは、イラク戦争で戦死したイスラム系の陸軍大尉の両親が、イスラム教徒の入国禁止を主張するトランプの政策を激しく非難したことに対する、トランプの反応だった。
「あなたは憲法を読んだことがあるのか」「何も犠牲を払っていないくせに…」という両親の非難に対してトランプは、「事業を起こし、雇用を生みだすなどして多大な犠牲を払ってきた」とテレビインタビューで反論。さらには壇上で発言しなかった母親に対し、「発言を禁じられていたのだろう」などと彼女を侮辱するかのような発言までした。

「英雄」として敬われるべき戦地で犠牲になった兵士やその遺族に対する批判は、党派を問わずタブー中のタブーだ。にも係わらずトランプはいつもの調子で減らず口を叩いたのだ。その結果、本来はトランプ支持に回るはずの退役軍人関係者はじめ、共和党の幹部やその支持者の多くが彼のもとから離れてしまった。
数々の暴言で注目を集め、それをエネルギーに変えて支持を集めるというトランプの手法がはっきりと裏目にでたのだ。アメリカ国民を侮った、軽率で致命的な失敗であり、トランプという人間の資質そのもの、在りようがそのままさらけだされた形だ。

そんなトランプの窮地にさらに追い討ちをかけたのが、本人は「起死回生の一手」として計画したに違いない今週8月31日のメキシコ訪問だろう。
「メキシコとの国境に巨大な壁を作る。費用は全部メキシコが負担!」と叫び続けているトランプのメキシコ訪問。普通なら何らかの妙案を秘めての行動だろうと誰もが考える。ましてやトランプ陣営は、メキシコ訪問の直後に「移民政策に関する主要な政策の発表」を行うと事前通告までいたのだからなおさらだ。
ところが結果はどうだった? トランプのその場しのぎのいい加減さがよりはっきりしただけだった。

メキシコのペニャニエト大統領との会談後の記者会見でトランプは、「壁の建設費用の負担については話し合わなかった」と述べた。ところがその直後に大統領が「会談のはじめに、メキシコは壁の建設費を払わないと明確に伝えた」とツイッターに書き込んだため、トランプの「うそ」があっさり露呈してしまったのだ。
「メキシコ国境に築く壁」は、不法移民の強制送還、イスラム教徒の入国禁止と並ぶトランプの(愚かな)移民政策の象徴だ。にもかかわらずその当事者間の話し合いの内容について、公式の記者会見で平気で嘘をつく。そんな男をアメリカ大統領にしたいといったいとれだけの人が考えるだろうか。国の安全保障政策の舵取りや「核のボタン」を押す資格を与えたいと思うだろうか。常識的に考えればありえない話だろう。

では、冒頭に紹介したニューヨークタイムスの勝者予測確率の通り、ヒラリーが圧倒的な大差をもってトランプを打ち負かしてしまうのか…といえばことはそう簡単じゃない。




43% 対 40%
(ニューヨークタイムス大統領選挙サイトより)




同じニューヨークタイムスの選挙予測サイトがだしている9月2日段階の支持率(全国)を見ると、「ヒラリー43%、トランプ40%」でわずか3ポイントの差でしかない。ほかの世論調査でもその差は概ね1%〜6%だから、現状では「ヒラリー優勢」とはいえ、とても磐石な状態にあるとはいえない。
このあたりがアメリカという国の難しいところなのだろう。
トランプ支持者(というか信奉者)が集会で「UAS! USA! USA!」と叫んでいるニュース映像を見るたびにげんなりしてしまうのだが、そうは思わない方々がまだ大勢いるということだ。

身近なところに目を転じてみると、我が家のあるマサチューセッツ州アマーストは住民のほとんどがリベラル層で、公立高校の卒業式で校長が堂々とトランプ批判をするような地域なのだが、当然ながらトランプ支持者もいる。一年を通してずっと星条旗が掲げられているような家は、その多くが共和党支持者のものとの予想がつくのだが、大統領選の今年は「make America great again TRUMP」のパネルがこれみよがしに貼ってあるから一目瞭然だ。
リベラルな風土の地域にあっても堂々と自分の主張を公にしているところは尊敬に値するし、それができるところが“アメリカらしい”といえなくもない。(この点、自分の主義主張をあまり表にださず、なにかあれば「匿名」でネットに…という人が多い日本とはだいぶ違う)。

しかし、いくら自由に自分の主義主張を表明できるとはいえ程度というものがある。
つい最近のことだがこんなことがあった。市内に向うバスに乗ると白人の中年女性が友人とおぼしき人物と政治談議をしていた。会話の内容からその中年女性がトランプ支持者であることはすぐに分かったのだか、ともかくその声が常識はずれに大きかった。たまらず一人の男性が注意すると彼女はこう言い放った。
「ここは中国のような共産主義の国じゃない。だからあなたに(私の)行動をコントロールされるいわれはない」
これにはあ然とした。そしてこんなタイプの人が「USA! USA! USA!」と叫んでいるんだなと妙に納得もした。果たしてその中年女性は中国の共産主義についてどれほど知っているのか…。





トランプ支持の家
(photo:kazuhiko iimura)




少し話が横道にそれたので、改めて大統領選の現況について。
ご存知のようにアメリカ大統領選は州ごとの勝ち負けで決まるから、民主・共和の支持率が拮抗している「激戦州」とされる州の勝敗が明暗を分ける。
今回の場合はアイオワやペンシルバニア、フロリダなどの12ほどの州が「激戦州」と位置づけられているので、それらの州の現状をまたニューヨークタイムスの分析(9月2日現在)をもとに見てみると以下のようになる。

ヒラリーが「5ポイント以上の差」をつけているのが、
バージニア(+10.6)、
ペンシルバニア(+8.4)、
ニューハンプシャー(+7.4)、
ミシガン(+6.8)、
ウィスコンシン(+5.3) の5つの州。

「1〜5ポイントの差」しかないのが、
フロリダ(+4.8)、
オハイオ(+4.3)、
ノースカロライナ(+3.1)、
アイオワ(+1.3)の4つの州。

逆にいまだにトランプがリードしているのが、
アリゾナ(+0.9)、
ジョージア(+1.1)、
ミズーリ(+7.2) の3つの州。

ただ、アイオワ州とアリゾナ州、ジョージア州はその差が1%ほどしかないので、ほぼ互角といっていいだろう。また、ノースカロライナ州の場合は、今回「激戦州」になっているけれど過去10回の大統領選挙で共和党が8勝している州だから、ここでトランプが負けるとその痛手は大きいはず。

となれば、いまの「ヒラリー優勢」の状況をトランプがひっくり返す可能性はどれぐらいあるのだろう。あまり考えたくはないが、たぶんそれはトランプの選挙戦の仕方云々よりも、ヒラリー側の今後の在り方により左右されるように思える。
つまり、ヒラリーがどれだけいまの自分の支持者を繋ぎとめておけるか…によるのだろう。もともと人気のないもの同士の闘いなのだから、その「人気のなさ具合」がそのまま今の「差」に表れているともいえる。

ワシントン・ポストが今週8月31日に発表した調査結果によると、ヒラリーを「好ましくない」思っている人は「56%」。一方のトランプは「63%」。つまり、トランプの方がより人気がない分、ヒラリーが優勢にたっているわけだ。
そのヒラリーにしても、7月下旬の民主党大会直後(「好ましくない:50%」)より、6ポイントも不人気度が増している。これには「クリントン財団」による大口献金者への便宜供与疑惑や、いまだにはっきりしていない国務長官時代の「メール不正使用問題」が影響しているといわれているので、ヒラリーにしても、とてもじゃないが安心していられないはず。

しかしここまで書いてきて思うのは、「それにしても醜悪な大統領選挙だなあ」ということ。
当初から予想されていたとはいえ、ここまで実のない選挙戦になるとは思ってもみなかった。間違いなく多くの人も同様の感想を持っているはずだ。
先に述べたように、稀に見る不人気者同士の闘いとはいえ、だからこそそれを補う建設的な議論やそれぞれの掲げる政策の「深化」があってもいいだろうと思うのだけれど、それがまったくない。TPP問題はどうなった? 東アジアの「核」の話はどうなった? 経済政策は? 実効性のある対テロ対策は?
なにもはっきりしないままアメリカは11月の大統領選挙当日を迎えるのだろうか。

(飯村和彦)


newyork01double at 19:53|PermalinkComments(0) マサチューセッツ州・Amherst | テロとの戦い

2016年08月17日

How the Young@Heart Chorus Touches the Hearts of Prisoners


“They’re rockin’ out as always”
That is what I think every time I see them practice and perform. By “they” I mean Young@Heart, a popular chorus group in the United States. Thirty members, with an average age of eighty-three. Despite this fact, these grandpas and grandmas perform a passionate and powerful rock-n-roll and rhythm and blues.
Recently, they held an outdoor concert they put on every year sending the message “Thank you for the constant support!”



y@h OPEN 3
(Y@H On the Porch series. Florence, MA / photo:kazuhiko iimura)


On this summer afternoon, the field in Florence, Massachusetts was filled with 700 to 1,000 people an hour before the performance was to start. Unable to fit everyone in the field, many people set up their chairs in the parking lot and on the sidewalk. The audience ranged from elderly, to middle-aged couples, families with young children, and the hip-hop generation, all dancing to the sounds of Young@Heart.


(video by Kazuhiko Iimura)


The Rolling Stones, Bob Dylan, James Brown, Billy Joel, The Beatles, David Bowie…their repertoire is astonishing. Some music lovers may say, “They’re simply singing famous songs; there’s no way it can be better than the original…” But the stage that Young@Heart produces will shatter that image. The only way to truly understand the impact of their performance is to watch them live and feel the energy. The true reason for their popularity is not what or how they sing but simply their way of “being”.

So what is this way of “being?” Bob Cilman, current Young@Heart Chorus Executive Director and conductor, called out to a retirement community in 1982 to start up a chorus group that sings “rock and R&B”, creating the Young@Heart Chorus.
It has been nearly 35 years since its creation. Unfortunately, there are no original members left in the chorus today but there are members well into their 90s singing energetically on stage. Ninety four year old Dora Morrow,sang “I Feel Good” by James Brown at a concert this April blowing the roof off the house.

There are many Young@Heart fans abroad as well and the Young@Heart Chorus has gone on tour in Europe, Australia and twice in Japan. When they perform abroad, they often practice a few songs of the host country as they did in Japan, performing “Linda Linda” and “Ameagari no Yozorani”.


Y@H Bob
( Young@Heart Chorus Executive Director Bob Cilman/ photo:kazuhiko iimura)

Y@H 94歳熱唱
(Dora Morrow sang “I Feel Good”at Aademy of Music Theatre in Northampton, MA/
photo:kazuhiko iimura)


Of course there is always a long line of people who want to join Young@Heart. The only requirement to join is that you are at least 75 years old. But the only time a new member can join is when a current member can no longer sing, so the entrance to Young@Heart is narrow. Especially so, because the members of Young@Heart are unbelievably healthy.
With Bob as their director, they practice twice a week, for two hours, accompanied by a live band and. whenever they are not singing, they are laughing.



