2006年02月

2006年02月28日

別角度…ドアノブを回す猫




好評につき、
改めて、
天才!!!猫のミルキーの「ドアノブ回し」を…。
(↑ちょっと大袈裟だが、まあ飼い主だから)
今度は別角度から!


猫、よしよし


昨日、アップした動画は、
画面が横向きで見えにくかったので、
きょうの朝、正対で撮影。
おまけに、背中からではなく「受け」(←専門用語です)だ!

さあ、→「天才ミルキー別角度!」をクリックして下さい!!

いかがですか?
やっぱり、何度観ても悪くないなあ…。
偉いよなあ…。
猫なりに考えたんだろうなあ…。
………

そろそろ、
「いい加減にしろ!」
との声が聞こえてきそうなので、これにて!


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)



newyork01double at 09:41|PermalinkComments(20) 猫の話 

2006年02月27日

ドアノブを回す猫…天才だ!




はっきり言って、凄いゾ!
猫のミルキーが、
見事、「学習」した。
飼い主としては、彼女に「天才!」の称号を与えたい。



猫アップ2



さて、彼女がなにを「学習」したのかといえば、
他でもない、
自分で「ドアのノブを回し」、
リビングとホールを行き来できるようになったのだ。


まずは、→「天才ミルキー」をクリックして頂きたい。


横位置で撮影したため、
若干見にくいかもしれないが、
これって、凄い…と思わない?

もしかすると、
ちょっとした猫ならできるのかもしれないが、
飼い主としては、驚き!

約半年、
我々人間が、
ドアを開け閉めしている様子を観察いてた彼女は、
本能的に、「ドアノブの役割」を理解したようだ。

最初のうちは、低い成功率だったが、
このところは、
ほぼ100発100中、
完全にものにしてしまった。

もちろん、
開けたドアを「閉める」ことはできない。
それができれば、まさに「金メダル」ものだが、
まあ、
そこまで欲張ることはない。

「凄いゾ、ミルキー!!!」

公園に捨てられていた君が、
ここまで「立派に」成長するとは、思っていなかった。
今後も勤勉に学習してくれ!


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 12:18|PermalinkComments(19) 猫の話 

2006年02月26日

エネルギーの塊だ!



子供たちの熱気に圧倒された。
きのうは、
息子たちの「ドッジボール」大会。
遊びじゃない…ところがいい。

円陣組んで、
「気合」
を入れる。

オリンピックもいいが、
未来のアスリートたちの表情も真剣そのもの…。


円陣


ドッジボール…。
子供の頃、一時期熱中した記憶があるが、
これほど、
タフなスポーツだとは思っていなかった。
体力が落ちた証拠だなあ…。


ドッジ、投げる!


投げて、受けて、また投げて…。
一喜一憂しながら、
真剣勝負。
いいゾ! まったくいい。


体育館


今週末は、
取材で、
北海道の最果てに行く選択もあった。
けれども、
息子たちとのドッジボール大会の方を優先。
正解だった。

子供たちの懸命な表情を見ていると、
無闇に、
力が沸いてくる。

間違いなく、
子供たちから、
「力」というか「エネルギー」をたっぷり頂いた。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)



newyork01double at 12:00|PermalinkComments(10) 家族/ 子育て | ダブル

東京タワーのはずだ!



携帯写真の整理をしている。
放って置いた自分が悪いのだが、
これだけ(…かなり)溜まると、
ため息がでてしまう。

下の写真など、
どこで撮ったものなのか、
最近のことなのに忘れている。


東京タワー1


子供たちに聞くと、
「東京タワー」
との答えが返ってきた。


東京タワー2


東京タワーの展望台にある、
「真下の風景」
を覗く窓。そこから眼下を見たときだった。

しかし、
東京タワーなら、
一枚ぐらい、
東京タワー「そのもの」の写真があってもいいじゃない?
それがないんだなあ…。
我ながら、驚く。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 10:52|PermalinkComments(2) 家族/ 子育て | ダブル

2006年02月25日

笑う娘と妙な球体



きのう、
携帯写真ながら、娘の表情をアップしたので、
本日は、
息子の作品から、
なんとなく、娘らしいものを…。



笑う娘

娘とメガネ



ともかく、彼女はよく笑う。
ケラケラ、カラカラ…。
だからなのだろう、
猫のミルキーと同じぐらい、
息子のカメラの被写体になっている。

「まつ毛」も見えるなあ…



なんだ? この球体は?

アイスクリームメーカー



息子に尋ねたところ、
「アイスクリーム・メーカー」
だという。
当然ながら、娘ではない。

アメリカの従兄弟(…の親)から、
送られてきたものらしい。

スタートレック的な味(?)になるのか?
夏が、
楽しみだ。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 10:34|PermalinkComments(8) 息子が撮った写真! | 家族/ 子育て

2006年02月24日

額の傷痕、その2!



3711f027.jpg


モブログ投稿、追加試験。
今度こそ写真は添付できたのか?
そもそも、携帯メールを使ったことさえなかったのだから、
こうしてキーを打つこと自体、ひと苦労。
参るというか、情けないなぁ…

(飯村和彦)

rankingひと押し、ご協力を!


newyork01double at 13:52|PermalinkComments(8) 猫の話 | 家族/ 子育て

ミルキーの仕業だ!



猫の爪痕


モブログに初挑戦。さて、どうなるのか?
娘の額の傷痕は、
猫のミルキーによって付けられた爪の痕である。

…第一回目の「モブログ実験」は、失敗。
写真が添付できなかった(汗)。
けれども、
携帯で撮影した写真がどの程度の画質なのかをチェックするため、
通常手段で再投稿。

まあまあ…かなあ。

いづれにしても、額の傷はちょっと…無残だ!


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 12:49|PermalinkComments(6) 猫の話 | 家族/ 子育て

祝!金メダル クールビューティ




クールビューティ、良くやった!
今朝のトリノオリンピック、
女子フィギュアスケートで、優勝した荒川さんは見事だった。
大舞台で、
自分の力を「120%」発揮できる選手はそうはいない。
「日の丸」だとか、「日本代表」だとか、
そんなことではなく、
彼女自身のための滑り切ったことが意義深い。

久しぶりの我が休日。
天気は思わしくないが、上々の滑り出し。

ところで、
話はガラリと変わって、
映画「ミュンヘン」


ミュンヘン


長編でヘビーな作品だが、
この映画が描いている「事実」は、ことのほか重い。
このブログでもかつて、
テロと「憎しみの連鎖」について言及した。

この悲しくて辛い連鎖を、
誰かが、いづれかの時点で断ち切らなければ、
テロはなくならないだろうし、
いわれのない戦争を止めることもできない。

けれども、
理不尽に家族や仲間を殺された人間の心にあっては、
憎しみは「尊び」であり、「正義」にもなる。
さらにそこへ、深い宗教心が重なると、
テロ行為さえも正当化されてしまう。

制御不全に陥った感情。
祖国に身を捧げることの意味。

戦争反対! テロ撲滅!
と政治的に叫ぶことは簡単だが、
これに人間独特の「感情」が絡まると、
現実は理想通りには進行してくれない。

これが人間の人間たる所以なのだろうが、
人間の[弱点」でもあるような気がする。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 11:29|PermalinkComments(17) 気になる映画 

2006年02月23日

カリブの海…セント・トーマス[世界風景]




石垣島に続き、
南の島の風景を…。
雨に祟られ、石垣島では美しい海を見せられなかったので、
その罪滅ぼし。



セント空撮


ところは、
数年前に訪れたカリブ海に浮かぶ島、セント・トーマス。

この島、やたらとデコボコしている。
坂道ばかりで、とても、ふぅらふぅら歩けない。
おまけに道が細いときている。



セント水中



ひと泳ぎした後、
ビーチに寝転がっていると、蟹(カニ)が歩いてきた。
薄い緑色で、甲羅が握り拳2つ分ぐらいの大きな蟹。
ヤシ蟹かなぁ…と思い、
近くにいた地元の黒人のお兄さんに名前を聞いてみた。
すると、
「カニだ」、という。

僕でもそれが、エビやタニシでないことぐらいは分かっていた。
蟹でもどんな蟹なのかを知りたいのだ。
「そう? これメスガニさ。
ほら、ここにタマゴが見えるだろ? 食うとうまいゾ」

…違う、どうも噛み合わない。
しつこくもう一度、なんて名前の蟹だと聞くと、
やっぱり、
「カニ」だという。

一事が万事こんな島だ。
よりて、南の島は南の島。
全てが、極めて簡単に判断されていく。



セントバー



頭がポカ──ンとする陽気、かっかする太陽とカラカラの空気、
…にあってはそれが正常な意識を保っていく良策なのだろう。
南の島で、
イライラしていたら気が狂う。



セントロング



波打ち際には、青いセイルを畳んだ白いヨットが泊まっていた。
マストのてっぺんにはペリカンが一匹、
長い嘴を潮風にあて、のんきな顔でのんきな海を眺めていた。
長いこと、同じ場所で羽を休めているペリカン。

いつもの所、とか、いつもの場所で、とか、
いつもの通り、とか、いつもながら、とか、

人間にはとても耐えられないけど、
ペリカンたちにはその「いつも」がとっても都合がいいらしい。
人間よりペリカンたちの方が、
生きていくことに関して、一枚上手なのかもしれない。



セント水鳥



少なくとも、
「時間の流れ」に怯えているようには見えなかった。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 11:48|PermalinkComments(10) 世界の風景 

2006年02月22日

大仏の手に、歩くラッパ




久しぶりに、
息子が撮影した写真のなかなか…
今回の作品もなかなかいいゾ!



手と手(?)

手の影と足の影



息子が好きな「影」の写真だ。
自分の手と、ミルキーの手? 足? …尻尾かあ。




ラッパが歩く!

ラッパのようだ



エリザベス・カラーをつけていたときのミルキー。
その影が「らっぱ」のようで可笑しい。
白黒にしたのも息子のアイディア。




でかい目玉

巨大な目



相当いい。
この写真、色合いも構図も、父は好き!




旨そうだ!

えび



この手の写真は、
旨そうに見えるかどうかが命。
で、実際に旨かった!!!




手のひら

大仏の手



東京駅にあった、
奈良の大仏の「手のひら」
実物大らしい。

しかし、
どうして手のひらだけを、
切り取った形で置いたのかなあ…。

さて、
「カメラ小僧」の作品、
楽しんでいるので、とってもいい。
次回にも、乞うご期待!!


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 22:54|PermalinkComments(6) 息子が撮った写真! | 家族/ 子育て

「ダブル」が東京ウィメンズプラザに!




ダブル表紙2



去年出版した写詩集「ダブル」が、
東京・青山にある、
「東京ウィメンズプラザ」の図書資料に加えられた。
図書資料室の入り口付近に、
ポップ付で、飾ってある。

悪くないなあ…。

もし、青山に行くようなことがあれば、
ここで「ダブル」を読んで、眺めて下さい!
場所は、“こどもの城”の近く、
国連大学の隣…です。



rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 11:06|PermalinkComments(14) ダブル 

2006年02月21日

那覇でハリセンボンを食す!



国際通りの真ん中ぐらい、
巨大なアーケード街の一角に、
那覇・公設市場がある。
有名なのでご存知の方も多いはず。


公設市場


その鮮魚コーナーには、
地元でとれた色とりどりの魚介類が並んでいる。


南の魚


クチナシ(イソフエフキダイ)、グンルン(タカサゴ)、
ガーラ(アジ科)、マクブ(ソロクラベラ)、
アーガイ(ヒブダイ)………その他。


で、ここの特徴は、
「食いたいなあ…」
と思った魚を選んで買うと、
近接の食堂で料理してもらえること。


料理します!の表示



中国や台湾などでも同じように、
「選んで食べる」ことができるが、ここもそれがウリ。

そこで、
「ハリセンボン」を食べてみることにした。
沖縄では「アバサー」と呼ぶ。


ハリセンボン


フグと似たような味らしい。
から揚げにするといいと教えられたので、
「じゃ、そうして!」
と頼む。

他には、魚では「ハタ」、
貝では「シャコガイ」を選び、
市場のすぐ近くにある食堂へと向かった。


沖縄食堂


ハリセンボンのから揚げは、
フグより、幾分、身の味が濃いようで旨い。

ハタは、刺身と塩焼きにした。
シャコガイは刺身。
それぞれ、いける。

本来なら、ここに料理済みの写真があるのだろうが、
私のブログでは、なし!
とっとと食べてしまった。
事前に写真で学習してしまうと、
実物を見たときの「感動」も半減してしまうだろうし…。
と、これは、
写真を撮らずに食べてしまった“いい訳”だ(笑)。

ともかく、
数人でいくと、
色々な魚介類を安価で楽しめる!

rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 10:09|PermalinkComments(7) 取材先にて記す! 

2006年02月20日

早朝の石垣港




この30分後、激しい雨が降りだす。
我々は、
石垣島ら那覇へ移動…。




朝の石垣港




那覇では「ハリセンボン」を味わう。
そして、
夜、やっと東京。

そのハリセンボンについては明朝…書きます。
疲労困憊。
では。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 22:57|PermalinkComments(4) 取材先にて記す! 

2006年02月19日

石垣島川平湾…束の間の光




ほんの束の間だった。
厚い雲の隙間から、薄日が差したのだ!
だから、
慌てて写真を撮った。


川平湾つかのまの光


一応、
石垣島の海の色を「想像」できるんじゃない?
川平湾だ。

しかし…


川平湾の雲と砂浜


束の間は、束の間…。
空には、また、不気味な雲が集まりだした。
すると、
「あっ!」
という間もなく、
ポツポツと、
白い砂に雨粒が落ちはじめた。

これだよ…。

一応、
同行していた石垣の人に聞いてみた。
「5月になると天気はどうなの?」
やはり、
実際にロケをする頃の天候は気になるので…。
すると、石垣の人は、
「ああ…5月ねぇ。5月ならこんなに長く、
雨が続くことはないねぇ」
と応えた。

…ほう、それなら…
とこちらが安堵していると、
石垣の人、
…思い出した、とばかりに言葉を加えた。

「でも、5月は梅雨の時期だけどねぇ…」

これだよ…。

ひとまず、
石垣島での事前取材は終了。
明日は、那覇から…。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 16:01|PermalinkComments(10) 取材先にて記す! 

サトウキビを丸ごと搾る!



「琉球酒豪伝説」の効果の程は、
まずまず…なのだろう。
昨夜、
たらふく…ではないものの、
それなりの量の泡盛を飲んだ。
で、
今朝、「普段通り」である。

さて、取材活動の方は順調。
その合間に、
サトウキビ「ジュース」を飲んでみた。


サトウキビ絞り


バリバリ…と皮ごと搾る!
これには、ちょっと動揺した。
苦いんじゃないの?


サトウキビ液


搾り出されたサトウキビのジュースは、
想像通りの緑色。
…で、飲んだ。
「青竹」のジュースがあるとすれば、
その苦味に砂糖の甘みが加わったような味である。

なんとうか、
そう旨いものじゃないなあ…。


石垣港2


さて、雨の石垣島。
気合を入れて、取材にでよう!
…と思ったのだが、午前中は「連絡待ち」…


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)



newyork01double at 09:05|PermalinkComments(8) 取材先にて記す! 

