2010年07月
2010年07月14日
龍馬、晋作、歳三…彼らの武士道とは!
「幕末武士道、若きサムライ達」
山川健一氏の本。
そのタイトルに惹かれて即座に購入した。
巻末を見ると2004年8月初版。
つまり、6年ほど前に出版された本なのだが、
歴史もの故、無論色あせることはない。
幕末・維者の人物や出来事について、
「武士道とはなにか!?」という命題の元、
大変興味深く記されている。
例えば坂本龍馬の武士道。
(大政奉還が成就するか否か)龍馬は二条城からの使者を待っていた。
徳川慶喜が大政奉還する気がないのなら、
流血討幕あるのみだと思っていた。
そこへようやく知らせが届いた時、
龍馬は畳みに突っ伏して泣き、声をあげてこういった。
「将軍今日の御心、さこそと察し奉る。
よくも断じ給えるものなか、
よくも断じ給えるものかな。
予は誓ってこの公のために一命を捨てん」
これこそが坂本龍馬の武士道であった、と山川氏は書く。
そこには強力な人間的な魅力があるのだという。
これは高杉晋作にも、土方歳三にも、
吉田松陰にも久坂玄瑞にも、
西郷隆盛にも共通することであり、
だからこそ、同じ日本人でありながら、
彼らはあんなにも遠くへ行くことができたのだという。
「彼らとて、特別な超人ではなかった。
悩み、苦しみ、臆病な自分を叱咤激励したにちがいない。
だから、何かを信じる気持ち。
誰かを愛する気持ちが、
幕末武士道の限界を遠くてまで広げていったのではないか」
そして山川氏は続ける。
「武士の徳目は、忠誠、犠牲、信義、廉恥、礼儀、
潔白、質素、倹約、尚武、名誉、情愛である。
どれも意味深い言葉である。
そしてこれらの理念すべての上に成立した幕末武士道の本質とは、
愛することだったのだ」
さらに、
「彼らが信じたそれぞれの武士道には、
今のぼくら日本人が失ってしまった
とても大切なものがあったのではないだろうか。
とにかく、
敵も味方もなく力を合わせて新しい時代を切り拓くのだ、
そうでなければ日本という国が滅びてしまうという
…ぎりぎりの場所で彼らは動いた。
平成の日本に生きるわれわれも、
ぎりぎりの場所に置かれている意味では幕末と変わりはない」
僕らの胸の中には、幻の刀がある。
誰しもが心の闇の中で光る刀を持っている。
その刀がぼくたちに教えてくれる大切なことは、
以下の五つなのだと山川氏はいう。
その一。死の一点を置き、そこから限りある生を無限に照らしだすこと。
その二。日本の自然の懐に抱かれること。
その三。一身一命をなげうって人を愛すること。
その四。『公』という視点を持つこと。
その五。文武両道を実現すること。
そうすると、
「やがて、他とは交換不可能な、
かけがえのない自分だけの武士道が魂を支えてくれるようになるだろう」
同感である。
特に「公」のあり方が問われている昨今、
心の中の刀の教える「思想」をきちんと見すえる必要があるのだと思う。
この本では、
岡倉天心のある言葉が象徴的に紹介されている。
「もしわが国が文明国となるために、
身の毛もよだつ戦争の光栄に拠らなければならないのだとしたら、
われわれは喜んで野蛮人でいよう」
大切な言葉だ。
この言葉に寄り添って生きる。
多分それが、
恒久平和を希求するわれわれの生き方なのだろう。
「戦略核?」
「戦術核?」
「抑止力?」
いったいなんの為に必要なのだろう。
人類を破滅させるため?
大切なことは、理屈ではない。
「志」の問題のような気がする。
ひとりひとり、志が高ければ、
「野蛮人」でもいいじゃない?
卑劣な戦争をするより、余程いい。
(飯村和彦)