2006年03月
2006年03月31日
2006年03月28日
「手抜き」は禁物!
No.34
half-assed
手抜き。
一生懸命やっていない。
仕事などをいい加減にやることを、
日本語では「手を抜く」というが、
それと同じ意味で、
“half-assed”(…きれいな表現ではないが、“ケツ半分”)
手抜きは禁物!
何をするにも「手抜き」は禁物。
そのツケ(…ケツではない!)は、
必ず!
自分に回ってくるから。
下の写真は、
(多分)「手抜き」なく、
ニューヨークの街を守っていた、
51丁目にある消防署所属のファイヤーファイター。
ちなみに、その署には、
ダルメシアンが1頭、飼われていた。
さて。
きょうの朝、ある本を読んでいると、
やおら、
宮沢賢治の詩の一部が目に飛び込んできた。
………
新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ
…
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないか
………
とってもいい。
なんというか、
シャンとした気持ちになる。
昨晩、ここ数日行っていた、
第一段階の編集作業が終了。
きょうは、ナレーション録りである。
ハレルヤ!
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月27日
2006年03月26日
2006年03月24日
2006年03月21日
2006年03月20日
2006年03月18日
2006年03月17日
北九州・小倉、巨大ヘルメット
北九州・小倉市に来た。
きのうに引き続き、スターフライヤーの取材である。
きのうの雨も上がり、
本日は、…晴れ。
小倉市の俯瞰を撮影するため、高台にやってきた。
さて、ここで簡単な問題。
↓の、銀色の「ヘルメット」のような建造物。
なんだと思います?
もちろん、九州の方なら直ぐ分かる。
おまけに、「ヘルメット」が大きなヒントだ。
さて…?
答えは「競輪場」。
しかし、名前はちょっと意外で「メディアドーム」
というのは、
ここでは、競輪の他、
各種イベントやコンサートなども行なっているから。
小倉は、「競輪発祥の地」である。
そうそう。
ちなにみ、
このメディアドームは、「館内禁煙」らしい。
「健康的に勝負を!」
…できればいいねぇ。
(飯村和彦)
スターフライヤー、就航初日だ!
新しい航空会社の飛行機に搭乗!
羽田空港と新北九州空港を結ぶ、スターフライヤーである。
就航初日。
↓は、成田発、23時50分発の最終便機内。
しかし、離陸したのは午前0時過ぎ。
悪天候により運航が乱れ
この日開港した新北九州空港に到着したのは、
午前1時40分である。
ところで、
↓が、機体デザイン。
白と黒。「シャチ」のようなデザイン。
実物写真は、
昼間に撮影し、後でアップする予定。
椅子は全席「革」張りである。
前面に、液晶モニター。なかなか綺麗だ。
BBCニュース、NHKニュース、映画…等々な見られる。
座席間隔も広く、心地よい機内空間に仕上がっている。
悪くない。
新造機なので、「新車」の臭い。
あとは、「安全」に飛び続けてくれることを、
祈るのみ。
整備不良やなにやらで問題の多い、
かつて「赤い鶴のマーク」をつけていた
航空会社のようにはならないように…
(飯村和彦)
2006年03月16日
2006年03月15日
腹が膨らんだ! 産卵だ!
