家族/ 子育て

2020年07月17日

「Double2 The Freedom to Dream 2020」(English edition)=「ダブル2 夢見る自由 2020」(英語版)です


Double2 2020 Paper cover



*For residents of the United States(アメリア在住の方)

Kindle version(電子書籍 Kindle版)
Double2 The Freedom to Dream 2020 by Kazuhiko Iimura(English edition) Kindle
Paperback version(書籍版)
Double2 The Freedom to Dream 2020 by Kazuhiko Iimura (English edition) Paperbak


"Double2 The Freedom to Dream 2020" is the electronic and updated version of Double which was originally published in 2005 and Double2 originally electronically published in 2013. To make it easy to follow, the content of the previous two books are included in this edition. The voice of Double and, in fact, his whole family have changed greatly in the intervening years. Additionally, this edition provides updates on the thoughts of Double and the family's life during the reunion of the family in 2020 due to the COVID-19 pandemic.What exactly has changed in the past 25 years? What has remained the same? Why? Meditating on those questions while re-examining our photos has led me to the words on these pages. Children grow up. This gives us adults a chance to grow as well. Have we made something of that chance or not? There are many regrets. Have there also been moments of pride? Updating this book has had me thinking acutely about these issues.When the original book was published in 2005, those who supported it most enthusiastically were female junior and senior high school students. They are now all adults. I am sure they are not just "fine" but unique and special women. Some may be mothers of a child with their own "I" voice. I am fascinated to know how "Double2 The Freedom to Dream 2020" appears to them now.

Thank you.



P.S.

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Double2 The Freedom to Dream 2020 by Kazuhiko Iimura (Bilingual edition-Kindle)

Double2 The Freedom to Dream 2020 by Kazuhiko Iimura (Bilingual edition-Paperback)



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2020年07月13日

写詩集「ダブル2 夢見る自由, 2020」日本語版も出版になりました!



ダブル2 2020 日本語版 表紙


電子書籍 「ダブル2 夢見る自由 2020」 (日本語版)飯村和彦

もしかすると「Kindle-電子書籍」ということで、
Kindleリーダーとか持ってないから読めない…
と思っている方もいらっしゃるかもしれません。
が、違います。

※Kindle電子書籍は誰でも読めます!

iPhone, iPad, Android端末で読みたい方は、
無料アプリをインストールすれば読めます。
WinPCからは、Kindle for PC、
MacからはKindle for Macアプリで読めます。

ということなので
本書に関心のある方は宜しくお願いします。


写詩集「ダブル2 夢見る自由 2020」で表現された世界は、
過去から現在へ繋がっている私や妻、子ども達の記憶そのものです。
さらにそれらの記憶は、私たち家族だけのものではなく、
おそらく多くの人たちの記憶とも必ずどこかで底通していると思います。
この本の中で「僕」が見せる表情は、
きっと皆さんの子ども達と同じであり、
自分が幼かったころのものと変わらないはずです。

本書の「僕」は今年25歳です。
これまでの25年間で「僕」とその家族の何が変わって、
何が変わらずにそのままなのか。その理由はどこにあるのか。
あれこれ思いをめぐらしながら何度も写真を見つめ、
事象や出来事を普遍化するための言葉を選びました。

また本書では、
新型コロナウイルス禍の影響で家に再集合した
2020年の「僕」やその家族の生活についても詳しく紹介しています。
“コロナ後”の世界の在りよう…気になります。

なお、タイトルになっている「ダブル」は、
「ハーフ」という言葉の代わりに
私たち家族が積極的に使っている表現です。
「お子さんは、日本人とアメリカ人のハーフですか?」
と訊ねられれば、いつも
「ええ...、ダブルです」と返答しています。
半分ずつではなく、それぞれが「全て」という思いからです。

最後に「ダブル2 夢見る自由 2020」は、
英語と日本語で書いた「バイリンガル版」も出版されています。

電子書籍「ダブル2 夢見る自由 2020 (バイリンガル版)飯村和彦

海外のご友人と「家族のカタチ」を語り合う際に
ご活用していただければ幸いです。

どうぞ宜しくお願いします。



newyork01double at 03:56|PermalinkComments(0)

2020年06月27日

写詩集「ダブル2 夢見る自由 2020」バイリンガル版が完成です!


やっと完成!
「ダブル2 夢見る自由 2020 」(Amazon-Kindle 電子書籍)
全210ページ、完全なバイリンガル版(英語と日本語)です。


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電子書籍「ダブル2 夢見る自由 2020(バイリンガル版)飯村和彦」


2005年に書籍版の写詩集「ダブル」が出版されてから15年。
本書の語り部である「僕」は今年25歳に!
この25年間で変わったものってなんだろう。
逆に、変わらなかった姿勢やものの見方は?

2020年(今年)春、
新型コロナウイルス・パンデミックのため、
「僕」とその家族は、
図らずもマサチューセッツ州アマーストに再集結。
ステイホーム
ソーシャルディスタンシング

で、改めて考える。

「普通ってなんだ?」から始まった「僕」の思索。
いま「僕」の視線の先にはなにがある?
「のっぺりと広がっている時間」ってどんなもの?
そんなあれこれを感じてもらえたら嬉しいです。

そしてまた、
好きな音楽を口ずさみながら、
写真を眺め、日本語と英語になった「語り」に目をやってください。
カリカリせずにリラックス
きっと面白い感覚やら気分を味わえるはずです。

ル〜ララ 宇宙の風に乗る!


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以下、
本書から一部抜粋(「宇宙の風」)


何かが変わる?
社会の仕組みとか、求められる政治的公正さとか
例えば、
息をするように嘘をつく政治家なんかは勿論いらない
じゃあ、何かを変える?
そうだね...
少なくとも僕は、すべてに、もっと、優しくなりたい

#BlackLivesMatter

地球は地球のままだけど...

“ルララ 宇宙の風に乗る”
なんかいいよね、このフレーズ
スピッツの「ロビンソン」 少し前の曲だけど

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この本は210ページですが、
半分が写真、残り半分が短い「語り」です。
きっと楽しみながら、
サクサクとページをめくっていけると思います。

以下の「amazon」のサイトから入手できますので、
どうぞ宜しくお願い致します。


*日本にお住いの方
電子書籍「ダブル2 夢見る自由 2020(バイリンガル版)飯村和彦」
 
*アメリカにお住いの方は電子書籍の他、ペーパーバックでも入手できます。
電子書籍「duble2 The Freedom to Dream 2020〜bilingual edition by Kazuhiko Iimura」

paperback double2 The Freedom to Dream 2020〜bilingual edition by Kazuhiko Iimura」







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2018年10月10日

動画「Hana's Life 〜ハナばあちゃんと子どもたち、7年間の物語〜」




Hana1
(photo:kazuhiko iimura)




長い間やろうと思っていても、
なかなか実行に移せなかったこと。
それが撮りだめた家族の日常映像を編集して、
ひとまとまりの記録にすること。

まずは祖母に関するところだけでも…と決心して、
数年前から仕事の合間に少しずつ作業をして、
去年の夏、一応完成した。


以下は、そのときに記した文章です。

がんとの闘いを何度も克服し、97歳まで生きた祖母。

完成したVTRは、
祖母が90歳のときの正月から始まり、
97歳でこの世を去るまでの7年間の話だ。
その間に生まれた、
うちの子どもたちの素材も組み込んだ。

撮影舞台は、ほとんどが実家。
シーンも私どもが実家を訪れる盆と正月が大半だから、
当然、似たような場面の繰り返しになる。
ところが、実際に映像や写真を時間軸で見ていくと、
毎年の繰り返しだからこそ、
「そうなのか…」
と合点するところが多々あった。





ばあちゃんと万弥とブレットb 6月21日1998年
(photo:kazuhiko iimura)





当然ながら祖母は年々、老いていく。
“老いが深まる”といった方が適切かもしれない。
けれども、


「生きよう!」
「生き切ろう!」



とする意思は健在で、
末期がんで死の淵に瀕したときも、
70年間連れ添った夫(祖父)と死別したときも、
祖母は強い意志でその都度、奇跡的な回復を遂げた。

もちろん歳が歳だから、顔に刻む皺は年々深くなるし、
幾度となく繰り返される玄関をでる様子は、
一人でスタスタ歩いている姿から、
家族の誰かに抱えられて移動する姿へと変わっていく。

けれども、それは単なる身体的な老いでしかないようで、
祖母の老いと反比例するように、
年々成長するひ孫たちに接しては、
祖母は自身の中にある、
「生きる力」を再確認していたように思える。