Y@H リハーサル
(Y@H's rehearsal at Florence community center. / photo:kazuhiko iimura)


Young@Heart is funded by individual donations as well as donations from local businesses. They are not simply entertainment but an active part of the local community. Recently, the chorus has been focusing on social contribution. The most predominant, started two years ago, is the “Prison Project”, which takes place in a local prison.

The main activities of the prison project include rehearsals once a week and a concert every six months. Of course, all volunteer based. For the weekly practices, Bob and a few chorus members visit two local prisons, a men’s prison and a women’s prison, providing singing lessons for two hours to whomever wishes. These practices are always full of laughter as well as singing. The prisoners choose the songs they want to sing, which include a few originals. The majority of these are rap music written by the prisoners themselves. The name of these singers is the “Old Souls”. This also, they chose for themselves.


Y@H 刑務所の練習2
( Hampshire County Jail & House of Corrections/ photo:kazuhiko iimura)


They then perform what they have been practicing at the Prison Concert. The audience is limited to the prisoners, family, and staff but they still add up to quite a few, enough to make the “Old Souls” nervous. But as soon as the concert starts and the Young@Heart members start to sing, the atmosphere transforms into a warm, welcoming environment, allowing the prisoners to perform their best.

Witnessing these prisoners singing along with the grandmas and grandpas of Young@Heart is exceptionally moving. At the end of each concert everyone, including the audience, raises their right arm above their head and sings “Forever Young” by Bob Dylan. Moments later the room is filled with cheers.


Y@H 右手を上げる!
( "Prison Concert" 2015 at Hampshire County Jail & House of Corrections/ photo:kazuhiko iimura)


The voices and down to earth personality of Young@Heart moves something within the hearts of the prisoners. Over time, the prisoners get attached to Young@Heart and join their community.

The “humanness” of Young@Heart is astounding.

So what triggered this Prison Project?
According to Bob, it was the concert they did at a prison in 2006. At first, they had no idea what would become if it but the results were unbelievable. Bob recalls, “It was a kind of magic and I realized that I had to come back again. But next time we wouldn’t simply perform for them, it would be wonderful if we could hear them singing” So, Bob then created this Prison Project to fulfill this goal.

Claire Couture, a member of Young@Heart, once spoke on National Public Radio,(NPR), “Sometimes when we leave the prison I want to give the prisoners a hug but the rules do not allow that. But sometimes I just can’t help myself.” The prisoners are imprisoned for a variety of crimes such as robbery, trespassing, and illegal drug possession, but Claire has no idea who did what. “I think the other members agree that it should be that way. We don't care about their past. What we are seeing is their present and their future”. Bob holds similar ideas on this subject saying, “I don't know what brought the prisoners here and I have no interest in finding out. That has nothing to do with us. The one thing that is important is that they return to the community and we want them to accomplish that in the best possible way. It may be a small influence but I believe our project is helping that.”

What is it about a movement involving music that only a group of people averaging 83 years of age can accomplish? Perhaps it is their positive attitude towards music and their passion towards something they love. And above all, the message that, “It is never too late to start something new!” which they prove to us by doing it themselves. They send the message loud and clear but for some reason there is nothing overpowering about it. This relaxed nature must be a result of a long life of experiences the members bring together.


Y@H 4
(Steve Martin, a member of Y@H and Nelson/ photo:kazuhiko iimura)


Nelson, one of the prisoners involved in the Prison Project represents the spirit of this project. He turns 38 this year and has spent more than half of his life in prison as a result of repeated crimes, such as robbery. By the time his sentence is up he will have turned 41. Nelson says, “I’m tired of living in regret,” and by joining this project he has gained the chance to escape the negative cycle. “I have to break the cycle, try something new out of my comfort zone. Growing up I was never involved in music but I love music so I decided to try it this time. The chorus members are good people. They came in here without judging and welcomed us with open arms. I sang at a one of the concerts. I was a little nervous but that helped me open up more. I realized that there’s going to be things in life that are not going to go your way but if you don’t try it you’ll never know.”
Nelson also believes that this experience will help him after he is released. “I was able to join a community. Now I know that it doesn't matter how old you are and it inspired me to be better and I’m going to evolve. Why should I go against the system when I can use the system to better my life?”


(Y@H Prison Project: video by Kazuhiko Iimura/ translation: Maya Iimura)

“It is never too late to start something new!”
This way of “being” expressed by the Young@Heart Chorus touches the hearts of the prisoners and changes their perception. For a long time the prisoners struggled with the feeling of inferiority, stress in the surrounding environment, regret, and above all the negative attitude of, “It’s too hard to rebuild my life,” but because of this project they seem to be slowly moving towards a more positive perception of life.

Sheriff Robert J. Garvey of Hampshire County Jail & House of Correction, praises the Young@Heart Project. “It is a great opportunity for the prisoners to realize what their abilities are and what purpose they can hold. They were able to join a community that works towards a goal together. It is also an amazing opportunity for them to build a relationship with members of society.” He believes that this project could “transform” the prisoners as well as the local community.

Surely, in Japan too, there are a lot of elderly people like those in the Young@Heart Chorus. People who are playful and energetic, enveloped with plentiful life experience. Perhaps, if there was a community where these people could thrive some problems would cease to be problems? Of course it is important that the government creates a reliable safety network but in addition to that, if the community could look after each other and establish a positive relationship in which people work together to create something they love, the local environments would see positive transformation. The Young@Heart Chorus is a perfect example of this.

Kazuhiko Iimura
Translation: Maya Iimura

newyork01double at 11:55|PermalinkComments(0) マサチューセッツ州・Amherst | カッコイイ英語

2016年08月11日

原爆投下から終戦までの信じがたい経緯を!21年前の夏、子どもが誕生した日に考えたこと



「今後2000万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはしない」
原爆が投下された後でさえ、陸軍はそんな強硬論を展開していた。





誕生直後
(photo:kazuhiko iimura)


1995年夏。

いよいよ、君がこの世に生まれてくる日だ。
「きたきた、痛〜い!」
四畳半の和室に母さんの引きつった声が響いたのは夜中の一時ごろ。二夜連続の熱帯夜のことだった。
陣痛のはじまりである。
照明を落としたその部屋にタンクトップ姿で寝転がっていた母さんは、せり出したお腹を手足で抱え込むようにしてもがきはじめた。
助産師からは、予定日は8月7日ですね、と聞かされていたので、君は予定より二週間も早く最終行動を起こしたことになる。

(中略)

「いよいよかも」
「そのようだね」

そう応えながらも父さんはあることに頭を悩ませていた。
当然ながら父さんは、うんうん唸っている母さんの傍にずっと付き添っていたかった。それが前々からの母さんとの約束でもあった。
ところが予想以上に早く君が行動を起こしたことで問題が発生したのだ。
折悪しくというのか運悪くというのか、父さんにはこの日の午前中、代役のきかない大切な取材が入っていたのだ。
父さんの職業を考えれば十分想定されることだったので、取材スケジュールを組むにあたっては父さんなりに注意を払っていたのだが、この日については「予定日の二週間前なら大丈夫だろう」とロケ取材を入れてしまったのだ。
高をくくった。要するに出産という自然の営みを甘く見ていたのだ。


朝7時の段階で陣痛の間隔は5分から7分。
――もう、いつ破水してもおかしくないのでは…
父さんも母さんも、そんな判断をしていた。
築18年の狭い2DKのマンションにひとり。不死鳥の刺繍の入ったシルクのバスローブに身を包んだ母さんは、その光沢のある生地越しに突きでたお腹を撫でていた。
――がんばれ、グー!
前の晩の天気予報通り、この日は三日続けての真夏日となった。

(中略)


それにしても不思議な巡りあわせだなあ、と父さんは考えた。
というのはそのころ父さんが取材していた事柄についてだった。
戦後50年特別企画、原爆が投下された日。
君が生まれようとしているときに、一瞬のうちに30万を越える人の命を奪った原爆や、その投下直後のこの国の在りようを取材するというのは、正直いって気が重かった。
失われた(否、殺された)命のなかには、きょうの母さんと同じように新しい生命を今まさに産み落とそうとしていた妊婦の命もあったはずだ。
ところがそんな妊婦の夢や希望は、胎児の未来もろともあのキノコ雲のなかに霧散してしまったのだ。
悲劇なんて言葉じゃ到底表現できない。
蛮人による冒涜そのものだ。

人類すべてを殲滅しつくせる兵器の出現。
あの日から、『人間の生』という観念そのものが変わってしまったのだ。

では、蛮人が手にした悪魔の兵器、原子爆弾について、当時の日本陸軍の幹部はどんな見方をしていたのか。
父さんは、デスクに積み上げたファイルの中から、外交資料館で接写した「終戦記」(下村海南著)の一部文言を資料用に改めて書き起こした書類を取りだした。
そこには、広島への原爆投下から3日後に開かれた臨時閣議の様子が書かれていた。


一九四五年八月九日、第一回臨時閣議。
十四時半に開会。
阿南陸相、原子爆弾について報告する。
――第七航空隊マーカス・エル・マクヒーター中尉の語る所、
――その爆力は、五百ポンドの爆弾三十六を搭載せるB29二千機に該当する。
――地下壕は丸太の程度で覆ふてあれば充分である。
――裸体は禁物で白色の抵抗力は強い。
――熱風により焼失する事はない。
――電車、汽車なども脱線する程度である。
――地上に伏しても毛布類を被っているとよい。
――本日十一時半長崎に第二の投弾があった…。
――原子弾はなほ百発あり一か月に三発できるが、永持ちは出来ない……


この文言を見て、君はどう考える?
アメリカ軍による広島への原爆投下から三日目ということを考慮しても、父さんには到底信じられない。
物事を正面から見据えることのできない、否、見据えることを意図的に拒んだ人間がいかに罪深いか、その見本のようなものだ。
陸軍側は原爆の威力を意識的に過小評価しようとしていた、と後に東郷外相が述べているがそれにしても程度というものがある。

そもそも、文中に登場してくる第七航空隊マクヒーター中尉なる人物が本当にそんなことを語ったのかさえ怪しいものだ。
おそらく、彼らの目は特別なのだ。
事実がグニャグニャに歪んで見えたとしても、吐き気を覚えるなんてことすらないのだろう。

――もし僕たちが、50年前の日本に生きていたとしたら。

そんなことを無防備に考えそうになって、父さんは慌てて資料を読むのを止めた。
「きょうは大安だっかか、それとも友引だったか」
ファイルを閉じながら、不意にそんな些細なことが気になった。


午前9時半。
父さんと取材クルー(カメラマンと音声エンジニア)は予定通りに西麻布に向かった。
終戦当時、外務大臣を務めていた東郷茂徳氏の奥さんにインタビューをするためである。さらに、東郷外相が書き残した「時代の一面」という手記の原本も見せてもらえることになっていた。