今日かもしれないし、
明日かもしれない。
熱帯魚の産卵の話である。
同僚が「息子へ」ということで、
水槽一式と、
スッポンモドキ2匹とカメ3匹を、
我が家に持ち込んだのが4年前。
当初、
水槽の主は2匹のスッポンモドキだったのだが、
大きくなるにつれ、
互いに噛み合い、
「流血戦」を演じるようになったため、
2匹とも「嫁」(…オスだったかもしれないが)にだした。
それで、新たに水槽の主となったのが熱帯魚だった。
現在では、
プラティをはじめ、あれこれ飼っている。
その熱帯魚たちが、産卵の時期を迎えている。
といっても、プラティの場合、
明確な「産卵の時期」がある訳ではない。
年に何度か、気ままに…である。
よって、放っておくと瞬く間に増えていく。
また、プラティは、
グッピーと同じように卵ではなく、
「子」をそのまま産み落とすので、
じりじりと卵の孵化を待つ必要もない。
気の短い人間にはうってつけの魚である。
↓の魚はプラティではない。
赤と白のコントラストが気に入っているのだが、
名前は失念。
固有名詞にさほど関心をもてない、自分の至らなさの証…。
けれども、
↑の、尾が長い方が「オス」であることは覚えている。
よって、
↓が、「メス」だ。
このメスも間もなく産卵である。
で、子供たちに聞かれた。
「父さん、これも赤ちゃんをそのまま産むの?」
そこで困った。
「卵」で産むのか、「子」で産むのか、
それも失念していたのだ。
どーいうこと? これってまずいなあ…。
「まあ、毎日観察していれば分かるさ…」
面倒くさがりやの私の返答。
店に電話を入れれば、
すぐに答えが見つかるのは分かっているのだが、
いいだろう。
なんでも、自分で見て発見した方が面白い。
でも、
言い訳に聞こえる?
まあ、その辺のところは…。
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月14日
2006年03月13日
カーリング、最高ですね。
このスポーツ、素晴らしい!
トリノオリンピックで旋風を巻き起こした
カーリング女子日本代表。
彼女たちが、
「チーム青森」として日本選手権で優勝した。
「チーム青森」が素敵なのはいうまでもないが、
それより何より、
このカーリングという種目が最高だ。
今回の日本選手権で第三位になったのが、
中学生チームの「チーム常呂中」
大人の中に入って、
中学生が堂々と勝負できるスポーツというのは、
そうそうないだろう。
年齢に関係なく、
練習を積めば誰もが「第一線の舞台」に立てる。
これほど素晴らしいことはない。
「ちょっと自分も練習してみようかな」
と考える人たちの気持ち、
分かるなあ。
(飯村和彦)
2006年03月12日
2006年03月11日
2006年03月10日
2006年03月09日
NY・盲目の老人と犬
No.33
What's up?
なになに?
どうかした?
(あいさつ代わりに)どう?
ごく一般的な表現なので、
既にご存知の方も多いはず。
事あるごとに「What’s up?」
軽い挨拶代わりにも使えるし、
タクシーに乗っているときに事故を目撃しても、
「What’s up?」
顔色の悪い友人にも「What’s up?」
この表現は、ニューヨークにある、
Hunter Collegeが使っていた、
Idiom(慣用句)教科書のタイトルにもなっていた。
NY・盲目の老人と犬
マンハッタンの家の近所で、
日常的に言葉を交わしていた人(ときに犬)。
散歩の途中で出会った人。
そして、
いつも笑顔を向けてくれた人。
そんなみんなとのコミュニケーションは、
いつだって、
「What’s up?」
大好きな言葉だ。
盲目の老人と犬
大抵、彼らは5番街の54丁目付近にいた。
犬の頭を撫でて、
おじさんに、「Hi!」
すると彼も、「What's up?」
ただ、それだけの関係ではあったが、
いい思い出の一つ。
新聞スタンドのインド人
毎朝、
彼の新聞スタンドに寄って、
「ニューヨークタイムス」と「ポスト」を買う。
それが日課だった。
妙な乗り物
道を歩いていて、
たまたま、彼の「乗り物」に目が留まった。
で、思わず呼び止めた。
そのときの彼の第一声が、
確か、「What's up?」
優しい仕事師
ニューヨークでは、ともかく歩く。
だから、すぐに靴の踵(かかと)が減った。
そのたびに、
踵のゴムを取り替えてくれたのがこの人だった。
年に数回。
いつも、柔らかな目で迎えてくれた。
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月08日
ニューヨーク大学の英語講座
No.32
Wrap it up! (=Give it up!)
そろそろお仕舞いね。
早めに切り上げてよ。
うるさい、もう止めろ!
例えばオフィスでのミーティング。
プレゼンの持ち時間は5分なのに、
だらだらと、
10分近くも話し続けている人物がいたとする。
そんなときに、「wrap it up!」(早めにまとめて!)