62ダブル
(photo:brett iimura)




家族の中に高齢者が存在していること。
自宅とケアハウスを行き来する祖母の生活。
そんな祖母の生活を支える父や家族の日常。

話を少し一般化してみると、
当時のあの家には、
「在宅介護」や「老老介護」、「施設と自宅」…等々の問題が、
すべて当たり前に存在していた。
その上で、家族や親族が高齢者を敬い、ともに日常を生きる。

もちろん、介護する側の負担は大きい。
実家にいる家族たちの苦労は並大抵ではなかったはずだ。
でも、だからといって特別なことをする訳じゃない。


明るく楽しく…
どんなときでも…いつも通り、普段通り。



そんな「いつも通り」がどれほど大切で、
どれだけ掛けがえのない時間だったことか。


懐かしいというより、尊い。





Hana3
(photo:kazuhiko iimura)





さて、現実的な編集作業はといえば、
これが思っていたより大変だった。

7年間とはいえHi-8やDVの映像が、テープで約40本分。
その中から祖母にまつわる部分だけを抜きだす。
もちろん写真もたくさんある。
そんな素材を時系列にそって忠実に並べていった。

ナレーション原稿を読んだのは娘(現在、大学生)。
彼女が生まれたとき、祖母は94歳。
当時の記憶なんてないだろうけれど、映像は雄弁だ。
きっと彼女なりに「なにか」を見つけたはず。

結局、1時間15分ほどの「記録」になった。

それ自体は極めて個人的なものだけれど、
先に触れたように見ようによっては普遍的でもある。


だから、
今回再編集してブログにアップすることに…。

とはいってもネットで見る動画としては、
さすがに1時間15分は長い。なので全体を40分ほどに短縮。
さらに「上」「中」「下」と、
約15分ほどの動画、3本に分けました。

ひとつの「家族のかたち」として眺めて頂ければ幸いです。

興味のある方は、
時間のある時に、
一本ずつご覧ください。



Hana's Life〜ハナばあちゃんと子どもたち(上) ↓




Hana's Life〜ハナばあちゃんと子どもたち (中) ↓




Hana's Life〜ハナばあちゃんと子どもたち (下)↓


(飯村和彦)

newyork01double at 21:22|PermalinkComments(0)

2017年03月18日

人生が劇的に変わった瞬間〜自宅出産に立ち会うということ



先ごろ、我が家の二人の子どもたちがお世話になった助産師さんが現役を引退しました。
今回の文章は、上の息子が生まれた日のことについて書いたもので、去年の夏に「原爆投下から終戦までの信じがたい経緯を!21年前の夏、子どもが誕生した日に考えたこと」の中に、“「ヘイ ボーイ!」より抜粋”として掲載した部分の続きになります。
ひとつ付け加えるとすれば、下の娘が生まれたときも同じように自宅出産に立会い、さらに“その思い”が強くなったこと。
かなり長文なので、時間に余裕のあるときにお読みいただければ幸いです。

以下、「ヘイ ボーイ!」より抜粋



こどもたち
(photo:kazuhiko iimura)



考える人

一階部分がデジタル写真印刷会社の店舗兼作業場になっている三階建てのマンション。その三階の一番手前、303号室が『現場』である。
「いま帰ったよ、どう?」
玄関ドアをあけるより先に父さんは口をひらいていた。
上がり口に靴を脱ぎ捨て、短い廊下をドタドタと進む。キッチンに入ったところで、隣のリビングから母さんの声が聞こえてきた。
「あなた…」

ドアを開けると、なにかの上に全裸で座っている母さんの姿が目に飛び込んできた。
折った膝頭に頬杖をついて、顔だけをこちらに向けたポーズ。
例えるなら『考える人』。そんな格好だった。
「おか、えり」
母さんは、必要以上に声を張らない、呼吸をするようなしゃべり方で父さんに応えた。細い息を吐きながら声をだし、幾分長めのブレスをとって、また息を吐きながら言葉を繋げる。
その顔には色濃い疲労が見てとれた。

「グーはどうした、まだだね」
状態を見れば一目瞭然なのだが、父さんは確認せずにはいられなかった。
すると母さんは、ふわりとした笑みを浮かべていった。
「この子は、父さん思いの、いい子みたい」
そして、足元に置いてあった麦茶のグラスにそっと手を伸ばすと、唇を湿らすように音をたてずにひとくち飲んだ。

母さんの頬はうっすらと紅潮していて、グラスを持つ指先だけがやけに白かった。
そんな母さんの仕草や表情には、どこか人の気持ちを落ち着かせる力があって、朝からずっと走り続けていた父さんには、いわば長い文章の読点のように作用した。
「ほ〜っ」
父さんはジャケットを脱ぐとカーペットの上に腰を下ろし、部屋の中をゆっくりと見回した。
エアコンのスイッチはONになっていたが、室内はやはり蒸し暑かった。
けれども、その暑さは外の射るような暑さではなく、どこか柔らかな、いってみれば母さんの体温のようなもので、思っていたより不快なものではなかった。
繭の中というか、子宮の中というか、想像するとそんな感じ。

胎内の温度は37度ぐらいだというから、そこまでではないにしても君が生まれてくるのには丁度いい室温だったのかもしれない。

そして、考える人。

よくよく見れば、母さんが座っていたのは逆さまにしたプラスチック製のバケツだった。床掃除のときに使う、あのなんの変哲もない水色のもの。お尻の下にはクッションの代わりにバスローブが敷かれていた。
――考える人のポーズ。
それは陣痛と戦うのではなく、折り合うための方法として母さんが辿り着いた究極の姿勢だったのだろう。どこか原始的な風景のようでもあり、そこには何かしら父さんの心をしんとさせるものがあった。
父さんは本棚の上にのせてあったキャノンを手にとると、そんな母さんの姿を一枚写真に収めた。

「ともかく、写真はたくさん撮ろう」
それも、父さんと母さんの決め事だった。
胎児の成長に伴い、母体の形はどのように変化していくのか。
その変遷をあとでビュジュアル化できるように、父さんたちは定期的に同ポジ撮影まで敢行していた。
一回の撮影で36枚撮りのフィルムがなくなることもしばしばあった。もちろんカラーと白黒の両方である。

「でも、この写真をいつかグーが見ると思うとわくわくするね。どんな顔をするかしら。お腹の中にいたときの記憶は残らなくても、写真にはそのときの事実が残るからいいわよね。私もそんな写真、欲しかったな」
撮影のたびに母さんはそういっていたが、父さんにしても気持ちは同じだった。

記念写真というのは、そこに写っている自分の姿を見るというよりは、その写真が撮られたときに自分の周りにいた人たち、つまり自分と一緒に写っている人たちがどんな風だったのかを知ることができるから楽しい。
だから、自分が胎内にいたときの母の姿状や、胎動を感じたときの母の表情をとらえた写真がもしあったら、自分が「生きる」ということを考える年齢になったときに、欠かせないものになっていたはずだ。




お腹が大きい
(photo:kazuhiko iimura)



父さんは、そんなことを考えながらわが家の『考える人』をファインダー越しに眺めていた。
そして、はたと気づいたことがあった。
君が生まれる瞬間にその場にいるべき、もうひとりの人物がいないのだ。
父さんは慌てて尋ねた。
「藤井さんは? まだ来ていないの」
腕時計に目を落とすと、時刻はすでに午後2時近くになっていた。
確か、昼前には到着しているはずだったのでは?