2006年02月18日

泡盛をたらふく飲む前に…



「泡盛」を飲む前に、一応ということで…
噂の「粒々」を服用してみた。

「琉球酒豪伝説」

沖縄県保健食品開発協同組合と、
琉球大学の共同研究により開発された健康食品だという。


くすり大きい袋


1包に、
「糖源驚(とうげんきょう)…緑」が5粒。
「融合ウコン…黄色」が10粒入っていて、
これを一度に服用する。(↓の写真参照)

糖減驚(とうげんきょう)は、
ギムネマシルベスター(イモ科の植物)、グァバ、
マンジェリコン(バジルの一種)という、
3種類の植物でつくられているという。

融合ウコンとは、
春ウコン、紫ウコン、白ウコンの3種類のウコンに、
他の生薬を配合したものだという。


ウコン粒


なんでも、
これを服用すると、
酒を沢山飲んでも、
「悪酔いしないし、残らない」…のだそうだ。
だから、
存分に!…酒が飲めるとも。

ということは、
結局のところ、体に良いことなのか悪いことなのか?
ともかく、
「泡盛」を“それなりに…”飲む(←仕事上の付き合いです!)前に、
一包分、服用してみた。
今晩一緒の“石垣人”は、間違いなく「酒豪」の方々だから。

さてさて、
どんなことになるのやら。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)

newyork01double at 17:11|PermalinkComments(10) 取材先にて記す! 

この島では途中下車できない!




もう、いい加減にしてくれ!
と叫びながら、
力なく、カメラのシャッターを切った。

小雨降る、
石垣島のマリーナ。


ヨット


何が悲しいって、
やはり、この曇天じゃないか。


クルーザー


けれども、
凄いというか、立派というか、
まあ、仕方ないのだろうが、
この天候でも、
多くの人が「離島めぐり」に出かけていくのだ。


港くもり


観光で、今週末この島を「訪れてしまった」人たちは、
当然、楽しまなければならない。
例え、雨だろうがなんだろうが、
それが目的で、それ以外に目的は何もないのだから。

途中下車はできない…のだ!


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 08:27|PermalinkComments(10) 取材先にて記す! 

2006年02月17日

石垣島、2日目も…




まさに、
日頃の行いの罰(ばち)なのか?
石垣島、2日目も終日…「どんより」

よりて、
海の写真は明朝に持ち越し。
明朝は、仕方ない…「どんより」でも写真を撮るゾ!

という訳で、
今晩も沖縄らしいコンビニ商品を…
まずは、夜食の「お菓子」


お菓子


左が「ちゃーがんじゅう」
品名は、よもぎケーキ…とある。

右は「うっちんカステラ」
これはその名前の通り、
カステラ。

で、↓は炭酸飲料。


ドクターペッパー


ご存知、「ドクターペッパー」
実は、私、この炭酸飲料が訳もなく好き。
薬品臭さ(?)が、なんともいいのだ。
最近、
東京ではあまり見かけないのは何故だろう?

……………………………………………

さて、話は西表島に生息する
イリオモテヤマネコに飛ぶ。
特別天然記念物として保護されている、
あの「猫」である。

世界中で八重山諸島の西表島だけに分布し、
体重は4 kg前後で、暗褐色の体毛が特徴。
主に「夜間に活動する」が、
木登りや泳ぎも得意だという野生の猫。

この「イリオモテヤマネコ」が、
今、交通事故の犠牲になっているのだ。
上記した「夜間に活動する」故、
道路に飛び出したとき、
車にはねられて、命を落としてしまうらしい。

それでなくても、
現在、生息数は100頭以下と推測され、
絶滅の危機が高まっているのに…である。
なんとも、切ない話じゃないか。

………………………………………

…ということで、
石垣島の「海」は、
明日に期待を…。
沖縄滞在も、「残り3日」


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)



newyork01double at 21:48|PermalinkComments(4) 取材先にて記す! 

やはり、石垣島…曇天




う〜む…。
石垣は、きょうも「曇天」である。
気を取り直して、
さあ…仕事だ!


曇り


日がさしたら、
美しい波の写真でも撮りましょう…。


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)

newyork01double at 08:02|PermalinkComments(8) 取材先にて記す! 

沖縄・石垣島に到着!




なんたること!

取材で、
沖縄・石垣島に来たのだが…。


石垣島の雲


厚い雲、そしてボツボツ…と雨。
こうなると、その風景には、薄ら寒ささえ覚える。

仕方なく、
夜、ホテル近くのコンビニエンスストアへ向かった。
なにか、石垣島らしいものはないか…。
で、店内を見回して、
最初に目にとまったのが、↓のお酒のコーナー。


酒の陳列


なるほど。
東京のコンビニでは見かけない、
沖縄らしい、強めの「リカー」が並んでいる。
無論、「泡盛」も各種揃っている。

しかし、
それよりもっと目を引いたのが↓の缶詰。
ネーミングがいいよなあ…。


私、ポーク!


「わした、スパイシーポーク」
…ときた。
こうなると思わず、手に取りたくなるのが人情。
さて、
いったい、どんなものなのかというと…

「うちなーむん(沖縄産)の豚肉に、
沖縄久米島の海洋深層水からとれた塩と、黒蜜、
さらにピリッと辛い唐辛子を加えた、
ランチョンミート
とあった。
おまけに、保存料や化学調味料を一切使用していないとも…。

「カリッと焼いて、ジュワッとおいしい!」(宣伝コピー)

だから、みんなで、
「うさがみそーれ」(召し上がれ)
とのことだ。

なるほど…。
まあ、美味しいならそれはそれでいい。
……。
それよりなにより、明朝はパキッと晴れ上がって欲しいなあ。
青空が見たいゾ!


rankingひと押し、ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 01:13|PermalinkComments(4) 取材先にて記す! 

2006年02月16日

猫のミルキー、版画になった!



ちょっとだけ自慢…。
息子の版画が、美術館で展示された。
図柄は、
当然のように、猫のミルキーだ!


乃亞たちのグループ作品


場所は、↓の美術館。
ルソーの絵画などが常設展示されている、
立派な美術館だ。


美術館



さて、↓が息子の版画。
猫の「ミルキー」と熱帯魚の「プラティ」らしい。
彫刻刀をはじめて握り、最初に彫った版画…である。


版画


おどけた表情をした、味のある猫になっている。
びっくり眼のミルキーか…。
あまり多く彫りこまず、「線」で描いてあるところは、
面倒臭がり屋の息子らしい。


作品多数グループ


この展覧会は、
小学校に通う子供たちの作品を集めたもの。
創造性に富んだ、素晴らしい作品が目白押し!

本来なら、
彼らの作品を、一点一点紹介したいところだが、
「ちびっこ芸術家」の権利を尊重し、
このブログへの掲載は控えた。

けれども、その雰囲気ぐらいは伝わった?
子供たちの作品は、
その視点もテーマも対象も…
実に興味深く、面白いものばかりである。


ranking←ひと押し!ご協力を!

(飯村和彦)

newyork01double at 10:18|PermalinkComments(15) 猫の話 | ダブル

2006年02月15日

無冠の帝王の「帝王」とは?




「タブロイド」という映画。
それなりの前評判だったが、
やはり、「映画」でしかなかった。


タブロイド



内容は、
センセーショナルなニュースがウリの「番組リポーター」が、
「スクープ」を求めて、
一人の収監者と取引を行い、
結果、重大な過ちを犯すというもの。

「幼児連続殺害事件」に関する情報に己を失った、
主人公の「番組リポーター」は、
情報と引き換えに、
メディアの存在理由である「正義」を放棄してしまう。

「なるほど、“映画”だとこんな展開にするのか…」

というのが、観ての率直な感想だった。
なぜなら、
現実に報道現場に身を置いている「真っ当なジャーナリスト」であれば、
映画の中で「番組リポーター」が下したような判断は、まずしない。

もちろん、この映画が、
「まともではない番組リポーター」を描いて、
センセーショナリズムに走るテレビ報道を、
痛烈に批判しているのは正しいし、理解できる。

けれども、
テレビ報道のあり方に警鐘を鳴らすのであれば、
少なくとも、
「まともなジャーナリスト」を主人公にして、
そんな人物でさえも、
センセーショナリズムの渦に巻き込まれると己を失う…、
という描き方をして欲しかった。

役者の演技が素晴らしかった分…、残念。

余談だが、
「無冠の帝王」
という言葉。
その帝王とは元来、ジャーナリストを指したものである。

それだけ、ジャーナリストの果たす役割は重いのに、
現状を見ると、「?」が付きまとう。
自分も含め、
改めて、その存在理由を確認する必要があるのは明白。


rankingひと押し、ご協力を!


(飯村和彦)


newyork01double at 12:06|PermalinkComments(10) 東京story | 気になる映画

2006年02月14日

笛吹き童子だ!




廊下から、
軽快なメロディが流れてきた。
見ると、
息子が、
鏡に向かって、「たてぶえ」(リコーダーと呼ぶらしい)
を吹いていた。


笛吹き童子


上体を軽く反らせ、足でリズムを刻んでいる。
その姿は、
サクスフォーンを奏でるジャズミュージシャンのようで、
それなりに様になっていた。

鏡を見ながら、
指の動きを確認していたらしいのだが、
完全に、「自分の世界」に浸っていた。
それがいい。

しかし、私が写真を撮ったことに気付くと、
恥ずかしがって止めてしまった。
大失敗である。
まあ、それでも息子は、満足気に笑ってくれた。
とってもいい。

彼が演奏していた曲は、
「茶色の小瓶」。
6年生を送る会で、
みんなで合奏するらしい。

ranking←ひと押し!ご協力を!

(飯村和彦)


newyork01double at 11:26|PermalinkComments(14) 家族/ 子育て | ダブル

2006年02月13日

大人には真似できない創造性




それを見たとき、
一瞬、言葉を失った。
そして、
無性に嬉しく、感心した。

6歳になったばかりの頃、
「ひらがな」を覚えた娘が、
あるドリルに書いた下記の文言である。


娘のあいさつ!


見ての通り、
設問は、
絵に合った「あいさつ言葉」を、
例示されている中から選ぶもの。

ところが、娘はといえば、
そんな例示などお構いなしに、
絵を見て、
自分なりに、勝手に! 
文言を書き込んだのだ。

どうだろう?
どれもが絵にピッタリであるばかりか、
驚くほど創造性に富んでいる。

「やるなあ…!」
そして、
「参った」

それが父親としての私の感想だった。
子供の能力というのは、
計り知れない。

実際、例示されている「答え」より、
はるかに「絵」の内容を明快に説明しているし、
それよりなにより、
大切な「感情」が伴っている。

当然だが、
この回答に私は「花◎」をあげた。

けれども、
今の教育現場にあっては、
“設問にきちんと答えていない”という理由で、
この答えに、「×」をつけてしまう教師がいるかもしれない。

それを考えると、
「怖い」
本当に、怖い。

文部科学省によると、
「ゆとり教育」にかわる新指導要領のテーマは、
「ことばの力」
だという。
さて、どんな教育が行われるのだろうか。

私と妻は、
娘が書いたこのドリルを大切に保管し、
「タカラモノ」としている。

いつでも“自分なりの答え”を堂々と…!

型にはまらず、
いつまでも、
そんな子供であって欲しいと思っている。

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(飯村和彦)


newyork01double at 11:19|PermalinkComments(28) 家族/ 子育て | ダブル

2006年02月12日

猫、抜糸して快調に!




エリザベス
(撮影:息子)



腹部の腫れも収まってきたので、抜糸。
勿論、
ミルキーにとっては忌まわしい限りだった、
「エリザベス・カラー」も外された。



回復だ!



とはいえ、患部はまだ、
小さな卵型に腫れている。
1週間もすれは、
しこりも無くなるし、腫れも引くというのだが…。



ポコンとふくらんで



で、当然、
ミルキーは気になる。
そして、舐める!
舐めて、舐めて、また…舐める!



舐めて



いくら舐めても、
「もう、大丈夫」と獣医師はいったが…。
さて、そうあることを期待しよう。
いま一度、
あの「エリザベス・カラー」を付けるとなると、
ミルキー、
かなり混乱するだろうから。

突然、邪魔なものが首に装着され、
外そうとしても外れないので、
仕方なく、その邪魔なものを付けた生活を開始して、
なんとか、食事も排便も…
その邪魔なものに慣れ始めたときに、
また突然、外されて、もとの生活に…。

「状況把握」ができない猫…、どんな心理なのだろう?


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(飯村和彦)



newyork01double at 09:38|PermalinkComments(13) 猫の話 

2006年02月11日

「奴隷狩り」と砂糖の関係

 


知っていそうで、
実は、まったく知らない。

今ある世界を、
別の角度で眺めると、
新しい地平さえ見えてくる。

この「砂糖の世界史」の興味深さは、
まさに「想定外」。


砂糖の世界史



身近な「モノ」を通して歴史を見る。
すると、
それまで見えていなかった世界の繋がり方が、
「あぶり出し」のように立ちあがってくる。

最近、よく耳にする「格差社会」という言葉。
この「砂糖の世界史」を読むと、
その言葉の“本当の”意味が、鮮明になる。

……………………………………………………
「砂糖のあるところに、奴隷あり」

「…上流階級の上品で洗練された文化や習慣も、
もっとも野蛮で、下品とみなされた、
黒人奴隷の犠牲の上に成り立っているのだ…」(本文より)
……………………………………………………

この本に目を通すと、
今、日本で行なわれている「格差」論議が、
いかに上滑りなものであるかが、良く分かる。
是非、一読あれ!

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(飯村和彦)


newyork01double at 08:03|PermalinkComments(8) 気になるBOOKs 

2006年02月10日

再び、マグロを求めて!




去年は、オーストラリアで、
「マグロの蓄養」を取材した。
10月に放送した素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日系列)
…見て頂いた方も多いはず。

で、今年も、
引き続き「マグロ」を取材している。

殺伐とした事件が多い昨今、
この手の取材をしている時は、
仕事をしながらリフレッシュできるのがいい。


南紀白浜


南紀白浜。
ロケを行うにあたっての事前調査だった。
しかし、曇天である。


マグロくん


上の写真は、養殖されたものだが実物大のマグロ。
体調3メートル弱。

この大きさのマグロを、
春から夏にかけて、各地の海で撮影する。


波


マグロと聞いて、
「そうだね、トロが旨いね」
という話ではなく、
「そうだね、かなり繊細な魚で、
生態も分からないことが多いらしい。実はさ…」
との会話が弾むような番組になるはず。

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(飯村和彦)


newyork01double at 10:20|PermalinkComments(6) 放送番組 

2006年02月09日

数学も、これなら楽しい!




小川洋子さんの本、「博士の愛した数式」
その映画版。


博士の愛した数式


本も売れたし、
寺尾聡さんが、
あちこちのテレビに出演してPRしているので、
ご存知の方も多いはず。

悪くない。

けれども、
映画を観たら、必ず本の方も読んで欲しい。


さて、「博士の愛した数式」には登場していないが、
私が大好きな数式がある。
それは、下記の「5=7の証明」である。

『5=7の証明』

5+2=7
(7ー5)(5+2)=(7ー5)・7
35+14ー25ー10=49ー35
35ー25ー10=49ー35ー14
5(7ー5ー2)=7(7ー5ー2)
5=7

さて、どうだろう?
「数学のルール」(ここでは0のルール)からいえば、
間違いである。
けれども、とっても面白い!

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(飯村和彦)



newyork01double at 12:08|PermalinkComments(17) 気になるBOOKs | 気になる映画

2006年02月08日

だるまと[グー」と「GOO PAPA」と…



だるまだ!