東郷邸の中庭には、こじんまりしたプールがあった。
日本(というより東京)らしい大きさで、もし(アメリカ人の)母さんが見たら、うちにもあんなジャグジーがあったらいいのに、というような感想をもらしたことだろう。
取材は予定通り午前10時から始まり、およそ3時間で終了した。
一番印象的だったのは、東郷夫人に見せてもらった外相の手記、「時代の一面」の最後の方に記されていたある文言だった。

『自分の仕事はあれでよかった。これから先、自分はどうなっても差し支えない』

信念を貫き通した人間だけがもちうる潔さというのか、常軌を逸した世界に身を置きながらも、自分の内なる倫理に忠実に生きた人間だけが達する境地というのか。ともかく、その言葉に父さんは強く心をうたれた。

日本がポツダム宣言を受諾し、終戦を迎えるまでの政府内部の状況はといえば、以下の通り。

東郷外相を中心とした和平派は、
『日本としては皇室の安泰など絶対に必要なもののみを条件として提出し、速やかにポツダム宣言を受諾、和平の成立を計るべきである』と主張。

これに対して陸軍側は、
『皇室安泰、国体護持に留保するのは当然のことで、保障占領については日本の本土は占領しない、武装解除は日本の手によってする、戦争犯罪の問題も日本側で処分する、という四つの条件を連合国側が受け容れないかぎり、戦いを遂行すべきである』との立場を崩していなかった。

それだけではない。
陸軍側は、信じられないような強行論を展開していたのだ。

『今後二千万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはしない』

繰り返すが、これらの議論は広島、長崎にアメリカ軍が原爆を投下した直後のものだ。
自分のでっちあげた嘘を事実だと信じ込んでしまうと、人間というのは知性さえも失ってしまうらしい。
戦争は人を狂気に走らせるだけじゃない。
狂気が正当化され、幻想が事実を呑み込んでしまう危険性を常に孕んでいるということだ。

最終的には、『外相案をとる』とした天皇の決断で日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えたのだけれど、

――もしあのとき天皇が『忍び難きを忍び、世界人類の幸福の為に…』決断していなかったら…
――もし二千万人もの日本人が特攻という形で[殺されて]いたら…

今の父さんたち(つまり、父さん自身や母さんの胎内にいる君)もこの世に存在していなかった可能性があるのだ。
父さんの父や母が犠牲になっていたら、当然のことながら今の父さんも存在していないのだから。
そう考えると背筋が凍る。

『自分の仕事はあれでよかった。これから先、自分はどうなっても差し支えない』

父さんは、そんな科白を口にしなくてはいけないような世界に生きたいとは思わない。
けれどもその一方で、そんな心境になれるぐらい、なにかに懸命になれたら…とは考えた。
生きていくことの意味というか、生き切る価値である。




War is worse
(photo:kazuhiko iimura)



さて、君と母さんの話に戻ろう。
西麻布での取材を終えた父さんは、そのまま母さんの待つ碑文谷のマンションに向かった。ここでいう「そのまま」というのは、取材スタッフと一緒に取材車輌であるハイヤーで、という意味である。
本来なら一度テレビ局に戻り、スタッフと取材車輌であるハイヤーをばらす(解放する)必要があるのだが、女房が大きなお腹を抱えて自宅でうんうん唸っている、という父さんの話にスタッフがピクリと反応してしまったのだ。

「それって非常事態じゃないですか。このまま現場に直行しましょうよ。私たちなら、碑文谷経由でまったく問題ないですから」

そういって目を丸くしたのは女性カメラマンの竹内さんだった。
二十七歳で独身。そんな竹内さんには、自宅で子供を生むという行為がイメージしにくく、とても危ういことのように思えたらしい。瞬く間に取材用機材をハイヤーのトランクに積み込むと、ぐずぐずしないで早く乗ってください、とばかりに父さんを後部座席に押し込んだのだ。
さらに、最近買ったばかりだといっていた携帯電話をジーンズのヒップポケットから引きだすと、「これを使って下さい」といって父さんの方へひょいと投げてくれた。
もちろん、母さんへの電話のためだった。
                                               (以上、「ヘイ ボーイ!」より抜粋)



星条旗
(photo:kazuhiko iimura)




あの日に生まれた「君」は成人して今年の夏、21歳になった。
日本と違ってアメリカでは、この「21歳の誕生日」が「成人」と定義される日。
だから正式に酒を飲めるのも21歳からだ。
そんなタイミングだったからなのか、ふと随分前に書いたままPCの中に眠っていた雑文のことを思いだした。
(実はかなり長いものなので、「抜粋」の形にしました。改めてまとめ直すのも違う気がしたので…)

もうすぐ71回目の終戦記念日。
誰もがスマホを使いこなす便利な世の中になったけれど、いままた世界には嫌が空気が漂いはじめた。
右傾化する風潮、差別、分断、テロの脅威…等々。
この先、「君」や君の世代のみんなが生きていく世界には厄介なことがテンコ盛りだ。
でも、ひるんじゃいけない。
生きていくことの意味というか、生き切る価値のある世界のはずだから。


(飯村和彦)


newyork01double at 12:23|PermalinkComments(1) 家族/ 子育て | 取材ノートより

2016年08月04日

目を見張る人間力!平均年齢83歳、米国人気コーラスグループ「ヤング@ハート」の歌声が受刑者の心に響く理由とは?(動画あり)



「きょうも元気にロックしてるなあ〜」
彼らのステージや練習風景を見るたびにいつもそう感じる。アメリカの人気コーラスグループ「ヤング@ハート」のことだ。総勢およそ30名。平均年齢は83歳。であるにもかかわらず、このおじいちゃん、おばあちゃんたちが披露するのはパワフルでエネルギッシュなロックンロールでありリズム&ブルース(R&B)なのだ。
先ごろそんな彼らの野外ライブコンサートが開かれた。“日頃のご愛顧に感謝を込めて!”ということで、毎年地元で行っているもの。





y@h OPEN 3
(photo:kazuhiko iimura)




夏の日の夕方、開演の1時間前には緑の芝生が人で埋まった。その数700〜1000人。会場になった広場だけでは収まりきらず、多くの人たちが駐車場や歩道にまで椅子を並べるほどだった。場所は米国マサチューセッツ州にあるフローレンスという小さな街。お年寄りや中年夫婦、子ども連れの家族やヒップホップ世代の若者まで、文字通り老若男女がヤング@ハートの歌声を楽しみ、ロックなサウンドにからだを揺らした。





動画 「Y@H 野外ライブハイライト」

(Video by Kazuhiko Iimura)




ローリングストーンズにボブ・ディラン、ジェームス・ブラウンにビリー・ジョエル、ビートルズ、デビット・ボーイ…彼らの幅広いレパートリーには驚かされる。
音楽ファンの中には、「どうせ有名な曲を歌ってるだけだろう?オリジナルにかなう訳ないし、そんなのねぇ…」という方々もいるでしょう。けれどもそんな狭い了見の人たちの想像を超えるものが彼らのステージにはある。こればかりは実際にライブ会場でその空気を体感するしかないのだろうけど、ヤング@ハートの人気は、音楽そのもののほかに彼らの「在りよう」が大きな要因になっているのだ。

では、そのヤング@ハートの「在りよう」とはいかなるものなのか
ヤング@ハートが結成されたのは1982年のこと。現在も音楽監督と指揮を務めるボブ・シルマンさんが公営住宅に住む高齢者に呼びかけて、「ロックとR&Bを歌う」コーラスグループとして結成された。
だからもうすぐ誕生から35年。残念ながら結成当時のオリジナルメンバーはもう残っていないというが、90歳を過ぎた今でも元気にステージに立つメンバーはいる。
94歳のドーラ・モロウさんは今年4月のライブコンサートでJames Brown(ジェームス・ブラウン)の「I feel good 」を熱唱、会場全体が揺れるほどの喝采を浴びていた。
彼らのファンは海外にも多く、ヨーロッパやオーストラリア、そして日本では2度コンサートツアーを行っている。日本でのライブで「リンダリンダ」や「雨あがりの夜空に」といった楽曲を披露したように、海外で公演するときはその国の曲を何曲か頑張って練習して歌えるようにしているらしい。





Y@H Bob
(Y@H 音楽監督 ボブ・シルマン/ photo:kazuhiko iimura)



Y@H 94歳熱唱
(94歳のドーラ、「I feel good」を熱唱/ photo: kazuhiko iimura)





当然ながら「ヤング@ハートのメンバーになりたい」という人も多いらしい。参加条件は「75歳以上」。ただし、いまのメンバーに欠員がでたとき、つまり誰かが病気等で活動できなくなった場合なので、実際に新メンバーになるのはとっても「狭き門」のよう。
ともかく、「ヤング@ハート」の面々はすこぶる元気だから。
練習は週に2回。ボブの指導のもと、生バンドに合わせて2時間きっちり歌い込むわけだが、これが実に賑やかで楽しそう。歌っていないときは、ほぼ笑っているという状態だ。





Y@H リハーサル
(週に2度の練習風景/ photo: kazuhiko iimura)





彼らの活動は地元の企業や多くの個人の寄付によって支えられている。国や行政に頼ることはない。自分たちにできることに全力を注ぎ、彼ら自身も楽しみながら地域の人たちをその輪の中に巻き込んでいく。つまり、単なるエンターテイメントとしてではなく、地域に根づいた音楽活動としても高い評価を得ているわけだ。

そんな「ヤング@ハート」がここ数年力を注いでいるのが社会貢献活動。
なかでも目覚しい成果をあげているのが2年前から行われている「プリズン・プロジェクト」と呼ばれる、地元の刑務所で行っている活動だ。

活動の基本は毎週1回の練習とおよそ半年ごとに開かれるコンサート。もちろんすべてボランティア活動だ。
練習では音楽監督のボブたちが刑務所(一般刑務所と女子刑務所の2箇所)を訪れ、希望者に2時間のレッスンを行う。ヤング@ハートのメンバーも数人単位で刑務所にやってくる。受刑者の歌う曲のコーラス部分の練習は必須事項だから。わきあいあいの雰囲気ながら、参加者はみんな真剣に練習に取り組む。
歌う曲は受刑者が自分たちで選ぶそうだが、彼らのオリジナル曲もある。多くがラップで、各自が歌詞を書き、好きなテンポの曲に合わせて声をだす。
「Old Souls」…それが受刑者たちのグループ名だ。この名前も彼ら自身が決めたものだ。





Y@H 刑務所の練習2
(刑務所での練習風景/ photo: kazuhiko iimura)