にもかかわらず、
同じような調子で延々と話し続けるようだと、
「Give it up!」(もう止めろ!)
ニューヨーク大学の英語講座
ニューヨークに住み始めた頃、
ワシントンスクエアパークの傍にある、
NYU(ニューヨーク大学)のAmerican English講座に通っていた。
日本で教えられた“英語に似た言葉”が頭に入っていた分、
“使える言葉”としての英語へのアプローチには苦労した。
多分、
それまでまったく英語教育を受けていない他国人より、
上達が遅かったのではないだろうか。
「10年にも及んだ、日本での英語学習はなんだったのか!?」
悔しいというより、
情けない気分で、“使える英語”の習得に励んだ。
とはいっても、
久しぶりの“学生生活”は楽しいもの。
仕事の合間を見ての“ながら学生”ではあったが、
充実していた。
なかでも、夜のコースは結構面白かった。
教室に集うのは、
ほとんどが、「おっさん、おばさん学生」。
その多くは、日中、
なんらかの仕事についている方々だ。
当時、チャウシェスク大統領の処刑で、
一躍有名になっていたルーマニアからは、
暢気で酒好きなエンジニアのおじさん。
フィリップ・モリス(たばこ会社)で、
事務の仕事をしていた陽気なプエルトリコ人女性もいたし、
マンハッタンでLaundry store(洗濯屋)を経営していた、
韓国人移民の女性もいた。
雑多な人たちが、
雑多な国から集まってきているという感があり、
彼らを見ているだけでも充分楽しめた。
私のクラスでは、毎回、
一人の“学生”が20分間スピーチを行い、
その内容についてみんなで話し合う…
というスタイルがとられていた。
ある日のこと。
目がクリクリと大きく、
いつも頭の上に白いキャップ(ヤマカと呼ばれる)をのせている、
ユダヤ人のおじさんがスピーチを行なった。
彼のテーマは、「ユダヤ教」。
ユダヤ教がいかに完成された宗教であるかを、
とくとくと説いていた。
無論左手には、彼がいつも持ち歩いている“神の本”。
しかし、
その分厚い本を振りかざしての大熱弁は、
とどまるところを知らず、
放っておけば、一晩中でも話していそうな勢い。
おまけに、
粘着質とでもいうのか、聞いていて疲れるほどだった。
これには女性教師もまいったらしく、
うんざりした様子で口を挟んだ。
「Please try to wrap it up!」
(そろそろまとめて下さい)
ところが、そのユダヤ人のおじさんはどこ吹く風…。
スピーチは、
ユダヤ教における男女の権利に突入していった。
夫婦が離婚する場合、
「夫の方からは妻に離婚の申し出ができるが、
妻からはできない」という、
我々にしてみれば「不平等」に思えることを、
「男女平等」だとして、
その理由を“神の本”に基づいて延々と説き始めた。
勿論、
それぞれの宗教には、きちんとした考え方がある。
それは否定すべきことではない。
けれども、
そのおじさんは、話が長過ぎたのだ。
元来、ユダヤ人の場合、
話が長くなる人が多いのだが、
やはり、程度というものがある。
結局、
教師の「Wrap it up!」の忠告をよそに、
おじさんのスピーチは40分にも及んだ。
「Give it up!」(うるさい、やめてよ!)
とでも言いたげな教師の表情が可笑しかった。
その女性教師は、
家にドブネズミが現われるたびに捕まえては、
まるでリスでも飼うようにカゴで育てるという、
妙な趣味の持ち主。
しかし、そんな彼女でも、
こと宗教に関しては、
うまく議論の器に収めることはできなかった訳だ。
色々な人が集い合うニューヨーク。
それはそれで愉快だが、
ときに、思わぬところで立ち往生。
まあ、
それら全てを受け入れないと、
やっていけない所なのだろう。
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月07日
最高級ケーキのような果実
その果物の名前は、
「カニステル」
別名、エッグフルーツ。
那覇の市場でたまたま見かけ、購入。
東京へ持ち帰り、
完熟するのを待って食べた。
これが、ともかく旨い!
