2016年09月

2016年09月18日

「3回以上」読んだ本、何冊ありますか? 読み返すたびに浮かぶ違った景色  



「自分の意見をもつのと頭のいい悪いは別のこと」



海辺のカフカ



週末、村上春樹の「海辺のカフカ」を読み返していてふと目に留まった一節。これは主要登場人物の一人であるナカタさんをトラックで富士川まで送る運転手の台詞だ。以前読んだときにはそれほど気にならなかった台詞だが、今回はこの部分でパタリととまった。
「自分の意見をもつのと頭のいい悪いは別のこと」
頭の良し悪しの基準はどこにあるのか、どんな状況でなにをしているときなのか…。それを第三者がどう判断するかは難しい(きっと本来的にはそんな判断はできない)ことだけど、それと「自分の意見をもつこと」は確かにまったく別ものだ。当たり前のことなんだけど普段改めて考えないので余計気になったのかもしれない。
で、そのとき突然頭に浮かんだのが、つい最近のヒラリーが口にした言葉だった。

ニューヨークで催された資金集めのイベントでのこと。ヒラリーは、「トランプ氏の支持者の半数は私の考える嘆かわしい人々の部類に入る」(“…you could put half of Trump's supporters into what I call the 'basket of deplorables”)としたうえで、「人種差別主義者、男女差別主義者、同性愛者や外国人やイスラム教徒に偏見を持つ人々だ」と主張した。問題となったのはこの中の「嘆かわしい(deplorables)」という表現だ。これなどは選挙戦のタイミングを考えれば、不用意な、あまり頭の良くない発言だと思った人が多いかもしれない。事実、これ幸いとトランプ陣営に付け入る隙を与えたわけから。
けれどもそうは考えず「事実なんだから仕方ないだろう」と感じた人も少なくないはず。実際ヒラリーはその後この自分の発言について「後悔している」として訂正したのだが、訂正部分は「嘆かわしい」という表現ではなく、「半数」としたその嘆かわしい人々の割合の方だった。つまり彼女は自分の意見、主張そのものの肝は変えなかったのだ。

さて、村上春樹の「海辺のカフカ」からヒラリー発言に話が飛んでしまったけれど、こんなことが頻繁に起こるから、気に入った本は幾度となく手にしたくなるのだ。
本を読んでいて何が面白いかといえば、そこに書かれている内容もさることながら、物語とは直接関係のない事象が奔放に頭に湧いてくる現象だ。同じ本でもそのときに自分の置かれている状況や社会情勢が違えば、喚起される考えやイメージも違ってくる。これは二度目、三度目のときの方がより顕著だ。たぶん一度目のときは物語そのものの内容や流れをつかむのに忙しいからだろう。それが二度目、三度目ともなるとこちらに余裕があるから、そのぶん心置きなく自由に連想を楽しめる。だから自分の場合は、二度目、三度目の方が一冊の本を読み終えるのに断然時間がかかる。先を急ぐ必要がないからね。
きっと本を読むときの自分の思考が、3+7=□ではなく、□+□=10 の設問的なものに変わっているからだろうと個人的には思っている。

とはいうものの、これまでに三回以上読んだ本が何冊あるかと考えると、実はそう多くない。仕事、またはその関連で何度も読み返す本はあるが、この場合は自由連想なんてしてる暇はないし、どちらかといえば必要に迫られて読むわけだから、たとえ楽しくてもその質は異なる。半藤一利の「昭和史」などがその例だ。だからそうではなく、「ふと読みたくなって手に入れた本」のうちで「三回以上読んだ本」となると結構少ない。アメリカに引っ越すときに大半の本を日本に置いてきたから、いま手元にある本はいわばいつでも読みたい本に違いないのだが、それでも三回以上となると…