練習の成果は、プリズン・コンサートで明らかになる。
収監されている受刑者、一部の家族、刑務所スタッフや関係者向けのものだが、観客はそれなりの人数になる、だから「Old Souls」のメンバーにとっては緊張もの。ほかの受刑者仲間からの評価も気になるところだ。
ところが実際にコンサートが始まってしまうと空気は一変する。ヤング@ハートのおじいちゃん、おばあちゃんたちの歌声はすぐに会場の空気を温かなものに変える。それにつられるように受刑者のメンバーもベストを尽くす。
腕や肩、人によっては顔にまで刺青を入れた受刑者が、白髪のコーラスグループをバックにロックやヒップホップを熱唱する。それは大げさではなく感動的な光景だ。そして最後はいつも全員でボブ・ディランの「Forever Young」の合唱。出演者全員が拳を高く掲げると、観客の側の受刑者たちも右手を高く突き上げる。その直後、会場全体は大きな歓声に包まれることになる。





Y@H 右手を上げる!
(「Forever Young」合唱/ photo: kazuhiko iimura)





ヤング@ハートの歌声や気負いのない仕草は、受刑者たちの心の奥にあって通常ではなかなか動かないある種の感情をほんの少し揺さぶるのだろう。それが何度か続くうちにいつの間にか受刑者たちはヤング@ハートの虜になっていく。おそらくそのようなことじゃないかと思う。
彼らの持っている人間力には、ただただ目をみはるばかりだ。

ヤング@ハートがプリズン・プロジェクトを始めるきっかけはなんだったのか。
音楽監督のボブによると、それは2006年に開いた刑務所でのコンサートだったらしい。最初は何が起こるかまったく予想していなかったが、結果は想像をこえるものだったという。
「あれは一種のマジックだった」とボブは振り返る。
「本当に魔法のような瞬間だった。そして気づいた。この場所は再びやってくるところだと。そしてそのときは、受刑者向けにパフォーマンスをするだけではなく、彼らの歌声が聴けたらどんなに素晴らしいだろうと思った」
そこでボブは、受刑者がヤング@ハートのコーラスメンバーと一緒に歌えるようなプロジェクトをつくったのだという。

ヤング@ハートのメンバーの一人、80歳のクレアはあるときこう語っている。「帰るときに時々受刑者にハグしたくなるけどそれは(規則で)認められていない。でもときにはやっちゃうのよ。どうしても我慢できないから」
受刑者は窃盗や強盗、武器や禁止薬物の不法所持…等々、多種雑多な罪で収監されている。けれどもクレアは誰がなにをしたのかは知らない。「他のメンバーもその方がいいと思っているはず。それが正直な答え。彼らの過去の生活は気にしない。私たちが見ているのは彼らの今、そして将来の希望だから」
この点に関してはボブも同じ考えだ。
「受刑者たちがなにをやってここに来ているのかは知らないし、それに興味はない。それは私たちに関係ない話。一つはっきりしているのは、彼らがコミュニティに戻ってくること。そして私たちは彼らにできるだけ最高の状態で戻って欲しいと考えている。小さなことかもしれないが、私たちの活動はその手助けになっていると思う」

「平均年齢83歳の集団」にしかできない音楽を伴った活動、もう少し具体的にいえば彼らの音楽に対する「ポジティブな姿勢」や好きなものに打ち込む情熱。
そしてなにより彼らの発する「何かを始めるのに遅すぎることなんてない!」というメッセージは強烈である。また実際にそれを実証している姿はともかく圧倒的だ。
ところがこのヤング@ハートのメンバーには押し付けがましいところがまったくない。いつだって肩の力を抜きリラックスしているように見える。このあたりは長い人生経験の賜物に違いない。





Y@H 4
(ネルソンとY@Hメンバーのスティーブ/ photo:kazuhiko iimura)





プロジェクトに参加している受刑者の一人、ネルソン受刑囚の言葉は象徴的だった。
今年38歳の彼は少年時代から窃盗などの犯罪を繰りかえし、これまでの人生の半分以上を壁の内側で過ごしてきた。いまの刑期を終えるころには41歳。「もう後悔するのに疲れ果てた」というネルソンだが、ヤング@ハートのプロジェクトに参加することで「負のサイクル」から抜け出すきっかけをつかんだのだという。
「負のサイクルから抜け出すためには、何か違うことに挑戦しなくちゃダメだと思った。音痴だけど子供の頃から音楽は好きだったから今回はやってみようと…。みんな凄くいい人たちで偏見を持たずに接してくれるのが嬉しい。一度コンサートにもでた。 とても緊張したが、あれを経験してもっと素直になれた。人生でうまくいかないことはあるけど、やらないで後悔するよりは何でもやってみたほうがいいと思えるようになれた」

さらにネルソンは、この経験は出所後の自分の救いになると話す。
「これをきっかけに自分も人の輪の中に入ることができた。年齢なんて関係ないことも学んだし、彼らを目の当たりにして自分も変わらないとダメだ…と気づかされた。社会に異なる役割がたくさんあるように、自分もできることをやっていい人生にしていきたい」





動画 「ネルソン受刑囚インタビュー&プリズン・コンサート」

(Video by Kazuhiko Iimura/ 翻訳:飯村万弥)




「何かを始めるのに遅すぎることなんてない!」
人生の終盤になっても達成することのできる“なにか”に向っているヤング@ハートの「在りよう」が、受刑者の心に訴えかけ、彼らのものの見方、考え方をいい方向に変える一助になっているのだろう。
長い間抱え込んでいた劣等感や他者に対する不満、自分を取り巻く環境へのストレス、後悔、そして「人生をやり直すなんて大変だ」というネガティブな姿勢…そんな受刑者たちの思考が少しずつポジティブな方向に向っていくようだ。

ハンプシャー郡刑務所のロバート・ガアビー所長は、ヤング@ハートの活動について「受刑者が普段とは違った自分たちの役割を知るいい機会になっている。目的に向って努力するというある種のコミュニティができた」と絶賛。さらに「何かのメンバーになっているということは受刑者たちにとって非常に大切。同時に社会の人たちとの繋がりを築ける大切な場にもなっている」として、この活動が、新しい「変化」を受刑者や地域社会にもたらしている話す。

たぶん、日本にもヤング@ハートのメンバーようなお年寄りたちが沢山いるに違いない。愉快でエネルギッシュ、それでいて豊かな人生経験に裏打ちされた包容力をもった方々。そんなお年寄りが活躍できるようなコミュニティができあがれば、少なからず問題も解決されていくのでは?
国や行政がセーフィティネットを充実させることはもちろん必要できちんとやって欲しいけれど、その上でコミュニティの面々が互いにそれぞれが打ち込んでいることに目を配り、少しづつでもポジティブな係わり合いを持つようになれば地域の空気はぐ〜んと良くなる。ヤング@ハートの活動はその一例のような気がする。

(飯村和彦)


newyork01double at 07:15|PermalinkComments(0) マサチューセッツ州・Amherst | 取材ノートより

2016年07月19日

都知事選。候補者連名で東京オリンピック・パラリンピック事業予算の積算根拠を開示させ、その上で政策論議を!



これは一つの提案です。

現在行われている東京都知事選にあって、東京オリンピック・パラリンピックの膨れ上がった事業予算、運営費に関しては、主要3候補者ともに可能な限り「縮小する」との方針を打ち出している点では一致している。

招致の際には「コンパクト五輪」をうたいながら、いつの間にか総事業費が青天井になってしまっているのは周知の通り。「当初予算の3倍になる」とか、総費用は「2兆円」にも「3兆円」にもなるといわれている。にもかかわらず、ご存知の通りその積算根拠はまったく示されていない。
東京都とオリンピック組織委員会が負担し合う金額もいまだに分からず、このままではどれだけの税金が五輪に投入されることになるのか皆目見当がつかない。

ならばである。
主要3候補者とも「五輪予算を縮小する」という点では同じ目標を掲げている訳だから、いますぐにでも候補者連名でオリンピック組織委員会に積算根拠の明示を求め情報公開させればいい。




東京タワー
(photo:kazuhiko iimura)




膨大な税金が投入される一大事業であるにも係わらず、これまでに積算根拠が示されていないことが問題。それを開示させることは選挙戦中でもできることだろう。というよりもむしろ「選挙戦中だからこそ」きちんと情報を開示させるべきものだ。
その上で、積算根拠になっている各項目について、どこをどう削れば適正な予算になるのかを候補者同士で議論して欲しい。その方が建設的だし、各候補者の考え方がより明確になるはず。

オリンピック組織委員会側には積算根拠を出せない理由はなにもない。そもそも多額の税金が投入される事業なのだから、それにまつわる「情報」は「納税者のもの」に他ならない。本来ならいつだって情報開示を求め、都民や国民が知ることのできるものだ。もしなんらかの理由をつけて公表できない、もしくは積算根拠自体がないというのであれば、それこそ大問題。その場合は改めてオリンピック組織委員会の体質が問題になってくるので、各候補者はそこをきっちり追及して欲しい。少なくとも追及する手法は明示できるでしょう。

繰り返しになるが、選挙戦中だからこそできることがあるはず。
選挙戦中は「候補者」であってもその中の誰かが間違いなく新知事になる。つまり選挙戦中に表明した政策がそのまま新知事の政策になる訳だから、その意味では既に「都政」が始まっていると考えてもいいはずだ。

(飯村和彦)


newyork01double at 04:52|PermalinkComments(0) 東京story 

2016年06月30日

増え続ける無差別テロの脅威!沢木耕太郎さんが「深夜特急」で描いたような旅はもうできない。


この暗澹たる気分、言い知れぬ不安感をどう言葉で表現したらいいのか。

トルコ最大都市イスタンブールのアタチュルク国際空港で発生したテロでは、29日までに41人が死亡、239人が負傷した。つい2週間ほど前には、米国フロリダ州オーランドでIS(イスラム国)に忠誠を誓ったとされる男がナイトクラブを襲撃。銃を乱射し49人の命を奪ったし、3月にベルギーの首都ブリュッセルで発生した同時テロでは、32人が死亡。また昨年11月のパリ同時多発テロでは、レストラン、劇場、サッカー場などが襲撃され130人もの人が殺され、350人以上が負傷している。
さらに中東やアフリカに目を移せは、毎週のように何十人もの一般市民が無慈悲なテロの犠牲になっている。

世界は今いったいどうなっていて、これから先どうなっていくのか…。
幾つもの国境を越えて見知らぬ土地を訪れ、初めて出会う多種雑多な人や文化に触れる…もうそんな旅をすることはできないような気がする。実際、中東では現実的に不可能だろう。

イランやイラク、アフガニスタンに行ってみたい…と思ったのは学生の頃だ。沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読んだ後のことだった。路線バスでごつごつした砂漠地帯を夜通し走り、明け方の市場でその土地特有の朝メシを食べる。世界史で学んだメソポタミア文明の地(現在のイラクの一部)であるユーフラテス・チグリス川流域を通り、そのままヨーロッパまで足をのばす。本を読みながら勝手にそんなことを想像していた。
約30年前、メディアの仕事についたのも少なからずそんな願望があったからだ。自分の目と耳で世界の国々に生きる人たちの生活を感じ、意見を聞く。そして、ものごとに対する多様な考え方に接してその意味を多くの人に伝えていく(…というかその努力をしていく)。そんな仕事だ。