学芸大学駅から碑文谷のマンションまでの道順をかいた地図(かなり丁寧なもの)は、きのうのうちにファックスで送ってあったし、そのあと電話でも確認した。だから、相当な方向音痴でもないかぎり道に迷うことはない。
指を噛んで、陣痛に耐えていた母さんがいった。
「お昼ごろ、電話があって、少し遅れるって」
「それで大丈夫だって?」
目の前の母さんの状態からして、父さんにはとても大丈夫そうには思えなかったのだが。
「そういっていた。たぶん、早くても、夕方だろうって」
「ふーん」

自然分娩は、文字通りかなり自然の力の影響を受ける、といつか藤井さんが説明してくれたのを思いだした。
満月や新月の前後にはお産が増えるし、一日のなかでは潮の満ち引きが重要なファクターになるのだといった。陣痛でいえば満潮の数時間前から強くなり、逆に引潮の時間になると弱くなる。だから陣痛が弱くなっても焦らず、次の満ち潮を待つのが懸命なのだという。
しかし、そうはいってもそれが全てではないだろうし、万が一、助産師の藤井さんが到着する前に分娩がはじまってしまったらどうなるのだろう。
そう考えると父さんはゾッとした。

胎児のとり上げ方までは、出産準備クラスでも教えてくれなかった。
ヌルッと出てきた君をしっかり受け止められなかったら。
上手く生まれたら生まれたで、へその緒はどう処置しらいいのか。
無闇に切っていいはずがない。
切るべき最適なタイミングと、「ここを」という位置があるに違いない。
君が生まれ出た後、どれぐらいたってから胎盤やらなにやらが母さんのお腹の中から出てくるのか。それをどう扱ったらいいのか。
不安の種は尽きなかった。
それでも、あれこれ思案した末に父さんは一つの結論に達した。
「ともかく、手だけはきっちり洗っておこう」
とっても簡単なことだが、なによりも大切なことに感じられたのだ。
綺麗で清潔な手。

――オーケー、さっそく手を洗おう。

そう思って父さんが立ち上がったときだった。
「あなた、お風呂、入れてくれる?」と母さんがいった。
「ずいぶん楽になるって、藤井さん、いっていたでしょ」
お湯の温かさと浮力で収縮(陣痛)が緩むので楽になるのだ。最近、妊婦のあいだで水中出産が人気になっているのもそんな理由からだという。
「わかった、すぐに入れる」
その後の父さんの行動は機敏だった。

バスルームに入ると、まず洗剤をつけたスポンジでキュッキュ、キュッキュと浴槽を洗った。そして、シャワーで泡を洗い流しながら同時にお湯の適温(この場合は幾分ぬるめ)を探る。それで、これだという温度になったら、綺麗になった浴槽にお湯を溜めはじめる。
その間、額やまつ毛から汗がポトポトと滴り落ちたが、まったく気にならなかった。無心とまではいわないが、黙々と山道をのぼるあの心境に近かった。


助産師の藤井さん

「ど〜も!」
インターフォン越しに、助産師の藤井さんの明るいの声がマンション内にこだましたのは午後3時をまわったころだった。
急いで玄関に走りドアをあけると、紫色の大きな風呂敷包みを抱えた藤井さんがにっこり笑って立っていた。
「お待たせ!」
普段通り、元気一杯の藤井さんである。
「どーも、待っていましたよ。道にでも迷ったんですか?」
父さんとしては、やはり遅れた理由が気になったのだ。
「とんでもない。パパさんの書いてくれた地図、バッチリでした」
藤井さんは、父さんのことを『パパさん』と呼んでいた。
「出がけに、おとといお産をすませたお母さんから電話があって…。ごめんなさいね、遅くなって。ママさん大丈夫かしら」

だからといって、藤井さんが恐縮していたかといえばそうじゃない。
余裕しゃくしゃくといった感じで、抱えていた風呂敷包みを床に置くと、履き口がマジック開閉タイプになっている健康シューズの甲の部分を勢いよくバリバリと剥がした。
父さんは訊いた。
「そのお母さんに、なにかあったのですか?」
すると藤井さんは、呆れたとばかりに手のひらをひらひらさせて応えた。

「赤ちゃんの手足が干からびて大変なんです。象みたいに皺だらけになっちゃったんですけど〜、どうしたらいいんでしょうか〜って。もう慌てちゃってね」
そういいながら藤井さんは、脱いだ健康シューズの向きをくるりと変えた。
ちなみに藤井さんは50歳代の後半である。
再び、父さんは訊いた。
「新生児によくある、脱水症状のあれですか?」
妊婦のバイブルといっても過言ではない名著、岩波書店の「家庭の育児」にそんなことが書いてあったのを思いだしたのだ。父さんはすでに、あのぶ厚い本にひと通り目を通していた。

「そうそう。オッパイあげていれば二、三日でよくなるの。でも最近のお母さんはそれが普通のことっだて知らないから、なにか大変な病気かもしれないって思っちゃうのよ。なかには母乳を止めてミルクを沢山飲ませた方がいいんでしょうか…なんてことを聞いてくるお母さんまでいるのよ」

藤井さんはいつでも、さばさばとした口調で物事の核心をついてくる。
玄関の隣にあるバスルームで入念に手を洗いながら、藤井さんは続けた。

「ほら、人工乳の缶があるでしょ。赤ちゃんといえば、あのかわいい笑顔のプチプチ肌だって思い込んでいるお母さんが多いから。本当はその人工乳が問題なのにみんな惑わされちゃうのよ、あの写真にね」

人工乳など母乳の足元にも及ばない。なのに多くの母親がなにかあると母乳育児を放棄して人工乳に走ってしまうのは、乳業メーカーの巧妙な宣伝活動によるところが大きいのだ、と藤井さんは常々怒っていた。
免疫力の高い母乳を飲んで育った赤ちゃんは、人工乳(いわゆるミルク)で育てられた赤ちゃんにくらべて、アトピー性皮膚炎などにも罹りにくいのは証明済みなのだという。
もちろん、他の病気に対しても強い。
そもそも万人に効く薬がないのと同じように、どんな乳児にも対応する人工乳(乳業メーカーにいわせれば母乳代用品)など存在しないのだ。
だからこそ人間には母乳がある。
「それぞれの赤ちゃんの体質にぴったりあった完璧な滋養物が母乳なの!」
それが藤井さんの口癖でもあった。
そんなことに考えをめぐらしながら、父さんは藤井さんをリビングに案内した。

「ママさん、どう? 顔色いいみたいね」
すでに風呂からあがり、再び『考える人』になっていた母さんを目にするや否や藤井さんはいった。
助産師としての藤井さんの関心は、妊婦がどんな格好でどんな呻き声をあげているのかではなく、その顔色や目つきにあるようだった。
例のとぎれとぎれの話し方で母さんが応えた。

「痛いけど、なんとか、頑張っています」
「今、陣痛がくる間隔はどれぐらい?」と藤井さんが尋ねた。
「だいたい、3、4分」
「もうちょっとね。お風呂には入ったの?」
「さっき」
「それはよかった。何度でも入っていいのよ。特にきょうみたいに暑い日は、清々するから」

そういうと藤井さんは風呂敷包みを開いて、荷物の一番上に載っていた真っ白い木綿の割烹着を取りあげた。そして、左右の握り拳を交互に突き上げるような格好で袖に腕を通すと、「さて」と軽く気合いを入れた。
肝っ玉母さんの勝負服。やはり割烹着は白に限る。


「そのとき」までの数時間

「蒲団の部屋に、いく」
短い息をひとつついて、母さんは、君をいたわるようにお腹の下に両手をあてがいながらゆっくりと立ち上がった。
「どっこいしょ」
藤井さんが、母さんの代わりに声をだして拍子をとった。
慎重な足取りでのろのろと四畳半の和室に入った母さんは、白いビニールシートのかけられた敷き蒲団の上に横になった。
三方が襖になっている室内は薄暗い。でもきっとそんな明るさの方が気分が落ち着くのだろう。
すると藤井さんは、母さんの横に座ってマッサージをはじめた。
膝頭から脹ら脛の裏側をゆっくりと揉んでいく。ごつごつした手。でもその手は、生身の人間に触れながら多くの夢や希望をたぐり寄せてきた手に違いないのだ。

藤井さんが父さんの方を向いていった。
「パパさんは、足の裏を押してあげてね」
脚の長さの割には、母さんの足は小さい。
父さんは母さんの足を自分の膝の上に載せると、土踏まずのあたりに右手の親指をぐっと押しあてながら、左の手で母さんの足の指全体を軽く揉みはじめた。
冷え性の母さんの足は、夏の暑さのなかにあっても指先が冷たかった。

しばらくして、室内にノーザン・オリオール(ムクドリ科の小鳥)のさえずりが響きわたった。この日のために買った掛け時計で、12種類の野鳥の鳴き声で時刻を知らせてくれる。
ノーザン・オリオールがさえずれば午後6 時ということ。
掛け時計のほかにも、リビングには君が生まれたときに必要なありとあらゆるものが準備されていた。

まず柔らかい綿製の産着。これは兄夫婦から譲り受けたもので、白地に薄水色の花火模様が入っていた。そしてバスタオル5枚と布オムツ14枚(これも兄夫婦から)。マジックテープのついたオムツカバーが2枚。
その横の木製の盆の上には、抗菌性のあるハーブの目薬(自家製。出生直後の新生児に必要)とヘソの緒を切るときに使うハサミ、熱湯で殺菌されたガーゼが入ったタッパー。
壁際にある入れ子式テーブルには、新生児(つまり君だ)の身体測定に必要な折り畳み式の木製物差しとフックのついた古めかしいバネばかりが、胸囲を測るときに使用する一巻きのたこ糸と共に並べてあった。

