2006年01月31日

いづれ死んでいく父からの伝言(1)



…ここで、私事を書き綴るのはいかがなものか?
と、長いこと逡巡していたのですが、
思い付いたことは全面的に受け入れるべきなのだろう、
との結論に至り、
「息子が生まれた日」の「記憶」について、
書くことにしました。

今後、「いづれ死んでいく父からの伝言」というカテゴリーで、
定期的にアップしていきますので、
興味のある方は、読んでみて下さい。


……………………………………………………………………



「いづれ死んでいく父からの伝言」(1)



事態が一気に動いたのは、
7月24日の晩のことだった。

二日連続の熱帯夜に心底うんざりしていた父さんは、
リビングに寝転がり、
控えめな音量で「ニュースステーション」を見ていた。
「野茂は逃げないところがいいですよね。
それにプロっぽい。
プロの野球選手をつかまえて、
こんなことをいうのは失礼かもしれませんが、
海外にでた日本人にありがちな、
媚びたところがまったくない」

野茂をほめちぎるコメンテーターの弁舌を耳にして、
――自分がアメリカに住んでいたときは、どうだったか…。
と、ふと思い、
――そういえば、意味もなく作り笑いなんかを浮かべていたな。
などと自嘲していると、
隣の四畳半の和室から、
やや切迫した母さんの声が聞こえてきた。


金色の君


「あっ、きたきた。痛〜い!」

丁度スポーツコーナーが終わり、
久米さんの、
「CMです」というコメントで、
番組がコマーシャルに入ったときだったので、
時刻は夜の11時2、3分といったところ。

急いで襖をあけ、照明の落とされた部屋の中をのぞいてみると、
タンクトップ姿の母さんが、仰向けに寝転がり、
ひょろ長い両方の手足で、
せり出したおなかを抱え込むようにしてもがいていた。

またかな…。とは思ったのだが、
「背中でもさすろうか?」
というと、母さんは、
「いよいよ、かも…」
と短く応え、体勢を横向きにかえた。
父さんは、母さんを跨ぐような格好で膝を折り、
左の手の平で突き出た腹部を、
右の手の平では汗ばんだ背中を撫でながら、いった。
「でも、予定日まであと二週間もあるんだから、
まだなんじゃないの。
グーがまた、なかで暴れているだけさ」

その頃の母さんは、
なにかというと背中を丸めて、
「痛い、痛い」というのが口癖のようになっていたので、
父さんもそんな軽口を叩いたのだ。
助産婦の横田さんからは、
8月7日が予定日だと聞かされていた。

けれども、母さんは、時折顔を引きつらせながらも、
自信に満ちた表情で言い張った。
「これは違う。痛いッ、これ陣痛よ。グーが出てくる」
グーというのは君が母さんの胎内にいたときの呼び名で、
英語のグッドから取ったもの。
〈いい子が生まれるように…〉
という父さんたちの願いが込められていた。

「うそ、それまずよ。あしたの午前中はロケがあるんだ。
終戦当時外務大臣をしていた東郷さんの奥さんに、
大事な資料を見せてもらうことになっているんだから」

父さんはテレビの報道番組のディレクターだった。
「だから?」
だからどうなの? とまではいわなかったけれど、
母さんの心中はそんなところ。
33歳での初産。
年齢はともかく、「出産には絶対に立ちあうから」と、
父さんは母さんに約束していたのだ。

「だから…、どうしよう。
でも今からじゃどうにもならない。
ここはグーに、もうしばらく待ってもらうしかないな」

それまでの数週間、
父さんは日本がどんな形で終戦に向かっていったのか、
関連資料を再検証しながら取材を進めていた。
広島に原爆が投下された後ですら、当時の陸軍大臣は、
〈大和民族の名誉のため戦い続けている中には、
なんらかのチャンスがある。
…死中活を求むる戦法に出づれば完敗を喫することなく、
むしろ戦局を好転させうる公算もありうる〉
などといっていたのだ。

事実に屈することを拒む人。
戦争は人を狂気に走らせる、とはよくいったものだ。
そんな陸軍の強行意見に異を唱えていたのが東郷茂徳外相で、
父さんは、
その外相が書き残した「時代の一面」という手記の原本を、
東郷夫人に見せてもらうことになっていた。

取材スケジュールの調整をしたとき、
母さんの出産が間近に迫っているということは、
もちろん、わかっていたのだが、
予定日の十日以上も前ならなんとかなるだろう、
と父さんは高をくくっていた。
それがよりによって、
大切なロケの当日に出産がぶつかってしまったのだ。

ロケというのは、
カメラマンや音声エンジニアと一緒に取材に出かけることで、
父さん一人の都合でスケジュールを変えるのは難しいというか、
なるべく避けたかった。
それに、番組の都合に合わせて予定を組んでくれた、
東郷夫人にも申し訳ない。

けれども、母さんは、
波のように押し寄せる痛みに顔を歪めながら訴えた。
「そんなことグーにいってもだめよ。
もうすぐ出てくるんだから。
そのロケ、誰かに代わってもらえないの?」

額にはねっとりとした汗が浮かび、
蛍光灯の青白い光をそのまま映していた。
「そんなこといったってあんた、無理だよ」
「どうにかして!」

こうなると女性というのは強いもの。
仕方なく、
一緒に戦後五十年企画を担当していた、
一人の女性記者の自宅に電話を入れた。
ふと腕時計に目を落とすと、
時計の針はとうに午前零時を回っていた。

ここで父さんが女性記者を選んで電話をしたのには訳があって、
女性ならこんな場合少しは同情してくれて、
なんとか差し繰ってくれるのでは…、
という淡い期待があったからだった。