リセット




世界の終わりとミラー





「坂の上の雲」「胡蝶の夢」(司馬遼太郎)、「リセット」(北村薫)、「コロンブスの犬」(菅啓次郎)、「砂糖の世界史」(川北稔)、「鍵のかかった部屋」(ポール・オースター)、「罪と罰」(ドストエフスキー)、「世界の終わりとハードボールド・ワンダーランド」(村上春樹)、「冷血」(トルーマン・カポーティ)、「幸福な死」(カミュ)、「変身」(カフカ)、「武士道」(新渡戸稲造)など。これらはすぐに手の届く場所にある。

幾つか本自体の写真を撮ってみたが、多くが手軽に持ち歩ける文庫本で、カバーの擦り切れ具合から相当前に買ったものだと分かりにわかに嬉しくなる。この感覚は電子書籍では絶対味わえないものだ。

北村薫の「リセット」は五回以上読んだ。直近でこの本を読んだのは去年の夏で、そのとき目に留まったのは以下の部分。例の安保法制反対の渦が日本で沸き起こっていたからだろう。

「特攻に出られた方々が最後の門出に献金していかれたお金をもとに《神風鉢巻》がつくられ、檄文の朗読と共に配られました。悠久の大義のために殉じた隊員のごとく、一人一人が神風となり、闘魂を燃え上がらせよ、というのです。
忠勇、義烈、純忠、至誠----と、厚化粧のような言葉が並べられました」(「リセット」より)

戦後70年たって、戦中に氾濫していた“厚化粧のような言葉”がまた市民権をとり戻し、政治家が真顔で口にするようになるんじゃないか。そしてそんな張りぼて感いっぱいの言葉を耳にして強く頷く人たちが増えていくんじゃないか。そんな不安に駆られたのだ。

その前に読んだときに印象に残ったのは別の箇所だった。

「自分が、このささやかな今を忘れなければ、この瞬間は《記憶の缶詰め》になり、自分が生きている限り残る。ちょうど、絵日記の中に、三年前の《夏》が残っていたように」(「リセット」より)

これらの気になった箇所は、本を読むたびにつける「うさぎの耳」があるからすぐ分かる。心に響いたり、自分なりに「ん?」と思った箇所があるとページの上隅を小さく折る。実はこの「うさぎの耳」、本を読み返すときにはいい指標の一つになる。例えば、何年か後に改めてある小説を読み返したとしよう。で、「うさぎの耳」のあるページに差し掛かったときに、前にその小説を読んだときはどのセンテンスが気になったのか、それはなぜだったのか…を確認できる。つまり、自分の感情やものの見方の変化を知ることができのだ。もちろん、なぜそのページに「うさぎの耳」があるのか思い出せないときもあるけれど。



幸福な死



なかには「ある一ヶ所」を読みたいために幾度となく手にする本もある。カミュの「幸福な死」はそんな類の本で、これはわりと最近読み返した。で、その「ある一ヶ所」が以下の部分だ。

「自分がこのままこうした無意識の状態で、目の前のものを見ることができなくなって死んでしまうのかもしれないという不安が、かれの想念に浮かんできた。村では教会の時計が時を告げたが、かれはその数が幾つだったかわからなかった。かれは病人として死にたくはなかった。…かれがまだ無意識のうちに望んでいたことは、血潮と健康でみたされている生と、死との対峙であった。そしてそれは、死と、すでにもうほとんど死であったものを対峙させることではなかった」(「幸福な死」より)

この部分を読むたびに考えるのは“意識された死”(=自覚的な死)とそうではない“突発的な死”(例えば事故やテロで突然命を落とすような場合)について。とくに後者の場合は刹那的な“死への予感”だけで、血潮と健康にみたされていた生が、突然、死に一転してしまうのだから。例えばいまのシリア。空から轟音を伴って降ってくるミサイルを見たとき、少女はなにを思うのだろうか。
また最近のことだが、落石が走行中の車を直撃し、助手席に座っていた19歳の女子大生が命を落とすというニュースもあった。極めて低い確率でしか発生しない事故。信じられないような不幸が、突然ふって沸いたとき、自分はどうなるのだろう。