「お湯を沸かすのは、もう少したってからにしましょう」
分娩まであと一、二時間。母さんの子宮口の開き具合を診て、藤井さんはそう読んでいた。
「いま8センチ弱だから」
母さんはといえば、もうほとんど言葉を発せない状態だった。
俯せの姿勢で枕に顔を押しつけ、うーん、うーんと唸っては、はーッ、はーッと息を継ぐ。
目の端には涙が浮かび、右手には軟式のテニスボールが握られていた。
父さんはそんな母さんの背中を両手で撫でていた。

力んではいけない。
母さんの規則的な呼吸のリズムを乱さないように細心の注意を払う。
そのとき、藤井さんがはたと思いだしたようにいった。
「パパさん、シチューのルーは買っておいてくれた?」
「はい!」
文字通りの即答である。
「種類はなんでもいいんですよね」
「そう、ママさんの好きなもの。まあ最初は抵抗があるかもしてないけど、シチューにすればおいしく食べられるから。パパさんも試さないとダメよ」

――ああ、やっぱりマジだったんだ。

母さんの背中を撫でていた父さんの手が一瞬とまった。
藤井さんのいう[抵抗があるもの]とは、胎盤のことだった。
広辞苑には、
【妊婦の子宮内壁と胎児との間にあって、両者の栄養や呼吸、排泄などの機能を媒介・結合する盤状器官】
そして、【胎児の分娩後、続いて胎盤も排出される】とあった。

藤井さんによると、産後、母体から排出された胎盤には、お産を終えた妊婦に必要な栄養素が全て含まれているのだそうだ。
だからそれを食べる。
よって「胎盤シチュー」なのだ。
父さんは訊いた。
「みんな食べるんですか? あまり聞いたことがないけど」
父さんなりの最後の抵抗である。
ところが藤井さんは、
「野生動物は、大方食べるんじゃないかしら」
とサラリと受ける。そして続けた。
「私のところにきた妊婦さんたちには勧めているの。産後の肥立ちが抜群によくなるから。病院なんかだと生ゴミ扱いにされちゃうけど、もったいないもいいとこね」

そういいなが藤井さんは、うーうー唸っている母さんの手のひらを揉んでいた。親指と人差し指の付け根部分。そこを適度に圧迫すると痛みが和らぐらしい。
仕方なく父さんは、既に進行中の現実を受け入れるべく、実際的な質問をすることにした。
「味なんかはどうなんですか。その胎盤の…」
「悪くないわよ。塩をひとつまみ余計に入れるのポイントかな。ちょっと筋っぽいけど、じっくり煮込めばいい味がでてくる。それから胎盤と一緒にへその緒も輪切りにして一緒に煮込むの。こっちはコリコリした歯触りでホルモンみないな感じかな」

――へその緒?

そんな話は聞いていなかったような気がしたが、父さんにそんな疑問を口にする余裕はなかった。
ともかく、味の問題である。
「バジルなんかも入れていいのかな…」と父さん。
「もちろん。なんでも好きなものを入れていいの。パパさんも食べてみればわかるわよ。おいしいから。ともかく、ママさんは向こう一週間、胎盤シチューだけでOK!」
右手の指でOKサインをつくると、藤井さんはひとり笑って見せた。
やれやれ。

胎盤は(多分、へその緒も…)、藤井さんが全て切り分けてくれることになっていたのだが、当然一度に全部食べられる訳ではない。したがってそのほとんどは冷凍保存されることになる。
要するに、食事のたびにそれらを適量解凍してジャガイモやら人参やら椎茸やらと一緒に煮込んで、胎盤シチューをつくるのは父さんの役割になるのだ。
溜息の一つぐらいは許されるだろう?
その点、母さんは違っていて、藤井さんから最初に胎盤シチューの話を聞いたときから興味津々で、どこか楽しみにしている節まであった。

それは母さんの生命観とどこかで通底しているようでもあった。
人間に生来備わっている機能、広い意味でいえば生き物が生きるために自ら作りだすありとあらゆるものには固有の目的があり、それに抗うことは生き物としての自己を否定することに他ならない。
母さんはそのような信念というか、生命観の持ち主だった。
だからなのだろう。
母さんと藤井さんは妙にうまがあった。
そんな二人のまわりを衛星のように回っていたのが父さんなのだ。


そして、誕生の瞬間に…

午後7時過ぎ。
四畳半の和室(わが家の分娩室である)で母さんの触診をしていた藤井さんが、ぼそりといった。
「自然破水。子宮口も全開。ぼちぼちかもね」
実はその少し前から母さんの様相が一変していたのだ。
それまでは、陣痛の痛みをうーうーという呻き声の形に還元して体外に放出していた母さんが、突如、猛り狂った野獣のような叫び声を発するようになったのだ。

「くるくるくる、やだやだやだ!」

容赦なく打ちよせる陣痛の荒波に漂い揉まれながら、あらん限りの声を張り上げて助けを求めているといった感じ。小節の利いただみ声というのか、かすれぎみの太い悲鳴というのか、なににしろその声は襖や壁はおろかマンション全体が揺れるほどの大きさだった。

「いやーッ、いやーッ!」
「NO! NO------------OH! 」

ともかく母さんは叫びまくった。
すでに日は暮れかけていて、室内に差し込んでいたオレンジ色の西日もだいぶその明度を失っていた。東側に掛けてある遮光カーテンの隙間からは、隣のマンションの部屋に明かりが灯っているのが見えた。父さんのマンションと隣のマンションは、幅約2メートルの通路を挟んで並んで立っている。
で、ふと思った。

――隣近所にも、この絶叫は聞こえているんだろうなあ。

そう考えると、にわかに父さんの胸の中に不安が広がった。
母さんの絶叫を耳にしたどこかの誰かが、慌てて受話器を握る光景が頭に浮かぶ。
目の前では、藤井さんが触診用の新しいゴム手袋の用意をしていた。
父さんはいった。
「事情を知らない人がこの声を耳にしたら、ドメスティック・バイオレンスかなんかと勘違いして警察に通報しちゃうんじゃないかな」
状況からすれば、充分あり得ることのように思えたのだ。

ところが藤井さんはといえば冷静沈着。父さんの心配事など荒唐無稽だとばかりに軽く受け流した。
「まあそのときはそのときで、お巡りさんに近所まわりをしてもらいましょうよ」
そして、穏やかな口調で父さんに現実的な指示をだした。
「パパさん。ママさんを背中から抱えてあげて」
静かだが有無をいわさぬ力がそこにはあった。

父さんは素早く持ち場についた。
背中を押入と押入の間にあった柱につけ、両腕を母さんの背後から脇の下にまわす。それから上半身を抱え込むようにして中腰になる。そして、その体勢を保ちながらビニールシートの掛けられた敷き蒲団の上に静かに腰を下ろした。
傍から見れば、パンダかなにかを背後から抱きかかえているような格好である。

一方、藤井さんはといえば、母さんを抱えている父さんの正面で立て膝の姿勢をとっていた。
「口の痺れ、手の痺れはどう?」
藤井さんが母さんに尋ねた。
絶叫を繰り返していても状況判断はできているらしく、母さんは藤井さんの問いに二度三度、首を横に振って応えた。
特に痺れはないようだ。
そんな母さんの仕草をみて藤井さんは頷く。
「大丈夫、大丈夫。落ち着いて」
しかし、そういわれてもやはり痛いものは痛いらしく、数秒、長くても十数秒ごとに、耳を劈くような叫び声が、母さんの口から飛びだしてきた。

「いやーッ」
「ぎゃーッ」
「Oh my god!」

まさに激闘である。
よく考えてみればそれもそのはずで、母さんにとってはどれもこれもが初めての経験なのである。
肉体的な痛みのほかに、未知の世界に一歩一歩足を踏み入れていくような恐怖感だってあるだろう。ほんとうに自分は子供を産み落とせるのかという不安も拭いきれてはいないだろう。
藤井さんが、幼子を慰めるような口調でいった。
「はーい、力抜いて。そう大丈夫よ。ほーら、卵胞が出てきたよ」
卵胞? 
なんだろうと思い、一応訊いてみた。
「卵胞ってなんです?」
「赤ちゃんが入っている袋。それが出てきているから、もう直ぐのはずなんだけど」
そういいながら藤井さんは、母さんの子宮口のあたりを触診しているようだった。
「力抜いて。さあもう一回、息んで息んで!」