だが、世の中はそんなに甘いものではない。
放送を二週間後に控えたこの時期、
担当スタッフはみんな代役の効かない大事な取材を抱えている。
当然、その女性記者とて例外ではなかった。
「ごめんね、大丈夫?」
心なし弱い響きの、くぐもった声だった。

もし、そこで、母さんが自宅出産を予定していること、
それには夫である父さんの存在がいかに重要であるかを、
彼女に蕩々と説明していれば、ひょっとしたら、
〈じゃ、なんとか〉
という話になったのかも知れないのだが、
父さんは自宅出産についてはひと言も触れずに、
「まあ、なんとか…、なんとかなるさ」
といって受話器を置いた。
なにがどう〈なんとかなる〉のか、
父さんにきちんとした根拠などあろうはずないのだが仕方ない、
〈なんとかなる〉と信じ込んだのだ。

「どうだった?」
母さんだ。
電話での会話をそばにきて聞いていたのだから、
結果が芳しくないのは察しているはずなのに、
あえてそんな質問をぶつけてくる。

「やっぱりどうにもならない。グーに頑張ってもらうしかない」
なにが〈やっぱり〉なのか。
自分でいうのもなんだが、
相当いい加減、無茶苦茶な話だと思った。
今さっき〈なんとかなる〉と口にしておきながら、
その舌の根の渇かぬうちにまた、
〈どうにもならない〉に変わってしまうのだから。

「大丈夫、グーならできるさ」

そんな父さんの蓋然性の低い推測を背中で聞きながら、
母さんは和室に戻った。
そして、枕元にあった麦茶の入ったグラスを手にすると、
ほんの少しだけ口に含んだ。
その仕草は、
スリッピーなグラスの縁にとまって水を飲む小鳥のようで、
どこか危うい雰囲気だった。

母さんは、ゆっくりと顔をあげると静かにいった。
「あした、何時に取材が終わるの?」
社発が9時半。西麻布の東郷邸着は遅くても9時50分…。
「約束が10時だから、
セッチングして、インタビューをして、
そのあと手記を接写する時間を入れても、
昼までには終わるはずだけど」

父さんのその言葉を聞いて、母さんは意を決したようだった。
息を一つ、フッと吐きだすと凛とした声でいった。
視線は膨らんだおなかに、
つまり君に真っ直ぐ向けられていたが、
同時に自分自身を見ているようでもあった。

「仕方ない。グー、なんとかなるね。もうすこし我慢してね」

窓の外では、
碑さくら通りを走るバイクの低いエンジン音が響いていた。
父さんたちの住んでいたマンションがあったのは、
ダイエー碑文谷店と円融寺を直線で結んだ丁度まん中あたり。
ずいぶん前になるが、
松田聖子が結婚式をあげて一躍全国的に有名になった、
サレジオ教会も目と鼻の先だ。
辺り一帯には桜の木が多く、
晩春にはルーフバルコニーから桜吹雪を堪能することもできた。

〈確か、円融寺の近くにハーレーを売る店があったな…〉

バイクのエンジン音を耳にした父さんはそんなこと考えていた。
ハーレーに円融寺に桜吹雪…。
どれもこれも母さんの決意とはまったく無関係だった。
つくづく人間の脳というのは奇妙なものだ。

それからというもの母さんは、
6分から9分おきにやってくる陣痛の波に耐えながら、
君に言葉をかけはじめた。

「ごめんね、もう少しの辛抱よ。
もうちょっとだけ待ってね。
父さんはあした、大事なお仕事があるの。
グーだっておなかから出てきた時に、
父さんがいた方がいいでしょう? 
それに父さん、一生懸命だったのよ。
母さんと一緒に準備クラスへ通って、
マッサージの練習までしてくれたんだから」

[…続く]

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(飯村和彦)


newyork01double at 11:47|PermalinkComments(16) ダブル 

2006年01月30日

取材中!




ねこ
(撮影:息子)

私は、………移動中。
ミルキーは、入院中。

(飯村和彦)

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newyork01double at 23:20|PermalinkComments(2) 息子が撮った写真! | 猫の話

2006年01月29日

彼がカメラマンです!



なんというか…
息子、
下のような感じで、バシバシと
写真を撮っている訳です。



カメラマンだ!



ちなみに、
この「息子の写真」を撮影したのは、娘です。
今度、
娘の作品集もアップしようと、
親馬鹿な私は考えています。

 …………

(飯村和彦)


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newyork01double at 21:24|PermalinkComments(12) 家族/ 子育て | ダブル

2006年01月28日

「シマウマ」が狙う獲物とは?…週末だから!




相当、いいゾ!

久しぶりの「週末だから!」
きょうは、
このところ、
とみに写真に没頭している、
息子の「作品」から。




息子いわく「シマウマ」らしい

シマウマらしい


そういわれれば、なるほど…である。
確かに「縞」だ。
でも、ちょっと毛並みがなあ…。




「シマウマ」が狙っているのは?

カメを狙う


「獲物」を狙う「シマウマ」の目がいいなあ…。
野生を感じるゾ。
さあ、どうするんだ? 君は!




正体は「ルル」だ!

るるだ!


「ルル」は4年前に、我が家にやってきたカメだ。
水陸両用とでも表現しようか?
彼女(…メスですから)は、陸でも水中でもOKだ。




逡巡する「シマウマ」

るるとミルキー


ミルキー、じゃなくて「シマウマ」
飛び掛りたいのだが、
どうしても踏ん切りがつかない。

このモジモジしているときの猫、じゃなくて「シマウマ」
たまらない…。
が、「はっきりせい!」
と一喝したくもなる。

息子よ、ナイスな写真だ!