↓
店頭で売っているときは、柿のよう。
それが、
食べごろになると、↓のように果皮が割れる。
この段階になったのは、購入5日後。
指で触ると、果肉が柔らかい。
で、やおら四分の一に切り分けた。
↓
どう表現したらいいのか、
味は、
「甘いアボガド」…でもないなあ。
「フルーツ風チーズケーキ」…(?)
そうだ、
「かぼちゃプリン」に近い。
かぼちゃプリンに、
チーズケーキのような食感をもたせた感じ…だな。
食通でない私には、
この説明でいっぱいいっぱい…。
ともかく、フルーツというより「ケーキ」なのだ。
もし、
ご存知の方がいれば、
もっと上手く説明して下さい。
私にとっては、
まさに、久々に発見した…「新しい食材!」
かなり感動して食べた訳です。
ちなみに、一個180円ぐらい。
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月06日
水族館の通になる!
目から鱗…(?)
ともかく、この本は凄くいい。
水族館について、
誰もが一度は、
「どうして?」と思ったことのある疑問に対して、
明快に答えてくれる。
おまけに、
水族館になくてはならない、
巨大なアクリルガラス(…正確にはガラスではなくプラスティック)
の秘密まで、書いてある。
驚くことに、
世界中の水族館で使われている「アクリルガラス」の約70%が、
四国にある日本メーカーによって作られている
…とか。
ここ数年、
日本には、
完成度の高い水族館が、いくつもできた。
那覇にある「沖縄美ら海水族館」には、
ジンベイザメやマンタが悠々と泳ぐ、巨大水槽があるし、
神奈川にある「新江ノ島水族館」では、
夜、魚たちに囲まれて「宿泊」までできる。
そういえば、皆さん、
「イルカとクジラの違い」はどこにあるか知ってる?
答えは、かなり大雑把なもので、
実は、「大きさ」だけ。
およそ5メートルより大きければクジラで、
5メートルより小さければイルカ。
知っていそうで知らないこと、
たくさんある。
そんなあれこれを、
「水族館の通になる」は、
分かりやすく教えてくれる。
この本を一読してから、
子供たちと一緒に水族館にいくと、
楽しさ100倍…間違いなし!
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月04日
2006年03月03日
トロ用「まぐろ」の不正捕獲
なんだ、だから煮え切らない態度だったのか。
きょうは、日本のマグロ漁関係者が、
重大な「隠し事」をしいていた話。
おととい(3月1日)、
水産庁は、高級魚の「ミナミマグロ」(インドマグロ)を、
日本船が、
国際的に定められた漁獲枠を、
大幅に超えて捕獲していたことを明らかにした。
トロ身の多いミナミマグロは、
日本人に大人気のマグロである。
本来なら、日本のミナミマグロの漁獲枠は6065トン。
それを、1500トンも! オーバーしていた。
(豪・ポートリンカーン、撮影:Hori-shin)
去年、
オーストラリアで、「ミナミマグロの蓄養」を取材し、
その関連で、東京・築地へも行ったのだが、
その際、「何故か」、
業界関係者が、「あーでもない、こーでもない」といっては、
取材に非協力的だった理由がこれだったのだ。
「もしかすると、自分たちの“不正”が暴かれるのでは…」
との危惧があったのだろう。
私たちの放送趣旨は、
…世界中でマグロ資源が枯渇し始めている。
…その対策としては、今後、どんな手法(漁業)が必要なか。
を提示することだったのだが、
「不正」を働いていた日本の関係者にとっては、
ひやひやものだったに違いない。
水産庁によると、
今後の新ルールでは、
「捕獲したミナミマグロにタグを付けて、
水揚げした数を明示することを義務化」
することになった。
当然の話。
オーストラリアの業者は、
捕獲したマグロを網に移す際に、
水中カメラで「ビデオ撮影」までして、
一尾一尾、数えていた。
参考までに、
今回の日本によるミナミマグロの過剰漁獲を指摘したのは、
オーストラリアだった。
「ウソ」を付かなくていいところは、堂々としている。
オーストラリア取材において、
地元マグロ業者が、
「一切の制限なし」に取材に応じてくれたのも頷ける。
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月02日
子供に説明できない理屈
No.31
paper pusher
意味のない仕事をしている人
非効率な仕事をしている人
役にたたない仕事をしている人のこと。
行政改革、組織改革が叫ばれて久しい日本。
簡単な許認可の書類に、ハンコが8つ…。
要りもしない、形だけの書類を並べて、
仕事をしている気分になっているような人、いない?
