光陰矢の如し梅の「色」

2008年11月05日

「アメリカ素描」司馬遼太郎



100年に一度ともいわれている世界的な金融混乱。
その震源であるアメリカの景気は、
向こう数年間は好転しないのでは?
そんな観測も流れている。
これだけは史上初の黒人大統領となる
オバマ氏でも舵取りに窮するだろう。

そこでという訳ではなかったのだが、
ふと一冊の本を手にとった。
それが司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」


アメリカ素描


この本は、昭和60年9月から12月まで、
読売新聞に連載された司馬氏の手記を一冊にまとめたもの。
どこを読んでも、
司馬氏の思慮の深さと視線の鋭さに脱帽する。

例えば、「ウォール街」とサブタイトルのついた記述。
これは昭和60年当時、野村証券の常務だった
寺沢芳男氏のマンハッタンにある自宅を訪ね、
司馬氏なりにアメリカ経済を語ったものだが、
その洞察力の鋭さ、
時代の先を読み取る眼力には、改めて驚かされる。

少々長くなるが一部抜粋させていただく。


「以下はウォール街知識の初歩だろうが、
寺沢さんによると、
アメリカでは銀行が証券会社の要素をもち、
証券会社が銀行の要素をもっているという。
また、保険会社にとっては
客から金を集めるのは当然の業務ながらそれは半分の性格で、
あとの半分は投機をやる。
投機。むろん投資ではない。
三者とも投機をするためにこそ
ウォール街にオフィスを置いているのである。
バクチでありつつもソンをしないシステムを開発しては、
それへカネを賭け、カネによってカネをうむ。
(アメリカは大丈夫だろうか)
という不安をもった。
専門家の寺沢さんには決して反問できない不安である。
資本主義というのは、
モノを作ってそれをカネにするための制度であるのに、
農業と高度技術産業はべつとして、
モノをしだいに作らなくなっているアメリカが、
カネという数理化されたものだけで(いまはだけとはいえないが)
将来、それだけで儲けてゆくことになると、どうなるのだろう。
亡びるのではないか、という不安がつきまとった。
十九世紀末から、
世界通貨はポンドからドルにかわった。
イギリスの産業力を
アメリカの産業力が圧倒的に凌駕したためである。
そのドルを裏打ちしている産業力がもし衰えれば、
金融や相場という、
考えようによっては資本主義の高度に数理化された部分は、
どうなるのか、
素人の不安はとりとめもなくひろがるのである」
(以上、「アメリカ素描」より抜粋)


米国旗


今のアメリカ経済の在りようを見れば、
上記文中にある
(アメリカは大丈夫だろうか)
という23年前の司馬氏の不安が、
そのまま現実のものになったといえる。

経済のグローバル化の名の下、
デリバティブに代表される高度な金融商品を武器に
金融市場で勝ち続け、
わが世の春を謳歌していたアメリカ。
ところが、
自らモノを作らず、マネーゲームに明け暮れた過ちのツケは、
ことのほか大きく、さらに悪いことには、
その災禍を世界中に伝播させてしまった。

モノづくりに関しては、
似たようなことが日本にもいえるのだろう。
日々汗水を垂らし、
懸命にモノを作っている人たちの生活は厳しい。
にもかかわらず、
偉い(と自ら思っている)人たちの言質は、いつも概ね同じだ。
「モノづくりこそが日本の生命線である」
しかし、高い技術を持っている会社であっても、
現場はいつだって辛く苦しい。
その苦悩の先には何があるのか?

将来、日本はどうなってゆくのだろう。
もしいま司馬遼太郎氏が生きていたら、
10年後、20年後、50年後…の日本をどう語るのだろう。
そんな思いに囚われながら、
「アメリカ素描」を読み終えた。


(飯村和彦)


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