2015年11月

2015年11月23日

「ミルキーと散歩」〜写詩集「ダブル2」より〜




「ミルキーと散歩」

ミルキーというのは…、そう猫だ。
十年前、公園に捨てられていた。
目が開いたばかりのチビ。
彼女も、僕たちと一緒にアメリカにきた。
四年前のことだ。

東京と違って、ここでは自由に野原を走る。
散歩だって一緒に歩く。
釣りへもいく。

信じられる?

でもそんなミルキー、2年前に殺された。
理由はあれこれ。

自由の代償?

まったく、違う。
彼女には、ひとかけらの落ち度もなかったから。







「A walk with Milky」

Yes, Milky was a cat.
Ten years ago, someone left her in a box in the park.
She was tiny and her eyes were still closed.
She moved with us to America in 2011.
Unlike in Tokyo, she was free to roam the fields.
We'd go on walks together.
She'd even go fishing with me.
Can you believe that?
But two years ago, someone killed her.
The price of freedom?
Milky cannot be blamed one iota.










(飯村和彦)


newyork01double at 10:50|PermalinkComments(0) 猫の話 | マサチューセッツ州・Amherst

2015年11月21日

「遺伝子組み換えサケ」と「漠然とした懸念」について


ずっとフォローしていた「遺伝子組換えサケ」の件。
FDA(米国衛生保健局)が、米国内での食用をついに許可した。
おととしの春頃から「もうすぐ認可」といわれていたから、
最終判断まで結構な時間がかかっている。
だが随分前に、多くの米国内の大手スーパーは、
「遺伝子組換えサケは扱わない」
としているから当面販路は限られるだろう。




遺伝子組み換えサケ
(AquAdvantage salmon )




この「遺伝子組換えサケ」については、かなり詳細に調べ上げた。
当然、開発したAquAdvantage社にも話を聞いたし、
各種研究リポートやFDA報告書にも目を通した。
その結果の印象というか予想は、
さまざまな意見があってもFDAとしては、
この「遺伝子組換えサケ」の食用許可を出さざるを得ないだろう、
ということだった。

「自然に存在している食物(この場合はサケ)と同じ品質なら許可」
という条件だけを見れば、
遺伝子組換えによってできたサケ(食べる際には切り身?)は、
自然のサケのそれと変わらないのは科学的に証明されていたから。

しかし当然ながら、
それを作る方法「遺伝子組換え」が議論になった。
例え出来あがったものが、自然のサケ(の切り身)と同等の品質だとしても、
それでもやはり、
「何かが違うのでは?」「あとで妙なことがおこるのでは?」
という漠然とした懸念はぬぐえない。

もちろん、
そんな「漠然とした懸念」は、
科学的検証によって「根拠のないもの」だと分かるのだが、
そういわれてもすぐに「ハイそうですか」とはならない。

確かに「遺伝子組換えサケ」が作られる工程を見ていくと、
魚の養殖でよく使用される、
「抗生物質やビタミン剤」の類の薬品は一切使われていない。
その意味では、
「遺伝子組換えサケ」の方が、「養殖サケ」と比較した場合、
よりオーガニックに近いということになる。

しかしながら、繰り返しになるが、
やはり「遺伝子組換え」という手法に対する「漠然とした懸念」は、
なにをどう科学的に説明されても、
それが「漠然としたもの」であるがゆえ、ぬぐわれずに残る。

実はこの「漠然とした懸念」というのは、
我々が生きていく上で結構大切。
だから、
それをたんなる「妄想」だとして簡単に切り捨てるべきじゃない。
FDAが許可を出すまでに、
当初の予想より遥かに長い時間を要した訳も、
ひとつにはそんなことがあったように思える。

そんな背景があるからなのだろう、FDAでは、
「遺伝子組換えサケ」であることをきちんと明示することを義務付けるらしい。
「漠然とした懸念」のある人が、間違えて手にしたり、
知らないうちに食べたりしないようにするには最低限必要なことだ。

遺伝子組換え食物の現実をみれば、
大豆やトウモロコシの90パーセント以上が遺伝子組換えであり、
パパイヤも多くが遺伝子組換え。
害虫や灌漑に強い遺伝子組換え稲などもある。
けれどもだからといって、
「そんな時代になっているのだから仕方ない」として、
「漠然とした懸念」を捨てたりしては絶対にいけない。

ものごとが、
良くない方向に流れ始めるのを最初に察知するきっかけになるのが、
この「漠然とした懸念」であるはずだから。


(飯村和彦)

newyork01double at 02:20|PermalinkComments(0) マサチューセッツ州・Amherst | 地球環境を眺めると…