(飯村和彦)

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newyork01double at 10:52|PermalinkComments(22) 息子が撮った写真! | 猫の話

2006年01月27日

あたたかい鹿の角…中国[世界風景]




きのうに続いて、
中国・海南島から…。



角、薬用らしい

鹿の角


特別な種類の鹿。
立派な角だ。
奇妙な「ぶつぶつ」がある。
この角は、薬用なのだという。

そこで、
恐る恐る触ってみて、驚いた。
これが、温かいのだ。
それも、かなり…。



少数民族の居住区へ

マイノリティの子供たち


小型トラックの荷台に乗って約30分。
モスクのある小さな集落だった。
道に降り立つと、
瞬く間に子供たちに囲まれた。



「皿うどん」をご馳走になった!

皿うどん


昼食である。
野菜の沢山入った皿うどん。
味は、まあ…。
それよりなにより、
家の外には、
ご近所さんが沢山集合…。
「観察」されながらの食事である。

ちょっとだけ、恥ずかしいぜ!



この女性、何歳に見える?

飾り帽子


この女性が、
勇敢にも!!
私たちを自宅に招いてくれた。
つまり、
普通であれば、「ぶらり…」と訪れることなどできない。

駅前で、外貨両替をしていた彼女に、
中国人の義弟が、「居住区訪問」を頼んだのだ。
通常なら、ダメ!
と言われ、それまで。
ところが、どういう訳か、
彼女は二つ返事で私たちを招いてくれた。
どうもありがとう!

さて、そこで問題。
彼女は何歳だと思いますか?

答えは…

  ↓
  ↓
  ↓

「30代前半」

彼女の人生、
その「苦労」が表情にも表れている。

けれども、
すこぶる明るい。
「風邪薬がない」とこぼしていても、目は溌剌としている。
さらに、子供がまた可愛い。

「美しい帽子」
これは、彼ら民族の誇りでもある。

(飯村和彦)

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newyork01double at 13:19|PermalinkComments(16) 世界の風景 

2006年01月26日

中国・海南島で見た「お尻」…[世界風景・中国]




携帯電話は、
中国、農村部にまで普及しはじめたという。
人口約12億人の大国。
その「お喋り」も、さぞ賑やかになるのだろう。

きょうは、
そんな中国の「中国らしい」風景を…。
高層ビルが立ち並ぶ上海や北京が、
中国の姿だと考えていると、現実を見失う。

中国最大の島「海南島」。
もっとも、台湾を中国とするなら、
「中国で2番目に大きな島」ということになるのだが…



便利な子供服だ!

赤ちゃんのお尻


これだと、あっという間に「こと」を済ませられる。
けれども、子供…、
お尻がスースーして寒いだろうなあ。



活気、ある?

町並み自転車



小さなこの街に、
やおら、高層ビルが立ち並ぶ可能性は…?



元気かい?

浜辺の子供たち


カメラを見つけるやいなや、
ゾゾゾっと集まってきた子供たち。
どうだい? 毎日、楽しい?



小舟が…

小船で


木製の舟。大活躍である。
余談だが、
男性たちが着ているジャケットの袖口には、
メーカーの「布製タグ」が付いたままの場合が多い。
ちょっとした「ブランド志向」



あれ、クマノミも食べるの?

豊漁か


砂浜で行なわれていた、
「底引き網漁」でとれた魚。
この後、
漁に参加した漁師による熾烈な争奪戦が始まった。



でっかいパイプだなあ…

パイプ


魚の分捕り合戦を仕切った長老。
木製の、
でっかいパイプを抱えて、「一服」だ。

昨年のGDP(国内総生産)伸び率、9.9%の中国。
けれども、
そんな数字とは無縁の人たちが、大半なのでは?

「ニューヨーク」=アメリカ
ではないのと同じように、
「上海・北京」=中国
でもない。

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:36|PermalinkComments(23) 世界の風景 

2006年01月25日

出発…それは少し死ぬこと




娘カメラ



「父さん…小指の横にあるのは、お兄さん指?」
眠りに落ちる寸前、娘がそう聞いてきた。
「それって、薬指だよ」
と、答えた。そして、続けた。
「お兄さん指は、人先指の隣で…」
けれども、娘は既に寝息を立てていた。

これが幸せ。
誰にも壊されたくない、
命がけで守るシアワセだ。

そのとき、ふいに最近見かけた文言を思い出した。

――出発すること。それは少し死ぬことだ――

『水と夢』より。
ガストン・ヴァシュラールの言葉だそうだ。

自分の横で、
満足げな表情で眠っている娘。
どんな夢を見ている?
彼女も毎日、新たな「出発」を繰り返す。
そして、その度ごとに「少し死ぬ」…のか?