北朝鮮国境
(北朝鮮と韓国の国境付近 photo: kazuhiko iimura)




北朝鮮と韓国の国境を目の当たりにしたときは、同一民族でありながらもどうしても折り合いをつけられない問題がそこに在ることを肌で感じたけれど、そんな状況にあっても韓国には、命がけで脱北者に暖かい支援の手を差し伸べている人たちがいた。

ハイチには、上等じゃないけれど綺麗に洗濯された白いシャツを着た少女たちが夜、街灯の下で頑張って勉強をしていた。貧しさに負けない強さだ。
モンゴルでは生活に使う水を買いに行くのは子どもの仕事。一日に一度、大きなタンクをのせた台車を押して給水所にやってくる。道はデコボコだった。




モンゴル2
(モンゴルの給水所 photo: kazuhiko iimura)




これまでに訪れたのは約20カ国。そのたびに痛感したことは「違い」のあることの当たり前さであり、その「違い」を認めることの大切さだ。人種や宗教、政治体制や気候、風土、国としての発展度や成熟度などによってそれぞれ異なるし、同じ一つの国の中でさえ、地域ごとに明らかな「違い」がある。当然ながら、その「違い」があることによっていいこともあれば悪いこともある。意見がぶつかり合って激しい論争になる。紛争もあれば悲劇も起こる。
でも「違い」がなければ「想像力」は喚起されないはず。個人的な考えでしかないけれど、人間が他の人々と共に生きていくうえで一番大切なものは「想像力」だと思う。だからその「想像力」を喚起させる「違い」がとっても重要になり、重要だからこそその「違い」をそれぞれが認め合う必要がある訳だ。積極的にだろうが消極的にだろうが、最終的にはあれこれある「違い」をそれぞれが尊重する。じゃないと世の中が壊れてしまうから。

で今まさに、「違い」を認めない「不寛容さ」ゆえに世界が壊れ始めている。

国民がEU離脱という選択をしたイギリスでは、若者たちが、「クソ移民!」「アフリカに帰れ!」と公衆の面前でアフリカ系男性に罵声を浴びせるという事件が発生、似たような人種差別主義者による犯罪も増えているという。悲しくて空しい現象だ。
また、ベルリンの壁が打ち壊されてから27年たった今、ヨーロッパの国々は難民・移民対策として国境警備を強化している。モロッコとスペインの飛び地セウタの国境、トルコとギリシャの国境、トルコとブルガリアの国境などには、高いフェンスと有刺鉄線が設置された。
まさに不寛容の象徴でしかない。
米国では共和党の大統領候補トランプが、「不法移民の強制送還」や、移民流入阻止のためにメキシコとの国境に「万里の長城」を築くと公約。失われた「大国のプライドと主権」を取り戻すべきだと訴え、少なくない支持を集めているのは周知の通り。

そして中東やヨーロッパ、米国で多発している無慈悲で残虐なテロ。
トルコの空港で発生したテロについては、いまのところどの組織からも犯行声明はだされていないが、当局はIS(イスラム国)による犯行の疑いが強いとみて、自爆した実行犯3人の特定とその背後関係の解明に全力を挙げているという。
けれども一番の問題はそこじゃない。
いま何が恐ろしいかといえば、世界中どこにでもIS(イスラム国)的なテロに及ぶ輩が存在し、増えていること。米軍の支援を受けたイラク軍の攻撃によりIS(イスラム国)支配地域はかつてよりはだいぶ縮小したというが、その分、彼らの主張に同調する他国にある組織や個人がより過激になっているように思えてならない。特に「個人」の場合は、どこの誰が「テロリスト」であるのか、テロが発生した後でないと分からないという現実が横たわる。

いつどこで自動小銃が乱射され、自爆テロが起きるか分からない。だから誰もがもう、傍観者じゃいられない。そんな現実を肝に銘じながら、まずは自分にいま何ができるのかを考えたい。

悲劇の現場を記憶に焼付け、テロの犠牲になった人たちを心から悼むこと。
空から降ってくるミサイルに怯える武器を持たない人たちの心境を想像すること。
子ども達には、「テロや武力では人の心を変えられない」という事実を伝えること。
そして「違い」を認め他者に寛容になること、またはその努力をすること…か。

(飯村和彦)




newyork01double at 17:33|PermalinkComments(0) テロとの戦い | 取材ノートより

2016年06月08日

ヒラリー大統領候補へ「この国の歴史で初めて」。今だからこそサンダースの叫びに耳を傾けたい



民主党の大統領候補は、”ほぼ間違いなく”ヒラリーで決まり。
「この国の歴史で初めて…」
ヒラリーは勝利宣言のスピーチでそういって微笑んだ。
でもそんな今だからこそサンダースの叫びに耳を傾けたくなる。




ヒラリーとサンダース
(CBSニュースより)



ニュージャーシー州での予備選の圧勝を受けて「勝利宣言」をしたヒラリーだが、カリフォルニア州予備選でも勝利するだろう(この原稿を書いている段階では10ポイント以上差をつけてヒラリーがリードしている)。
当初、接戦が伝えられていたカリフォルニア州だけれど、蓋を開けてみればヒラリーの圧勝に…といっても差し支えないだろう。やはり、きのう(6月6日)の全米メディアによる「ヒラリー指名獲得に必要な代議員数2383人を確保」との報道が大きかったに違いない。


さすがのサンダースもこのカリフォルニア州での結果を受けて終戦かと思いきや、冗談じゃないとばかりに最後まで闘うと宣言した。まるで「ドンキホーテ」のよう…といっては失礼かもしれないが、いまだに血気盛ん、意気軒昂だ。既に選挙スタッフ数を半減したというけれど、なんとか上手い具合に踏ん張って、彼の主張や提案を少しでも今後に反映させて欲しい…と彼の支持者も願っているのだろう。

「民主社会主義者」を自任し、格差是正を前面に掲げてヒラリーの前に立ちはだかったサンダース。当初の「泡沫候補」との評を覆してここまで大健闘した彼の戦いぶりは間違いなく賞賛に値する。
1%の金持ちだけが得をするいまの社会構造を徹底的に否定し、既存の「金のかかる政治」からの脱却を訴え続けたサンダースのメッセージは、まったくぶれなかった。「革命を起こすんだ!」という彼の叫びに、多くの学生や働けど賃金の上がらない人たちが共感したのもうなづけるというもの。


69歳の自称ミュージシャン、トンプソン(Scontz Thompson)さんもサンダースの熱狂的な支持者だった。彼から自分の曲のビデオクリップをつくってくれないかというメールが入ったのは今年4月。建設現場での仕事をやめ、いまはランドリー(洗濯屋)でパートタイムの仕事をしながら音楽活動をしている。彼の曲は、「1% Trickle Down Caste System Blues」。1%の金持ちだけが潤う格差社会を痛烈に批判した内容で、サンダースの応援歌だといった。歌詞は、毎月送られてくる請求書にのたうちまわり、銀行預金もなければ将来もない…というような内容で、自分たちの生活をそのまま歌にしたものだった。







トンプソンさんは、いまこの段階にいたってもまだサンダースを応援しつづけている。
「74歳とは思えないあのエネルギー。誠実な人柄。知性。世直し(政治改革)に挑む姿…。凄いと思う」。だから自分も最後まであきらめないのだといった。彼は、サンダースのいってることが一つでも実現することを願っているのだ。

いまさらという気がしないでもないが、サンダースの提案をおさらいしてみると…。彼は就任後100日間に実施する政策として、医療の国民皆保険、最低賃金の15ドルへの引き上げ、インフラ整備への投資拡大を挙げた。
また大学については、「全ての公立大学で授業料を免除する」として、そのための財源(7500億ドル)は金融取引に課す新税から拠出するとした。

この中から、分かりやすい例としてアメリカの大学の学費を見てみよう。高いとはいわれているが実際にはどれぐらい高いのかといえば、これが信じられないほど高い。総合大学の学費は私立で年額35,000ドルから50,000ドル。1ドル110円で換算すると日本円で年間385万円から550万円。つまり4年間で約2,000万円にもなる。州立(=公立)大学でも年間約25,000ドル(約275万円)だから、4年間で軽く1,000万円以上だ。これってどう考えても常軌を逸している。
アメリカには、各種の奨学金制度(返済しないでいいもの)があるけれど、学費が学費だからほとんどの学生が重〜い学生ローンに苦しんでいる。サンダースが打ち出した「公立大学の授業料免除」という提案が、あれほど熱狂的に学生に支持されたのはそんな現状があるからだ。
だが当然のようにサンダースの提案する政策には疑問の声があがった。

「確かに夢のような提案だけれど、本当に実現できるの?」

たぶんこの問いに象徴されるような、政策課題への向き合い方の違いが、ヒラリー支持派とサンダース支持派の違いだったように思う。「実現可能な改革案をだして、ものごとを先に進めることが大切」という実務型がヒラリー派で、「国民が動けば大きな夢も現実になる」という革新型がサンダース派だったように思う。
もちろん、一般的にいわれているようなヒラリー=主流派(体制派)、サンダース=進歩派という表現でもいいけれど、ともかくこの二人の間には思想や政策に大きな隔たりがあるのは事実だろう。




サンダース プレート
(photo:kazuhiko iimura)



しかしそうはいっても、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかない。民主党の大統領候補になることが(十中八九)決まったヒラリーは、一刻も早くサンダースとの間にある深い溝を埋めなくてはいけない。そうしないと秋の本選でトランプに負けてしまうかもしれないから。そのためにヒラリーはなにをするのか、なにをすべきなのか。サンダースを副大統領候補するという選択は(多分)ないにしても、可能な限り彼の考えを尊重し、その提案なりを現実のものにする努力をするのでは?この期に及んでもサンダースが「闘う姿勢」を崩さない理由がそこにあるのは間違いないように思う。民主党の政策目標を提示する党の綱領に「サンダースの主張」を反映させる、そのために7月の党大会まで走る続けるのだろう。

(飯村和彦)




newyork01double at 19:17|PermalinkComments(0) 取材ノートより | マサチューセッツ州・Amherst

2016年05月29日

オバマ大統領の4羽の「折り鶴」が、広島に舞い降りた理由とは?