「いづれ死んでいく父からの伝言」
きのう、
一気にアップしたので、
「To much!」
との声もあがっているはず…。

よりて、きょうは、
その「死んでいく父」と「グー」の写真を一枚。
妻が撮ったもの。
照れくさいが、まあ…仕方ない。
息子ばかりに、
重荷を背負わせる訳にはいかないので…。


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(飯村和彦)


newyork01double at 15:56|PermalinkComments(11) ダブル 

2006年02月07日

残りは一気に! 「いづれ死んでいく父からの伝言」




花の匂い



「いづれ死んでいく父からの伝言」
No.(14)まで、
書き上げたので、全部!!! アップしました。

(1)から(3)まで、すでに読んだ方は、
(4)から、最後の(14)まで、
一気に(上から順番に)読んで頂けるようになっています。

読後の感想、
なんでも書き込んで下さい!

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(飯村和彦)



newyork01double at 13:20|PermalinkComments(2) ダブル 

いづれ死んでいく父からの伝言(4)




午前8時ちょうどに碑文谷のマンションをでた父さんは、
意識して、
いつもと同じ道順で、東急東横線の学芸大学駅へ向かった。

〈いよいよ、きょう自分が父親になるんだ〉
という、高揚感よりも、
〈いよいよ、きょう自分が父親になってしまうんだ〉
という、鬱々とした気持ちの方が強かったので、
敢えて日々のルーティーンにこだわりたかったのかもしれない。

ベージュ色の麻のサマースーツに同系色のバックスキンの靴。
どちらもニューヨークにいた頃に買ったもので、
特に羊皮の[arche]の履き心地は抜群で、
へたなジョギングシューズなどよりも、
よっぽど足にフィットした。

まずは、
碑さくら通りを目黒通りの方向へ右折し、
住宅街を貫く一方通行の道を直進する。
午前八時とはいえ、すでに気温は30度以上。
太陽は地上にいるすべての生きものを、
容赦なく痛めつけていた。

何軒かの家の玄関先では、
朝顔の花が既にくしゃくしゃにしぼみ、
夏の象徴であるはずのヒマワリでさえ、
だらりと頭を垂らしていた。
コンクリートの電信柱から聞こえてきた油蝉の声に至っては、
悲鳴そのものだった。

8時4分ごろ、警視庁捜査一課長宅(官舎)の前を通過。
表札には寺尾とあった。

余談だが、寺尾といえば1985年の9月、
「ロス疑惑」で渦中の人物となっていた
三浦和義氏を逮捕する際、
三浦氏のフェアレディZのボンネットに飛び乗った捜査員である。
場所は確か赤坂東急ホテルだった。
父さんはその時現場で取材にあたっていたのだが、
逮捕された三浦氏よりも、
鬼瓦のような顔をしたその捜査員の方が印象に残ったほどだった。



テレビカメラ



あれから10年。
出世した捜査員が住む家のブロック塀の上には、
赤外線センサー式の防犯装置が取り付けられていた。

3月20日(1995年)に発生した、
オウム真理教による地下鉄サリン事件と、
そのひと月後に起きた、
国松警察庁長官狙撃事件の影響だった。
近々、仮設のポリボックスまで設置され、
二十四時間体制で警戒にあたるという話も耳にしていた。
つまり、
警視庁の捜査一課長を閣僚級の警護体制で守るということ。
鬼瓦とオウム、…前代未聞だ。

8時6分ごろ、
青々と繁ったイチョウの葉が目に涼しい田向公園の角を右折。
同、7分には、
点滅をはじめた青信号を見ながら小走りで目黒通りを横断して、
そのまま道なりに学芸大学駅へと歩を進めた。

いつになく大股。
自然、背筋がピンと延びる。

「グーとふたりで頑張るから、あなたも早く帰ってきてね」

母さんはそういって、玄関口で父さんを見送った。
うっすらと充血した目が前の晩の苦悩をもの語っていた。
築18年の狭い2DKのマンションにひとり。
不死鳥の刺繍の入ったシルクのバスローブに身を包んだ母さんは、
その光沢のある濃色の生地越しに、
突きでたおなかを撫でていた。

「どうしても自宅で産む!」
六ヶ月検診を前にしたある日、
母さんがそう宣言したときには驚いた。
驚いたと同時に不安にも襲われた。

その不安がどこからきていたのかといえば、
それは父さん自身が帝王切開で生まれたという事実からだった。
さらには、
その出産で、
母が生命の危機に晒されたということも聞いていた。

「お母ちゃんの命を救うのが先だったから、
おまえは取りだされた後、
しばらく洗面器に入れられたままだったんだ」
いつか、父がそんな話をしてくれたことがあった。

けれども、その父さんの不安を、
母さんは見事に払拭してみせたのだ。

――自宅出産だろうが病院出産だろうが、リスク自体は同じである。
という研究データや、
「病院の都合で出産スケジュールを決められたり、
そのスケジュールにあわせるための陣痛誘発剤の投与など、
絶対いやだ!」
という、母さんの主張を聞いているうちに、
〈それなら自宅での自然分娩の方がいいよな〉
との考えに至ったのだった。

万が一に備え、
母さんは、広尾にある病院のバックアップ
(…緊急時には、いつでもその病院が対応するという約束)
まで取り付けていた。

だが、そうはいっても、
いざその日になってみるとやはり心配になるもので、
自宅なんかで本当に大丈夫なのだろうか、
という掴みどころのない不安が、
改めて父さんの胸に沸き上がっていた。

朝7時の段階で陣痛の間隔は5分から7分。
もう、いつ破水してもおかしくないのでは…。
父さんも母さんも、そんな判断をしていた。

8時11分ごろ、学芸大学駅の東口商店街の通りを左折。
ここまで来ると駅へ向かう通勤客の数はぐっと増える。
幾つもの小川が川の奔流に流れ込んでいく感じで、
それまで単調に聞こえていた革靴やハイヒールの音が、
一気に雑多なリズムの音の集合体に変わる。
そして、8時14分ごろには駅の改札を抜けていた。

普段より2、3分早いペース。
いつもはホームの売店でスポニチを買ってから、
その直後にくる電車に乗り込むのだが、
この日はそれをやめて、
すでにホームに到着していた日比谷線直通電車に飛び乗った。
発車のアナウンスとほぼ同時、駆け込み乗車だった。

東郷夫人とのアポ(ポアではない)は、
午前十時と決まっていたので、
その前に幾ら時間を節約しても意味はないのだが、
父さんはそうすることで逸る気持ちをおさえていたのだ。

地下鉄の車輌は混んでいて、乗客はみな汗をかき、
互いに不満げな表情で手足を緊張させていた。
つい入り口付近の座席下に目がいってしまう。
新聞紙で包んだサリン入りのビニール袋が置かれた場所。
テロリストたちは傘の先でその包みに穴を開け、
素知らぬ顔で逃走したのだ。

日比谷線を六本木駅で下車すると、
テレビ局までは[arche]の蹴り足に力を入れて、
ほぼ全力で走った。
溜池方面へ向かう通勤客の間を走り抜ける父さんの姿は、
きっとサイドステップを踏みながらフィールドを駆け抜ける、
ラグビー選手のようだったに違いない。
三十四歳にしてはまずまずの走りだ。



8番



そんな調子だったので、
アークヒルズの十階にあったスタッフルームについたのは、
午前8時40分ごろ、
部屋にはまだ誰もいなかった。
ブラインド越しに窓から差し込む日の光りが、
週刊誌と夕刊紙がごちゃごちゃと積まれた共用テーブルにあたり、
縞模様の陰影をつくっていた。

結果的には、
通常より10分近く所要時間を短縮したことになるのだが、
あんなに急いだのにたったの十分か、
という落胆の方が強く、
それよりなにより、身体じゅう汗だくで不快だった。

机に脱ぎ捨てたジャケットの背中には汗がにじみ、
ぐっしょり濡れたスプレッドカラーのコットンシャツは、
胸と背中にぺったりと貼りついていた。
その上、
エアコンの冷気に晒された髪からは、
湯気が立ちのぼっているという有様で、どうしたことか、
ひどく惨めな気分にすらなっていた。

けれども、
だからといって暢気に汗を拭っている訳にもいかない。
その汗の意味を知っている父さんは、
すぐさま電話の受話器を取り上げた。

〈もしかすると、もう生まれてしまったかもしれない〉

そう考えると、
8桁の電話番号を押す時間さえもどかしいほどだった。

呼び出し音が一回、二回、三回。
四回目が鳴る前にカチャッといって回線は繋がった。

「もしもし…?」

普段と変わらない、少し甲高い母さんの声がした。
こちらの気が焦っていた分、なんとなく拍子抜けしたが、
その母さんの声はグーがまだ生まれていない証でもあった。
ひとまず安心した父さんは、
ギギーッというバネの軋む音を立てないように、
慎重に椅子に腰を下ろした。

「どんな調子?」
「頑張ってる。ちょっとだけ陣痛のくる間隔が延びたから、
もう少しは大丈夫だと思う。
横田さんに電話したら彼女もそういっていた。
今、だいたい7分ぐらいだから」

横田さんというのは助産婦。
抜群に明るい、腕のたつ肝っ玉かあさんのような人
(体型ではなくキャラクターのこと)で、
父さんも母さんも彼女には全幅の信頼を寄せていた。

「横田さんは、何時にきてくれるの?」
「これから用意して、すぐに出るっていってたけど、
十一時ごろになるんじゃない」

肝っ玉かあさんは、
川崎区の稲田堤から南部線と東横線を乗り継いでやってくるので、
碑文谷まではそれなりに時間がかかる。
ここで、父さんはふたたび不安に駆られた。

〈果たして、横田さんは出産に間に合うのか?〉

自分のことは棚にあげて、
よくそんなことをいえたものだと叱責されるかもしれないが、
まあそれが人間というもの。
自分の行状よりは他人の行状の方が気になるのだ。

そうはいっても、そんなことを母さんにいう訳にはいかない。
なにか母さんの心の平穏を保たせる気の効いた言葉はないかと、
自分の持っている語彙を高速で検索した。
時間にしてほんの数秒。
ところが父さんの思いとは裏腹に、
口から出てきた言葉は、果たせるかな、
声にした途端自分でも愕然とするようなものだった。

「痛い?」

なんともまあ、不甲斐ない。
子細な事実を検証することをモットーとすべき、
ジャーナリストが口にする科白ではない。
それを聞いた母さんも一瞬、あっけにとられたようだった。

「そりゃ痛いわよ。それに暑いし」
「そうだよね。暑いよね」

自分を卑下するのは好まないが、こうなると笑止千万。
幾ら自分で手出しのできない事柄だといっても、
もう少し気のきいたやり取りができると思っていたのだが、
過信だった。

ともかく、
胎児に良くないということで、
ここ数日は部屋の冷房を極力抑えていたのだ。
和室にしてもリビングにしても、
東側全面にはアルミサッシの引き戸が入っていたので、
日の出とともに容赦なく日が射し込む。

それぞれの部屋に遮光カーテンは掛けてあったのだが、
カーテン嫌いの母さんがそんなものを使うとは思えないし、
レースのカーテンなどは、
「せっかく外が見えるんだから、要らないでしょ」
ということで、最初からその存在すら否定されていた。

だから、午前9時前といえども、
室内の温度はかなり高くなっていたに違いない。
水で濡らしたバンダナを首に巻き、
バスローブ一枚を羽織った母さんが、
汗まみれになってうんうん唸っている姿が目に浮かんだ。
長いまつげには粘っこい汗が、
玉になってくっついていることだろう。

「…早めにロケを済ませて、帰るから」
そういって電話を切ったとき、
耳の奥に「頑張れるから…」という、
母さんの最後のひと言が張りついた。
妊婦のかく汗ほどではないにしても、
父さんの汗もこの日ばかりは相当粘っこかったのだ。



戦争やめろ!



アークヒルズから西麻布にある東郷邸までは、
車で十分ほどだったで、約束の十時までにはまだ時間があった。
雑然と広い、誰もいないスタッフルームにあって、
壁際にあるロッカーの上に並んだ五台のテレビだけが、
音もなく、
きょうという日を雑多に伝えていた。
画面の右上では、
手書きのサイドマークが派手に踊っている。

〈死んでも尊師のお世話を…、青山被告の獄中秘話〉
〈生中継! 村井氏刺殺の徐被告、注目の初公判〉
〈ノコギリで児童を! 教師が仰天体罰〉
〈新進党躍進、村山首相の苦しい弁明〉
〈真相追及! 上祐氏が幽体離脱体験を激白〉

今朝まで徹夜作業をしていたスタッフの誰かが、
スイッチを消し忘れて帰ってしまったもの。よくあることだ。
だからといってそれらのテレビが、
全て消されているところを見たことがあるかといえば、
そうでもない。
つまりは、朝、テレビがついていようが消されていようが、
普段はまったく気にしていなかったということだ。

それにしてもグーが生まれようとしている日に、
一瞬のうちに、三十万を越える人の命を奪った原爆や、
その投下直後のこの国の在りようを取材している…、
というのも不思議な巡り合わせだった。

失われた命のなかには、
きょうの母さんと同じように、
新しい生命を、
今まさに産み落とそうとしていた妊婦の命もあったはずで、
そんな妊婦の夢や希望は、
胎児の未来と共にあのキノコ雲のなかに霧散してしまったのだ。

悲劇なんて言葉じゃ到底表現できない、
蛮人による冒涜そのものだ。

人類すべてを殲滅しつくせる兵器の出現。
あの日から、
“人間の生”という観念そのものが変わってしまったのだ。

では、
蛮人が手にした悪魔の兵器、原子爆弾について、
当時の日本陸軍の幹部はどんな見方をしていたのか。
これにも唖然とさせられる。



戦争反対



父さんは、デスクに積み上げたファイルの中から、
外交資料館で接写した「終戦記」(下村海南著)の一部文言を、
資料用に改めて書き起こした書類を取り出した。

そこには、
広島への原爆投下から3日後に開かれた、
臨時閣議の様子が書かれていた。

1945年8月9日、第一回臨時閣議の様子
14時半に開会。
陸相、原子爆弾について報告する。
――第7航空隊マーカス・エル・マクヒーター中尉の語る所、
――その爆力は、
五百ポンドの爆弾三十六を搭載せるB29二千機に該当する…。
――地下壕は丸太の程度で覆ふてあれば充分である。
――裸体は禁物で白色の抵抗力は強い。
――熱風により焼失する事はない。
――電車、汽車なども脱線する程度である。
――地上に伏しても毛布類を被っているとよい。
――本日十一時半長崎に第二の投弾があった…。
――原子弾はなほ百発あり一か月に三発できるが、
永持ちは出来ない……

この文言を見て、君はどう考える?