春夏秋冬…
あと何度、自分は娘とその四季を共にできるのか…
きょうも晴天。気温、やや低し。

(飯村和彦)

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newyork01double at 10:52|PermalinkComments(8) ダブル | 家族/ 子育て

2006年01月24日

詐欺師の末路…ホリエ的集団



No.30
a con man
セコイ詐欺師
ずるがしこい悪党


口八丁、手八丁で相手を騙して、
セコイ金を巻き上げる…
ずる賢い悪党のこと。

ホームレスのフリをして「I love NY」のカップなどを差しだし、
小銭を頂戴しておきながら、
夕方、タクシーで家路につくような輩から、
噴飯極まりない、
ずるがしこい悪党まで…。
ともかく、セコイ詐欺師は…「a con man」


NY


詐欺師の末路…ホリエ的集団

逮捕容疑が事実だとすれば、
IT業界、最低最悪の「a con man」である。

扱っていた金は巨額だが、
小銭を騙し取る、ニューヨークの悪党より、
何億倍もセコく、ずる賢い。

先日、渋谷の街を歩いていると、
ストリートボーイズたちのこんな会話が聞こえてきた。

「やっぱ、株でしょ、儲けるなら」
「今、買い時だよね」
「本当?」
「ネットでカチャカチャ…」
「結構な金になる」
「うそ、俺も株の勉強しよう」

正確な文言ではないが、
まあ、こんな会話だった。

堀江貴文容疑者は、彼自身だけではなく、
多くの「ホリエ的人間」を誕生させた。
「ネットでカチャカチャ…」
それで大金が転がり込んでくると本気で思っている。

冷静に考えれば、
歪みきった話である。


ホリエ逮捕


「人生ゲームM&A」だって?
それが発売から10万個以上も売れているんだって?
なんだろう…
この空虚な気持ち。

かつて、
似たような心境に陥ったことがあった。
あれは、
「オウム事件」を取材しているとき…

「オウム的な集団」と「ホリエ的な集団」
質はまったく違うが、
漂う空気は、どこか似ている。
「マネー」と「麻原」
信じたものは違っていても、
虚飾性という意味では、同じしゃないか?

人を騙してなんぼ…。
ああ、情けない。

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:00|PermalinkComments(16) カッコイイ英語 | 東京story

2006年01月23日

鏡の向こう側…心の青空を求めて!



ちょっと古いけれど、時には、こんな本を…。
『Nobody Nowhere』(Donna Williams 著)
…日本語版あり。
「自閉症だった私へ」(新潮社)…続編も出版されている!


自閉症少女、ドナ・ウィリアムスが鏡の中に見ていた世界とは?


グラセン


気違い、聾(Deaf) 、知恵遅れ、乱暴者。
幼少期から彼女には幾つものレッテルが貼られていた。
しかし、彼女は気違いでも知恵遅れでもなかった。
他者との接し方が分からない、
必要以上の他者の接近がどうしても耐えられない。

結果、彼女は自分の中に自分自身の世界を作り、
自分の世界の中で生きていた。

『自閉症とは何か?』

人はよく“自閉症”という言葉を使うが、
実際はそれがいかなる病気で、
どんな症状を伴うものなのかを正しくは理解していない。
更には、専門であるはずの精神分析医でさえ、
その実態をきちんとは把握していないという。

よって、自閉症児に対して間違った対応をしている場合も数多い。
この本は、自閉症少女本人が見てきた世界、味わった苦悩、
感じてきた対人間関係の苦悩を、
彼女自身が必死の思いで書き記した自伝である。

───では、自閉症少女、ドナが見てきた世界とはどんな世界だったか?

家族をも含む、他者の接近から逃れるためにドナが作りだした彼女の世界。
その世界に逃げ込んでいる時だけ、彼女は安心できたという。
幼児期にはすでに出来上がっていたその世界とは一体どんな世界だったのか。
また、そんな彼女だけの世界に立ち入る事が出来た数少ない人物、
彼らは何故その世界に招かれる事が出来たのか。

───自閉症少女、ドナにとっての他者とは一体どんな存在だったのか?

土足で彼女の世界に勝手に入りこむ他者たち。
それは、母であり兄であり、
また、彼女とCommunication を持とうとする全ての現実世界の人間たちだった。
彼女には彼らが話す言葉さえ恐怖の対象であり、
それが彼女に向けられた途端、彼女は彼女の世界に逃げ込む。

また、そんな他者と付き合っていく為に彼女が作り出した、
キャロル、ウィリーなる人物像。
彼らは彼女との関係の中でどんな役割を果たしていたのか?

───自閉症少女、ドナが作り出した自分以外のもう二人の人物の意味とは?

明るい性格のキャロルが上手く他者と付き合い、
現状認識に長け時に暴力的なウィリーが、
必要以上にドナに接近してきた他者を払い退ける。
そして、ドナはまた彼女の世界に閉じ籠もる。

しかし、自閉症少女ドナは多重人格ではない。
なぜなら、そこには常にドナがいた訳だから。
増してや、精神分裂患者でもない。


パーキングに男


───自閉症少女、ドナにとっての現実世界とは?
───自閉症少女、ドナが自己としてのドナをどう見つけだしていったのか?

他者との意志疎通が出来ないドナ。
母親を含む、まわりの人間は彼女を“気違い”と呼んだ。
現実の世界とドナの世界の間にある壁。
安息できる自分の場所を求めて少女は転々と彷徨う。

ある時は道端に住処を探し、
またある時は男に身を任せる。
笑顔で気立てのいいキャロルと用心坊的存在のウィリー。
ドナはいつもこの二人の影に隠れ、なかなか表に出たがらない。
“普通の人間”、“尊敬される人間”に対する憧れ、
自分が他の人と何か違っていると気づいた彼女は、
“普通(Normal) ”を渇望し始める。

苦しみ悩み、時には自分を傷つけながら、
それでも彼女は、自活して高校を卒業し、大学へと進んだ。
自分自身を見つける事、
自分の世界と現実の世界との架け橋を見つけること…
ドナは必死で自分を見つける旅にも出た。

そして、25歳の時、彼女は“Autism”という言葉を発見した。
Autism (自閉症) …
勿論それを理解する事が全てではなかったが、
彼女はその言葉の中から、
現実の世界に架かる橋を見つけるチャンスを得たのだった。


