2014年10月26日

テロとの戦い。10年前といま、日本の姿勢は?



間違いなく、いま世界は深刻な事態に陥っている。
イラク、シリアで勢力を急拡大している「イスラム国」の存在。
そして、彼らの主張に同調する世界中の組織・個人。
特に後者にあっては、どこの誰が「テロリスト」であるのか、事が発生した後でないと分からないという現実が横たわる。
あるものは自らの信念から自爆テロを起こし、あるものは自らが今置かれている社会状況に憤怒しライフルや斧を手に暴挙に走る。

一方アメリカのオバマ大統領は、イスラム国への対応を巡り、22カ国の軍のトップをメリーランド州の空軍基地に集めて結束を呼び掛けた。会議に参加したのはイスラム国への空爆に参加しているフランスやイギリス、サウジアラビアなど。
この席でオバマ大統領は、「目標は、イスラム国が国際社会の脅威にならぬよう弱体化させ、最終的には破壊させることだ」と力説。イスラム国を壊滅するには、アメリカ単独ではなく「有志連合」の協力が不可欠という認識を示し、参加国も一致したという。

ここで登場した「有志連合」という言葉。
「有志」、つまり志の有るものたちの「連合」を意味するのだろうが、ではその「志(こころざし)」とはどんなものなのだろう。
さらに、このアメリカの呼びかけに日本は今後どのような姿勢で臨んでいくのだろうか。
安倍首相とその仲間たちが「選択」する「立ち位置」によって、これから先日本が向かいあっていくことになる「対イスラム国」「対テロ戦争」の様相が大きく変わってくる。

安倍首相の「選択」によって生じる「結果」。
その結果は私たち日本国民が受け入れられるものになるのか。もし受け入れがたい結果になった場合、安倍首相はどうのような「責任」の取り方をするのだろう。

と、ここまで考えて、ふとあることに気付いた。
約10年前にも似たようなことがあったなあ…と。
そこで当時の原稿を引っ張り出してみた。2004年2月に書いたものである。
内容は、小泉首相(当時)が、自衛隊のイラク派遣を決めたことに関する疑問だ。

考えを整理する意味もあり、改めて原文のまま掲載することにしました。
この10年間で、なにが変わりましたか?



星条旗たなびく?



…【以下、2004年2月3日、記】

『イラクへの陸上自衛隊の本隊派遣がいよいよ開始された。政治に翻弄された挙げ句の事実上の派兵。日の丸を背に迷彩服に身を包んだ隊員たちの胸中は複雑だろう。イラク国内が戦闘地域であるのは明白であり、そこに派遣されるということは、自らの命を失う危険性があると同時に他国人の命を奪う可能性もあるということを意味するからだ。
 しかし、先週の衆議院特別員会に於いて小泉首相は、自衛隊員に万が一のことが起きた場合、その『責任』をどうとるのかという民主党の前原誠司議員の質問に対し、「派遣された自衛隊員がその任務を果たせることを祈る」という内容の答弁を繰り返すだけで、不測の事態が発生した際の具体的な責任の取り方については一切口にしようとはしなかた。ときに薄笑いさえ浮かべながらのその答弁からは、日本の最高司令官としての決意は微塵も感じられなかった。

自衛隊のイラク派遣は小泉首相の判断であり、『選択』である。自分が行った選択の結果を引き受け、それに責任を持つのは当然のことである。この世に結果のでない選択など存在しない。にもかかわらず、小泉首相は頑なまでに責任の取り方を明確にしない。つまり、選択はしたがその結果については責任をとらないといっているのと同じである。
対テロ戦争は、どこに国境や前線があるのか、誰が敵なのかも曖昧な新しいタイプの戦いである。2年前、『9.11テロ』を検証する報道番組の取材で話を聞いた元FBI副長官のオリバー・レベル氏は、テロリストとの戦いの難しさについて「テロ決行の時間や場所などすべての状況をコントロールしているのはテロリストの方であり、特に自爆テロの場合は、実行犯が十分に訓練を積み、地域社会に潜り込み、時間をかけて計画を練り上げるので、その裏をかいてテロを未然に防ぐことは事実上不可能である」と語った。つまり、テロを防ぐための包括的な対策などは存在し得ないということだ。