アメリカ軍による広島への原爆投下から3日目
(この3日間という時間を、どうとらえるかにもよるが…)
ということを考慮しても、
父さんには到底信じられない。

物事を正面から見据えることの出来ない、
否、見据えることを意図的に拒んだ人間がいかに罪深いか、
その見本のようなものだ。

陸軍側は、
原爆の威力を意識的に過小評価しようとしていた、
と後に東郷外相が述べているが、
それにしても程度というものがある。
そもそも、
文中に登場してくる、
第七航空隊マクヒーター中尉なる人物が、
本当にそんなことを語ったのかさえ怪しいものだ。

おそらく、彼らの目は特別なのだ。
事実がグニャグニャに歪んで見えたとしても、
吐き気を覚えるなんてことすらないのだろう。

〈もし僕たちが、五十年前の日本に生きていたとしたら…〉

そんなことを無防備に考えそうになって、
父さんは資料を読むのを止めた。
〈きょうは大安だっかか、それとも友引だったか…〉
ファイルを閉じながら、
ふとそんな些細なことが気になった。

[続く…]

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(飯村和彦)


newyork01double at 13:08|PermalinkComments(3) ダブル 

いづれ死んでいく父からの伝言(5)



西麻布の東郷邸の中庭には、
こじんまりしたプールがあった。
日本(というより東京)らしい大きさで、
母さんが見たらきっと、
〈うちにも、あんなジャグジーがあったらいいのに…〉
との感想をもらしたことだろう。

しばらく使っていないようで、
水も張ってなかったが、
父さんは生まれたばかりの裸の君を胸に抱いて、
そのプールに入っている自分の姿を想像した。

底抜けの笑顔、日差しを浴びて輝く肌。
小さな手に、澄んだ瞳…。

9ヶ月前、
湯船につかりながら初めて考える実験をしたときに比べると、
浮かんでくるイメージがだいぶ前向きなものになっていた。
この9ヶ月で、
自分も多少なりとも人間的に成長したのかも知れない、
と思った。



忍者



東郷邸での取材は予定通り午前10時から始まり、
ビデオテープ4本、
時間にしておよそ二時間で終わった。
一番印象的だったのは、
東郷夫人に見せてもらった外相の手記、
「時代の一面」の最後の方に書かれていた文言だった。

――自分の仕事はあれでよかった。
これからさき自分はどうなっても差し支えない。

信念を貫き通した人間だけがもちうる潔さというか、
常軌を逸した世界に身を置きながらも、
自分の内なる倫理に、
忠実に生きた人間だけが達する境地というか、
ともかく、父さんは心をうたれたのだ。

日本がポツダム宣言を受諾し、
終戦を迎えるまでの政府内部の状況はといえば、

〈日本としては皇室の安泰など、
絶対に必要なもののみを条件として提出し、
速やかにポツダム宣言を受諾、和平の成立を計るべきである〉

という、東郷外相を中心とした和平派の主張に対し、
陸軍側は、

〈皇室安泰、国体護持に留保するのは当然のことで、
保障占領については日本の本土は占領しない、
武装解除は日本の手によってする、
戦争犯罪の問題も日本側で処分する、
という四つの条件を連合国側が受け容れないかぎり、
戦いを遂行すべきである〉

との立場を崩さず、

〈今後二千万の日本人を殺す覚悟で、
これを特攻として用いれば決して負けはしない〉

などと、強行論を展開していた。
繰り返すが、
これらの議論は、
広島、長崎へアメリカ軍が原爆を投下した直後のものだ。

自分のでっちあげた嘘を事実だと信じ込んでしまうと、
人間というのは知性さえも失ってしまうらしい。
戦争は人を狂気に走らせるだけじゃない。
狂気が正当化され、
幻想が事実を呑み込んでしまう危険性を、
つねに孕んでいるということだ。

最終的には、

〈外相案をとる〉

という、天皇のいわゆる[聖断]で、
日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えるのだけれど、
もし天皇が、
〈忍び難きを忍び、世界人類の幸福の為に…〉
決断していなかったら、
もし二千万人もの日本人が特攻という形で[殺されて]いたら、
今の僕たちも(つまり、父さん自身や母さんの胎内にいる君も)
存在していなかった可能性が少なからずあるのだ。

そう考えると背筋が凍る思いというか、
やれ〈子供が嫌い〉だの、
やれ〈子供をもつと自分の人生に制約が加わる〉
などと考えていた自分が、改めてひどく陳腐な人間に思えた。

――自分の仕事はあれでよかった。
これから先き自分はどうなっても差し支えない。

などという科白を、口にしなくてはならないような世界に、
生きたいとは思わないけれど、
そんな心境になれるぐらい、
なにかに懸命になれたらとは考えた。
生きていくことの意味というか、生き切る価値だ。

父さんは、
一時メディアが盛んに流布させた、
[平和ボケ]
という言葉が嫌いだ。
戦後五十年、
平和が続くことに不満を漏らす訳にはいかないのだから。



墓地



西麻布での取材が済んだ後、
「それじゃ、このまま碑文谷へ行きましょうよ」
という提案をしてくれたのは、カメラマンの竹内さんだった。

仕事に私生活を持ち込みたくなかったというか、
なんとなくいいそびれたというか、
どこか格好悪いような気がしたというか、
(これが一番真実に近い)、
父さんは、
〈今にも女房が、自宅で赤ん坊を産み落とそうとしている〉
ということを、その日のスタッフには伝えていなかった。

そんな父さんが、
「実はさ、きょう父親になるんだよね」
と、ちょっと照れながら竹内さんいったのは、
一緒に、
撮影機材をハイヤーのトランクに積み込んでいるときだった。

なぜ、そんなタイミングで、
話すつもりのなかったことを急に口にしたのかといえば、
それは、ストレッチ素材の白いTシャツ姿の、
竹内さんの形のいい胸の膨らみにふと目がいったからだった。

妙な脈絡だなあ、と思うかもしれない。
しかし、事実そうだったのだから仕方ない。
その上、慎ましい襟首から微かにのぞく鎖骨のくぼみも、
目に眩しかった。

父さんの話を聞いて、当然、彼女は目を丸くした。
「うそっ、じゃ早く帰らないと」
化粧っけのない日焼けした顔。
極力女らしさを排除しようとしている竹内さんは、
指輪やイヤリングなどの類は一切身につけていない。
目を丸くしたまま彼女が訊いた。

「どこの病院なんですか?」
「病院じゃなくて、碑文谷の自宅なんだけどね」

この[自宅]という言葉が、
27歳の独身女性に与えたインパクトは想像以上で、
信じられないという大袈裟な表情になったかと思うと、
一拍あって、
「それじゃ、このまま碑文谷へ行きましょうよ」
ということになったのだ。

一刻も早く、
亭主を妊婦のもとに送り届けなければならない、
という使命感が、
突然、彼女の中に生まれたらしい。
そして彼女は、
最近買ったばかりだという携帯電話を、
ジーンズのヒップポケットから引きだすと、
「これ、使って下さい」
といって、父さんにひょいと投げた。

住宅地だったので近くに公衆電話はない。
かといって、
ハイヤーの自動車電話を使うのはなんとなく気が引ける。
そんな父さんの心中を咄嗟に察知したのだ。
さらにいえば、
父さんが携帯を持っていない!
ということを確信していた彼女はもっと凄い。

父さんとしては、
そんな竹内さんの好意の一つひとつについて、
「ありがとう」
と、ひと言感謝すればよく、
こんな場合の意志の疎通には多くの言葉を必要としないのだ、
ということをしみじみ実感していた。

竹内さんに借りた携帯で母さんに連絡を入れ、
グーがまだ生まれていないことを確認すると、
父さんたちはハイヤーに飛び乗った。

「首都高を目黒で下りて、
ダイエーを目標に目黒通りを真っすぐ行って下さい」

その時、父さんが考えていたことは二つ。
ひとつは、四の五のいわずに携帯電話は持つべきだということ。
もう一つは、女らしさを抑えようとすると、
かえって女らしさを際だたせる…、ということ。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(6)




首都高を下りるまでは順調だった。
ところが、目黒通りに入った途端、渋滞につかまった。
月曜日の昼過ぎ。
とりたてて酷い渋滞ではなかったのだが、
イライラするには十分な混み具合だった。

外の気温はゆうに三十五度を超えていたに違いない。
アスファルトに染み込んだ熱が、
灰色の蒸気になって通り全体を覆っていた。
むせ返るような空気の中、
商店街を歩く人たちの足取りは一様に重く、
だらだらと倦怠感を引きずっているように見えた。

「大鳥神社のところ、
山手通りとの交差点を過ぎれば流れると思うんですが…」
そういいながらハイヤーの運転手は、
また、センターライン寄りに車線を変えた。
車線を変えたところで事態が好転しないことは、
すでにその前の十数分間で学習しているはずなのに、
彼としては同じ車線に漫然としていることが許せないらしく、
機を見てはせわしく動いていた。



メモ書き日記



「あの、赤ちゃんは男の子、女の子どっちなんですか?」

竹内さんが、
なぜか躊躇いがちにそう尋ねてきたのは、
権の助坂をやっと下りきり、
目黒川をまたぐ目黒大橋に差しかかったあたりだった。
区民センターのプールへ行くのだろう、
大きなスポーツバッグを抱えた小学生ぐらいの男の子が、
妹らしい小さな女の子の手を引いて歩いているのが見えた。

「もう、分かっているんですよね」
「多分、おんな」

父さんは、
ピンクのサンダルを履いた女の子に目をやりながら、
平板に答えた。

「へぇー、そうなんだ」
「そう。本当は生まれるまで知りたくなかったんだけどね。
でも、検診のときに助産婦さんが、
お嬢ちゃんかもしれないって口を滑らせたから」
「どっちが良かったんですか?」
「元気ならどっちでも…。まあ、月並みだけど、
男だったら一緒にサッカーしたり、
キャッチボールしたりできるなって考えてた」
「じゃ、ちょっと不満?」
「そんなこと、ない」
「かわいい子になるんでしょうね、お母さんがアメリカ人だと」
「どうかな」
「そうに決まってますよ、ハーフなんだから」
「だといいんだけど。
でも最近は、ハーフじゃなくて、ダブルっていうらしいけどね」
「そうなんですか」
「らしいよ、女房にいわせると」
「羨ましい…」
「なにが?」
「なんでも」
「そんなでも、ないけど」

ハイヤーが、
碑文谷のマンションの横にあった月極め駐車場に滑り込んだのは、
午後1時半ごろ。
そんな時間に駐車している車はほとんどない。
で、最初に目に飛び込んできたのが、
奥のコンクリートの壁面いっぱいに、
赤と白のペンキで書かれた乱暴な文字だった。

――[この土地は絶対売らない]、[地ベタ師に注意!]

いったい誰に注意を喚起しているのか、
もしかしたら書いている当人が、
その[地ベタ師]なんじゃないのか、
と勘ぐりたくなるような最低の代物だった。
誰が見たって気分が悪くなる。

ちなみに碑文谷一帯には、
似たような下品な手書きの看板がやたらと多い。

ともかく、父さんは、
「取材テープは、報道フロアの番組棚に入れておきますから」
といってくれた竹内さんに、
「ありがとう」
と、短く礼をいって車を降りると、
そのままマンションの入り口へ走った。

ところが、
エアコンの効いた車内から急に炎天下にでたせいなのか、
足元がおぼつかず膝までガクガクした。
まさに、地に足がびっくりするほどついていない状態だった。

そんな様子が頼りなげに見えたらしく、
背後で竹内さんが小声で叫んだ。
「パパ、頑張って!」
父さんは彼女の声援に、
よろけながら(本当なのだ)軽く右手をあげて、
手の平の返しだけで応えた。
申し訳ないとは思いつつも、
振り返る余裕がなかったのだ(これも本当)。
ちょっと気障だったかもしれない。

一階が、
デジタル写真印刷会社の店舗兼作業場になっている、
三階建てのマンションに、エレベーターはなかった。
郵便受けが並んだ狭いエントランスを抜けると、
真っ直ぐに延びる外階段を、
三段飛躍で三階まで一気に駆け上がった。
一番手前が303号室。

「いま帰ったよ、どう?」

玄関ドアをあけるより先に口をひらいていた。
上がり口に靴を脱ぎ捨て、短い廊下をドタドタと進む。
壁に掛けてあった、
馬の鼻先に唇を押しつけている母さんの写真を横目で見ながら、
キッチンに入ると、
隣のリビングから母さんの声が聞こえた。

「あなた…」

ドアを開けると、
何かの上に、
全裸で座っている母さんの姿が目に飛び込んできた。
折った膝頭に頬杖をついて、顔だけをこちらに向けていた。
例えるなら[考える人]、
そんな格好だった。

「おか、えり」
必要以上に声を張らない、呼吸をするようなしゃべり方。
細い息を吐きながら声をだし、
幾分長めのブレスをとって、
また息を吐きながら言葉を繋げる。
その顔には色濃い疲労が見てとれた。

「グーはどうした、まだだね」
確認の意味で一応、訊いた。
すると母さんは、
「この子は、父さん思いの、いい子みたい」
といって笑みを浮かべ、
足元に置いてあった麦茶のグラスにゆっくりと手を伸ばした。
そして、
唇を湿らすように音をたてずにひとくち飲んだ。
頬はうっすらと紅潮していて、
グラスを持つ指先だけがやけに白かった。



紅茶



不思議なことに、
そんな母さんの仕草は、
人の気持ちを妙に落ち着かせるもので、
朝から走り続けていた父さんには、
いわば長い文章の読点のように作用した。
おのずと周囲に気を配る余裕も生まれる。

ひとまず、ジャケットを脱いだ。
エアコンのスイッチはONになっていたが、
室内はやはり蒸し暑かった。
けれども、
その暑さは外の射るような暑さではなく、
どこか柔らかな、
いってみれば母さん自身の体温のようなもので、
思っていたより不快なものではなかった。

繭の中というか、子宮の中というか、
想像するとそんな感じ。
胎内の温度は三十七度ぐらいだというから、
それまでではないにしても、
胎児が出てくるのには、
丁度いい室温なのかもしれない。

母さんが座っていたのは、
逆さまにしたプラスチック製のバケツで、
クッションの代わりにお尻の下に敷かれていたのは、
脱いだシルクのバスローブだった。

陣痛と戦うのではなく、
折り合うための方法として母さんが辿り着いた究極の姿勢、
それが[考える人]だったのだろう。

父さんは本棚の上にのせてあったキャノンを手にすると、
そんな母さんの姿を一枚写真に収めた。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(7)




〈ともかく、写真はたくさん撮ろう〉

それも、父さんと母さんの決め事だった。
胎児の成長に伴い、体型がどう変わっていくのか。
その様子をあとでビュジュアル化できるように、
定期的に[腹部同ポジ撮影]まで敢行していた。

毎月一回、
決まった位置に決まった姿勢の母さんを立たせ、
毎回同じ距離、同じ画格で撮影する。
つい数日前、最後の撮影を、
わが家の写真スタジオ(浴室)で終えたばかりだった。

せり出したおなかの下に両手をあてがい、
「どっこいしょ」と持ち上げるようなお決まりのポーズ。
そんなときの母さんはいつも嬉しそうだった。

「みてみて、ここ出っ張ってるでしょ。
これグーの足よ。
ほらほら、横に動いたの、いま撮れた?」
「どこだった? シャッターは押してたから、
撮れてるはずだけど」

…とまあ、そんな具合。



鏡の中



「でも、この写真をいつかグーが見ると思うと、
わくわくするね。どんな顔するかしら。
おなかの中にいたときの記憶は残らなくても、
写真には、そのときの事実が残るからいいわよね。
私もそんな写真、欲しかったな」

撮影のたびに母さんはそういっていたが、
父さんにしても気持ちは同じだった。

記念写真というのはそこに写っている自分を見るというよりは、
写真が撮られた時期に、
自分の周りにいた人たちがどんな様子だったのか…、
を知るのが楽しい訳で、
自分が胎内にいたときの母の姿状や、
胎動を感じたときの母の表情をとらえた写真がもしあったら、
自分が[生きる]ということを考える年齢になったときに、
欠かせないものになっていたはずだ。