藤井さんの息んで息んでの声がかかるたびに、父さんの前腕を掴んでいる母さんの手に力が入った。するとその指先の爪が、ギュッと父さん皮膚にくい込んでいく。
最初のうちはかなりの痛みを感じていたのだが、何度か繰り返されているうちに徐々に感覚が鈍ってきて、暫くするとなにも感じなくなっていた。
父さんの腕はもはや父さんのものではなかった。

さらに、母さんと柱の間に挟まれている身体もまた、すでに部屋の一部になってしまったかのような感覚だった。
だからなのだろう。耳を劈くような母さんの叫び声すら、いつしかまったく気にならなくなっていた。それは、意識だけが自分の身体から遊離し、薄暗い室内の高みにそっと浮かんでいるような感覚だった。

藤井さんがぽつりとつぶやいた。
「ママさんの勢いに負けて、なかなか出てこないね」
それは母さんにではなく、父さんに向けられた言葉のようだったので、ほんの少し考えてから、父さんは応えた。
「恥ずかしがり屋なのかな」
すると藤井さんは、「照れているのかも」といって今度はけらけらと笑った。
と、そのとき午後8時を知らせるブラックキャップ・ティカディ(シジュウカラの一種)のさえずりが聞こえた。

――ということは、母さんはかれこれ一時間以上も髪を振り乱しながら雄叫びをあげていることになる。自然破水したのが午後7時過ぎだったから、いくらなんでもそろそろ出てきてもいい頃なのに…。

そう思うと父さんは少し心配になった。
「ちょっと、時間がかかり過ぎですか?」
藤井さんにそれとなく訊いたのだが、そんな父さんの言葉は母さんの絶叫にかき消されてしまったらしく、父さんへ応える代わりに、藤井さんは母さんに声援を送った。
「どんな声をだしてもいいから。がんばれ、がんばれ。もう、このお腹ともサヨナラだよ」
さすが肝っ玉かあさん。
藤井さんの落ち着きぶりはまさに百戦錬磨の強者といった感じで、その表情は、苦悶に満ちた母さんのものとは対照的に心底楽しそうでさえあった。

そのときだった!

父さんから見て左側、つまり東側のサッシ窓に掛かっていた銀箔色のカーテンが一瞬波打った。
母さんの左足が遮光カーテンの裾に触れたらしく、その爪先を見ると親指がこちら向きにギュッと反り返っていた。
その反り返った母さんの左足の親指を発見するや否や、父さんは思わず声をあげていた。

「きたきたきた、きたゾ〜っ!」

知らず、母さんを抱えていた腕にも力が入った。
前方では藤井さんが、
「はッはッはッはッ、いいよ。大丈夫。はいはい、そら頭がでたよ!」
と叫んだ。
そんな藤井さんの声を追いかけるように母さんの荒い息づかいが聞こえた。
「はッはッはッはッ、はッはッはッはッ」
いよいよである。
父さんの腕の中で母さんの身体がめいっぱい緊張する。
そして、この日最大級の雄叫びが室内にこだました。

「いやだ〜ッ!」

すると、抱えていた母さんの身体全体からスーッと力が抜けていき、同時になにかがズルリとビニールシートの上に滑り落ちる音がした。
束の間、室内がしんとした。
直後、
「はーい!」という甲高い声に続いて、「時間確認して下さ〜い」と叫ぶ藤井さんの言葉が父さんの耳に飛び込んできた。
――やった。というのか、
――終わった。というのか。
そんな感情が胸に湧きあがるのを感じながら掛け時計に目をやると、時刻は午後8時10分を少しまわったところだった。

「8時12分です」

そういいながら父さんは、母さんの肩越しにビニールシートの上をのぞき込んだ。するとそこには、藤井さんの手の中で臆病なウサギのように縮こまっている君がいたのだ。
皮膚はグレーがかった薄紫色。
顔を下にして手足をくの字に曲げているその姿は、メスのカブトムシに似ていた。それにしても小さい。

藤井さんが母さんの目の高さに君を持ち上げながらいった。
「さあ、どっちだ? あッ、男だ!」
その藤井さんの言葉に呼応するように母さんも、小さく叫んだ。
「男だ、男だ」
母さんは藤井さんから君を預かると、汗ばんだ自分の胸の上にそっとのせた。

生まれたての命である。

目はまだ閉じられたままだったが、ほの字につぼんだ口は、母さんの乳房と乳房の間で微かに動いていた。それは開花を躊躇っている小さな花の蕾のようで愛おしかった。

「息、しているね」
と父さんがいうと、
「大丈夫。グーは大丈夫」
と母さんが応えた。

その声は、幾分ざらつき掠れてはいたものの、柔らかな調子になっていた。
そんな母さんの表情をニコニコしながら眺めていた藤井さんは、「胎脂をからだに塗り込みましょうね」というと、君の身体についていた乳白色の胎脂を丁寧に皮膚全体に塗り込みはじめた。
マッサージの要領で小さな背中から細い手足へ。小さな一本一本の指にも手早く胎脂を塗っていく。
そして藤井さんがいった。
「よく頑張ったよ、きみ。どこにも問題ないね」
すると、おずおずというか、にわかにというか、君が泣き声をあげた。

「キャー、キャー、キャー」
と三回。
その後ひと呼吸おいて、また、
「キャー、キャー、キャー」
と三回。

それが、はじめて耳にした君の声だった。
産声である。
その声は想像していたよりも遙かに細く危ういものだった。
はかなくて頼りなげな泣き声。
それは生まれたばかりの子猫の鳴き声のようでもあり、どちらかといえば心許ないものだった。けれども産声があがるたびに全身が薄紫色から淡いピンク色に変わっていく様子は、神秘的でありかつ感動的だった。
新しい命が君のからだ全体に浸透していくようで見ていてぞくぞくした。

「凄いなあ」

父さんには、他にいい表しようがなかったのだ。
そんな君を目を細めて見つめていた母さんの横顔に、藤井さんがいった。
「最後、きつかったね」
「うん。でも、もう忘れたみたい」
そういいながら母さんはトントントンと三度、君の背中を優しくたたいた。
トン、トン、トン。
すると君の目が静かに開いた。
母さんの胸の上で、ほんの少し顎を上に向けるようにしながら、君はしっかりと目を開けたのだ。
父さんと母さんはほぼ同時に小さな君の顔を覗き込んだ。

ブルーグレー、鳶色の瞳。

それは父さんの色でも母さんの色でもない瞳の色だった。

「やあ、父さんだよ」

その瞬間、それまでに感じたことのない激しい感情が父さんの全身を貫いた。


生き方が変わるということ

人生が一夜にして変わるなんて到底ありえない。
常々、父さんはそう考えていたのだが、違っていた。
父さんの人生は君の真っすぐな視線を目の当たりにした瞬間、真っ二つに分かれた。
前と後にすっぱりと分離したのだ。
それも、決定的に。

厳密にいえば、君が母さんの胎内にいたときから父さんとの親子関係は始まっていたのだけれど、ともかくあの瞳だ。
あの瞬間の君の瞳がすべてだった。
その瞳は森羅万象を呑み込んでしまう深淵であり、知恵の実を食べ過ぎて穢れきった大人(親と言いかえてもいい)の本性を映しだす純粋だったように思えた。




かえるかな
(photo:kazuhiko iimura)




「ママさん、パパさん、見て。目を開けたわよ」(藤)
「見た見た。母さんを探しているんじゃない?」(父)
「あっ、今、あなたの方を見たわよ」(母)
「うん、見てる見てる」(父)
「おなかの中で聞いていたパパさんの声、覚えてるのよ」(藤)
「全然まばたきしないけど。あっ、また母さん見てるな」(父)
「顎あげちゃってどうしたの。ねぇ、君、オッパイ飲む?」(母)

そういうと母さんは、君の口を自分の乳首にあてがった。
「おっ、いきなり口にいれたぞ」
「パクパク、すごく強く吸ってる。オッパイ出ているかどうか分からないけど、すっごく強い。痛い、噛んじゃダメよ」
「でも、なんとなく老けた顔してないか?」
「どの子もそうなの。目の形なんてあなたにそっくりよ、アーモンドみたいで」
「どっち似かしら。涼しい顔してるわよね」
そんなたわいもない会話を母さんと交わしながらも、父さんの胸は自分が父親になったのだという実感で溢れていた。
それは信じられないぐらい硬い信念であり、自分自身が存在していることの最大の意味であるように感じられた。

――どんなことがあっても、とことん、わが子を守り抜く。

それ以外に父親としての存在価値はないのだ。
君の命が危険に晒されたとき、君を救う唯一の方法が自分の命を差し出すことであったなら、父さんは喜んでこの命を差し出す。
そう考えただけで父さんの身体は幸福に震えた。
喜びに胸が躍った。

大袈裟ないい方をすれば、それはまさに根元的な啓示であり、君を、そして君という新しい生命を生み出した母さんを守ることが自分の生きる目的であると確信したのだ。

これには父さん自身が驚いた。
そんな心境になるとは夢にも思っていなかったのだから。
ではどうしてそんな確信が父さんのなかに沸きあがってきたのだろうか。
それはひとえに、君が病院などの非日常的な場所ではなく、自宅という見慣れた空間で生まれたということがとっても大きいような気がする。
見慣れた空間の、連続した時間の流れのなかに生じた変化。
きのうまでは、父さんと母さんしかいなかった部屋にきょうは君がいる。
ただそれだけの変化なのだが、その変化がありふれた日常の中で起こったという事実は、想像以上に父さんの心を激しく揺り動かしたのだ。
多分、それは母さんにしても同じだったろう。

――とことん、守る!

