2018年04月

2018年04月10日

恐竜について考える〜いま人間が生きている奇跡



あらがえるものと、あらがえないもの。
あらがうべきことと、そうでないこと。



今回は恐竜の話。

数日前までは安倍政権についてあれこれを…と考えていたけれど、
これについては作家の中村文則さん(面識はありません)が、
のっぴきならない状況に陥っている今の日本の在りようについて、
「まさに!」のご指摘(書斎のつぶやき)をなさっているので、
そちらをシェアさせていただくことに。

このところネット上には、
「まだ森友問題で騒いでるの?」的な記事が、
以前にも増して多くなっているようだけれど冗談じゃない。

「安倍さん、まだ総理をやってるの?」
「麻生さん、まだ財務大臣をやってるの?」

基本線はそこでしょう。
それが権力をもっている側のまともな責任の取り方でしょ?
官邸前には“アベ政治を許さない”人が大勢だ。
そう、納得のいかないものごとに対しては、あらがえるだけあらがう。
人に責任をなすりつけ、なにごともなかったかのように生きのびる…。
そんな政治家はいらない。

「あんな大人にだけはならないでね」

ふてぶてしい。
あつかましい。
おこがましい。


さて、気分を変えて恐竜の話だ。



偉大なる恐竜に乾杯!

アメリカで“恐竜の故郷”といえばロッキー山脈沿いにある各州。
モンタナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナあたりになる。

恐竜研究の第一人者、ジャック・ホーナー博士が、
「恐竜たちの巣」を発見したのがアメリカ・モンタナ州ボーズマン。
(ホーナー博士は、映画「ジュラシック・パーク」のテクニカルアドバイザーを務め、
主人公のグラント博士のモデルになった人物)。

そして全長40〜50メートルと推定される、
世界最大の恐竜化石が見つかったのがニューメキシコ州。

これら“恐竜の故郷”は、
その大地の色から“赤いコロラド高原”と呼んでもいいぐらい、
赤褐色の巨大な岩の層が大地から力強くせり上がっている地域だ。
下の写真はそのうちの一つ。
コロラド州デンバー近くの「レッドロック」と呼ばれているところ。



赤い岩山
( レッドロック、photo:kazuhiko iimura )



岩山ロング
(コロラド州デンバー、photo:kazuhiko iimura)



約1億6000万年という長期にわたって地球を支配していた恐竜たち。
ホーナー博士はかつて次のように語っていた。

「みんなは、“どうして恐竜がこの世から姿を消したのか?”
その理由を知りたがる。
私は“どうして恐竜が約 1億6000万年もの間、地球上に存在し得たのか。
そこに興味があるのだ」

人類の祖先である新人類(ホモサピエンス)が、
東アフリカで誕生したのが約20万年前。
つまり人類の歴史は、恐竜たちが生きた歴史に比べれば、
ほんの瞬き程度の時間でしかない訳だ。
そんな事実に改めて考えをめぐらすと俄然、恐竜に興味が沸いてくる。

恐竜たちは、
どんな地球に、
どんな社会を築いて、
どんな風に生きていたのか? 

「恐竜? 子供じゃあるまいし、そんなことに興味ないね」

多くの大人たちは目先の現実しか見ない。
もっといえばその現実さえきちんと見えているのかどうか疑わしい。
きっと、子供たちはこう叫ぶだろう。

「大人たちは“本当の事”を知らないからさ」



足跡
(恐竜の足跡、photo:kazuhiko iimura)



上の写真で黒っぽく見えるのが恐竜の足跡。
大きいのが2つと、小さいのが一つ。
鳥の足跡のよう。
小型の肉食獣のものだという。

そして
下の写真は恐竜の骨の化石だ。
焦げ茶色の部分。
触ってみると表面がすべすべしていて、
ひんやり、しっとりしているように感じる。



骨化石1
(恐竜の骨の化石、photo:kazuhiko iimura)



随分前の話になるけど作家マイケル・クライトンは、
著書「ジュラシック・パーク」で、
琥珀の中に化石として残っている恐竜時代の昆虫
(恐竜の血を吸っていたと思われる昆虫)から
DNAを抽出して現代に恐竜を再生させると書いたけれど、
現在の科学技術をもってしても現実的には非常に難しいらしい。



骨化石2
(恐竜の骨の化石、photo:kazuhiko iimura)



でも、多くの研究者によってほぼ証明されている事実、
「今日でも恐竜と同じ系統にある生き物が一つ栄えている。それが鳥だ」
これには、胸躍らされる。
個人的なことだけれど、その話を聞いて以来(…もう20年近くになるかな…)、
鳥がちょこちょこ歩いているところを見かけると、
条件反射のように恐竜の姿を思い浮かべるようになった。

ところで恐竜は、どんな子育てをしていたのか?