ドナさんと共に、自分探しの旅にでる。
良くも悪くも、
きっと、その人なりの発見があるはず…。

(飯村和彦)

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newyork01double at 10:01|PermalinkComments(23) 気になるBOOKs | 取材ノートより

2006年01月22日

マンハッタンの雪…世界風景:[アメリカ]




きのう東京は「TOKYOなりの大雪」
…で、
「NEWYORKの雪」を思い出した。





マンハッタン雪







標識








ニューヨーク雪の朝





マンハッタンの雪。
…嫌いじゃない。
風の強い日に比べれば、
120倍いい。
もちろん、
滑って歩きにくかったり…難儀はする。

けれども、
キリキリ肌を刺しながら、
ビルの谷間を吹き抜ける、
あの容赦ない風よりは、よっぽどいい。

(飯村和彦)

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newyork01double at 13:10|PermalinkComments(14) 世界の風景 | ニューヨーク

猫、手術は延期!




ミルキー、
「白血球が少ない!」
ということで、
不妊手術は今月末に延期。


猫と雪景色


血液検査の結果である。
おそらく、
先週受けた「ワクチン」の影響だろう…とのこと。

もうしばらく、彼女には、
「春の蠢き」
に耐えてもらうしかない。


雪と太陽


きょうはキリッとした、
青空。
当然、子供たちは屋上へ…。


雪と子供と屋上


綺麗な(?)雪を集めて、
「アイスクリーム」を作るのだ。
で、ミルクとバニラを入れて本当に!食べる。
きのう、既に試食済み。
まあ、食べ過ぎなければ、
お腹を壊すこともあるまい…。

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:17|PermalinkComments(7) 猫の話 | 家族/ 子育て

2006年01月21日

猫と雪の中へ!




雪の降り方が予想以上に激しいので、
計画変更。
猫・ミルキーの手術への立会いは、
妻だけにした。

子供たちと私は、
明日、迎えにいく役回りにした。

で、当のミルキーだが、
リュックに潜り込んで遊んでいたのだが、
眠ってしまった。
このまま、病院へと運ばれる。


猫袋


雪の中へ。


雪の中


「She」から「it」へ…
ミルキーの不妊手術報告は明日に!

(飯村和彦)

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newyork01double at 15:09|PermalinkComments(8) 東京story | 猫の話

雪と「猫」手術前




明け方から、東京は雪。
きょう一日、
降り続くのだという。

猫のミルキーは、明け方まで煩かった。
「春」が腰のあたりで蠢くらしい。
さらに、
昨晩9時以降、ものを食べていないので、
腹も減ってるはず。

外の雪を眺めて気を紛らす。


雪見る猫



手術は午後3時。


猫アップ2


それまで、もう少し。


猫越し雪



一方、
子供たちは、さっそく雪遊び。
手始めに、屋上へあがった。


雪投げ


カメラを構えると、
やおら、雪の固まりが飛んできた。
これだよ…まったく!

午後、
ミルキーの手術には、みんなが立ち会う。
「家族」の大手術だから。

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:54|PermalinkComments(2) 猫の話 | 東京story

2006年01月20日

ニューヨークの風景




これといった理由はないけれど、
きょうは、
ニューヨークの街角の風景を少々。
まあ、「ライブドア問題」に多少、うんざりしてもいるので…。



よくある落書き

落書き


ニューヨークのあちこちで見かける「落書き」
街に溶け込んじゃっているので、
これを消したところで、
「何が、変わったの?」
という感じの代物だ。

1月17日。
日本では、最高裁第三小法廷が、
「トイレの落書き=建造物破損」
の判断を示した。
実はこの判断、同罪について、
最高裁の始めての判断なのだという。

これで、
杉並区の公衆トイレに、
「反戦」などの落書きをした男性の、
「懲役1年2ヶ月執行猶予3年」の刑が確定した。

…この判断には頷ける。
確かにあちこちで見るトイレの落書きは酷すぎる。

さて、
この最高裁の判断をニューヨークに置き換えてみると?
…難しいなあ。
下品極まりないものもあるけど、
役所が「アート」と認めるような落書きもあるし…。



壁アートだ


↑私が気に入っている写真。よりて、このブログへは2度目の登場!




洗濯の人

洗濯だ



East 51丁目にある洗濯屋さんのおじさん。
韓国人。
真面目で働き者…であって融通もきく。

マンハッタンには、
このおじさんのように、
「洗濯の人」で、
一定の成功を収める韓国人が少なくない。
生活力の固まり、なのだ。




「反戦」ライダーたち

バイクだ



でっかいバイクにまたがった中年ライダー。
ときどき、集団で、
ニューヨークの街中を疾走している。
もちろん、あの音はやかましい。
ところが、
よく見ると腕に「黄色いリボン」なんかを付けている。

で、話してみると、
極めてインテリなおじさんだったりするのだ。
「信念」をもった中年ライダー。
結構、格好いい。
なかなか日本では見かけないタイプの中年なのだ。

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:39|PermalinkComments(18) ニューヨーク 

2006年01月18日

「負け組」って何に負けたの?



No.29
a drop in the bucket
たいしたことじゃない。
それほどでもない。


主に、お金に関して。
例えば、彼女の誕生日のプレゼントに、
奮発して$500もする、
ティファニーのネックレスを買ったとする。
すると彼女が、
「これ、高かったでしょう!」
と聞いてきた。
そこで、
「It was just a drop in the bucket.」
(たいしたことないよ)
と軽く答える。
実際は、かなりの出費で、次の給料日まで、
どうやって暮らそうかと悩んでいても…である。


ティファニー



「負け組」って何に負けたの?


