猫たち、屋上で寛ぐ閑話休題「少年になった猫」

2007年11月17日

ダイヤル式電話機、悪いことが出来難かった時代



その電話をみたとき、
娘はちょっと驚いたようだった。
というか、
かなり興味を惹かれたようだった。
考えると、
ダイヤル式の電話機など
身の回りにないから。


古い電話機


そういえば、
電車の切符についても似たことがあった。
「ちょっと前までは、
切符は一枚一枚、駅員さんが切っていた」
と子供たちに教えたら、
「ウソ? めんど(くさい)」
とのリアクションだった。

彼らは、
改札鋏の小気味いい音を耳にしたことがない。
駅員の、あの早業を目にしていない。
だから、そんな反応になるのだろう。

そのようなことは、
レコードであったり、
テレビのチャンネルであったり、
NY地下鉄トークンであったり、
猫のエサ(ちょっと質は違うが…)であったり、
季節ごとの果物であったり、
皆さんご存知のようにあれこれある。

そんないちいちについて、
改めて子供たちと見ていくと、
これが結構興味深い。
便利で効率的ではなくても、
そこにはいつも安心感があった。

だからかどうかは知らないが、
その頃は、
まんじゅうの賞味期限や、
肉や魚の生産地表示に、
神経を尖らせるようなこともなかった。
「悪くない時代」だったのだ。
言い換えれば、
「悪いことが出来難い時代」だったのだろう。


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(飯村和彦)


newyork01double at 16:42│Comments(2) 家族/ 子育て | ダブル秘話

この記事へのコメント

1. Posted by imgng129   2007年11月29日 11:17
こんにちは^^ご無沙汰しておりました。

本当に切符切りにしてもレコードにしても
コードにつながった黒電話にしても
どれもそこに“想い”が存在していたような気がします。携帯電話のメールにしても・・
一文字一文字ペンで書く手紙とは
やはり違いますよね。すべてに想いと責任が
存在していたような・・・
そんな気がいたします*^^*
2. Posted by 飯村和彦   2008年01月12日 17:51
>imgng129 さま

確かに、
「思い」を形にする、
といいますか、
表現する手段が変わってきましたね。
面倒でも、
その面倒な作業の中で、
あれこれ考えていたものですが、
今のように全てが便利になると、
思案している間もなくなりました。
便宜的になりがちです。

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