と、ここまであれこれ書いていて、そういえば娘は小さい頃からある本を何度も何度も読んでいたなあ…ということを思いだした。



やかまし村の子どもたち




「やかまし村のこどもたち」。アストリッド・リンドグレーンといスウェーデンの作家の本だ。日本でも人気のある作家だから彼女の作品(ほかに「長くつ下のピッピ」「名探偵カツレくん」など)を読んで育ったというひとも多いと思うけれど、娘の場合は尋常じゃなかった。そこで彼女に聞いてみると、「何十回どころじゃないよ」という答えだ。で、「どこがいいの」と聞いてみると、「全部」とひとこと。そして「家が三軒しかない小さな村で暮らす6人の子ども達の毎日が、ともかく面白いのよ」と続けた。
木の枝を伝って隣の家の仲良しの部屋へ行ってみたり、犬や猫との子ども達の係わり。そして奇想天外な遊びに没頭する彼らをいつだって温かい目で見守る大人たち。とっても狭いエリアで展開される物語なのだが、ふと自分の子どもの頃の日常と比べてみたり。大人が読んでも十分楽しめる本だ。
「猫を好きになったのも、木登りが得意になったのも、やかまし村を読んだからだと思う」と娘はいう。
小学校の低学年から中学、そして18歳になった現在にいたっても「やかまし村の子どもたち」は、娘にとって大切な一冊なわけだ。もちろんその古びた本はいま住むアメリカの家の本棚に持ち込まれている。

羨ましいなあ…と思う。

そんな本が一冊あるだけで、どれだけ彼女の人生が豊かなものになったことか。残念ながら自分には彼女の「やかまし村の子どもたち」にあたるような本はなかったから。
まあ、これからそんな本を探せばいいのか? 読書の秋だし。
ちょうど我が家の近くに、読み終わった本を自由に交換できる「森の小さな本棚」があるから。でもあそこのはみんな英語の本だからなあ。



森の本棚
(photo:kazuhiko iimura)


(飯村和彦)


newyork01double at 17:44|PermalinkComments(0) 週末だから! | 気になるBOOKs

2016年09月02日

トランプが勝つ確率は13%!国民を侮った男の窮地



トランプが米大統領選で勝利する確率はわずか13%!

これはニューヨークタイムスの大統領選挙サイトの9月2日段階の予測だが、他の選挙予測サイトをみても勝利予測の数字ではヒラリーがトランプを圧倒している。アメリカ大統領選挙にあっては、9月初旬における戦況が11月の選挙結果を占う一つの目安になっているので、その意味では“いまの”トランプにはまったく勝ち目はないという予測だ。




87%ヒラリー勝利
(ニューヨークタイムス大統領選挙サイトより)




共和党大会で大統領候補として指名を受けた直後までは、ヒラリーと互角、もしくはトランプ若干リードの戦況だったにも係わらず、このひと月ほどでトランプの勢いは急速に衰えた。

流れが大きく変わったのは共和党大会の翌週に行われた7月下旬の民主党大会。
問題となったのは、イラク戦争で戦死したイスラム系の陸軍大尉の両親が、イスラム教徒の入国禁止を主張するトランプの政策を激しく非難したことに対する、トランプの反応だった。
「あなたは憲法を読んだことがあるのか」「何も犠牲を払っていないくせに…」という両親の非難に対してトランプは、「事業を起こし、雇用を生みだすなどして多大な犠牲を払ってきた」とテレビインタビューで反論。さらには壇上で発言しなかった母親に対し、「発言を禁じられていたのだろう」などと彼女を侮辱するかのような発言までした。