そんなことを考えながら、
わが家の[考える人]をファインダー越しに眺めていて、
はたと気づいたことがあった。
グーが生まれる瞬間にその場にいるべき、
もうひとりの人物がいないのだ。

「横田さんは? まだきてないの」

腕のカシオに目を落とすと、
すでに午後の2時近くになっていた。
確か、昼前には到着しているはずだったのでは…。

学芸大学駅から碑文谷のマンションまでの道順をかいた地図
(かなり丁寧なもの)は、
きのうのうちにファックスで送ってあったし、
そのあと電話でも確認していた。
だから、相当な方向音痴でもない限り道に迷うことはない。

指を噛んで、陣痛に耐えていた母さんがいった。
「お昼ごろ、電話があって、少し遅れるって」
「それで大丈夫だって?」
目の前の母さんの様子からして、
父さんにはとても大丈夫そうには見えなかったのだが…。
「そういってた。たぶん、早くても、夕方だろうって」
「ふーん」

自然分娩は、文字通りかなり自然の力の影響を受ける、
といつか横田さんが話していたのを思いだした。
満月や新月の前後にはお産が増えるし、
一日のうちでは、
潮の満ち引きが重要になるのだという。

陣痛でいえば満潮の数時間前から強くなり、
逆に引潮の時間になると弱くなるのだそうで、
だからそんなときには焦らず、
次の満ち潮を待つのが懸命なのだという。

けれども、そうはいってもそれが全てではないだろうし、
万が一、
助産婦の横田さんが到着する前に分娩がはじまってしまったら、
と考えるとゾッとした。
胎児のとり上げ方までは、
出産準備クラスでも教えてくれなかった。

ヌルッと出てきたグーをしっかり受け止められなかったら。
そもそも、ヌルッと出てこなくて、
頭が、
子宮口かなんかに引っかかってしまったらどうしたらいいのか。
上手く生まれたら生まれたで、
臍の緒はどう処置しらいいのか。
無闇に切っていいはずがない。
切るべき最適なタイミングと、
「ここを」という位置があるに違いない。

母子ともに…、の母の方だって、
出産時に、もし母さんの出血がひどかったら何をすべきなのか。
どうやって止血するのか。
グーが生まれ出た後、
どれぐらいたってから胎盤やなんかが出てくるのか。
それをどう扱ったらいいのか。

不安の種は尽きなかった。
それでも、あれこれ思案した末に父さんは一つの結論に達した。

〈ともかく、手だけはきっちり洗っておこう〉

しごく簡単なことだが、何よりも重要なことに思えたのだ。
それでバスルームへいこうとすると、
「あなた、お風呂、入れてくれる?」
と、母さんがいった。

「ずいぶん楽になるって、横田さん、いってたでしょ」

お湯の温かさと浮力で収縮(陣痛)が緩み、
楽になるのだ。
最近、
水中出産が人気になっているのもそんな理由からだという。
「わかった、すぐに入れる」



猫さん



その後の父さんの行動は機敏だった。
スポンジでキュッキュ、キュッキュと浴槽を洗い、
シャワーで流しながら適温(この場合は幾分ぬるめ)を探る。
それで、
これだという温度になったらお湯を溜めはじめのだ。
その間、
汗がポトポトと額やまつ毛から滴り落ちたが、
一向に気にならなかった。
無心とまではいわないが、
黙々と山道をのぼるあの心境に近かった。

時間にしてほんの七、八分で風呂の準備は完了。
気づいたときには、
あやや…、麻のズボンがびしょ濡れになっていた。

キッチンの壁あったインターフォンのスピーカー越しに、
「ど〜も!」
という、明るい横田さんの声が聞こえたのは午後三時ごろ。
わが家の分娩室になる四畳半の和室で、
ベランダから取り込んだばかりの、
太陽の光で熱々になった母さんの敷き蒲団に、
洗い立てのシーツをかけているときだった。

急いで玄関に走りドアをあけると、
紫色の大きな風呂敷包みを抱えた横田さんが、
にっこり笑って立っていた。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(8)




「お待たせ!」
助産婦の横田さんは、普段通り、元気一杯だった。
「どーも、待ってましたよ。道にでも迷ったんですか?」
やはり、遅れた理由は気になった。

「とんでもない。
パパさんの書いてくれた地図、バッチリでした」
横田さんは、父さんのことを“パパさん”と呼んでいた。
「出がけに、
おとといお産をすませたお母さんから電話があって…。
ごめんなさいね、遅くなって。
ママさん大丈夫かしら」

だからといって、
彼女が恐縮していたかといえばそうじゃない。
余裕しゃくしゃくといった感じで、
抱えていた風呂敷包みを床に置くと、
履き口がマジック開閉タイプになっている、
健康シューズの甲の部分を勢いよくバリバリと剥がした。

撥水機能付き。
履き心地がソフトでソールには水に浮く軽量の新素材を使用、
などとよく新聞広告なんかで目にするあの靴だ。
確かにものはいいのだろう。
だが、もし四十歳以下の女性がそんなものを履いていたら、
どんな理由があろうと父さんは許さない。
それが、
男女が互いを尊びながら生きる社会というものだ。




かえる君



父さんは訊いた。
「そのお母さんに、なにか問題でも?」
すると、横田さんは呆れたとばかりに、
「赤ちゃんの手足が干からびて、
象みたいに皺だらけになっちゃったんですけど〜
っていうSOSでね。
どうしたらいいんでしょうか〜って。
もう慌てちゃってね」

そういいながら、横田さんは、
脱いだ健康シューズの向きをくるりと変えた。

履く人によっては、
つまり、ある年齢に達し、
本当にその靴を必要としている人が履くのであれば、
あんな靴(…失礼)でも、それなりに見えるから不思議なものである。ちなみに横田さんは五十歳代の後半。

父さんはいった。
「新生児によくある、脱水症状のあれですか?」
【家庭の育児】に書いてあったのを思い出したのだ。
父さんはそのときすでに、
あのぶ厚い本に、
ひと通り目を通していたのだ(内心、ちょっと自慢)。

「そうそう。オッパイあげてれば二、三日でよくなるの。
でも最近のお母さんは、
それが普通のことっだて知らないから、
なにか大変な病気かもしれないって思っちゃうの。
なかには母乳を止めてミルクにした方がいいんでしょうか…
なんて、馬鹿なことを聞いてくるお母さんまでいるのよ」

横田さんはいつでも、
さばさばとした口調で物事の核心をついてくる。
玄関の隣にあるバスルームで入念に手を洗いながら、
彼女は続けた。

「ほら、人工乳の缶。赤ちゃんといえば、
あのかわいい笑顔の、
プチプチ肌だって思い込んでるお母さんが多いから。
本当はその人工乳が一番の問題なのにみんな騙されちゃうのよ、
あの宣伝にね」

人工乳など母乳の足元にも及ばないのに、
多くの母親が母乳育児を放棄して人工乳に走ってしまうのは、
乳業メーカーの巧妙な宣伝活動によるところが大きい、
と横田さんは常々いっていた。

免疫力の高い母乳を飲んで育った赤ちゃんは、
人工乳(いわゆる粉ミルク)で育った赤ちゃんにくらべて、
アトピー性皮膚炎などにも罹りにくいのは証明済みなのだという。
当然、他の病気にも強い。

そういわれれば確かに、牛乳はアレル源の一つだ。
そんなこともあってか最近では、
豆乳をベースにした、
乳児用の人工乳を開発している乳業メーカーもあるけれど、
この豆乳のもと、大豆もまたアレル源である。
当然、体質に合わない赤ちゃんも大勢いる。

だいたいが万人に効く薬が絶対ないのと同じように、
どんな乳児にも対応する人工乳…、
乳業メーカーにいわせれば母乳代用品…など存在しないのだ。
だからこそ人間には母乳がある。
それぞれの乳児の体質にぴったりあった、
完璧な滋養物が母乳なのだ。
おまけに母乳はタダだし。

そんなことに思いをめぐらしながら、
父さんは横田さんをリビングへ案内した。
小柄だが肩から腕にかけての筋肉はたいしたもので、
重そうな風呂敷包みを軽々と持ち運ぶ。
年齢相応の短パン(草木染めのような柄)をはいたその後ろ姿には、どっしりとした安定感があった。

「ママさん、どう? 顔色いいみたいね」
すでに風呂からあがり、
また、[考える人]になっていた母さんを目にするや否や、
横田さんはいった。
助産婦としての横田さんの関心は、
妊婦がどんな格好でどんな呻き声をあげているのかではなく、
その顔色や目つきにあるようだった。
例のとぎれとぎれの話し方で母さんが応えた。

「痛いけど、なんとか、頑張ってます」
「今、陣痛がくる間隔はどれぐらい?」
「だいたい、3、4分」
「もうちょっとね。お風呂にはいったの?」
「さっき」
「そりゃ、よかった」
「そう、ちょっと楽になった」
「何度でもはいっていいのよ。
特にきょうみたいに暑い日は、清々するから」

そういうと横田さんは風呂敷包みを開いて、
荷物の一番上に載っていた真っ白い木綿の割烹着を取り上げた。
そして、
左右の握り拳を交互に突き上げるような格好で袖に腕を通すと、
「さて」と軽く気合いを入れた。

肝っ玉母さんの勝負服。やはり割烹着は白に限る。
そんな横田さんを目にして、
ふいに子供の頃に見ていた母の姿を思いだした。

夏でもひんやりと冷たい台所の板の間で、
ザクザクと野菜を刻んでいた母。
背丈も丁度、横田さんぐらいだった。
母は小学校の教諭をしていたので、
年がら年中台所にたっていたという訳ではなかったけれど、
それでも朝晩の食事の用意をするときには、
いつも真っ白い木綿の割烹着を身につけていた。

記憶の中では、その割烹着が、
みそ汁の染みやら何やらで、汚れているのを見たことがない。
いつでも洗い立てのようにシャンとしていた。


カクテルライト


本来なら、そんな母にも出産に立ちあって欲しかったのだが、
母はとうの昔にこの世を去っていた。
父さんが中学三年の秋だから、
かれこれ20年も前のことになる。

胃に癌が見つかり、
慌てて手術をしたもののすでに手遅れだった。
その後の半年間は、
モルヒネで痛みを和らげながら自宅で闘病生活を送り、
最期は枯れ葉が散るように静かに息をひきとった。
42歳の若死にだった。

〈もし母がいたら、今回の自宅出産についてなんというだろう?〉

横田さんに脹ら脛を揉んでもらっている母さんの横顔を見ながら、
父さんは自問した。
それよりなにより、
アメリカ人の母さんに対して母はどんな態度をとったのだろうか。
父さんたちの結婚を積極的に歓迎してくれただろうか。
それとも、
息子が選んだ妻だから…
という消極的な理由でしか接してくれないのだろうか。

その息子の妻がお産の日を迎えたきょう、
母も横田さんのように、
母さんの脹ら脛を優しく撫でてくれるのだろうか。
それともニューヨークにいる母さんの母親のように、
自宅出産と聞いただけで嫌悪感を露わにして、
孫の出産に立ちあうのを拒んだりするのだろうか。

人間の心の機微などというものは、
その日その日の生活の在りようによって変化するので、
20年前の母を現実に引きずり出して、
あれこれ推察しても意味のないことなのだが、
父さんはそんな自問を止めることができなかった。

そして、

〈もし、父さんや母さんが、
母のように、若くしてこの世を去るというようなことになったら、
グーはその後、どんな人生を送ることになるのだろうか?〉

という問いが脳裏を掠めたとき、
父さんの心は一気に、
自分が歩んだ母が死んだ後の日々へと飛んだ。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(9)




母親を亡くした後の日々。
悲劇のヒーロー然とした表情で、
級友に笑みを投げていた中三時代の自分。
進学校に通いながら、
他人と競争することを拒絶し、
自分の内なる世界を浮遊していた高校時代。

現代国語の試験では、
自分の回答が正しいとわかっていても、
書いた文字が気にいらなければ全部消して書き直したし、
数学では、
一番最初の問題が解けなければ、
幾ら二問目、三問目がたやすくても絶対先には進まなかった。

そんなことをしても、
何にもならないということは分かっていても、
どうしても気持ちの整理がつかず、
ついには吐き気を覚えるような心理状態に陥っていった。
その傾向はひとりでいるときにより顕著にあらわれ、
先にある答えが簡単であればあるほど、
頑固にその一歩手間にこだわった。



電飾系



今にして思えば、暗澹たる日々だったといえる。
こればかりは他人になんといわれようが、
決して変わることにない記憶として心の奥底に定着している。
もちろん、
周囲の大人たちの叱咤激励や友人の心遣いのおかげで、
ときには心が浮き立つような場面もないではなかったけれど、
もし、今誰かに、
〈もう一度、青春時代に戻りたいか〉
と問われれば、
逡巡しながらも、
〈NO〉
と返答するだろう。

そんな思いにとらわれているうちに、
父さんはあることに気がついた。
もしかすると、
自分が〈子供なんていらない〉と思っていたのは、
そんな過去と関係があるのかもしれない。
お腹をそっと押さえながら陣痛に顔を歪める母さんを見ていて、
その思いはある種の確信にかわっていった。

〈万が一にでも、
自分と同じ境遇にわが子が陥るようなことになったら…〉

意識の薄暗がりのなかに、
そんな危惧があったとしても不思議じゃない。
気づいてみれば単純なことのようだが、
単純だったからこそ気づかなかったのだろう。

糸がほぐれるのは、
たとえそれがほんの僅かであっても、いつだって心地よい。

「蒲団の部屋に、いく」
短い息をひとつ吐き、
グーをいたわるようにおなかの下に両手をあてがいながら、
ゆっくりと母さんが立ち上がった。
すでにグーは頭部を下にして、
この世に生まれでるタイミングを図っているに違いない。

「どっこいしょ」
横田さんが、母さんの代わりに声をだして拍子をとった。
のろのろと慎重な足取りで、
四畳半の和室へ向かう母さんの後ろ姿は、
幾分逞しくなった腰の周りをのぞけば、
妊娠する前と少しも変わっていないように見えた。
しなやかなそうな縦長の体型。
やはり、手足だけがでたらめに長い。

「しかし、どうしてあんなことをしでかしたかね」
母さんの緩慢な動き、
…仰向けに寝たまま、体をゴロリゴロリと左右に向ける…
にあわせて、
敷き蒲団の上に白いビニールシートをかけていた横田さんが、
唐突に訊いてきた。

「立派な大学を出ているエリートが多いっていうけど、
わたしにはそうは思えないのよ」

前フリなしだったが、
それがオウムの件であることはすぐにわかった。
横田さんは、
父さんがオウム関連の取材にも当たっているのを知っているので、
ときにそんな質問をしてきた。

「僕もそう思いますよ。
高学歴だからってエリートという訳じゃないし。
新聞やテレビは、…まあ僕もテレビの世界にいるけど、
高学歴のエリート集団がどうしてあんな犯罪を? 
という議論が好きだけど、
そもそもその議論の出発点が間違っているのは確かでしょう」