ちょっとまわりを見渡せば、
まだまだ存在している“あの方たち”。
そんな人たちを表して“paper pusher”。
子供に説明できない理屈
俄かに信じがたい。
「霞ヶ関」の常套手段とはいえ、
いつもいつも…では辟易するというものだ。
政府が、今月10日に提出予定の、
「行革推進法案」の文言についてである。
詳細は新聞を読んで頂きたいが、
問題は、
法案に、
商工中金と日本政策投資銀行について、
「完全民営化」と書くか、
「完全に民営化」と書くか、の話である。
一般的には、どちらでも同じ意味なのは当たり前。
けれども、「霞ヶ関」の役人にとっては、
「完全に…」の「に」が重要なのだという。
極めて技術的な法解釈で、
この「に」があるのとないのとでは、
“役人にとって”は、
意味が違ってくるらしい。
全ては、
自分たちの「権益(…人事面などの影響力など)」を残すため。
しかし、
これって、どう考えても変だ。
この違いを、子供たちにどう説明するの?
一事が万事、こんな調子だ。
小さい頃から一生懸命勉強して、
そのたどり着いた先(…ここでは霞ヶ関の役人)で、
保身のために、妙な理屈を捏ね回す。
どう考えても、違うでしょ?
何のために勉強してきたの?
この国には、
「目標とすべき大人が少なくなっている」
といわれる所以が、こんなところにあると思うのは、
皆さんも一緒じゃない?
頑張った子供たちが、
「paper pusher」(役に立たない仕事をする人)によって潰される。
そんな危機感を抱いている人、多いのでは?
枝葉の議論ではなく、
スパッ!と「王道」をいって欲しいものだ。
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)
2006年03月01日
「私を読んで!」と、本は叫ぶ
物語は、突然転がり込んできた遺産で、
赤い車を買った主人公が、
目的のない全米を回る旅にでるところからはじまる。
「偶然の音楽」
ポール・オースターの作品は全て読んでいるが、
その中でも、何故か、この作品に惹かれる。
かといって、
ここで書評を書いても仕方ない。
直感で、「読んでみよう!」と思った人は、ご一読を…
この種の本はそういうものだと思う。
本屋に足を運び、
ザザザーッと並んでいる本を眺めていると、
刹那、
「僕を、私を…読んで!」
と、ある本が訴えかけているような錯覚を覚える。
そんな経験、ない?
ところで、「偶然の音楽」。
この本の中で、無闇に気に入っているところがある。
「…十二ってのは十三とは全然違う。
十二は清潔で、生真面目で知的だが、
十三は一匹狼で、ちょっとうさん臭いところもあって、
欲しい物を手に入れるためなら法を破ることも辞さない。…」
そして、話は「素数」の解釈へと進んでいく。
「…素数。実に綺麗で、優美な思いつきだ。
協力を拒み、変わりもしない割れもしない数。
未来永劫、それ自身でありつづける数たち。…」
この部分は、「理不尽な衝撃と虚脱感に満ちた物語」(裏表紙より)
の、内容そのもののキーになっている訳ではないが、
気になる。
感覚的に、「そうだよなあ…」と、受け入れている自分がいるらしい。
詩人でもあるP・オースターの作品。
「幽霊たち」
「孤独の発明」
「ムーン・パレス」
「トゥルー・ストーリーズ」…などなど。
大好きな本である。
民主党の永田さんも、
この手の本を読んで、
「世の哲学」を楽しむ余裕があれば良かったのに…。
「偶然の音楽」には、こんな一文もある。
「いまとは違う人生を想像することで、心が元気になるんだ」
どうですか? 永田さん?
ひと押し、ご協力を!
(飯村和彦)