この世に一人だけの人にあった瞬間とは?〜原爆投下の原点(中)〜目的のための犠牲(コラテラル・ダメージ)

2010年02月19日

目的のための犠牲(コラテラル・ダメージ)〜原爆投下の原点(上)〜



原爆投下に関するトルーマン語録

「日本人が理解すると思われる唯一の言語は、
奴らを爆撃するために我々が使用しているものである。
けだものを相手にしなければならないときは、
けだものとして扱わなければならない。…」
(長崎への投下から二日後の声明)

「私は広島と長崎に原爆を投下するよう命じた。
…同じような状況であれば再度決断したであろう。
原爆は対ジャップ戦を終結させたのだ」
(ポツダム会談からの帰途、妹メアリーに語った言葉)

B-29による残虐な無差別爆撃(例:東京大空襲)、
そして、広島・長崎への原爆投下。

戦時における軍事的必要性」の名目で行われた、
これらの無差別大量殺戮は、
誰によって、いつ、どんな理由で、
正当化されるようになったのか。



自由の女神ロング
(photo:kazuhiko iimura)



第二次大戦で連合国側が掲げた大義は、
「正義と人道」だった。

ところが、アメリカの爆撃機は、
一般市民が住む市街地に、
無差別に爆弾と焼夷弾を投下、
小さな子供や赤ん坊を抱いた女性まで焼き殺した。


なぜか?


非武装の市民を殺さないという倫理観が崩壊した背景

第一次大戦後の20年間における、
科学技術の革新と航空戦力理論の開発は、
約200年にわって発達した、
ヨーロッパの騎士道精神を消滅させた。
これが、
アメリカの無差別爆撃戦略に影響を与えたといわれる。 


ジュリオ・ドウエット将軍(イタリア)の航空戦略理論

国家は、「制空権」を確立することによって、
第三次元を支配しなければならない。

いったん制空権を獲得すれば、
敵軍の施設を爆破でき、さらには、
主要目標である人口密集地に直接向かうこともできる。

爆撃機は敵国民を恐怖に陥れ、
彼らの肉体的・精神的抵抗力を破壊するだろう。

将来の戦争は、軍用機による都市爆撃(高性能爆薬)、
毒ガス、焼夷弾の投下で幕が切って落とされる。 
  
戦争手段に対する道義的制約は偽善にすぎない。
恐るべき攻撃が、
いかに非人間的で極悪非道であるとみなされようと、
誰もひるみはしない。
それが、勝利を得る道であると分かっている時、
司令官が軍隊の損失を甘んじて受け入れるように、
国家は、
人口密集地に対する航空攻撃を甘受しなければならない。


さらに、
第二次大戦前のアメリカ航空軍に大きな影響を与えたのが、
ドウエット戦略。


ドウエット理論

ドウエット理論で最も重要な著書、
「制空権」第一章(1921年)は、
イタリア語版の出版から数ヶ月以内で英語に翻訳されていた。

後の第二次大戦で、
航空軍の司令官になった大半も「制空権」を読み、
影響を受けた。

「国民の志気は価値ある標的である」
というドウエットの概念は、
陸軍飛行隊戦術学校の1926年度版の教本、
「合同空軍力の採用」にも登場。

「制空権確保を第一の任務とする独立空軍」
という考えを容認したばかりでなく、
「戦時下の真の標的は、
戦場の敵軍隊ではなく敵住民と重要地点である」
と明言した。


しかし、まだこの時点では、
ドウエット戦略を支持しない司令官が大半を占めていた。

陸軍航空軍総司令官アーノルド将軍も、
「特別な状況を除けば、人間は優先的標的ではない」
として、
あくまでも軍事関連施設を狙った、
選択的爆撃の方が効率的あるとしていた。


ところが…


第二次戦争が始まり、
空軍力が増し、
闘いが長引きだすと、
政権内部や航空軍司令官たちの考え方が変質してくる。

第二次大戦初期、ルーズベルト大統領は、
「日本軍による重慶空襲は、
道義上許されない行為だと非難し、
アメリカ政府は、
民間人に対するいわれのない空襲と、
機銃掃射を心から非難する政策をといっている」
としていた。


しかし、
戦争が進むにつれ、その方針が徐々に揺らぎだす


1940年9月〜41年5月。
ドイツ空軍によるロンドン、コベントリー、
その他の市街地中心部に対する爆撃で、
住民約4万人が死亡。

イギリス軍による報復としての市街地爆撃。

1941年夏、
アメリカ航空軍は、
ある特殊な条件が発生した場合には、 
一般市民を直接攻撃することを提案した。


アメリカ戦略爆撃計画-1」(AWPD-1)
…一般市民は敵の戦争機構の一部であって、
苦難を受けなければならない。
ドイツが敗北の淵にたったとき、
ベルリンの住民に対し、
大規模な全面攻撃を加えるのが有効。


1943年7月末〜8月初頭、ハンブルグ空襲。
…イギリス軍が、
焼夷弾を使った夜間無差別爆撃で、
大きな戦果を上げる一方、
アメリカ軍の選択的爆撃(昼間)は、
「イギリス軍の夜間爆撃よりも“人間的”」
であることは証明したが、
ほとんど効果を上げなかった。


そして…
1943年8月17日。
アメリカ軍の爆撃戦略(選択的爆撃)に、
最も大きな影響を与える出来事が発生した!


レーゲンブルク-シュバインフルト作戦の失敗

アメリカ第八航空軍が行った、
レーゲンブルクにある飛行機工場と、
シュバインフルトの軍需工場を攻撃した作戦。
この攻撃でアメリカ第八空軍は、
約87機のB17爆撃機を失い、
550人以上が戦死、又は捕虜になるという犠牲を出した。

さらに問題だったのは、
「空飛ぶ要塞(=B17)」が、
軍需工場に、
十分な被害を与えることが出来なかったことだった。



DCモニュメント
(photo:kazuhiko iimura)



アメリカ航空軍司令官が、
ハンブルグ空襲と、
レーゲンブルク-シュバインフルト作戦の失敗から得た教訓は、
「市街地空襲は、
時として精密爆撃よりも成果をあげ、
陸軍航空軍の犠牲をはるかに少なくする」
というものだった

そして、1944年8月26日。
ルーズベルト大統領の発言

「アメリカとイギリスのあまりに多くの国民が、
戦争に責任があるのは、
少数のナチス指導者であって、
ドイツ国民全体ではないと考えているのは、間違いである」

1944年9月9日、
ルーズベルトは、スティムソン陸軍長官に書簡を送付し、
「ドイツと日本に対する爆撃効果を分析する機関、
(後のアメリカ戦略爆撃調査団)」
の設立を要請した。


つまり、このことは…


「敵一般市民を恐怖に陥れることを狙った攻撃は、
ルーズベルト大統領にとって容認可能」
であることを意味した。


そして…


1945年
2月3日、ベルリン空襲 
約2万5000人の一般市民が死亡

2月13〜14日、 ドレスデン空襲
約3万5000人の一般市民が死亡
(注:当時ドレスデンは、非武装都市であり、
東部戦線からの避難民で一杯だった)


「我々は軟弱になってはならない。
戦争は破壊的でなければならず、
ある程度、非人間的で非情なのである」
(アーノルド陸軍航空軍総指令官)


その後、
東京大空襲、
広島・長崎への原爆投下へと突き進む。

【つづく】


(飯村和彦)

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