「違うわよね。
エリートっていうのはみんなのリーダーとか、
選ばれた人のことでしょ。
あの人たち、そんな風には見えないもの」

「一般社会じゃ、
絶対にリーダーとかにはなれない連中でしょ。
もちろん、リーダーだからって偉い訳でもなんでもないけど。
でも、だからといって他の人たちと一緒になって、
なにか社会に役に立つようなことができるかといえば、
そんな連中でもない。結局、
オウムに逃げ込むしかなかったんじゃないですか?」

「自分のことばかり考えてる人よね、きっと。
私にいわせりゃ、なんだかんだ理由をつけて、
奥さんのお産なんかには絶対立ちあわないタイプ。
もし立ちあったとしても、
赤ちゃんを見るより先に、
血を見て卒倒するようなタイプよね」

そういいながら横田さんは母さんの横に座り直して、
またマッサージをはじめた。
膝頭から脹ら脛の裏側をゆっくりと揉んでいく。
そのごつごつした手は、
鉛筆やペンで理想を訴えるのではなく、
生身の人間に触れながら、
夢や希望をたぐり寄せてきた手だった。



犬さん



「パパさんは、足の裏を押してあげてね」
脚の長さの割には、母さんの足は小さい。
父さんは、
母さんの足を自分の膝の上にのせると、
まずは、
左足の土踏まずのあたりに右手の親指をぐっと押しあてながら、
左の手で指全体を軽く揉みはじめた。
冷え性の母さんの足は、
夏の暑さの中でも指先が冷たかった。

「逮捕されたのは若い人が多いでしょ。
だから、親がかわいそうよね。
あんな子に育てたはずじゃなかったって悔やんでも、
悔やみきれないでしょう? 
自分の子供が、
テロ集団の一員になるなんて想像できないもの」

横田さんのいう通り、
子供がとんでもない宗教に引きずり込まれた…、
という認識をもっていた親はいても、
自分の息子や娘が、
教団幹部になってサリンやライフルを製造し、
国家転覆を目論んでいるなどと想像できた親は皆無だろう。

血で血を洗うようなパレスチナ紛争の真っ直中に身を置き、
日々の生活に絶望している両親を、
間近で見て育った若者ならまだしも、
オウムの場合は、
新聞社の部長の息子が信者だったりした訳だから。

父さんはいった。
「なぜ宗教がテロリストを生んだのかという議論があるけど、
それも違っていて、テロリストが宗教を利用したんだと思う」
すると横田さんは、
「そうよね、失礼しちゃうわよ。
だいだい、あの麻原って人、汚らしいもの。
水中出産なんかには絶対立ちあわせたくない」
といって、
これでもかと眉間に皺をよせた。

そんな話をしていると、
マッサージを受けていた母さんが、突然会話に割り込んできた。
うんうん唸っていても、
周囲の話はきっちり聞こえていたらしい。
ふッふー、はッはー息を継ぎながら母さんはいった。

「私の知っている日本の若い人たちは、いつも、
日本人だということを意識して、
自分たちだけの世界を、つくりたがるの。
ニューヨークにきた留学生なんかが、そうだった。
それで、日本に帰ってからのことばかり、いつも心配してた。
他の国からきた留学生は、そんなことないのに」

世界最終戦争だとかハルマゲドンだとか、
そんな荒唐無稽の話を多くの若い日本人が信じてしまったのは、
閉ざされた文化や、
社会の中で群れたがる多くの日本人の特性と無関係じゃない、
というのがニューヨーカーであり、
流浪の民を先祖にもつ母さんの見方だった。

そのとき父さんは、
ふとひとりの女性信者の顔を思いだした。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(10)




上九一色村の教団施設に、
警視庁の強制捜査が入った数日後の夜のことだった。
青山にあるオウムの東京総本部の道場で、
若い出家信者たちにあれこれ質問をぶつけていると、
薄汚れたスウェット姿のある女性信者が、
オウム信者特有の、
鼻を突く尿酸というかアンモニア系の臭いを発散させながら、
オウムに入信した理由を口にした。

「結婚にしてもなんにしても、
いくら一所懸命育んでも最終的には壊れてしまう。
同じように頑張るなら、壊れないものに対して努力したいから」

そして彼女は、
オウムに入信するにあたり、
全財産(といっても数十万円の銀行預金)をお布施として、
教団に納めたことを、さも誇らしげにつけ加えた。
「お金なんてね」…と。

視線を彼女の足元に落とすと、
白だったらしい靴下は黒ずみ、
その左右どちらにも、親指と小指の部分に穴があいていた。



猫の顔



そこまでいうのなら…と、父さんは、
幾分意地の悪い質問をぶつけた。
「それじゃ、逮捕されるときに君たちの教祖が、
九百万円の札束を、
後生大事に抱えていたことについてはどう考えるの? 
自分だけ秘密の小部屋に逃げ込んで、
失禁までしていた教祖ってどれぐらい高潔な人なのかな」

すると彼女は、目をきっと見開いていった。
「そんなこと分かりません。
だいたいマスコミが流す情報なんて当てにならないから」

彼女との会話はそこまでだった。
憮然とした表情でこちらに一瞥を投げると、
その女性信者は足早に道場をでていった。

ボブカット風の髪型に、
尻の部分がだらしなく弛んだスウェットパンツ。
右手には、
【マディソン・スクエア・ガーデン】
と金色の英文字で書かれた濃紺のスポーツバッグを下げていた。
そう、20年以上前、
よく小中学生がぶら下げていた、あのナイロン製のバッグだった。

〈分かろうとしても、やっぱり分からないなあ…〉
それが、素直な感想だった。
彼女が強調した、
[壊れないものに対する努力]
とはいったいなんなのか。

教団の手によって作られた覚醒剤を使った修行
…本人たちが知っていたかどうかは別として…や、
20ccで100万円だという教祖の澱んだ血を飲むことが、
その壊れないものに対する努力の一貫だとでもいうのだろうか。

信じがたいことにその女性信者は、
出家前、
幼児教育のトレーナーをしていたといった。
どんなトレーニングを幼児に施していたのか、
それについては語りたがらなかったけれど、
そんな彼女の目に、
純真な子どもたちの瞳はどのように映っていたのだろう。
確か、彼女、歳は二十九といっていた。

取材を終えて、
教団広報部の若い信者に押しだされるように東京総本部をでると、
突然、凄まじいフラッシュを浴びせられた。
信者の出入りを闇雲に撮影している、
報道陣のカメラだろうと思っていると、
型の崩れた灰色のジャンバーを着た男が、
使い込んだニコンを手につたつたと歩み寄ってきた。

チラリと身分証をこちらに向けると、
男は自己紹介なしでいきなり口をひらいた。
「きょうは何を?」
「取材です」
「なかの様子はどうでした?」
「別に、なにも…」
「教団幹部は誰か?」
「さあ、誰のこと?」
「いえ結構です。ご苦労さまです」
「そちらこそ」

公安警察も、
その存在価値を実証するチャンスだとばかりにしゃかりきだった。
ネタを引くのに公安に情報を流す記者などもいた。
騙し騙され、因果な商売だ。

ある人たちは、オウムを語るとき、
[なにも知らなかった]一般信者と、
テロを凶行した教祖や教団幹部を分けて考える必要があるという。
けれども、それは大いに疑問だ。
なかには、信者たちの日常を微細に撮影し、
彼らの口から流れでる種種雑多な言葉を、
色眼鏡なしで伝えることこそ、オウムの実像に迫る最善の方法だ…
として実践している人たちもいた。

しかしながら、
いくら教団内部にカメラを入れてその細部を撮影しても、
つまりはテロリストたちが利用した宗教の部分、
要するに表出しても構わない部分だけでしかない訳で、
そうなると、戦時中に、
大本営の発表をそのまま垂れ流していたのとなんら変わらない。

さらにいえば、
その教団内部のドキュメントをもとに、
オウムの実像を語りたがる人たちが、
凶悪テロに直結しているオウムの「本質」
(…メディアは「暗部」という言葉を使いたがるが、
それは妥当ではない)
を、あぶりだすようなドキュメントも、
並行して制作しているのかといえば、残念ながらそうじゃない。

あくまでも、
テロリストの狂気(信者はこれを教義と呼ぶ)に、
無自覚に心酔している、
多くの若者たちの姿を映しだしているにしか過ぎない。

事前にテロ計画を知らなくても、
結果として起きた凶悪犯罪に対し、
きちっと対峙して自らの判断を下すべきなのに、
信者の大半が然るべき態度をとっていないのは明らかだった。
驚くことに、
「マスコミが騒いでくれるから、教団のいい宣伝になる」
と、平気でうそぶく信者も少なくなかった。



公園サッカー



目の前の事実をきちんと見ようとしない点では、
原爆が投下された直後の陸軍幹部の妄想と差異はない。
オウム信者の多くは、
現実をまっすぐに見ることを、
能動的に放棄しているとしか思えないし、
それが許容されると考えている節さえある。

なかには、
「なにも知らなかった自分たちも被害者だ!」
などと、主張する信者までいるのだ。

全財産をなげうち、
自らの[選択]で参加した団体が犯した凶悪テロ。
それは、
[なにも知らなかった]だけで、
済ますことのできる話じゃないし、
もっと突き詰めれば、
[なにも知らなかった]こと自体が、当人たちの落ち度である。
遺言状まで書いて麻原にすべてを委ねていたのだから。

にもかかわらず、多くの信者は、
「真相が明らかにならないことには、なんともいえない」
「麻原尊師(この呼称、いい加減止めて欲しいが)の、
教義を信じるのは信教の自由だ」
「マスコミがいい加減な報道をするからいけないんだ」
などなど、あれこれ理由をつけては、
「なにも知らなかった自分たちに、どう責任を取れというんだ」
とばかりに、自分たちの権利だけを声高に叫んでいた。
冗談じゃない。

戦後、日本人はそれなりに豊かになった。
けれども、豊かになった分だけ、
なにか大切なものを日本人は失ったのだ。
例えば、慎みとか志の欠片とか…。
その結果として、
テロ集団「オウム真理教」が生まれてきたような気がしてならない。
嫌な時代だ。

室内に、ノーザン・オリオール(ムクドリ科の小鳥)のさえずりが、
響きわたった。
この日のために買ったアメリカ製の時計で、
12種類の野鳥の鳴き声で時刻を知らせてくれる。
ノーザン・オリオールがさえずれば、
午後6時ということだ。

この壁掛け時計のほかにも、
リビングにはグーが生まれたときに必要な、
ありとあらゆるものが用意されていた。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(11)




君が生まれたときに必要なものとして、
父さんたちがリビングに並べていたものは、以下の通りだ。

カーペットの上、
一番左端(つまり母さんが横になっている和室側)には、
柔らかい綿製の産着。
これは兄夫婦から譲り受けたもので、
白地に薄水色の花火模様が入っていた。
そして、
バスタオルが5枚と布オムツが14枚(これも兄夫婦から)。
それとマジックテープのついたオムツカバーが2枚。



お尻



その横の小さな木製の盆には、
抗菌性のあるハーブの目薬(自家製、出生直後の新生児に必要)と、臍の緒を切るときに使うハサミがのせられ、
熱湯で殺菌したガーゼも十数枚、
タッパーに入れて置かれていた。

さらに、右手壁際の入れ子式テーブルの上には、
新生児の身体測定に必要な、
折り畳み式の木製物差しとフックのついた古めかしいバネばかりが、
胸囲を測るときに使う一巻きのたこ糸と共に並べてあった。

「お湯は、もう少したってからにしましょう」
分娩まであと1、2時間。
母さんの子宮口の開き具合を診て、横田さんはそう読んでいた。
「いま8センチ弱だから。ママさん、もう少し頑張ろうね」

母さんはといえば、
もうほとんど言葉を発せない状態だった。
俯せの姿勢で枕に顔を押しつけ、
うーん、うーんと唸っては、
はーッ、はーッと息を継ぐ。
目の端には涙が浮かび、
右手には軟式のテニスボールが握られていた。

父さんはそんな母さんの背中を、
力まず、両手で、
規則的な呼吸のリズムを乱さないように注意しながら撫でていた。
よく、
一つの命がもう一つの命を生みだすというのは生命の神秘だ…
といわれるけれど、
実はその一方で、
相当なエネルギーが要求されるものなのだ。



熊と猫



すると、横田さんが思いだしたようにいった。
「パパさん、シチューのルーは買っておいてくれた?」
「はい!」
文字通りの即答。
「最初は抵抗があるかもしてないけどね」

横田さんのいう[抵抗があるもの]とは、胎盤のことだった。

広辞苑によると胎盤は、
〈妊婦の子宮内壁と胎児との間にあって、
両者の栄養や呼吸、排泄などの機能を媒介・結合する盤状器官〉
のことで、
〈胎児の分娩後、続いて胎盤も排出される〉
とあった。

横田さんによると、その胎盤が、
お産を終えた母体にとっては極めて有用な、
栄養の固まりになるのだという。

「みんな食べるんですか? あまり聞いたことがないけど」
と父さん。
「私のところにきた妊婦さんたちには勧めているの。
産後の肥立ちが抜群によくなるから。
病院なんかだと生ゴミ扱いにされちゃうけど、
もったいないもいいとこね」
と、横田さん。

「味なんかは、どうなんですか?…その胎盤」と、父さん。

「悪くないわよ、塩をひとつまみ余計に入れてね。
ちょっと筋っぽいけど、よく煮込めばいい感じになる。
胎盤のほかに臍帯(臍の緒のこと)も輪切りにして。
こっちはコリコリした歯触りで、
ホルモンみないな感じかな」
と、横田さん。

「バジルなんかも入れていいのかな…」と、父さん。

「なんでも。パパさんも食べてみればわかるわよ。
ともかく、ママさんは向こう一週間、
胎盤シチューだけでOK!」

右手の指でOKサインをつくると、
横田さんはひとり笑って見せた。
そんな横田さんに父さんは、曖昧にうなずいた。

胎盤や臍の緒は、
横田さんが全て切り分けてくれることになっていたのだが、
当然、一度に全部食べられる訳ではない。
だから、そのほとんどは冷凍保存されることになる。
要するに、
食事のたびにそれらを適量解凍して、
ジャガイモや人参と一緒に煮込んで胎盤シチューをつくるのは、
父さんの役割になるのだ。
それを考えると正直、軽い吐き気を覚えた。

キモいだろ? やっぱり。

その点、母さんは違っていて、
横田さんから最初に胎盤シチューの話をきいたときから興味津々で、
どこか楽しみにしている節まであった。

それは母さんの生命観と底通しているようで、
人間に生来備わっている機能、
広い意味でいえば、
生き物が、
生きるために自ら作りだすありとあらゆるものには、
固有の目的があり、
それに抗うことは、
生き物(人間)としての自己を全否定することに他ならない、
という信念だった。

だからなのか、
母さんと横田さんは妙にうまがあう。
そんな二人のまわりを、
衛星のように回っているのが父さんだった。

「子宮口、全開」、横田さんがいった。
「ぼつぼつよ」

母さんの様相が一変したのは、
午後7時を少し回ったころだった。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(12)




7月25日の午後7時過ぎ。
それまでは、
陣痛の痛みを呻き声の形に還元して体外にだしていた母さんが、
突如、
猛り狂った野獣のような叫び声を発するようになったのだ。