「英雄」として敬われるべき戦地で犠牲になった兵士やその遺族に対する批判は、党派を問わずタブー中のタブーだ。にも係わらずトランプはいつもの調子で減らず口を叩いたのだ。その結果、本来はトランプ支持に回るはずの退役軍人関係者はじめ、共和党の幹部やその支持者の多くが彼のもとから離れてしまった。
数々の暴言で注目を集め、それをエネルギーに変えて支持を集めるというトランプの手法がはっきりと裏目にでたのだ。アメリカ国民を侮った、軽率で致命的な失敗であり、トランプという人間の資質そのもの、在りようがそのままさらけだされた形だ。

そんなトランプの窮地にさらに追い討ちをかけたのが、本人は「起死回生の一手」として計画したに違いない今週8月31日のメキシコ訪問だろう。
「メキシコとの国境に巨大な壁を作る。費用は全部メキシコが負担!」と叫び続けているトランプのメキシコ訪問。普通なら何らかの妙案を秘めての行動だろうと誰もが考える。ましてやトランプ陣営は、メキシコ訪問の直後に「移民政策に関する主要な政策の発表」を行うと事前通告までいたのだからなおさらだ。
ところが結果はどうだった? トランプのその場しのぎのいい加減さがよりはっきりしただけだった。

メキシコのペニャニエト大統領との会談後の記者会見でトランプは、「壁の建設費用の負担については話し合わなかった」と述べた。ところがその直後に大統領が「会談のはじめに、メキシコは壁の建設費を払わないと明確に伝えた」とツイッターに書き込んだため、トランプの「うそ」があっさり露呈してしまったのだ。
「メキシコ国境に築く壁」は、不法移民の強制送還、イスラム教徒の入国禁止と並ぶトランプの(愚かな)移民政策の象徴だ。にもかかわらずその当事者間の話し合いの内容について、公式の記者会見で平気で嘘をつく。そんな男をアメリカ大統領にしたいといったいとれだけの人が考えるだろうか。国の安全保障政策の舵取りや「核のボタン」を押す資格を与えたいと思うだろうか。常識的に考えればありえない話だろう。

では、冒頭に紹介したニューヨークタイムスの勝者予測確率の通り、ヒラリーが圧倒的な大差をもってトランプを打ち負かしてしまうのか…といえばことはそう簡単じゃない。




43% 対 40%
(ニューヨークタイムス大統領選挙サイトより)




同じニューヨークタイムスの選挙予測サイトがだしている9月2日段階の支持率(全国)を見ると、「ヒラリー43%、トランプ40%」でわずか3ポイントの差でしかない。ほかの世論調査でもその差は概ね1%〜6%だから、現状では「ヒラリー優勢」とはいえ、とても磐石な状態にあるとはいえない。
このあたりがアメリカという国の難しいところなのだろう。
トランプ支持者(というか信奉者)が集会で「UAS! USA! USA!」と叫んでいるニュース映像を見るたびにげんなりしてしまうのだが、そうは思わない方々がまだ大勢いるということだ。

身近なところに目を転じてみると、我が家のあるマサチューセッツ州アマーストは住民のほとんどがリベラル層で、公立高校の卒業式で校長が堂々とトランプ批判をするような地域なのだが、当然ながらトランプ支持者もいる。一年を通してずっと星条旗が掲げられているような家は、その多くが共和党支持者のものとの予想がつくのだが、大統領選の今年は「make America great again TRUMP」のパネルがこれみよがしに貼ってあるから一目瞭然だ。
リベラルな風土の地域にあっても堂々と自分の主張を公にしているところは尊敬に値するし、それができるところが“アメリカらしい”といえなくもない。(この点、自分の主義主張をあまり表にださず、なにかあれば「匿名」でネットに…という人が多い日本とはだいぶ違う)。