2016年5月27日、広島に4羽の折り鶴が舞い降りた。

ピンクと青の2色。千代紙をつかい、丁寧に折られていたという。
この4羽の折り鶴はアメリカのオバマ大統領が自ら折ったもの。広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪門した際、そのうちの2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は、直筆のメッセージに添えてそっと置いたという。
「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」(メッセージの内容)



ではなぜ「折り鶴」だったのか

広島の平和記念公園に、いつでも何千、何万もの折り鶴が手向けられている、ある少女をモデルにした像がある。1958年の子供の日に建立された「原爆の子の像」だ。この像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれている。



サダコ像
(photo:kazuhiko Iimura)



この「原爆の子の像」のモデルになっているのが、佐々木禎子ちゃん。だららこの像のことを「サダコ像」と呼ぶ人も少なくない。
佐々木禎子ちゃんは、広島に原爆が投下された日、放射能を帯びた“黒い雨”に打たれ被ばく。10年後の1955年に白血病が発病し、わずか12年でその生涯を閉じた少女である。



禎子ちゃんが「折り鶴」に込めた思いとは?

医師から、「長くて1年の命」との宣告を受ける中、禎子ちゃんは死の間際まで懸命に折り鶴を折り続けていたという。禎子ちゃんが「折り鶴」に込めた思いとはいったいどんなものだったのだろうか。

広島に原爆が投下された日、禎子ちゃんは広島市内にあった自宅で、家族と共に被ばくした。爆心からは、およそ1.6キロ。爆風で、家の外まで吹き飛ばされたものの、禎子ちゃんは幸運にも傷ひとつ負わなかったらしい。その時の状況について、禎子ちゃんの兄、佐々木雅弘さんは、かつてこう話してくれた。
「今でもありありと覚えています。一瞬のうちに家が崩れました。2階から落ちたミカン箱がありましてね、その上に禎子は無傷でちょこんとのっかっていました」
ところが瞬く間に辺りは火の海に。禎子ちゃんは、母親に背負われて近所を流れる太田川へと避難したのだという。だがそこで、“黒い雨”に打たれてしまう。
「ドロッとしていて。頭から顔から体中、全身真っ黒です。沢山の方が倒れておられ、川には亡くなった方が流れているという状況でした」(雅弘さん)

“黒い雨”とは、原爆の爆発によって巻き上げられた粉塵や煤により黒くなったタール状の雨のこと。この“黒い雨”は放射能を帯びているので、直接打たれると後に放射能障害になる可能性が高くなる。

しかし、当時の禎子ちゃんたちがその恐ろしさを知る由もなかった。
リレーの選手で将来の夢は体育の先生。そんな禎子ちゃんが体の異変に気づいたのは、1954年の暮れのことだった。首や耳の後ろに幾つかのしこりが発生。年が明けた1955年1月末には、足に紫色の斑点が現れたという。
そして、1955年の2月18日。ABCC(原爆障害調査委員会)の検査結果をもとに、禎子ちゃんの父親に病名が告げられた。“亜急性リンパ腺白血病”だった。
「白血病であり、短くて3ヶ月。長くて1年でしょう…というように言われたんです」(雅弘さん)

それは、まさに死の宣告だった。
入院当初は、快活に過ごしていたという禎子ちゃんだったが徐々に症状が悪化。病院内で顔見知りになった少女が同じ白血病で亡くなると、「うちもああして死ぬんじゃろか」とポツリと呟いたという。

そんな禎子ちゃんの生きる支えとなったのが、「折り鶴」だったのだ。
きっかけは、原爆患者に届けられた愛知県の高校生たちが折った色とりどりの折り鶴。その美しさに心打たれた禎子ちんは以後、自らの病気の回復、「生きたい」というを願いを込めて一心に鶴を折りはじめた。禎子ちゃんの兄、雅弘さんによると、
「だんだん具合が悪くなるに従って、針を使って折るようになったんです。先までピーンと…。最後はもう、本当に気力体力をこれに注いだんです。それで良くなりたいと」




サダコちゃんのつる
(photo:kazuhiko Iimura)



禎子ちゃんの折り鶴は、直径1センチにも満たない小さなものだった。
この話を雅弘さんに伺ったとき、「どうか、手のひらに載せてやってください」といっていただいたので、そのうちの一羽を手のひらにのせた。
針を使って、気力だけで折られたという折り鶴は、ほとんど質量を感じない、驚くほど小さなものだったが、見つめていると吸い込まれるような不思議な力に満ちていた。儚そうでありながら、断固とした存在感…があった。

しかし、折り鶴にかけた禎子ちゃんの願いは届かなかった。

最後は、ピンを使い直径5mm程の鶴まで折っていた。
鶴を折れば元気になれる、
鶴ができれば家に帰れる、
「生きたい…」という気力だけ。まさに、“祈り”である。
けれども、その願いも空しく、禎子ちゃんは、12歳でこの世を去った。
悔しくて、切なくて、虚しくて、………
禎子ちゃん最期の言葉は、「お父さん、お母さん、…ありがとう」だったという。



禎子ちゃんの甥、佐々木祐滋さんの「祈り」とは?

佐々木祐滋さんは、禎子ちゃんの兄、雅弘さんの息子である。
ミュージシャンである裕滋さんは、自ら作った曲や数々の講演活動などを通じて、禎子ちゃんの味わった「悔しさ」や「生きたい」と願った気持ち、さらには「平和への思い」や「原爆の悲劇」を世界の人々に訴え続けている。

今回、オバマ大統領が広島に足を運び、被爆者の方々とも面会し、資料館へ自ら折った4羽の折り鶴を持参した、その背景には、間違いなく祐滋さんたちのこれまでの努力があったはず。
広島平和記念資料館の志賀賢治館長は、資料館を訪れた際のオバマ大統領の様子について、
「特に禎子さんの折り鶴に関心があったようで、ご覧いただいた。そのあと、被爆を伝える資料をご覧いただいた」とし、大統領が事前に勉強していた様子が伺われたと話している。




折り鶴映画イベント




祐滋さん(45)は現在、父の雅弘さん(74)らと一緒にアメリカ、ロサンゼルスを訪れている。
原爆投下命令を下したハリー・トルーマン元大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏と共にロサンゼルスにある「Museum of Tolerance(寛容博物館)」へサダコ鶴を寄贈。また、Miyuki Sohara監督による「折り鶴2015」のLAプレミア上映も行われている。

今回のオバマ大統領の広島訪問、さらには「4羽の折り鶴」について、祐滋さんに伺ったところ、以下のような感想を寄せてくれた。

『今回のオバマ大統領広島訪問には本当に感謝しております。
ましてや、折り鶴をご自身で四羽折られて持って来て頂き、資料館で出迎えてくれた、子供に二羽、メッセージを書いた記帳台に二羽置いて頂いたこともあり、大変感動もいたしました。
まだまだ日米の間で越えなくてはならない壁はいくつもあるとは思いますが、
これまで誰もなしえなかった、現職米国大統領の広島訪問が実現できたのですから、
ここからはじめられることを皆で考えていきましょう!
折り鶴は皆の心を必ずつないでくれると信じています!』

また、祐滋さんは、
「オバマ大統領さまへ」として次のような言葉をFacebookに綴っている。

「オバマ大統領さまへ  今回、広島平和公園を訪問し、慰霊碑に献花をされ、犠牲者に心を手向け、被爆者と笑顔での対話や抱擁をされたこと、本当に感謝しております。
さらに、たった10分程の資料館視察の中で禎子の鶴を見て頂き、ご自身で折られた4羽の折り鶴のうち出迎えた小中学生に2羽手渡され、芳名帳にメッセージを書かれたあと残りの2羽を置いていって頂いたこと、本当にありがとうございます。

僕には、この折り鶴を折って渡してくれた行動が「サダコ、君のことは知ってるよ!僕の故郷であるハワイ、そして、先の大戦で日米開戦のきっかけとなった真珠湾に来てくれてありがとう!」と言ってくれているんじゃないかと思えてなりません…きっとそうなんですよね?

僕は、禎子の鶴を絶対に真珠湾に贈りたいと思い、周りから心配や反対がありながらも勇気を持って、信じて、決断をし、原爆投下命令を下した元米国大統領ハリー・S・トルーマンの孫であるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんと初めてお会いしたときに「禎子の鶴を真珠湾に贈りたいので力を貸してください!」とお願いをしました。そのクリフトンさんが動いてくれて念願であった真珠湾への寄贈が実現し、今度はその禎子鶴を常設展示する為に必要な約7万ドルの費用を集める為に、現地の日系人の方々とオバマ大統領の母校であるプナホウ高校の先生と生徒たちが中心となって動いてくださったおかげて常設展示も出来ました。
そしてその後もオバマ大統領の後輩達がサダコプロジェクトを立ち上げ、展示後から現在も毎月1回、禎子鶴展示ブースに行って、そこを訪れる人達に、鶴の折り方を教えてくれているのです。
いつかこの真珠湾と禎子の折り鶴の事をこの皆の、心の繋がりをオバマ大統領に伝えたいと僕は思っていました。今回、その願いがやっと叶ったと確信しております。

あらためて、オバマ大統領、広島に、平和公園に来て頂いてありがとうございました。
そして、折り鶴を折り、広島の子ども達へ渡してくださって本当にありがとうございました。
最後に、今年の12月7日は真珠湾攻撃から75年目になります。その日に今度は僕らが思いを込めた折り鶴を真珠湾へ届けに行きますね。  佐々木 祐滋」


佐々木祐滋さんの代表曲は「INORI(祈り)」
(作詞・作曲:佐々木祐滋、歌:クミコ)

禎子ちゃんの思いがそのままバラード調の曲になっている。聴くと、本当に涙がでる。ボロボロと泣けてくる。ひとりでも多くの人に「INORI」を聴いて欲しい。この曲は、戦争がもたらす悲惨、平和の尊さ…を訴えかける。以下は、「INORI」の歌詞(全文)である。


別れがくると知っていたけど 
本当の気持ち言えなかった
色とりどりの折鶴たちに 
こっそり話しかけていました

愛する人たちのやさしさ 
見るものすべて愛しかった
もう少しだけでいいから 
皆のそばにいさせて下さい

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした

折鶴を一羽折るたび 
辛さがこみ上げてきました
だけど千羽に届けば 
暖かい家にまた戻れる

願いは必ずかなうと 
信じて折り続けました
だけど涙が止まらない 
近づく別れを肌で感じていたから

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

別れがきたと感じます 
だから最後の気持ち伝えたい
本当に本当にありがとう 
私はずっと幸せでした

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

めぐりめぐり行く季節をこえて 
今でも今でも祈ってる
二度と二度とつらい思いは 
他の誰にもしてほしくはない



12歳の少女が、“生きたい”という願いを込めて折った鶴。
その鶴が、時空を超えて、平和を愛する世界の人たちの心を結ぶ。

最後にオバマ大統領の演説から、その一部を…

「世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が“核戦争の夜明け”ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです」(朝日新聞より)

是非、そうあって欲しい。そんな未来を築く努力を、いまこの瞬間から始めたい。
まずは自分にできることから…


(飯村和彦)


newyork01double at 06:30|PermalinkComments(0) 取材ノートより | 戦時における目的のための犠牲

2016年05月18日

がん治療の新しい地平!アメリカ発「がん免疫療法」(1)