容赦なく打ちよせる陣痛の荒波に漂い揉まれながら、
あらん限りの声を張って助けを求めているといった感じだ。

「くるくるくる、やだやだやだ!」
「痛い、痛い〜ッ!」
「いやーッ、いやーッ!」

小節の利いた甲高いだみ声というか、
かすれぎみの太い悲鳴というか、
その声といったら誇張ではなく、
襖や壁はおろかマンション全体が揺れるほどの大きさだった。



鳥と熊さん



すでに日は暮れかけていて、
室内に差し込んでいたオレンジ色の西日もだいぶその明度を失い、
東側に掛けてある遮光カーテンの隙間からは、
隣のマンションの部屋に明かりが灯っているのが見えた。

〈お隣さんにも、この絶叫が聞こえているかな?〉

そう思うと、にわかに胸の中に不安が広がった。
「事情を知らない隣近所の人が聞いたら、
ドメスティック・バイオレンスかなんかと勘違いして、
警察に通報しちゃうんじゃない」
状況からすれば充分あり得ることのように思えた。

ところが、横田さんは冷静沈着。
「まあ、その時はその時で、
お巡りさんに近所まわりをしてもらいましょうよ」
と、軽く受け流したかと思うと、
すぐに穏やかな口調でいった。
「パパさん、ママさんを背中から抱えてあげて」

その横田さんの言葉にうながされて、
父さんは持ち場についた。

背中を押入と押入の間にあった柱につけ、
両腕を母さんの脇の下にまわしながら、
上半身を抱え込むようにして中腰になる。
そして、
そのままの姿勢を保ちながら両足を開き、
ビニールシートがかけられた敷き蒲団の上に腰を下ろした。

と、鼻先に母さんの後れ毛が触れた。
首筋は汗でベトベトだった。
横田さんは正面、
母さんを抱えている父さんの前で立て膝の姿勢をとっていた。

「口の痺れ、手の痺れはどう?」
絶叫を繰り返していても状況判断はできているらしく、
母さんは横田さんの問いに二度三度、
首を横に振って応えた。
「大丈夫、大丈夫。落ち着いて」

そういわれても痛いものは痛いらしく、
数秒、長くても十数秒ごとに、
「いやーッ」
「ぎゃーッ」
「ぎょえーッ!」
といった叫び声が、母さんの口から飛びだしてきた。

そんな母さんの苦痛そのもの、
父さん自身が感じることはできない。
だが、父さんの身体に直接伝わってくる、
緊張して震える母さんの筋肉の動きや、
ドクンドクンと脈打つ鼓動によって、
微妙なのだが、
一体感に近いものは得られた。

横田さんが、幼子を慰めるような口調でいった。
「はーい、力抜いて。そう大丈夫よ。ほーら、卵胞が出てきてるよ」

卵胞? なんだろうと思い、一応訊いてみた。
「卵胞ってなんです?」
「赤ちゃんが入っている袋。
それが出てきているから、もう直ぐのはずなんだけど」

そういいながら横田さんは、
母さんの子宮口のあたりを触診しているようだった。
父さんの位置からは見えない。

「力抜いて。さあもう一回、息んで息んで!」

横田さんの息んで息んでの声がかかるたびに、
父さんの前腕を掴んでいる母さんの手に力が入り、
その指先の爪が、ギューッと皮膚にくい込んでいった。

最初のうちは、かなりの痛みを感じていたのだが、
何度か繰り返されているうちに徐々に感覚が鈍っていき、
ついにはなにも感じなくなった。
自分の腕はもはや自分のものではなく、
母さんと柱の間に挟まれている身体もまた、
すでに部屋の一部になってしまったような感覚だった。

その上、
耳をつんざくような、
母さんの叫び声すらまったく気にならなくなっていた。
それは、
意識だけが自分の身体から遊離し、
薄暗い室内に浮かんでいるような感じだった。

横田さんがぽつりといった。
「ママさんの勢いに負けて、なかなか出てこないね」
それは母さんにではなく、
父さんに向けられた言葉のようだったので、
一旦考えてから、
「恥ずかしがり屋なのかな」
と応じた。
すると横田さんは、
「照れてるのかも」
といって、今度はけらけらと笑った。

しかし、そんな笑い声も、
母さんの、
「きた、きた〜っ」
という凄まじい声に簡単にかき消されてしまう。



腕



少し前に、
午後8時を知らせる、
ブラックキャップ・ティカディ(シジュウカラの一種)のさえずりが聞こえたので、
母さんは、かれこれ一時間以上も雄叫びをあげていることになる。
自然破水したのが7時33分だったから、
いくらなんでもそろそろグーが出てきてもいい頃なのに…、
と思うと少し心配になった。

「ちょっと、時間がかかり過ぎですか?」

横田さんにそれとなく訊いてみたつもりだったのだが、
そんな父さんの声も、
やはり母さんの絶叫にかき消されたらしく、
父さんへの答えの代わりに、横田さんは母さんに声援を送った。

「どんな声をだしてもいいから。がんばれ、がんばれ。
もう、このおなかともサヨナラだよ」

さすが肝っ玉かあさんというか、
横田さんの落ち着きぶりはまさに百戦錬磨の強者という感じで、
その表情は、
苦悶に満ちた母さんのものとは対照的に、
心底楽しそうでさえあった。

するとそのとき、
銀箔色のカーテンが一瞬、波打った。
母さんの左足が遮光カーテンの裾に触れたらしく、
その爪先を見ると、
脹ら脛の筋肉をつったときのように、
親指一本が緊張してこちら向きに反り返っていた。

[続く…]

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(飯村和彦)


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いづれ死んでいく父からの伝言(13)




反り返った母さんの左足の親指を見て、
父さんは、思わず声をあげた。

「きたきたきた、きたゾ〜っ!」

知らず、母さんを抱えていた腕にも力が入る。
前方では横田さんが、
「はッはッはッはッ、いいよ。
大丈夫、はいはい、そら頭でたよ!」
と叫んだ。

そして、
「はッはッはッはッ、はッはッはッはッ」
という母さんの荒い息づかいが聞こえ、
その息づかいの連鎖から、
「いやだ〜ッ!」
という最大級の叫び声が飛びだした途端、
抱えていた母さんの身体全体からスーッと力が抜けた。

すると、その直後に、
何かが、ずるりとビニールシートの上に滑り落ちる音がした。
瞬間、
その音が室内の空気に呑み込まれる

そして、
「はーい!」
という甲高い声に続いて、
「時間確認して下さ〜い」
という横田さんの声が父さんの耳に飛び込んできた。

〈やった〉というか、
〈終わった〉というか…

そんな感情が胸に湧きあがるのを感じながら、
掛け時計に目をやると、
時刻は午後8時10分をまわったところだった。

「8時12分です」

そういいながら、
母さんの肩越しにビニールシートの上をのぞき込むと、
横田さんの手の中で、
臆病なうさぎのように縮こまっているグーがいた。

皮膚はグレーがかった薄紫色。
顔を下にして手足をくの字に曲げているその姿は、
メスのカブトムシにも似ていた。



うつぶせ



横田さんが、
母さんの目の高さにグーを持ち上げながらいった。

「さあ、どっちだ? あッ、男だ!」

それに呼応するように母さんも、小さく叫んだ。
「男だ、男だ!」

そのまま横田さんからグーを預かると、
母さんは[彼]を汗ばんだ自分の胸の上にそっとのせた。
目はまだ閉じられたままだったが、
ほの字につぼんだ口は、
乳房と乳房の間で微かに動いていた。
それは開花を躊躇っている、小さな花の蕾のように見えた。

「息、してるね」
と、父さんがいうと、
「大丈夫」
と、母さんが応えた。

その声は、ざらつきかすれていたが、
柔らかな調子になっていた。
傍らでは横田さんが、
グーのからだ全体についている乳白色の胎脂を、
マッサージの要領で、
グーの皮膚に塗り込むようにしながら、
湿ったガーゼで拭っていた。
小さな背中から小さな手足へ…。

横田さんがいった。
「よく頑張ったよ、きみ。どこにも問題ないね」
すると、
おずおずというか、俄にグーが泣き声をあげた。

「キャー、キャー、キャー」
と三回。
ひと呼吸おいて、また、
「キャー、キャー、キャー」
と三回。

はじめて耳にしたそのグーの産声は、
想像していたよりも遙かに細く柔らかなものだった。

はかなくて頼りなげな、
生まれたばかりの子猫の鳴き声のようでもあり、
どちらかといえば心許ないものだったけれども、
産声があがるたびに、
全身が薄紫色から淡いピンク色に変わっていく様は劇的で、
新しい命が、
グーのからだ全体に浸透していくようで、
見ていてぞくぞくした。

「凄いなあ」
他に言い表しようがなかった。

そんなグーを見つめていた母さんの横顔に、
横田さんがいった。
「最後、きつかったね」
「そう。でも、もう忘れたみたい」
そういいながら母さんは、
トントントンと三度、グーの背中を優しくたたいた。

トン、トン、トン。
するとグーの目が静かに開いた。
その瞳の色は、
父さんのものでも母さんのものでもない、
鳶色だった。
と同時にそれは、
グーが生まれてはじめて、この世を自分の目で見た瞬間でもあった。

[続く…]

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(飯村和彦)

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いづれ死んでいく父からの伝言(14)




人間が一夜にして変わるなんて到底ありえない、
と考えていたのだが、違っていた。

父さんの生涯は、
「あッ、男だ」という横田さんの声を耳にして、
グーの真っすぐな視線を目の当たりにした瞬間、
真っ二つに分かれた。
前と後にすっぱりと分離したのだ。
決定的に。

厳密にいえば、
君が母さんの胎内にいたときから、
父さんとの親子関係は始まっていたのだけれど、
「産まれてくる赤ちゃんはお嬢ちゃんのようね」
といわれていた父さんにとっては、
「あッ、男だ」
という横田さんの声を聞いて、
そのころんとしたオチンチンを自分の目で確認した瞬間の方が、
より親子関係の出発点にふさわしいと思っている。

だからといって、
もし君が女だったら、
今のような心境になっていなかったのかといえば、
そうじゃない。

確かに心の片隅では、
男がいいな、
と思っていたのは事実だが、
そんな俗っぽい考えは、
君の目によって、瞬く間に吹き払われてしまったのだ。



金色の彼



その瞳は、
森羅万象を呑み込んでしまう深淵であり、
かつ、
知恵の実で穢れきった、
大人(親と言いかえてもいい)の本性を映しだす「純粋」だった。

「ママさん、パパさん、見て。目を開けたわよ」
「見た見た。母さんを探しているんじゃない?」
「あっ、今、あなたの方を見たわよ」
「わかってる、見てる見てる」
「おなかの中で聞いていたパパさんの声、覚えてるのよ」
「全然まばたきしないけど…。あっ、また、母さん見てるな」
「顎あげちゃって。ねぇ、君、オッパイ飲む?」

そういうと母さんは、グーの口を乳首にあてがった。

「おっ、いきなり口にいれた」
「パクパク、すごく強く吸ってる。
オッパイ出ているかどうか分からないけど、すっごく強い。
…痛い、噛んじゃダメよ」
「でも、なんか老けた顔してないか?」
「どの子もそうなの! 目の形なんてあなたにそっくりよ、
アーモンドみたいで」
「涼しい顔してるわよね」

そんなたわいもない会話を交わしながらも、
父さんの胸は、
自分が父親になったのだという実感で溢れていた。
それは、自分でも信じられないほどの硬い信念であり、
自分が存在していることの、
最大の意味であるように思えた。

〈どんなことがあっても、とことん、わが子を守り抜く〉

それ以外に父親としての存在価値はないのだ。

〈グーの命が危険に晒されたとき、
彼を救う唯一の方法が自分の命を差し出すことであったなら、
父さんは喜んで死ぬだろう〉

そう考えただけで、
父さんの身体は幸福に震えた。
大袈裟ないい方をすれば、
それはまさに根元的な啓示で、
グーを、
そしてグーという新しい生命を生み出した母さんを守ることが、
自分の生きる目的であるように思えたのだ。

けれども、
どうしてそんな、
飛んでもなく崇高な気持ちになったのか?

それはひとえに、
君が病院などの非日常的な場所ではなく、
自宅という、
見慣れた空間で生まれたということがとっても大きい。
これには父さん自身、驚いた。

見慣れた空間の、
連続した時間の流れのなかで生じた変化。

きのうまでは父さんと母さんしかいなかった部屋に、
きょうは君がいる。
ただそれだけの変化なのだが、
その変化がありふれた日常の中で起こったという事実は、
想像以上に父さんの心を激しく揺り動かしたのだ。

――とことん、守る!

そう決心すると、
自分が実際よりもいい人間になったような気がして、
嬉しかった。

約束通り、
母さんの胎内で[産出]された胎盤や臍の緒は、
横田さんによって無事、調理された。
ステーキナイフが胎盤を切り刻んでいく光景は、
お世辞にも美しいとはいえないものだったが、
流れでる血液が、
あまりにも鮮やかな赤い色をしていたのには驚いた。

胎盤シチューを楽しみにしていた母さんが見たら、
さぞや感激したのだろうが、
およそ二十四時間、
陣痛と戦った母さんは、
すでにぐっすり眠っていた。

その横では、
つい今し方まで、
その鳶色の瞳で、
この世の不思議(?)をしげしげと眺めていたグーが、
小さな尻をポコン!と突きだした格好で、
穏やかな寝息を立てていた。



トンネルライト



割烹着をたたみ、
帰り支度を済ませた横田さんがいった。
「ママさん、疲労困憊ってとこかしら。
でも、ぐっすり眠っていられるの今晩ぐらいだから。
パパさん、明日から頑張ってね」

昼夜の区別がない赤ん坊の世界。
そんな生活がこれから先しばらく続くのだということを、
横田さんは、
やんわりと父さんに伝えたかったのだ。

「重々承知しております」
父さんが、わざと慇懃に応えると横田さんは、
「OK、それじゃ」
といって玄関へ向かった。
ところが、
なにか大切な忘れ物でもしたかのように、
突然、クルリと振り返ると、
いきなり小声で口ずさんだ。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」

ギュッ!…のところで握り拳をつくった横田さんを眺めながら、
「なんですか、それ?」
と尋ねると、横田さんは、
「にっ」と笑い、「わらべ唄よ、いいでしょ」
といってもう一度唄を口ずさんだ。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」

そして、
最後のところで、また右手の握り拳に力を入れると、
今度は、
「ギュッ」の代わりに、
「グー!」
といって、ニコリと笑った。

さすが肝っ玉かあさん、
なにげに洒落た真似をしてくれる。

玄関からマンションの外階段にでてみると、
やはり外は真夏の夜だった。
三日連続の熱帯夜。
もわっとした熱気が辺り一帯をおおっていた。

唯一、
遠くで聞こえるセミの鳴き声だけが、
沈滞した空気に微かなアクセントをつけていた。
懸命に胸を震わせて一心に生命を放散する。
七日の命ならそれこそ昼も夜もないのだろう。

横田さんはこちらに手を振りながら、
マンションの横にある、
月極め駐車場沿いの舗道を歩いていた。
その遙か遠方のビルの谷間、
夜陰に濃い緑が点在する碑文谷の低い住宅街の彼方では、
東京タワーの航空障害灯が、
赤く、静かに明滅していた。

[完]

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(飯村和彦)


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2006年02月06日

こんにちは…岡本太郎さん!