自衛隊員が派遣されたイラクもまさにそのような状況であるということを、日本政府が正確に把握しきれていないであろうことは、国会での小泉首相や石破防衛庁長官による「サマワ答弁の混乱」を見ても明らかである。
さらには、イラクの大量破壊兵器問題を調査してきたデビット・ケイ前調査団長が、開戦時にイラクが同兵器を保有していた証拠はないと断言したことで、イラク戦争の大義にまで疑問符がついた現状を考えれば、自衛隊派遣の是非以前に、米英軍によるイラク戦争開戦を支持した小泉首相以下、政府の判断(選択)そのものが改めて問題になっているのである。「自衛隊が立派に任務を果たせるようにするのが私の責任だ」などと答弁している状況ではない。大義なき戦争を支持したかもしれないということの意味は、多くの罪のないイスラム教徒を大量に殺害した戦争、言い換えれば「テロに対する戦争」という名のもとに行われた“国際テロ”を支持したのと同じで、そこが問われているのだ。

ブッシュ大統領は「フセイン政権を打倒して世界はより安全になり、イラクの人々は自由になった」と述べているが、その彼の言葉がいかに空虚なものであるかは未だに戦闘状態が続くイラクやパレスチナの現状を見ればわかる。
小泉首相は日米同盟、国際協調はこれからの日本の平和と繁栄にもっとも大事だと力説するが、では彼のいうところの国際協調とはどんな国々との協調を意味するのだろうか?まさか米国とその同盟国だけを意味しているのではあるまい。これと似た疑問はブッシュ大統領や小泉首相が「テロに対する戦争」という言葉を口にする時にも沸いてくる。テロに屈してはならないというのは至極当然なことであるが、彼らのいうテロとは誰によるどんな相手に向けられたテロを指してのことなのか? 米国とその友好国に向けられるテロだけがテロだともいうのだろうか? 日本政府は米国が過去行ってきた多くの“テロ攻撃”に対してはどんな立場をとっているのか? 

我々はテロという犯罪そのものについて異なった視点から見つめる必要がある。国際司法裁判所が国際テロで有罪を宣告した唯一の国が米国であり(1986年)、米国だけが国際法の遵守を求める国連安全保障理事会の決議に拒否権を発動したという事実。これは1980年代にニカラグアが受けた米国による暴力的な攻撃(「力の非合法な行使」)に対する国際司法裁判所と国連の判断だった。ニカラグアではアメリカによるこの“テロ攻撃”で何万もの人が命を落とした。1998年にはスーダンの首都ハルツウムに米国は巡航ミサイルを撃ち込んだ。この爆撃でスーダンの主要な薬品の90%を製産していた製薬工場が破壊されたため、以降、今日に至るまで数万人もの命が失われていると報告されている。その多くが子供たちだという。彼らの家族にしてみれば米国こそがテロ国家なのである。サダム・フセインと米国が1980年代盟友関係にあったのは周知の事実だし、その当時サダム・フセインが毒ガスでクルド人を大量殺戮するという残忍なテロ行為を行ったのもまた事実である。
これら米国による数々の“テロ攻撃”の歴史については、マサチューセッツ工科大教授のノーム・チョムスキー氏の著書「9.11アメリカに報復する資格はない!」に詳しく述べてられているので是非参考にして頂きたいが、問題はこのような“テロ国家”としての米国の歴史を日本政府がどのように解釈した上で、その米国が掲げる「テロに対する戦争」に現在向き合っているのかが判然としないことである。

二日、宮崎県の高校三年生の女子生徒が内閣府に提出した、平和的な手段によるイラクの復興支援と自衛隊の撤退などを求めた小泉首相宛ての5358人分の署名つきの嘆願書に関連し、小泉首相は「この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない」とした上で、学校の教師も生徒に「イラクの事情を説明して、自衛隊は平和的に貢献するのだ」ということを教えるべきだと語った。自衛隊派遣という重い選択をしたにも係わらず、その結果起こりうる出来事についてどんな責任をとるのか一切説明しない小泉首相に、学校の教師に対して自らの判断の正当性を生徒に説明させる資格があるだろうか。
「暴力の連鎖を断ち切るためには平和的な解決が必要だ」と考え、たった一人で5358人分もの署名を集めた女子生徒の方が、何が善で何が悪なのかをきちんと見極めている気がするし、彼女の考えに共鳴した多くの若者たちの方が小泉首相より自分の正義、うちなる倫理に忠実に生きるように思えてならない。

善か悪か…。その概念は、状況によって変化する例が一つでも見つかった瞬間に焦点を失うものだ。特に「戦争」や「テロ」においては視点をどこに置くかで善悪の見え方も違ってくる。今ほど注意深く物事を見つめる姿勢が重要な時はない』

(飯村和彦)


newyork01double at 12:25│Comments(0) 取材ノートより | テロとの戦い

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