ここ数年、頻繁に目にする言葉。
「勝ち組」
「負け組」
大嫌いな言葉だ。

そこで新聞(1月18日・朝日新聞4面)を眺めてみる。

…堀江氏は六本木ヒルズに陣取る「勝ち組」の象徴。
 一方で、日本には、
「格差拡大社会」「下流社会」が忍び寄る。
 …小泉自民党としては、堀江氏のイメージ悪化が、
政権のイメージに重なることを警戒している…

…民主党の鳩山由紀夫幹事長は、
「勝ち組」をチヤホヤすることではなく、
「負け組」に入れられた人たちに立ち直ってもらい、
人生の喜びを感じてもらえるような道を提示することが、
政治の役割だとも力説し…

これってどうしてなのだろう?
どうして、こうなっちゃうのか…と思わない?

どうしてみんなが「勝ち組」と「負け組」に、
分類されないといけなの?

「六本木ヒルズに陣取る」=「勝ち組」
まず、この図式もおかしい。
このことは、堀江氏の会社が強制捜査を受けた現実が、
それが幻想だったことを物語っている。

一方、

「負け組に入れられた人たち」という鳩山さんの表現。
誰が、いつ、どんな理由、尺度で、
「人」を「負け組」に入れたの?
鳩山さん、それってやっぱり、
自分が「勝ち組」だと思っているからじゃない?



街と空



収入が少ない人が「負け組」なの?
立派な家に住んでいれば「勝ち組」なの?

違うよなあ…。全然ちがう。

人生や生き方に「勝ち負け」なんかないでしょ?
でも、何故か、みんなそれにこだわる。
勿論、収入が多いに越したことはない。
料亭で“フグちり”なんかをたらふく食べたい。

けれども、
家族で近所のスーパーに買出しにいって、
ひとパック400円のキムチと、
100グラム220円の豚肉…等々を買って、
家でわいわい“キムチ鍋”をつつくのだって幸せじゃない?

なんでもかんでも、
二つに分類するのってまったく意味がない。
一見、分かりやすそうで、
「そうなのか…」
と人を思い込ませる魔力のようなものがあるけど、
実際は、
まったく!…実態を表していない。

「勝ち組」をチヤホヤする政治など論外だが、
「負け組みに入れられた人たちに立ち直ってもらう」
という政治も、まったく実際的じゃない。
曖昧過ぎる。

政治って本当は、
そんな「曖昧さ」を丁寧に見極める事なのだと思わない?

彼女や奥さんへ、
ちょっと見栄を張ったプレゼントをして、
「It was just a drop in the bucket.」
(たいしたことないよ)
なんていいながら、財布の中身を心配する。
でも、
それってハッピーじゃない?
そんな痩せ我慢が、なんとかできる生活。
これって「勝ち組・負け組」なんていうのとは、
まったく別次元の話。
でも、悪くないと思うけどなあ…。

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:23|PermalinkComments(24) 東京story | カッコイイ英語

2006年01月16日

匿名社会の罪!龍桜くん事件



顔がでないから、
面白半分に
勝手な証言。
そんな無責任な行為が、
人を不幸のどん底に陥れる。

長野県岡谷市。
去年12月3日から、
行方不明になっていた堀内龍桜くん(11)が、
きのう、諏訪湖で遺体となって発見された。
小学校5年生。
遺体が発見されたのは、
龍桜くんが最後に目撃された、
諏訪湖釜口水門の近くだったという。

氷点下の湖水の中で、ひと月半…。
言葉がない。
今となっては、龍桜くんの冥福を祈るしかない。


夕焼け


しかし、
この「事件」。
(…ある意味で“事故”とはいいたくない!)

今の匿名社会の暗部をくっきりと浮かび上がらせた。

どうして龍桜くんの発見がここまで遅れてしまったのか?
その最大、かつ決定的な原因が、
龍桜くんが行方不明になった直後の、
あの若い女性の「うそ」の目撃証言である。

「全身ずぶ濡れの竜桜くんを、自宅に招きいれ、
カップヌードルを食べさせた」

「自宅まで送って行こうとしたら、
白いワゴン車にのった若いカップルが、
“僕たちが送るから”といったので、そうしてもらった…」

家族や捜査関係者が、行方不明の子供を捜索しているとき、
この目撃証言は極めて重要な意味をもった。
龍桜くんの足取りのヒントであり、
何より、彼の「生存」の証明であったから。

ところが、その目撃証言が「うそ」であることが後に分かる。
若い女性による「狂言」だったのだ。
動機は面白半分。
報道各社のインタビューは全て「顔なし・匿名」
自分の「うそ」の目撃証言が、テレビや新聞を通して、
日本全国に流れる様を、
その女性は、“はしゃぎ気分”で眺めていたに違いない。

卑劣極まりない、絶対に許されざる行為だ。

彼女の「狂言」だと分かるまでの間、
その目撃証言をもとに懸命な捜索が行なわれていた。
ところが、現実的には、
彼女の証言が「うそ」であったため、
その目撃情報にもとづいた捜索を懸命に行なえば行なうほど、
事実から遠のいてしまっていたのだ。

あの証言がなければ、
もしかすると、
龍桜くんは生きて発見されていたかもしれない。

なぜなら、あの目撃証言がなければ、
行方不明になった場所周辺、
つまり、
龍桜くんの遺体が発見された、
諏訪湖釜口一帯の捜索が、
より集中的に、かつ継続的に実施されていたはずだから。