毒をもって毒を制す!
先週、FDA(アメリカ食品医薬品局)が、デューク大学の開発した「ポリオウィルス」を使って脳腫瘍(正確には膠芽腫)を攻撃する治療法を「Breakthrough Therapies」(仮訳:画期的治療法(治療薬)」に指定した。
「Breakthrough Therapies」指定制度は、「FDA安全性及び革新法」(2012年施行:FDA Safety and Innovation Act: FDASIA)に付随するもので、単独または他剤との併用により重篤または致命的な疾患や症状の治療を意図した新薬の開発と審査を加速することを目的としている。(参照:FDAホームページ)

この「ポリオウィルス」を用いた脳腫瘍の治療法は、2013年の米国臨床腫瘍学会(ASCO)で発表されて以来注目を集めてきたもの。その特徴はがん細胞をポリオウィルスが直接死滅させるだけではなく、その療法によって免疫機能も誘発され、がん細胞を攻撃するようになること。

当然ながら素朴な疑問が浮かぶ。なぜ「ポリオウィルス」なのか。
デューク大学の説明によると、がん細胞の表面には、ポリオウイルスを磁石のように引き寄せる受容体が多数あるため、“ポリオウイルスの感染によりがん細胞が死滅するから”だという。

使用されるポリオウィルスは、遺伝子組み換え技術によってつくられた「改良型ポリオウィルス」。ポリオウィルスの基本的な遺伝子配列の一部をインフルエンザウィルスのものと組み換えたもので、この「改良型ポリオウィルス」は正常細胞には無害だが、がん細胞に対しては致死作用があるらしい。
さらには前述した通り、「改良型ポリオウィルス」を患者の腫瘍に直接注入する治療法には、身体の免疫機能を誘発して、ポリオウイルスに感染した腫瘍への攻撃を開始させる効果もあるという。
研究者によると、実はこの免疫系の働きがとっても重要で、ポリオウィルスをがん細胞に感染させて死に追いやるのは、全体の流れでいえば最初のきっかけにしか過ぎず、実際に腫瘍全体を死滅させるのに大きな役割を果たしているのは、この免疫系なのだという。

ここ数年、アメリカで研究されている先端がん治療をあれこれ調べ、取材してきたけれど、やはりその多くが人間に生来備わっている免疫機能を活性化させたり、呼び覚ましたりするものが多い。

これまでは、がんになったら病巣を外科手術で摘出し、その後は抗がん剤や放射線を使用して転移や再発を抑える…という方法が一般的に行われきた。
ところがご存知の通り、この治療法は患者本人への負担が大きい。特に末期がん患者の場合、一定の治療効果があって余命を伸ばすことに成功したとしても、多くの患者が厳しい副作用に苦しむことになり、残された大切な時間を苦悶の中で過ごさざるを得なくなる。
理由は明らか。
外科手術はもとより、抗がん剤を使った治療はその特性から患者本人の身体や正常細胞を激しく損なうからにほかならない。そこでここ数年、先端がん治療の現場で注目され、研究が進んでいるのが人間の持つ免疫機能を活用してがんを叩く、「がん免疫療法」ということなのだろう。

例えば、ペンシルバニア大学を中心にした研究チームは、「エイズウィルス」を使ったがん免疫療法を開発した。ここでのコンセプトは、「患者の免疫細胞(T細胞)をがんを直接攻撃する細胞に作り変える」こと。対象とされたがんは、急性リンパ性白血病、及び慢性リンパ性白血病だった。

この免疫療法が一躍全米の注目を浴びたのは2012年12月。急性リンパ性白血病を患い、残された治療法はなく、あとは死を待つのみと宣告されていた少女(7歳)が、この治療法の臨床試験に参加して奇跡的な回復を遂げたことだった。(この成功例は当時、ニューヨークタイムスによって大きく報じられた)
その後も研究チームは、急性リンパ性白血病、及び慢性リンパ性白血病の患者を対象に臨床試験を継続。治験者は、従来の治療法である化学療法や幹細胞移殖などを繰り返したあと、ほかに残された治療方法がない人たちだったが、2013年12月に発表された結果は、75人の白血病患者のうち45人は、後に再発した患者もいるが、回復しているというものだった。

では「エイズウィルス」を使ったがん免疫療法とは、具体的にはどんなものなのか。
その流れは以下のようになる。
まず、患者本人から取り出した免疫細胞の遺伝子を、不活性化させたエイズウィルスを利用して組み替え、がん細胞を攻撃するように改変する。次に、こうして改変した免疫細胞を培養で増やした後、また患者の体内に戻す。すると、体内に戻された改変した免疫細胞が、がんを叩くという寸法である。
この改変された免疫細胞は、ほとんどのがん細胞の表面上に見られる「CD19」と呼ばれるプロテイン(タンパク質)に向かって進むようにしてあるので、結果、直接がん細胞を攻撃することになり、順調に機能すればがん細胞を破壊しはじめるのだという。

そう、ここでまたしても疑問。どうして「エイズウィルス」だったのか。
臨床試験の指揮をとるペンシルバニア大学のジュン教授によると、「(不活性化させた)エイズウィルスは、免疫細胞のDNAに入り込むのが得意だから」…だそうだ。「エイズウィルス」と聞くとみんな驚くかもしれないが、不活性化して病原性をなくしてあるから問題ないらしい。
確かに、エイズ=「免疫不全症候群」。だからエイズウィルスは免疫細胞に巧妙に進入するのだろう。

余談になるけれどこのジュン教授、取材の問い合わせをした際、ものの1時間もしないうちに返信メールをくれた。何かの役に立てばと自分の研究室にいた日本人研究者(医師)の連絡先も沿えて…。いつも思うことだけれど、リスポンスの速い人ほど素晴らしい仕事をしている。頭が下がる。

さて、このペンシルバニア大学の治療法のコンセプトそのものは50年ほど前からあり、ヒトを対象にした臨床試験も過去20年間ほど行われてきたという。しかし、患者に戻した免疫細胞をその体内で生存させるのがとても難しかったのだそうだ。試行錯誤の末、免疫細胞に組み込む遺伝子を運ぶために使う「乗り物」(ベクターと呼ぶ)に、「改変エイズウイルス」を用いたところ、いい結果が得られるようになったのだという。
このペンシルバニア大学を中心に行われている研究は大手製薬会社の協力のもと現在も着実に進んでいる。

とここまで書いてきて、25年以上前に読んだ一冊の本について触れたいと思う。
「明るいチベット医学〜病気をだまして生きていく〜」(センチュリープレス)
特別な理由もなくふと書店で手にしたものだったが、取材対象の一つの柱として自分が医療分野(…というか医療行為の神秘)に興味を持つきっかけを与えてくれた一冊だ。



明るいチベット医学



改めて著者の大工原弥太郎さんについて調べてみると、『…昭和19年生まれ。チベット医学を専攻。昭和46年インドのダージリンで診療開始。翌年ブッダガヤに移ってのち、印度山日本寺境内に私設の無料診療所を開所。以来、臨床畑を歩むかたわら、招聘に応じてたびたびイギリス、スペインでの講座講義と臨床。昭和50年に国連ユニセフ・フィールド・エキスパートとしての専属契約によりネパール、ブータン、タイ、カンボジア、ヴェトナム、チベット等で、教育・福祉・健康・医療面での諸プロジェクトに従事店』(一般社団法人・仏教情報センターHPより抜粋)とあった。

実はこの「明るいチベット医学」の中にも大変興味深い「がん治療法」が紹介されていたのだ。いま手元にその本自体がないのが残念だが、当時書いた取材メモが残っていたので以下に…。

『…病気を取り除くのではなく、いかに上手く病気と付きあっていくかが大切。例えば、チベット医学のがん治療法。これにはがんの種類、進行具合、患者の資質によって二つの方法があるという。
一つが患者の体力を落として体質改善を図る方法。この方法は主に上皮肉腫に用い、消化器、循環器以外のがんの場合に用いられる。がんはその発生から豊富な栄養をもとにしており、細胞分裂するごとに勢いを増していく病気。だから逆に、がんの進行に拮抗できるような体力の“落とし方”をすればがんの勢いも衰えるという考え方に基づいている。
例えばこんな具合だ。ある期間、ブドウ糖と塩水以外は一切患者に食べ物を与えない。そうして、ほとんど皮下脂肪が無くなった頃合をみて断食を解除、段階的に正常な消化活動を再開させる。ところが、いったん脂肪も体力もギリギリまで落ちた身体は、もう身体にとって望ましい量の食物しか受け付けなくなっている。こうなればもう“出来あがり”らしい。
通常、がんが消えてなくなることはないが、それ以上大きくなることも無く、みんなガンと同居しながら苦しみもせず10年、15年と生きていくのだという。

もう一つが、らい菌をがん患者(主に喉頭や食道、肺ガンなどの呼吸器系を中心とした、比較的症状が軽い患者) に感染させて、ガンを治す方法。この方法は患者をらい菌に感染させるまでに時間がかかるのが難だというが、らい病は、今では重症にしなければ完治させられるし、後遺症は起こらない。その治療効果は抜群だという。上手くらい菌に感染させられれば、がんは大方消えてしまうそうだ。

“医者は患者に関わりはするが結局は他人。頼りになるのは自分の身体だけだ”というのがインドの人たちの考え方だという。だから彼らは病気にならないように生きるべく、昔から語り継がれた知恵を沢山持っている。そしてそれらは、専門的な観点からみても理に適っている場合が多いのだという。…』
(以上、取材メモより抜粋)

いま改めて取材メモを読み返してみてやはりちょっと驚いた。

「らい菌」をがん患者に感染させる治療法は、いま最先端だといわれている「ポリオウィルス」や「エイズウィルス」を利用したがん治療法と通じるものがあるのでは? 当然だといわれればそれまでなのだが、つまり人が長い歴史の中で経験し、実践してきた治療法というものは21世紀の現在にいたっても、その発想に関しては脈々と息づいているということなのだろう。
遺伝子工学や分子生物学、有機・無機化学の急速な発展と共に医学そのものも様変わりしているけれど、人の身体の在りようは変わらない。たぶんそんなところなんだろうなと…。

(飯村和彦)




newyork01double at 10:12|PermalinkComments(0) 取材ノートより | 気になるBOOKs

2016年05月06日

アメリカ大統領選・トランプの勢いは侮れない!