そう決心すると父さんは、自分が実際よりもいい人間になったような気がして嬉しかった。
そう感じた自分自身が誇らしかった。
それもこれもすべて君のお陰なのだ。


サヨナラ、あんころもち、又きなこ。グー!

約束通り、母さんの胎内で「産出」された胎盤やヘソの緒は、藤井さんによって無事調理された。
ステーキナイフが胎盤を切り刻んでいく光景は、お世辞にも美しいとはいえないものだったが、そこから流れでた血液の鮮やかな赤い色には度肝を抜かれた。
胎盤シチューを楽しみにしていた母さんがあの血液を見たら、さぞや感動したことだろう。24時間近く陣痛と戦った母さんは、そのときにはもうぐっすりと眠っていた。
静かで規則正しい寝息。
そんな母さんの横には籐製のバスケットが一つ。なかでは、つい今しがたまでその鳶色の瞳でこの世の不思議(?)をしげしげと眺めていた君が穏やかな表情で眠っていた。
小さな尻をポコン!と突きだした格好は、実に滑稽だった。

やはり、カブトムシの形である。

帰りの支度を済ませた藤井さんが、そんな君と母さんに目をやりながらいった。
「ママさん、疲労困憊ってとこかしら。でも、ぐっすり眠っていられるのも今晩だけだから。パパさん、明日から頑張ってね」
昼夜の区別がない赤ん坊の世界。
そんな生活がこれから先しばらく続くのだということを、藤井さんはやんわりと父さんに伝えたかったのだ。

「重々承知しております」

父さんがわざと慇懃に応えると藤井さんは、
「OK、それじゃ」といって、すたすたと玄関に向かった。
ところが靴を履く間際になって突然クルリと振り返ると、いきなりある唄のようなものを口ずさんだ。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」

最後の〈ギュッ〉のところでは小さな握り拳をつくった。
「なんですか、それ?」
父さんが尋ねると藤井さんはニコリと笑って、
「わらべ唄よ、いいでしょ」と応えた。
「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」
口ずさんでみると、ほっかりした語感がとっても良かった。
すると藤井さんは、最後の〈ギュッ〉のところを〈グー〉に代えてもう一度口ずさんだ。もちろんその〈グー〉のところでは小さな握り拳をつくった。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。グー!」

さすがは肝っ玉かあさん。なにげに洒落た真似をしてくれる。
藤井さんのつくった右手の握り拳を見ながら父さんは思った。

――そうだなあ。もうグーじゃないんだなあ。

玄関からマンションの外階段にでてみると、やはり外は真夏の夜だった。
三夜連続の熱帯夜。
もわっとした熱気が辺り一帯をおおっていた。
唯一、遠くに聞こえるセミの鳴き声だけが、沈滞した空気に微かなアクセントをつけていた。懸命に胸を震わせて一心に生命を放散するセミ。
もし命が7日間しかないのなら、それこそ昼も夜もないのだろう。
藤井さんはこちらに手を振りながら、マンションの横にある月極め駐車場沿いの舗道を歩いていた。
その遙か向こう側。夜陰に濃い緑が点在する碑文谷の低い住宅街の彼方では、東京タワーの航空障害灯が赤く、静かに明滅していた。

(飯村和彦)


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2016年08月11日

原爆投下から終戦までの信じがたい経緯を!21年前の夏、子どもが誕生した日に考えたこと



「今後2000万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはしない」
原爆が投下された後でさえ、陸軍はそんな強硬論を展開していた。





誕生直後
(photo:kazuhiko iimura)


1995年夏。

いよいよ、君がこの世に生まれてくる日だ。
「きたきた、痛〜い!」
四畳半の和室に母さんの引きつった声が響いたのは夜中の一時ごろ。二夜連続の熱帯夜のことだった。
陣痛のはじまりである。
照明を落としたその部屋にタンクトップ姿で寝転がっていた母さんは、せり出したお腹を手足で抱え込むようにしてもがきはじめた。
助産師からは、予定日は8月7日ですね、と聞かされていたので、君は予定より二週間も早く最終行動を起こしたことになる。

(中略)

「いよいよかも」
「そのようだね」

そう応えながらも父さんはあることに頭を悩ませていた。
当然ながら父さんは、うんうん唸っている母さんの傍にずっと付き添っていたかった。それが前々からの母さんとの約束でもあった。
ところが予想以上に早く君が行動を起こしたことで問題が発生したのだ。
折悪しくというのか運悪くというのか、父さんにはこの日の午前中、代役のきかない大切な取材が入っていたのだ。
父さんの職業を考えれば十分想定されることだったので、取材スケジュールを組むにあたっては父さんなりに注意を払っていたのだが、この日については「予定日の二週間前なら大丈夫だろう」とロケ取材を入れてしまったのだ。
高をくくった。要するに出産という自然の営みを甘く見ていたのだ。


朝7時の段階で陣痛の間隔は5分から7分。
――もう、いつ破水してもおかしくないのでは…
父さんも母さんも、そんな判断をしていた。
築18年の狭い2DKのマンションにひとり。不死鳥の刺繍の入ったシルクのバスローブに身を包んだ母さんは、その光沢のある生地越しに突きでたお腹を撫でていた。
――がんばれ、グー!
前の晩の天気予報通り、この日は三日続けての真夏日となった。

(中略)


それにしても不思議な巡りあわせだなあ、と父さんは考えた。
というのはそのころ父さんが取材していた事柄についてだった。
戦後50年特別企画、原爆が投下された日。
君が生まれようとしているときに、一瞬のうちに30万を越える人の命を奪った原爆や、その投下直後のこの国の在りようを取材するというのは、正直いって気が重かった。
失われた(否、殺された)命のなかには、きょうの母さんと同じように新しい生命を今まさに産み落とそうとしていた妊婦の命もあったはずだ。
ところがそんな妊婦の夢や希望は、胎児の未来もろともあのキノコ雲のなかに霧散してしまったのだ。
悲劇なんて言葉じゃ到底表現できない。
蛮人による冒涜そのものだ。

人類すべてを殲滅しつくせる兵器の出現。
あの日から、『人間の生』という観念そのものが変わってしまったのだ。

では、蛮人が手にした悪魔の兵器、原子爆弾について、当時の日本陸軍の幹部はどんな見方をしていたのか。
父さんは、デスクに積み上げたファイルの中から、外交資料館で接写した「終戦記」(下村海南著)の一部文言を資料用に改めて書き起こした書類を取りだした。
そこには、広島への原爆投下から3日後に開かれた臨時閣議の様子が書かれていた。


一九四五年八月九日、第一回臨時閣議。
十四時半に開会。
阿南陸相、原子爆弾について報告する。
――第七航空隊マーカス・エル・マクヒーター中尉の語る所、
――その爆力は、五百ポンドの爆弾三十六を搭載せるB29二千機に該当する。
――地下壕は丸太の程度で覆ふてあれば充分である。
――裸体は禁物で白色の抵抗力は強い。
――熱風により焼失する事はない。
――電車、汽車なども脱線する程度である。
――地上に伏しても毛布類を被っているとよい。
――本日十一時半長崎に第二の投弾があった…。
――原子弾はなほ百発あり一か月に三発できるが、永持ちは出来ない……


この文言を見て、君はどう考える?
アメリカ軍による広島への原爆投下から三日目ということを考慮しても、父さんには到底信じられない。
物事を正面から見据えることのできない、否、見据えることを意図的に拒んだ人間がいかに罪深いか、その見本のようなものだ。
陸軍側は原爆の威力を意識的に過小評価しようとしていた、と後に東郷外相が述べているがそれにしても程度というものがある。