報道カメラ


もちろん、
今回の件では、各報道機関も、
その報道姿勢、報道手法について改めて考えなければいけない。

ここ数年、
事件が発生するたびに目にするのは、「匿名報道」の洪水である。

「顔も名前も出しませんから、
インタビューに応じてもらえませんか?」

溢れかえる「匿名報道」を見るにつけ、
現場で取材に当っている記者たちの、
そんな姿が想像できる。
とっても安易な、
一歩間違えば、無責任な報道姿勢ですらある。

「匿名報道」は、
取材対象者のやむにやまれぬ理由により、
どうしても「実名報道」ができない場合に限って許されるものだ。

しかし、それとて、
事実関係をきちんと掴んだ上で、
当事者(取材対象者)への「実名」での取材の必要性を、
丁寧に説いた後、
「それども、“実名”では困る…」
となった場合だけ許される手法のはずだった。

そのプロセスをきっちり踏むことによって、
取材対象者自身も自らの証言の重要性を認識し、
証言につきものの「責任」についても考えてくれる。
同時に、
このプロセスを通して、
取材対象者が「本当のことを証言しているのかどうか」を、
記者自身が、その経験から、
少なからず、見極めることができるのだ。

つまり、取材する側が、
まず最初に、丁寧に、
「実名での証言の必要性を説く」という手順をきっちり踏んでいれば、
今回長野で「狂言」を演じた若い女性の、
愚かな行為を抑止できた可能性は極めて高い。

若い女性の情報は「警察からのものだった」
という記者もいるだろう。
けれども、たとえそうであったとしても、言い訳に過ぎない。

「“顔も名前も出しませんから”、
インタビューに応じてもらえませんか?」

この言葉を取材する側が、
安易に発しているように思えてならない。
取材される側、取材する側の「責任」…
その所在が揺らいでしまっては、もはや「証言内容」に意味はない。

そうは思いませんか?


(飯村和彦)


newyork01double at 12:01|PermalinkComments(18) 東京story 

2006年01月15日

3歳で捨てられた…




このところ、みんな、
「泣きたい」
…らしい。

映画にしても、
書籍にしても、
ボロボロと涙を流せるものがヒットしている。

感動の涙?
悲嘆の涙ではなさそうだ。

そこで、下の本。
「3歳で、僕は路上に捨てられた」



路上に…



フランスでベストセラーになった本だという。
涙を流したい訳ではなかったが、
読んでみた。

結果、酷く「重たい」気分に陥った。

著者の、
家族に捨てられたという境遇もさることながら、
心が折れ曲がったとき、
理不尽な暴力や扱いを受けたとき、
他者がまったく自分を理解してくれないとき、

彼は、どうやって生きたのか。
つまり、
「生きながらえること」ができたのか…。

週末、
「やるせない気分」に浸りたい方にはお勧めの本。

で、読後、
自分や自分の子供たちの「今」を再点検。
すると、いかに自分たちが恵まれているか…。
そのことだけは、再認識できるはず。

(飯村和彦)

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newyork01double at 10:23|PermalinkComments(14) 気になるBOOKs | 家族/ 子育て

2006年01月14日

凄い刺青!




人間という生き物は、
ときに、
考えられないようなことをする。

もう2年ほど前になるのか…。
家族で、
ニューヨークからアーカンソーへ、
ゆっくりと車で旅行していたときのことだ。

走行距離は約2000キロ。

風景が変わらないハイウェイよりは、
道沿いにある街の変化を楽しめるローカルロードを走ろう!
ということで、
日本でいう県道のような道をのろのろと南下。
で、なにか面白そうな看板があれば、
躊躇なく砂利道に入り、
子供たちが「あれ!」と指差せば、
車を止めてひと休み…。

私たちが「その人物」を見かけたのは、
そんな旅の行程の、
丁度半分を過ぎたあたりだった。

観光地でもなんでもない、
ごくありふれた、
なんの特徴もない、
それこそ「This is U.S.A.」という街のガソリンスタンド。
そこで車に給油していると、

「見て、あの人!」

と、妻がすっとんきょうな声を上げた。

日本人などまったくいないのは勿論のこと、
洒落たレストランなども一軒もない、
どちらかといえば、うらぶれた街だ。
いったい、何があったのかと妻の指差す前方に目をやると、
一人の白人男性が立っていた。

「なにか、どうなの?」
と私。
「見てよ、あの人の首!」
と妻。

それで、改めて目の前に立っている男性の首筋を見て、
驚いた!
本当に、驚いた。

「うそだろう!!!」……と。

その理由が下の写真である。




父の刺青



どういう訳なのか、
日本語、それも漢字の、
「父」
という一文字を、刺青にしていたのだ。

数年前から、
漢字をデザインに使った野球帽や、
スニーカーがアメリカで流行っているのは知っていたが、
漢字を刺青にしている人を見たのは初めてだった。
おまけに、その文字が、
「禅」や「力」や「勇」や「魂」ではない、

「父」…。

これって、やっぱりビックリだよね。
おまけに、ビックリだけじゃなくて、なんとも可愛い。

で、車を飛び降り、その男性に、
「どうして“父”なの?」
と尋ねたところ、
「息子が生まれたとき、彫り師に勧められてね」
との答えだった。

たまに、英語で、
「Mother」という刺青を入れている男性はいるが、
日本語で「父」なんてのは見たことがない。
ましてや、
彼自身、
「日本語? 一言も知らないよ」
とのこと。

なんちゅうか、凄いでしょ?
「父親としての自覚」
その証、なのかななあ…。

(飯村和彦)

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newyork01double at 10:34|PermalinkComments(18) 家族/ 子育て | 週末だから!

