2010年11月

2010年11月01日

阿川弘之氏の「山本五十六」に登場する興味深い人物



ある訳があって、
阿川弘之さんの書いた「山本五十六」を読んだ。
山本五十六という人物について、
個人的には、さほど興味を持っていなかったので、
この本では、山本五十六以外の登場人物が気になった。

そのような理由で、
以下に、「山本五十六」の中から二人を紹介しよう。


扇風機(娘・作)


まず、本の中で、
海軍霞ヶ浦航空隊における
搭乗員の適性検査に関する記述に登場する人物。
順天堂歴史課卒、水野義人。
水野は、手相骨相の専門家だった。

当時、海軍航空隊では、
何年もかけて隊員の適性を判別していた。
ところが水野は、たった5、6秒、
隊員の手相骨相を見るだけで適性を見抜き、
尚且つその結果は、
80%以上(83%)の確実性だったという。

水野義人は海軍航空本部嘱託となり、
練習生、予備学生の採用試験に立会い、
手相骨相をみることになった。

水野は、適性を甲、乙、丙の三段階で評価。

海軍が水野の観相術を利用した方法は、
飛行機乗りの選考にあたって、
学術と体格が共に甲であり、
さらに、水野が「甲」をつければ、
それを最も優先させるというやり方だった。

水野は山本五十六の手相も見たが、
山本の特徴は、
俗に天下線と称する、
秀吉の持っていたものと同じ線が、
中指の付け根まではっきり一直線に伸びていた。
途中で職業を変わらずに、
最高位まで行く人の相だというのが、
水野の説明だったという。

水野は戦後、司法省の嘱託となり府中役務所に勤務。
犯罪人の人相研究をしたが、
間もなく進駐軍司令部の一声で免職となり、
小松ストアの相談役になり、
店員の採用や配置に関し、助言する仕事についた。


もう一人は、
ハワイ真珠湾作戦の草案を書いた人物について。

昭和2、3年ごろ、
海軍大学校を出たばかりの少佐、草鹿龍之介が文書にした。
当時草鹿は、霞ヶ浦航空隊教官兼海軍大学校教官。
担当は航空戦術。

「第一次大戦後、飛行機が戦いの主力になりつつある。
アメリカ太平洋艦隊を西太平洋におびき出して、
日本海海戦のような艦隊決戦を挑むのが、
帝国海軍の対米戦略の基本だが、
もし相手が出てこなかった場合は、
向こうの最も痛いところ、
ハワイを叩いて出こざるを得ないようにする必要がある。
そしてハワイ真珠湾軍港を叩けるものは、
飛行機よりほかない」

というのが骨子だった。
それをその後、
所謂、「真珠湾攻撃作戦」としたのが山本五十六。

山本五十六は、海軍罫紙9枚に、
「戦備ニ関スル意見」という一書を、
海軍大臣の及川古志郎に送り、
その中で初めて公式にハワイ攻撃の構想を示した。
それは、
昭和16年1月7日のこと。
草鹿がその着想を得て、
ハワイ攻撃案を書いた14年も後のことである。

余談(…ではないか)だが、
アメリカのジョセフ・グルー駐日大使は、
1月28日(推定)の国務省への機密電報で、
日本の真珠湾奇襲がある得ることを本国に警告した。

「駐日ペルー公使の談によれば、
日本側を含む多くの方面より、
日本は米国とことを構ふ場合、
真珠湾に対する奇襲攻撃を計画中なりとのことを耳にせりと。
同公使は、計画は奇想天外の如く見ゆるも、
あまり多くの方面より伝えられ来るをもって、
ともかく知らせすとのことなりき」


(飯村和彦)


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