しかし、いくら自由に自分の主義主張を表明できるとはいえ程度というものがある。
つい最近のことだがこんなことがあった。市内に向うバスに乗ると白人の中年女性が友人とおぼしき人物と政治談議をしていた。会話の内容からその中年女性がトランプ支持者であることはすぐに分かったのだか、ともかくその声が常識はずれに大きかった。たまらず一人の男性が注意すると彼女はこう言い放った。
「ここは中国のような共産主義の国じゃない。だからあなたに(私の)行動をコントロールされるいわれはない」
これにはあ然とした。そしてこんなタイプの人が「USA! USA! USA!」と叫んでいるんだなと妙に納得もした。果たしてその中年女性は中国の共産主義についてどれほど知っているのか…。





トランプ支持の家
(photo:kazuhiko iimura)




少し話が横道にそれたので、改めて大統領選の現況について。
ご存知のようにアメリカ大統領選は州ごとの勝ち負けで決まるから、民主・共和の支持率が拮抗している「激戦州」とされる州の勝敗が明暗を分ける。
今回の場合はアイオワやペンシルバニア、フロリダなどの12ほどの州が「激戦州」と位置づけられているので、それらの州の現状をまたニューヨークタイムスの分析(9月2日現在)をもとに見てみると以下のようになる。

ヒラリーが「5ポイント以上の差」をつけているのが、
バージニア(+10.6)、
ペンシルバニア(+8.4)、
ニューハンプシャー(+7.4)、
ミシガン(+6.8)、
ウィスコンシン(+5.3) の5つの州。

「1〜5ポイントの差」しかないのが、
フロリダ(+4.8)、
オハイオ(+4.3)、
ノースカロライナ(+3.1)、
アイオワ(+1.3)の4つの州。

逆にいまだにトランプがリードしているのが、
アリゾナ(+0.9)、
ジョージア(+1.1)、
ミズーリ(+7.2) の3つの州。

ただ、アイオワ州とアリゾナ州、ジョージア州はその差が1%ほどしかないので、ほぼ互角といっていいだろう。また、ノースカロライナ州の場合は、今回「激戦州」になっているけれど過去10回の大統領選挙で共和党が8勝している州だから、ここでトランプが負けるとその痛手は大きいはず。

となれば、いまの「ヒラリー優勢」の状況をトランプがひっくり返す可能性はどれぐらいあるのだろう。あまり考えたくはないが、たぶんそれはトランプの選挙戦の仕方云々よりも、ヒラリー側の今後の在り方により左右されるように思える。
つまり、ヒラリーがどれだけいまの自分の支持者を繋ぎとめておけるか…によるのだろう。もともと人気のないもの同士の闘いなのだから、その「人気のなさ具合」がそのまま今の「差」に表れているともいえる。

ワシントン・ポストが今週8月31日に発表した調査結果によると、ヒラリーを「好ましくない」思っている人は「56%」。一方のトランプは「63%」。つまり、トランプの方がより人気がない分、ヒラリーが優勢にたっているわけだ。
そのヒラリーにしても、7月下旬の民主党大会直後(「好ましくない:50%」)より、6ポイントも不人気度が増している。これには「クリントン財団」による大口献金者への便宜供与疑惑や、いまだにはっきりしていない国務長官時代の「メール不正使用問題」が影響しているといわれているので、ヒラリーにしても、とてもじゃないが安心していられないはず。

しかしここまで書いてきて思うのは、「それにしても醜悪な大統領選挙だなあ」ということ。
当初から予想されていたとはいえ、ここまで実のない選挙戦になるとは思ってもみなかった。間違いなく多くの人も同様の感想を持っているはずだ。
先に述べたように、稀に見る不人気者同士の闘いとはいえ、だからこそそれを補う建設的な議論やそれぞれの掲げる政策の「深化」があってもいいだろうと思うのだけれど、それがまったくない。TPP問題はどうなった? 東アジアの「核」の話はどうなった? 経済政策は? 実効性のある対テロ対策は?
なにもはっきりしないままアメリカは11月の大統領選挙当日を迎えるのだろうか。

(飯村和彦)


newyork01double at 19:53|PermalinkComments(0) マサチューセッツ州・Amherst | 取材ノートより