岡本太郎さんの作品。

キッパリしていて、
気に入っている。
下の写真は、
東京・青山にある岡本さんの作品(…の一部)




太郎作



いいなあ…と思う。
潔い。

で、下の写真は、
上の岡本さんの作品とは、
まったく、無関係な子供の木登り。




木登り2人




この二枚の写真をアップした理由…
さて?
なんだろう?
写真を眺めていて、
気が付いたら、こうしようと思っていた。
たまたま…

けれど、悪くないなあ、
と自分では思う。


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(飯村和彦)


newyork01double at 19:48|PermalinkComments(2) 家族/ 子育て | 東京story

2006年02月05日

いづれ死んでいく父からの伝言(3)




母さんの妊娠を知ったその晩、
父さんは、
風呂に入りながら父親になった自分の姿や、
父としての自分が目にするであろう光景を、
あれこれ想像してみた。
動かない事実に、
自分の気持ちを適応させるための考える実験、
いわば、
イメージトレーニングのようなものだ。

泣き叫ぶ赤ん坊を抱えて、
ダイエーのなかを走りまわっている自分。
ウンコのついたおむつと、ウンコのついた自分の指先。
濡れて異臭を放つ蒲団。

赤ん坊を背に、
みそ汁に入れるネギを刻んでいる母さんの後ろ姿。
泥だらけの小さな靴下。
玄関に脱ぎ捨てられた赤い靴。



二匹



潰したご飯粒をスプーンにのせて赤ん坊の口に運んでいる自分。
かぼちゃスープとケチャップで、
グチョ、グチョになった小さな口元。
公園で、
砂場を囲む女性たちに白い目を向けられている母さん。

――想定外の現実を受け入れるには、
――慣れ親しんだそれまでの自分自身のフィールドから、
――外に一歩大きく踏み出して、
――自分のおかれている状況を客観的に眺める必要がある。
と誰かがいっていた。

だから、そんな考える実験をしてみたのだが、
頭に浮かんだ光景は、
どちらかといえばネガティブなものがほとんどで、
それらのイメージは自分とはおよそ関係のないものとして、
かつて積極的に排除したものばかりだった。

〈自分はいったい、どうなっていくのだろう〉

誇張なしにそんな大袈裟な不安が募り、
情けないほど自己中心的な人間になっていった。
事態は相当深刻だったのだ。

〈あまり先走っちゃダメだ。
ともかく、現状をきちんと把握することが重要だ〉

そう考え直した父さんは、
気を取りなおして、
今度は母さんの胎内にいる君の姿を想像してみた。

妊娠一ヶ月ちょっとだから、
まだ米粒ほどの大きさでしかないのはわかっていたのだが、
そのときどういう訳か、
片方の足で母さんのおなかを蹴飛ばしては両手をギュッと結び、
小さな握りこぶしをつくっている君の姿が脳裏に浮かんだのだ。

疑いようのない命というか、完全無欠の真理というか、
そんなイメージだった。
そのとき、父さんはこれだとひらめいた。
なにかというと、君が母さんの胎内にいる間の呼び名のことだ。

〈グーだ、グーにしょう〉

グー・チョキ・パーのグー。
それより何より「グッド」のグー。
その言葉を思いついた瞬間は、
湯につかっていながらも全身に鳥肌がたったような感覚で、
ブルッと身震いしたほどだった。

「これしかない!」
と、ひとり頷き、
それこそ巨大な感嘆符を胸に、
父さんはすぐに湯船を飛び出した。
身体を拭くのもそこそこに、
辺りに水滴をたらしながらビングへ駆け込むと、
生まれたてのアイディアを母さんに伝えた。
もちろん、母さんも二つ返事だった。

「グー。That’s good! いいじゃない」

こうして君の胎内にいる間の呼び名は、[グー]になったのだ。



足



父さんは父さんで、
自分がちゃんとした父親になっていく上で、
どうしても越えていかなければならない数多くのハードルの、
最初の一つを辛うじてクリアしたような心境だった。

世の中には事実のように覚えている夢もあれば、
夢のように覚えている事実もある。
悪夢から目覚めて安堵する朝もあれば、
あまりの苦悶に、
夢であって欲しいと現実に背を向けてしまう瞬間もある。

父さんにとってこの日はまさに、
夢(悪夢とまでは言い難い)のような現実に、
一歩足を踏み入れた最初の日で、
その日からの9ヶ月間は、
沸きあがる不安を、
克服する努力のためだけに費やされたようなものだった。

そして、1995年7月25日。
天気予報通り、
三日続けての真夏日となった。

[続く…]

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(飯村和彦)


newyork01double at 11:06|PermalinkComments(17) ダブル 

2006年02月04日

猫のミルキー、無念なり!




ミルキー、
残念ながら、
エリザベス・カラーを装着することになった。
無念!!!



カラー正面


縫合部分が卵型に膨れたので、
獣医師に診せた。
すると、
「縫合した、
腹膜と筋肉の間が腫れているようだ」
とのこと、

原因は、
彼女が、縫合部分を、
ペロペロと舐め過ぎたことだという。
綺麗好き…だからなあ。



はずしたい!


当然、外したい。
で、
後ろに下がりながら、
カラーを首から外そうとした。
すると、
これが、一度成功してしまった!




上を見て


だが、すぐに元通りに…。
少しづつ、諦めの境地へ…。




ひょうたんで遊ぶ


なぜか、ひょうたんが転がっていて…。
一応、手をだす。




エリザベスカラーと光


けれども、
大好きな梯子の上に登るのは、
一苦労。
運動性が格段に落ちたのだ。

視野が急に狭くなる…ということは、
やはり、
相当な負荷。

だが、4、5日はこのままなのだそうだ。
ミルキー、不機嫌なり…。


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(飯村和彦)


newyork01double at 15:06|PermalinkComments(4) 猫の話 

2006年02月03日

いづれ死んでいく父からの伝言(2)




そう、父さんは本当に必死だった。
それは嘘じゃない。
でも、どうしてそんなに必死だったと思う? 
それは君に対するある種の罪の意識があったから。
正直に告白すれば、父さんは子供が好きではなかった。
というよりむしろ嫌悪していた。

無闇に泣くし、泣き出したら止まらない。
おまけに我が儘で、理不尽な要求を、
さも当然のような顔つきで大人に突きつける。

ダイエーの玩具売場で、
駄々を捏ねながら、
母親に向かって泣き叫んでいる子供を見かけ、
蹴り飛ばしたい衝動に駆られたことも、
一度や二度ではなかった。

父さんにとって子供は、
ただただ煩わしいだけの存在でしかなく、
そんな子供をもつことで、
自分の人生に制約が加わるなんて、
到底耐えられないと思っていたのだ。


熊さん


こんなことをいっていると、
立派な人たちは十中八九あきれ果てるに違いない。

――幼稚なことをぐずぐずいうな! 
――世の中には、
子供嫌いでも父親になった男が掃いて捨てるほどいる。
――大抵の男は、いざ自分の子が生まれてみるとコロリと変わって、
それなりの父親になっていくものだ。

けれども、だ。
そんな、したり顔をする“立派な”人たちのどれほどが、
親の子に対する虐待に心を砕いているだろう。

乳幼児がひとり殺されるたびに、
「子煩悩ないいお父さんだったのにねぇ…」
という、近所の人のコメントが新聞に載る。
けれども、
そんな事件は今や、言葉は悪いが、
それこそ[掃いて捨てるほど]あるので、
小さなベタ記事にしかならないのが現実だ。

それに、口が達者な立派な人ほど、
自分の子供のことを本当はなにも知らなかったりする。
しかも、自分が、
子供のことを知らないという事実にすら気づいていない。

いつだったか、ある幼児虐待事件を取材しているとき、
弁護士がそういって嘆いていたのを思い出す。

父さんは、
幸か不幸か、
そんな無自覚な立派な人たちを少なからず知っていたので、
せめて自分だけは彼らのような“立派な”人間にはならず、
子供が嫌いなら嫌いだと、
きちっとした自覚をもって生きようと考えていたのだ。

だから、小春日和の日曜日の朝、
正確には君が生まれる前の年の11月7日。
バルコニーで遅めの朝食を終えたあと、母さんが、
「これ見て頂戴!」
といって、
体温計のような形をしたものを、
父さんの前に差しだしたときには一瞬、言葉を失った。

それが妊娠しているかどうかを調べるための、
簡易判定器であることはすぐに分かったし、
見るとその真ん中、
小さな丸い窓が赤くなっていたのだ。

ひとまず父さんは、
「なにこれ?」
といってはみたものの、
目の前の赤い小窓が何を意味しているのかは明らかだったので、
そのあと口から継いででた言葉は、
「嘘だろ?」
などという、
君が聞いたらさぞやがっかりするようなものだった。

常日頃から、
〈僕は子供が嫌いだ〉
と公言していた父さんが、
その嫌いな子供を持つことになったのだから、
その辺のところは汲んでもらうしかない。

もちろん、
いつかはそんな日がくるのかもしれないと、
漠然とは考えていたけれど、
父さんなりに心の準備をしていた訳ではなかったのだ。

ところが、母さんはといえばケロリとしたもので、
父さんの戸惑いなどどこ吹く風といった感じで、

「来年の夏、8月じゃない? 暑い時よね」
といって、目を細めたかと思えば、

「お母さんと妹たちにも電話しなくちゃ。
みんな驚くね。お父さんはその後でいいかな。
今、ニューヨークは夜の8時過ぎだから、
もう少ししてからの方がいいわよね」
と、ひとりでまくし立て、

「ねぇ、このおなかの子なんて呼ぼうか。
アメリカではだいたいマックスって呼んだりするんだけど、
それじゃつまらないし。
なにかいい呼び名を考えないと」
などといっては、
薄手の黄色いウールのセーターの上から、
まだぺたんこのおなかを両手で愛おしそうに撫ではじめた。


ダイエーから


君も知っての通り、
母さんは、
流暢な日本語を操るニューヨーク生まれのアメリカ人。
手足がでたらめに長く、髪と瞳は黒色。
三人姉妹の一番上で、
下の妹たちにはすでに子供がいたので、
母さんにしてみれば、
やっと妹たちに追いついたという気持ちも、
心のどこかにあったのかもしれない。

ともかく、
向かうは希望あふれる輝く未来といった感じで、
その表情は、秋晴れの空のようにすっきりしたものだった。

そんな母さんを父さんがどんな思いで眺めていたか、
想像するのは簡単だろう? 
対照的という言葉は、
きっとこんなときのためにあるのだと思う。

母さんがすわっていたガーデンチェアの後ろ側、
バルコニーの手すりに、
絡みついたまま枯れている朝顔の蔓を目で追いながら、
父さんは心の中で呟いた。

〈人間、親になったら、
どんなことがあっても果たさなければならない責任が生まれる。
そんな重荷を積極的に背負い込んでどうする?〉

だからといって、
[中絶]などという選択は論外だったので、
そんな自問が、
まったく意味をなさないということは百も承知だったのだが、
そうでもしていないと、
沈んでいく自分の気持ちを抑えることができなかったのだ。

ひらたくいえば、父さんは臆病者だったのだ。
[覚悟]ができていなかった。
父さんの心境を端的に表現すればそうなるのだろう。
辞書的には、
[心構え。自分にとって不利なこと、
辛いことが予想されるとき、
それを引き受けようと心に決めること]
が、出来ていなかったということになる。

子を持つことが自分にとって、
[不利なこと]
になるのかどうかは、判然としなかったが、
[辛いこと]
であるような気がしていたのは間違いなかった。

だから、
「どうしたの? なんか暗い顔してるけど…」
と、母さんに顔をのぞき込まれたときにはあたふたしてしまい、
「いや、別に…」
といって、続けざまに二個、
プランターで育った自家製プチトマトを口の中に放り込んで、
もごもごと間をとった。
噛んだ途端にトマトの皮がプチッと破れる、
あの触感が妙に生々しく感じられた。

いまさら、うじうじと、
自己分析を披露したところで現実が後戻りする訳ではなく、
この期に及んで、
子供をもつことに後ろ向きだった(否定的でさえあった)、
自分の陳腐ないい訳を並べ立てても仕方ない。

そんなことをすれば、
歓喜の中にいる母さんの気持ちに水を差すばかりか、
それよりなにより、
これから先の[家族]の在りように、
決定的な悪影響を及ぼすことになる。

うだうだ考えた挙げ句、
やっとのことで父さんが見つけた、
前向きなものいいはこうだった。

「ともかく。そうだな、[その子]がおなかの中にいる間の、
いい呼び名を考えないと、何がいいかな…」

[続く…]

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(飯村和彦)


newyork01double at 10:52|PermalinkComments(16) 家族/ 子育て 

2006年02月02日

ひょうきんな顔をした鳥




きょうは写真を一枚。
息子が、知人宅で撮影したもの。



なんだ?羽…



残念なことに、
なんという鳥なのか、わからない。
調べれば良いのだが、
「ひょうきんな顔をした鳥」
ということで、
私も息子も納得してしまった。

誰か、ご存知の方がいたら教えて下さい!


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(飯村和彦)


newyork01double at 11:03|PermalinkComments(16) 家族/ 子育て | 息子が撮った写真!

2006年02月01日

猫、手術が成功して退院!




猫のミルキー。
思っていたより、ダメージは少ないようだ。
1月30 日(月)の不妊手術。
取材のため、同行できなかった私の代わりに、
妻が、その様子を撮影してきた。



手術台である

手術直前


全身麻酔。
手足は柔らかい布(紐)で手術台に固定されている。
呼吸が出来ないため、酸素は、
チューブで口から肺へ直接注入。
この光景、
想像はしていたが、なんとも…。



卵巣を…

卵巣


赤く見えるのが、卵巣と卵管。
卵巣の両側(卵管部分)を糸で硬く結び、
その内側を切断して、卵巣を摘出する。

猫の卵巣は2つ。
同じ処置を丁寧に…。
ちなみに、
ミルキーの場合、摘出したのは卵巣のみ。
子宮は残された。



縫う

縫合


縫合である。
筋肉、腹膜、表皮の順番。
筋肉と腹膜の縫合には、
そのまま吸収される糸が使用される。

写真では、その手際の良さを見せられないが、
同時に撮影されたビデオを見ると、
この獣医師、
数種類の三日月上に曲がった針を巧みに使い分け、
いとも簡単に縫合処置を終わらせた。

年間、約250回、同様の手術をおこなっているという。
さて、この件数をどう評価したらよいのか…。



ここなのか!

お腹の糸


全部で7針。
やはり、ちょっと痛々しい。
抜糸は、2月9日。
問題がなければ、私と妻とで抜糸をする予定。
獣医師も了解したという。



やっと、お気に入りの場所に…

梯子に登れた


一泊入院後、帰宅。
きのう一日、ゆっくり「静養」していた彼女だったが、
今朝、
意を決したのか、やおら梯子に駆け登った。
お気に入りの場所である。

しかし、
当然ながら、お腹が気になるらしい。
頻繁に、ペロペロと舐めている。
だが、
糸を引っ張ったりしなければ問題ないのだという。

「エリザベス・カラー」の装着を覚悟していたので、
その点は助かった。
あんなものを首に付けていたのでは、
ストレスが溜まるだろうから。

さて、子供たちの反応はというと、
息子も娘も実に献身的である。
いつもなら、すぐに抱き上げたがる娘も、
そろりと近づいて、
優しく頭を撫でている。
息子はといえば、案の定、写真を撮りまくっているが、
これまた、無理はしない。

自制して、ゆっくり、大切に…。
そんな子供たちの態度を見ると、
「成長したなあ」
と感心させられる。悪くない。

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(飯村和彦)


newyork01double at 11:16|PermalinkComments(22) 猫の話 | 家族/ 子育て