そもそも、文中に登場してくる第七航空隊マクヒーター中尉なる人物が本当にそんなことを語ったのかさえ怪しいものだ。
おそらく、彼らの目は特別なのだ。
事実がグニャグニャに歪んで見えたとしても、吐き気を覚えるなんてことすらないのだろう。

――もし僕たちが、50年前の日本に生きていたとしたら。

そんなことを無防備に考えそうになって、父さんは慌てて資料を読むのを止めた。
「きょうは大安だっかか、それとも友引だったか」
ファイルを閉じながら、不意にそんな些細なことが気になった。


午前9時半。
父さんと取材クルー(カメラマンと音声エンジニア)は予定通りに西麻布に向かった。
終戦当時、外務大臣を務めていた東郷茂徳氏の奥さんにインタビューをするためである。さらに、東郷外相が書き残した「時代の一面」という手記の原本も見せてもらえることになっていた。

東郷邸の中庭には、こじんまりしたプールがあった。
日本(というより東京)らしい大きさで、もし(アメリカ人の)母さんが見たら、うちにもあんなジャグジーがあったらいいのに、というような感想をもらしたことだろう。
取材は予定通り午前10時から始まり、およそ3時間で終了した。
一番印象的だったのは、東郷夫人に見せてもらった外相の手記、「時代の一面」の最後の方に記されていたある文言だった。

『自分の仕事はあれでよかった。これから先、自分はどうなっても差し支えない』

信念を貫き通した人間だけがもちうる潔さというのか、常軌を逸した世界に身を置きながらも、自分の内なる倫理に忠実に生きた人間だけが達する境地というのか。ともかく、その言葉に父さんは強く心をうたれた。

日本がポツダム宣言を受諾し、終戦を迎えるまでの政府内部の状況はといえば、以下の通り。

東郷外相を中心とした和平派は、
『日本としては皇室の安泰など絶対に必要なもののみを条件として提出し、速やかにポツダム宣言を受諾、和平の成立を計るべきである』と主張。

これに対して陸軍側は、
『皇室安泰、国体護持に留保するのは当然のことで、保障占領については日本の本土は占領しない、武装解除は日本の手によってする、戦争犯罪の問題も日本側で処分する、という四つの条件を連合国側が受け容れないかぎり、戦いを遂行すべきである』との立場を崩していなかった。

それだけではない。
陸軍側は、信じられないような強行論を展開していたのだ。

『今後二千万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはしない』

繰り返すが、これらの議論は広島、長崎にアメリカ軍が原爆を投下した直後のものだ。
自分のでっちあげた嘘を事実だと信じ込んでしまうと、人間というのは知性さえも失ってしまうらしい。
戦争は人を狂気に走らせるだけじゃない。
狂気が正当化され、幻想が事実を呑み込んでしまう危険性を常に孕んでいるということだ。

最終的には、『外相案をとる』とした天皇の決断で日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えたのだけれど、

――もしあのとき天皇が『忍び難きを忍び、世界人類の幸福の為に…』決断していなかったら…
――もし二千万人もの日本人が特攻という形で[殺されて]いたら…

今の父さんたち(つまり、父さん自身や母さんの胎内にいる君)もこの世に存在していなかった可能性があるのだ。
父さんの父や母が犠牲になっていたら、当然のことながら今の父さんも存在していないのだから。
そう考えると背筋が凍る。

『自分の仕事はあれでよかった。これから先、自分はどうなっても差し支えない』

父さんは、そんな科白を口にしなくてはいけないような世界に生きたいとは思わない。
けれどもその一方で、そんな心境になれるぐらい、なにかに懸命になれたら…とは考えた。
生きていくことの意味というか、生き切る価値である。




War is worse
(photo:kazuhiko iimura)



さて、君と母さんの話に戻ろう。
西麻布での取材を終えた父さんは、そのまま母さんの待つ碑文谷のマンションに向かった。ここでいう「そのまま」というのは、取材スタッフと一緒に取材車輌であるハイヤーで、という意味である。
本来なら一度テレビ局に戻り、スタッフと取材車輌であるハイヤーをばらす(解放する)必要があるのだが、女房が大きなお腹を抱えて自宅でうんうん唸っている、という父さんの話にスタッフがピクリと反応してしまったのだ。

「それって非常事態じゃないですか。このまま現場に直行しましょうよ。私たちなら、碑文谷経由でまったく問題ないですから」

そういって目を丸くしたのは女性カメラマンの竹内さんだった。
二十七歳で独身。そんな竹内さんには、自宅で子供を生むという行為がイメージしにくく、とても危ういことのように思えたらしい。瞬く間に取材用機材をハイヤーのトランクに積み込むと、ぐずぐずしないで早く乗ってください、とばかりに父さんを後部座席に押し込んだのだ。
さらに、最近買ったばかりだといっていた携帯電話をジーンズのヒップポケットから引きだすと、「これを使って下さい」といって父さんの方へひょいと投げてくれた。
もちろん、母さんへの電話のためだった。
                                               (以上、「ヘイ ボーイ!」より抜粋)



星条旗
(photo:kazuhiko iimura)




あの日に生まれた「君」は成人して今年の夏、21歳になった。
日本と違ってアメリカでは、この「21歳の誕生日」が「成人」と定義される日。
だから正式に酒を飲めるのも21歳からだ。
そんなタイミングだったからなのか、ふと随分前に書いたままPCの中に眠っていた雑文のことを思いだした。
(実はかなり長いものなので、「抜粋」の形にしました。改めてまとめ直すのも違う気がしたので…)

もうすぐ71回目の終戦記念日。
誰もがスマホを使いこなす便利な世の中になったけれど、いままた世界には嫌が空気が漂いはじめた。
右傾化する風潮、差別、分断、テロの脅威…等々。
この先、「君」や君の世代のみんなが生きていく世界には厄介なことがテンコ盛りだ。
でも、ひるんじゃいけない。
生きていくことの意味というか、生き切る価値のある世界のはずだから。


(飯村和彦)


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2014年10月22日

夢のような紫色クレヨン!



こんなクレヨン、
あったらいいなあ…。

ドラえもんが、
あのポケットから取り出すような、
「夢のクレヨン」の話。


紫のクレヨン


「ハロルドと紫色のクレヨン」
…というタイトルになるのか。
ともかく、
この絵本、気に入っている。

ストーリーは簡単で、
欲しいものを紫色のクレヨンで描いいけば、
どんどん、
なんでも出てくる。

以下、抜粋。


絵の1


2の絵


3の絵


この話の面白いところは、
ストーリーが、
「線」で繋がっていくところ。

紫色のクレヨンで描かれる世界は、
途切れることがない。
次から次へと、
夢の世界が広がっていく。

一度、
手にとって眺めてみる価値あり。


(飯村和彦)


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2010年12月13日

「half or double」=英語スピーチコンテストで優秀賞に!



我が家の息子によるスピーチ。
日本人の父親とアメリカ人の母親をもつ中学生の彼が、
「ハーフ」と呼ばれることについて発表した。

皆さん知っていますか。
日本人と外国人の間に生まれた人を「ハーフ」という言葉で表現しているのは、
日本だけです。
例えばアメリカにいって、
「私はアメリカ人とのハーフです」といっても、
“何が半分なの?”ということになって、
まったく通じません。









さて…。
このところ我が家では、ちょっとした「Youtube」ブーム。
時代は「ツイッター」であり「Facebook」なのだろうが、
まあ、我が家の場合は“一周遅れ”といったところか。

きっかけは長男だった。
自身が練習中のスケートボードの映像をi-Macで編集。
試行錯誤を繰り返しながら作品を製作しているうちに、
その延長線上にあるYou Tubeに気が付いたようだ。

作品ができれば発表したくなる!
当然の帰結だ。
そこで、
「Youtubeのチャンネルにアップロードしよう!」
ということになった。

Youtube が脚光を浴び始めた数年前に、
「どんなものなのか、まずは試してみよう」
ということで開設し、
幾つかの動画をアップしたきり放置状態にあったチャンネル。
それが、俄に息を吹き返したのだ。

そうとなれば、まずは父親から再開ということで、
暇を見つけてつくっていた
「ニューヨーク写真クリップ」をアップロード。
続いて長男が、
自らつくったスケートボード作品(本人曰く、“ごく短いハイライト”)と、
「half or double=ハーフかダブルか」をアップした。

英語スピーチコンテストの動画については
長男自身の顔や名前をネット上に曝すことになるので、
「本当にアップしたいの? いいのか?」
と念押し確認。すると長男は、
「いいんだ!」と即答。
そのきっぱりとした返答は、見事であり、
“自分がスピーチコンテストで訴えたことを、より多くの人に聞いて欲しい”
という強い意志のようなものを感じた。

そこで長男のスピーチしている動画を改めて見てみた。
会場にいる聴衆に対して、堂々と自分のメッセージを伝える。
そこには、立派に成長していた長男の姿が映っていた。
威風堂々…。
いい表情の、いい男だ。


(飯村和彦)

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2010年10月21日

筑波山、そろそろ紅葉か?