2006年01月13日

泣き叫ぶ子供を…「ダブル秘話」



親として、
勇気のいる行動の一つはといえば、
泣き叫ぶ子供の表情を写真に収めること。

これって、
想像以上に心的負荷がかかる。
実際、
心臓はドキドキするし、
焦るから手も微妙に震える。

だから、ごく稀にしか、
まともな写真が撮れない。
大抵は、手ブレが酷く、
ピントなどは吹っ飛んでしまう。



大泣きだ!



ならば、
どうしてそんな写真を撮る必要があるのか!
…との疑問をもつ向きもあるだろう。
子供が可愛そうじゃない! …とか。

しかし、
わが子の悲しそうな表情。
怒り心頭で喚いている表情。
寂しくてしくしく泣いている表情。
……

そのどれもが、
間違いなく“わが子”であり、
そんな「情態」にあるときの息子や娘の姿も、
しっかりとした形で、
自分の記憶に刻み込んでおきたいから。
そのための手段として写真を撮る。

ニコニコと笑い、
屈託のない表情をしているときの写真ばかりでは…、
つまり、
そのような情態ばかりに目を向けすぎると、
もしかすると、
子供たちが常に抱えている不満や怒りに対して、
親として鈍感になってしまうのではないか…、
という心配があるのだ。

そんなことって、ありませんか?
私は、とっても不安になる。

だから、
機会があれば、
すなわち、
その瞬間、いくらかでも心に余裕があるときだけ、
「ゴメン!」
といって、
泣き叫ぶわが子にカメラを向ける。

そして、
その後、しっかりと彼らを抱きかかえ、
「悪かったな…」
と声にだして謝る。
泣き叫びながら、親に何かを求めていた息子や娘を、
数秒でも、数十秒でも、
シャッターを切るまでの間、放置したのだから。

それで、また努力する。
そんなことを、息子や娘が思春期を迎えた頃まで、
続けていられることを。
「悪かったな…」
と、わが子に謝ることのできる親でいられるように…。

(飯村和彦)

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さて、明日はどんな一日になるのか…。


newyork01double at 11:48|PermalinkComments(28) 家族/ 子育て | ダブル

2006年01月12日

中国の白い羽…そして偶然の法則



偶然というのは勿論あって、
とっても面白い。

年末からずーっと中国へ取材にいっていた知人が、
我が家の子供たちへと、
ある玩具を買ってきた。
それが下の写真。


羽白


中国の伝統的な玩具らしい。
日本の羽根突きの「羽」に似ているが、
こちらは、蹴って遊ぶものだそうだ。
羽の先には、平たいゴムがついている。


羽白のゴム


なんという名前の玩具なのか、調べたところ、
「子=ジェンズ」というようだ。


猫と色羽



色羽と金板


古くは銅銭などを布で包み、
それに鶏の羽を刺していたとも…。
連続的に蹴り上げて遊ぶものなのだという。

驚くことに、
地域によっては小学校の体育教科にもなっているらしい。


…で、なにが偶然なのかというと、
それが下の「絵」。
私のブログで、
今年最初に紹介した「文字のない絵本」
その最初の見開きに描かれていた絵の中に、
この「子=ジェンズ」があったのだ。


絵本1


実をいうと、
この「絵」を眺めているとき、
一つの疑問が沸いていた。
子供たちは、
「羽」をどんな風につかって遊んでいるのかなあ…と。

手に板を持っている訳でもないので、
単純に、“投げ合って”遊んでいるのかな…とは思ったのだが、
足を見ると蹴っているようにも見えた。

果たして、これで夢中になれるのか。
言ってみればただそれだけの疑問だったのだが、
残念ながら、
その疑問を解いてみようとまでは思わなかったのだ。

そこに知人からのプレゼント。
労せずして疑問が解けた訳だ。

羽を蹴りあげて楽しんでいるのであれば、
おおそうなのか!
と、納得できるというものだ。


色羽のみ


たわいもない偶然なのだが、
私自身、この手の偶然が何より好きなのだ。

何故かといえば、
一つこのようなことがあると、
決まって! 第二、第三、…、の「偶然」に遭遇するから。

本当なのかなあ…
と訝る人も多いだろう。
けれども、これには明快な根拠がある。

つまり、
一度この手の「偶然」に出会うと、
その後しばらく、
似たよな「偶然」に注意を払うようになるから。
偶然なんてものは、
注意さえ払っていれば、いたるところで“ふんだんに”発見できる。
それに気づかないのは、
ただ単に、「偶然」を見逃しているからに過ぎないのだ。

例えば…。
通いなれた地下鉄の駅へ行くのに、
たまたま、特段の理由もなく、
いつもと違う道を使ったとしよう。
で、結果的に毎日乗っている電車に乗れてしまえば、
「いつもと違う道」を通ったことなど、
すぐに忘れてしまう。

しかし…である。
「いつもと違う道」を使ったあなたは、
“偶然にも”、日頃目にしていないある光景を確実に見ているのである。
それが記憶の中に残らないのは、
そんな偶然に注意を払っていなかったからだけなのだ。

もしくは、
いつもの道を歩いていたら、
その日だけ工事で通行止めになっていたかもしれない。
けれども、「偶然」いつもと違う道を使ったあなたは、
ただ、その偶然(=ここでは“通行止め”)を知らないだけ…
とも考えられるだろう。

どうかなあ…
こう考えると、
毎日が、「楽しい偶然の連続なんだなあ」と思えたりしない?

もしかすると、
とんでもなく愉快な「偶然」が、目の前に転がっているのでは?

(飯村和彦)

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newyork01double at 11:42|PermalinkComments(16) 家族/ 子育て | 世界の風景