1978年、ホーナー博士がモンタナ州で、
新種の恐竜(マイアサウラと命名)の集団営巣地を発見した。
巣の中からは、卵や孵化直前の胎児のほか、
体長1m程の子どもの恐竜も何頭か見つかった。

また、発見された14個の巣は、
約7mの間隔に並んでいたという。
この約7mというのは、大人のマイアサウラの体長と同じ。
この巣作りの形態は鳥類、
例えばペンギンの集団のものとよく似ているらしい。
ペンギンは巣をつくるとき、
親が行き来できる最低限のスペースは確保するが、
卵を保護するため、
それぞれの巣をできるだけ近付けるのだそうだ。

つまり恐竜は子育ての面でも、
爬虫類よりむしろ鳥類に近く、
集団である社会を形成して生活していたのではないか…
と考えられている。

では、恐竜の知能はどれぐらいだった?

一般的に恐竜の知能はワニやトカゲと同じぐらいで、
それよりも良くもなければ悪くもなかったといわれている。
けれども肉食恐竜のティラノサウルスやアロサウルスは、
同じ恐竜でも体重の割に脳が大きく、
知能は鳥類と同程度であったと考えられている。



トカゲ
(コロラドの知人が飼っているトカゲ、photo:kazuhiko iimura)



肉食性の恐竜は、機敏な動きで相手を倒す。
だから運動神経と共に知能も発達したらしい。

人間にも、どこか似たようなところがあるかも…。

ところが、そんな恐竜は約6500万年前に姿を消した。
約1億6000万年もの間繁栄していた恐竜が、
一瞬にではないにしても、
忽然と地球上から消えたんだから大変なことでしょう。


と、ここまで書いてきて話は少し横道にそれる。
数日前に、
“約5000万年のうちにアフリカ大陸が分裂される”
というニュースをみたから。



大地の鳴動

アフリカのケニアに現れた巨大な地割れ
その長さは数キロに及ぶといい、
地殻変動によってアフリカ大陸が二つに分裂しつつある…
との学説を裏付けるものだとも。
研究者たちは、
今後5000万年の間にアフリカ大陸が分裂すると予測しているらしい。

先にも書いたように、
人類の祖先が誕生したのが約20万年前だというから、
地殻変動なんていうものは、
そもそも人間の考える尺度で扱えるような事象ではないのだろう。

東日本大震災の後、原発関連の取材で、
使用済み核燃料を地中深くに「処分」するやしないの話になったとき、
日本のある電力会社関係者は、
「地中に埋めた核廃棄物が、
地殻変動によって地上に隆起してくる可能性も考えないといけない。
だから処分場の選定は慎重に行う必要がある」
と説明した。

実に奇妙な話だと思わない?

そんな厄介なものなら即刻使うのを止めればいい。
元来、人間の手に負える代物じゃないのだから。
にも係わらず、福島原発事故の教訓をいかせない日本(…というより現政権)は、
主要電力源として今後も原発を使用し続ける政策を掲げている。

ものごとを判断するする際に必要な「想像力」というものが希薄らしい。
多くの人が「無責任だ」と考えるもの当然だ。
もっとも、
今の政権に「責任は?」なんて問い正しても糠に釘、
豆腐に鎹(かすがい)…状態なのだからどうしようもないか。


さて、恐竜が約6500万年前に地球上から姿を消した話にもどろう。

600種類以上いたとされる恐竜が絶滅した理由は、
ご存知の通り、隕石の衝突だ。
落下地点は、メキシコのユカタン半島付近だと確認されている。

2010年3月、科学誌「サイエンス」は、
“地球環境を一変させた破壊的衝突の全容”を以下のように伝えている。

衝突した天体は直径10〜15キロの小惑星。
衝突速度は秒速約20キロ。
衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍。
衝突地点付近の地震の規模はマグニチュード11以上。
津波は高さ約300メートル(推定)

隕石の衝突によりものすごい量のチリが大気圏に舞い上がり、
長期間に渡って太陽光がさえぎられて地球上が寒冷化。
核の冬のような状態となり、
海のプランクトンや植物が死滅。
結果、恐竜なども絶滅したと考えられるという。


あらがえるものと、あらがえないもの。
あらがうべきことと、そうでないこと。




やりきれない

シリアでは政府軍が、
塩素ガス・神経ガスとみられる化学兵器を使用。
地下壕に避難していた民間人110人以上が殺害され、
犠牲者の大半は子どもだったという。 

いったい何がしたいんだ?
微塵の大義もないでしょ?
そもそも子ども達は、
国の大義のためなんかに生きていないし。



高速と空
(コロラド州、photo:kazuhiko iimura)



約1億6000万年にわたって、
地球上を恐竜たちが闊歩していた時代。
もちろん、人間なんていない。
もし、巨大隕石の激突がなければ、
もし、地球環境に大異変が起きていなければ、
今でも恐竜たちが、陸を支配していたかもしれない。
だとすれば、
もちろん、人類など存在していないだろう。

逆にこうも考えられる。
いま人類があるのは奇跡なのだと。
人間が生きていられる一瞬一瞬が、奇跡なのだと。

(飯村和彦)


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