さて、アメリカ大統領選予備選のこと。

結局、共和党の候補はトランプに。共和党の主流派の多くも、いまのトランプの勢いに屈せざるを得なかったということ。インディアナ州の予備選以降、結構多くの共和党実力者がトランプになびいた。共和党の重鎮の一人、ジョン・マケイン上院議員もトランプ支持を表明した。ともかくまずは勝ち馬に乗れ!ということらしく、そこに主義主張なり定見があるわけじゃない。政治家特有の駆け引きだ。もし定見らしきものがあったとすれば、それは「クルーズは死ぬほど嫌い」という当初からの思いかもしれない。超右派で危険な原理主義者のクルーズよりは、素っ頓狂な大口たたきの実業家、トランプの方が組みやすし…とでも思ったのか。まあ、第三者から見ればどっちもどっちなのだろうが、もしトランプが大統領選の本選でヒラリーに勝つ、などということが起きた場合は、その影響は世界に及ぶ訳だから、のんきに構えてはいられない。
トランプの同盟国は米軍の駐留経を100%負担すべきだという主張やら移民対策、貿易協定のあり方…等々、彼が本気であるなら大変な話だ。



2S
(写真:bbcより)



それでは本選の行方はどうなるのか…ということだが、実はかなり「まずい」状況になっている。なにが「まずい」のかといえば、もしかすると本当にトランプが大統領になってしまうかもしれないから。
現段階の世論調査では、ヒラリーがトランプを5〜6ポイントほどリードしているようだが、その程度の数字はあっという間にひっくり返る。特に多くの米国民から嫌われている二人による闘い(これも珍しい話だ…)だから、ちょっとしたことで形勢は逆転する。
例えば現実にはまったく即していない無理筋の主張であっても、一人でも多くの米国民が単純に「おお、そうだそうだ!」となるような主張を大声で訴えれば、間違いなく瞬時に状況は一転するに違いない。

一般的な米国民にはほとんど興味のない事柄だが、話を分かりやすくする意味で日米同盟の例で説明すると、トランプの「米国が攻撃を受けても、日本は何もしなくていい。それはフェアじゃない。だから駐留費を全額負担しないなら、駐留米軍の撤退もあり得る。アメリカはもう世界の警察にはなれないし、それだけの金もないから…」なんていうもの言いは、「おお、そうだそうだ!」となりやすい。ここでヒラリーが、「在日米軍は日本防衛のためだけに存在するのではない。朝鮮半島、中国、南シナ海など、アジア太平洋の安定は米国の国益そのものだ」なんて力説したとしても、多くの米国民はそんなことには耳を貸さないし、多分きちんと理解しようとしないだろう。

経済政策にしても、一ドルでも多くアメリカが得するための方法はなにか…に話を収斂させるに違いない。つまり、国際安全保障政策にしても対外経済政策にしても、すべてをバランスシート上の損得話にしてしまう訳だ。これって単純でわかりやすいから。
そうはいってもこれまでの国際関係上の取り決めや約束事があるから、そう簡単にはいかないだろう…と思う人も多いはずだ。もちろんその通りで、トランプが大声でいっていることが簡単に現実になる訳じゃない。しかし…だ。トランプやヒラリーはいま実際に安全保障問題や経済政策の舵取りをしている訳じゃない。やっているのはあくまでも「選挙戦」でしかない。だからそこでの目標は、いかにして選挙で一人でも多くの米国民に「おお、そうだそうだ!」と思わせるかが重要で、その意味ではトランプのものいいは、今のアメリカ社会では実に有効に機能しているのだ。
質はまったく違うけれど民主党のサンダースが、「1%の金持ちだけが得をしている格差社会」を大きな問題として、その改革を進めるための「夢」を分かりやすく語って圧倒的に若い世代の支持を集めているのと似ていなくもない。そこに実効性がなくても多くの人がサンダースに票を入れている訳だから。

こう考えてくると、俄然トランプが有利に思えてくる。大きな流れで見れば、暴言でアピールして支持を得てきたトランプは、本選で少しだけ軌道修正すればヒラリー嫌いの浮動票を結構簡単に獲得できるように思える。
実際トランプは、早くも政策を軌道修正。法定最低賃金について昨年11月には「上げない」といっていたのに、最新のインタビューでは最低賃金引き上げを示唆。「私は大部分の共和党員とは違うんだ」と嘘ぶいている。

一方ヒラリーはといえば、本選に勝つために必要な共和党穏健派の票を取り込むために、現状よりさらに保守に傾倒する必要がある。これ、かなり大変なことで、下手をすると民主党左派(つまりサンダースを支持しているような人たち)の票をぐん〜と減らすことにも繋がりかねない。それでなくてもサンダースは、この期に及んでも「最後まで頑張る!」と意気軒昂な訳だから、予備選が終わったあと、本選に向けてすんなりと民主党がまとまるとは考えにくい。だからといってヒラリーが、サンダースを副大統領候補にするとも思えないし。
ただ、人気、実力ともに高いマサチューセッツ州選出の上院議員、エリザベス・ウォーレンを副大統領候補にする…というのは悪くないアイディアに思える。彼女の実力は折り紙つきだし、多分、ヒラリーより大統領にふさわしいぐらいの人物だから。彼女はサンダースと考え方が近い(けれども彼の支持を表明している訳ではない)から、その支持層もサンダースと重なる。当然ながらこの場合、民主党の正副大統領候補が女性ということになる訳だが…。

とにもかくにも今回のアメリカ大統領選挙は、「前例のない」もの、もしかすると不毛な議論や誹謗中傷が乱れ飛ぶ、最低のものになるかもしれない。

(飯村和彦)




newyork01double at 09:07|PermalinkComments(0) 取材ノートより | 週末だから!

2016年03月24日

ISとの対峙方法は?見えない敵との闘い方は?



ベルギー・ブリュッセルで発生したISによるテロを受けて、
アメリカ国内も厳重な警戒態勢が敷かれている。
ニューヨークやロサンゼルス等の空港や駅、繁華街では、
重火器で武装した大勢の警官が眼光鋭く、警戒に当たっている。
確かに、いたるところに武装した警官が存在することは、
「当局が安全確保に力を尽くしている」
という安心感を一般市民に与えるのかもしれない。
もちろん、「大変なことになっている」
という不安感を掻き立てられる人もいるだろうが、
どちらかといえば少しは安心するのだろう。

けれども、
テロ行為そのものを抑止する効果がどれだけあるのか…
との疑問もよぎる。
テロリストにしてみれば、
避けるべき対象(武装した警官等)がはっきりする分、
対抗手段を編み出しやすくなるのでは…と思ってしまう。
そもそも重火器そのもので、
テロリストによる自爆テロ(あるいは爆弾テロ)を抑えることができるのか?





厳戒態勢
(写真:CBSニュースサイトより)




以前取材したテロ対策の元責任者は、
「テロは防ぎようがない。
なぜならテロ行為の主導権を握っているのは、
いつだってテロリストの方だから」
と話していた。
意味するところは、
テロは起きてみないとその「時と場所」は分からないということだ。
稀に「事前にテロを防いだ」という発表がなされることはあるが、
しかしその反動は何倍にもなって帰ってくることが多い。
つまり“見えない敵”の先手を打って相手を見つけ、闘い、
圧するのはそれだけ難しいということだ。

であるならどうだろう、
相手が見えないのなら、こちらも見えない形で対峙してみては? 
マシンガンを携えた警官を大量に街に配備するのと同程度の規模で、
一般市民にしか見えない大勢の警官、
つまり私服警官を大勢配置してテロ警戒に当たらせる。

少なくとも「私服警官」の方が、
重武装した警官より、今まさにテロを実行しようとしているテロリストに対し、
より近くに「存在できる」可能性は高くなるだろう。
上手くいけば、
それとは知らずにそばに居合わせたテロリストを確保できるかもしれない。

しかしそうはいっても、
「私服警官」が辺りにたくさんいるという状況は、
普通に日常生活を送る一般市民にしてみれば居心地が悪いのも確か。
テロ対策とはいえ、
自分の気づかないところで監視されるのを快くは受け入れがたい。
昨今、街中に監視カメラが設置されていて、
四六時中見張られている現実もあるけれど。

もちろん、
「私服警官」の増員等の対策は既に取り入れているのかもしれない。
(ただ、その事実がテロ組織側に周知されていないと抑止効果は低くなる…)
さらには「素人の浅知恵。そんなに甘くない」ともいわれるだろうが、
少なくとも、、
街に重火器をもった警官が溢れる現状が最適だとは思えない。
狡猾な連中に正攻法は通じないだろうから。

拳が震えるほど悔しいが、
今ごろISの連中は、ほくそ笑んでいるに違いない。
パリに続き、ブリュッセルでも大規模テロを成功させたばかりか、
そのテロを受け、
世界中がまたも厳戒態勢に入って騒然としている訳だから。
マシンガンを抱えた多数の警官が、
ニューヨーク地下鉄の入り口に立つ光景をニュースで見ながら、
連中は「(今回も)目的達成…」と実感していることだろう。

ISの最終目的は、
自分たち(といってもほんの僅かな限られた人数らしい)以外の人間を
この世から排除することだという。
その手段が、
自分たち以外の人間同士、
国家間や勢力同士で殺し合いをさせることであり、
自分たちへの憎悪を増幅させ、
自分たちのもとにできるだけ多くの人間をおびき寄せ、
そこで殺戮を繰り返すこと。

例えば、
有志連合による空爆で一般市民の犠牲がでてもなんとも思わない。
誰であれ、最終的に「他の人間」は必要ないのだから。

したがって、
ISの思考の中には「話し合いでの解決」という項目はないのだという。
自分たち以外の存在を認めないわけだから、
ネゴシエーションの余地もない。

そんな連中に対峙していくのは容易なことじゃない。
心を開いて話したくても受け付けないだろうし、
力でねじ伏せるには、
こちら側の犠牲が多くなり過ぎる(既にかなりの犠牲がでている)。

「テロには屈しない」と声高に叫んでも、
連中にはまったく響かないだろうし。

じゃあどうすればいい?
わからない。
でも、わらないことをまず認めないと先へも進めない気がする。
酷く自分が無力に思えるけれど、諦めるわけにもいかない。
ただ、
童話にある「北風」のようにはならないように心がけたいと思う。
例え、「太陽」がまったく力を発揮できない相手だとしても…。

(飯村和彦)




newyork01double at 06:38|PermalinkComments(0) テロとの戦い | 世界の風景

2015年11月23日

「ミルキーと散歩」〜写詩集「ダブル2」より〜




「ミルキーと散歩」

ミルキーというのは…、そう猫だ。
十年前、公園に捨てられていた。
目が開いたばかりのチビ。
彼女も、僕たちと一緒にアメリカにきた。
四年前のことだ。

東京と違って、ここでは自由に野原を走る。
散歩だって一緒に歩く。
釣りへもいく。

信じられる?

でもそんなミルキー、2年前に殺された。
理由はあれこれ。

自由の代償?

まったく、違う。
彼女には、ひとかけらの落ち度もなかったから。







「A walk with Milky」

Yes, Milky was a cat.
Ten years ago, someone left her in a box in the park.
She was tiny and her eyes were still closed.
She moved with us to America in 2011.
Unlike in Tokyo, she was free to roam the fields.
We'd go on walks together.
She'd even go fishing with me.
Can you believe that?
But two years ago, someone killed her.
The price of freedom?
Milky cannot be blamed one iota.










(飯村和彦)


newyork01double at 10:50|PermalinkComments(0) 猫の話 | マサチューセッツ州・Amherst