生まれ故郷。
うさぎお〜いし…
ふるさと。
田舎。
安らげる「環境」


筑波


疲労困憊。
本日は、
母なる山を眺めて、
就寝か。
「父なる山…」とは、
言わないなあ…。

やっぱり、
母は、
母なる大地だから…。


(飯村和彦)


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2009年03月23日

梅の「色」



「梅は咲いたか、桜はまだかいな…」
などといっている間に、
もうすぐ、桜の季節である。
ブログ更新を怠っていると、
大切な四季にさえ、乗り遅れる。

↓は、娘の描いた絵。
「梅」の木である。


梅の色


花の色、素晴らしいでしょ?
いかにも梅だ。
堂々と記している「梅」という文字もいい。

いつだったか彼女に、
「もし死んじゃうとしたら、
最後に食べたいものは何?」
と質問したことがあった。
10歳の娘に対する問いとしては、
幾分、哲学的に過ぎるものだったが、
彼女は、
「梅干」と即答した。

我が家では毎年、梅干を作っている。
近所の公園で「収穫」した梅を、
妻が慣れた手つきで漬け込む。
その梅干のことだ。
スーパーで売っている甘ったるい梅干ではない。
想像するとパブロフよろしく、
じわりと口の中に唾液が溜まる、
梅干らしい梅干である。

と、ここまで書いてふと思う。
将来、娘にとって「母の味」とは、
やはり、あの梅干の味になるんだろうなあ…と。
………
悪くない。
とってもいいじゃない?


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(飯村和彦)



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2008年08月06日

夏の子供たち、in フロリダ



魚は釣れた?
Papa(祖父のこと)は元気?
海の色はどうだい?
ウキウキしてる?
水は冷たい?


フロリダの釣り


存分に夏を楽しんで!
青い海を遠くまで見渡して!
サメはいないよね。
カメはどう?
夏の空気を胸いっぱいに吸って!
存分に、闊達に!
キラキラと。


(飯村和彦)


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2008年07月21日

奥深いラグビーという競技



このところ、
訳あってラグビーについて取材している。
詳細は、いづれ…。
兎も角、ラグビーという競技は非常に奥深い。
刹那刹那に興奮できて、
ワンプレー、ワンプレーに達成感を味わえる。


ラグビー1


サッカーだと、
いくら素晴らしいパスを出しても相手に取られたら、
「あーあッ」ということになるが、
ラグビーの場合、
ある素早いプレーの後相手に潰されても、
そのプレーで前進していればプレーは成功。
つまり、
プレーの一つ一つに完結性があるので、
観戦していて「ウォーッ!」という気分を何度も味わえる。


ラグビー2


ラグビーシーズンは秋から。
それまでにもう少し知識を蓄えて、
トップ・リーグ開幕(9/5)を迎えたいもの。
子供たちも興味を持ったようなので、
今年は、秩父宮に足を運ぶ回数が増えそうだ。

ONE FOR ALL, ALL FOR ONE!
ベタないいまわしだが、悪くない。


(飯村和彦)


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2008年07月13日

そのまま死んでしまう? 



その彼だか彼女は、
門扉の横、とある植物の茎に、
↓のようにぶら下がっていた。
昨日、
朝、学校へでかける子供たちが発見した。


幼虫


多分、アゲハかなにかの蝶の幼虫。
その状況を見たときは、
「蛹(さなぎ)になる途中なのだろう」
と思い、子供たちとは、
「できるだけそっとしておこう」
という話になった。
で、その「成長」を観察することにした。

ところが、きょう。
娘をともなって蝶の幼虫のところに行ってみると、
これがまったく変化なし。
蛹に姿をかえていく気配すらない。
そこで幾分不安になった。
「生体反応はあるのか?」
きのう見たときには微かに動いていたような気がしたが、
現状からして、そんな記憶もあやしい。

しかしながら、
今更あれこれちょっかいをだすというのも気が引ける。
緑の色はどう?
ということは、これから…?
まあ、どちらに転ぶにせよ、遅かれ早かれ答えはでる。

娘はといえば、
どんな根拠をもってのことだかは知らないが、一言。
「これ、まだ死んでないよ」
兎も角、「変化」を待つだけだ。
風雨や日照りに負けず、
ずっと茎にぶら下がっているだけでも、
大したものだし。


(飯村和彦)


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2008年05月23日

バレエに没頭、娘の個性



好きなことを見つけて、
それに没頭できること。
そして、
集中すること。
楽しむこと。

娘は今、バレエの虜になっている。
レッスンを開始して、まだ3ヶ月。
にも係わらず、
その上達ぶりには目を見張る。


バレイ練習


9月に催されるという発表会。
今は、その振り付けの練習をしているのだが、
驚くべきスピードで覚えていく。
「きょうは2曲目の途中まで習ったの」
そういいながら、
その日のレッスンで覚えたステップを披露。
つま先から指先まで、
彼女なりにきちんと気を配っている。

元来、娘の身体は柔らかい。
手足、身体がグニャリと曲がる。
それもバレエには向いているらしい。
「父さん、見ていて!」
そういった直後の彼女の目は真剣なものになる。
そして舞う。
一点を見つめ、
頭の中を流れるメロディーにのって、彼女は踊る。
その姿は、なんだろう…
個性そのもの?


(飯村和彦)


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2008年03月27日

グランドに「礼!」



息子やチームメイトにとって、
小学校最後の試合が終了。
走って走って走って、勝利する。
素晴らしい時間だった。

試合後はいつものように、
相手チームに対して「礼」。
自分たちのコーチや家族に対して「礼」。
そして、
小学校3年生のときから
4年間世話になった「グランド」に「礼」。


サッカー礼


4月からは中学生。
進む学校の違いや、
選んだクラブチームの違いで、
息子とその仲間たちは、
それぞれ別々のチームに分かれていく。

ある子供は進学した中学校の「部活」として。
別の子供は、地域のサッカークラブの一員に。

けれども、
同じチームで過ごした4年間は、
彼らに最高の「記憶」を残した。
それから、
当然のことながら、
みんな、信じられないほど逞しくなったし…。


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(飯村和彦)


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2008年02月03日

スノーマンだ!



静かな朝だった。
何気なくカーテンを開けると、
外は雪景色。
ほほう、と驚いた。

とはいっても、
そのうち雨にかわるのだろう…
と思っていたのだが、
これが、みるみる積もる。

ならばということで、
娘、屋上に上り、
雪だるまをつくった。


スノーマン1


英語では「スノーマン」。
妻によると、
スノーマンは“三段重ね”なのだそうだ。
という訳で、
↓のような形になった。


スノーマン2


愛嬌のあるスノーマンである。
鼻はピノキオのようだが…。


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(飯村和彦)


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2008年01月11日

英国流サッカー教室



愉快な練習に見えた。
というのは、
息子が参加した英国流サッカー教室のこと。
コーチたち(3人)はイギリス人で、
みんな声が大きく、明るく楽しい。


英国サッカー


練習そのものは、
基本である「止めて蹴って走る」が中心なのだが、
より楽しく学ぶための工夫がなされていた。
“黙々と…”という印象はない。


英国サッカー2


ベッカムやオーエンなどという選手たちも、
もしかすると、
こんな環境で練習していたのだろうなあ。
ハードでありながら、リラックスした雰囲気。
悪くない。
「結構、楽しかった」
とは息子の感想である。
いいじゃない、悪くない。


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(飯村和彦)


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2007年12月15日

毎日写真コンテストで優秀賞!



まったく驚いた。
妻の撮影した写真が、
「2007年毎日写真コンテスト」で“優秀賞”を受賞した。
↓の写真である。



旅の記憶



撮影場所は、サウスダコタ州のbadlands.
去年の夏、家族で、
アメリカ大陸を車で横断したときの一枚である。

妻はといえば、
「そんなにいい写真でもないのにね」
と謙遜しているが、
なんの、悪くない。
立派なものである。

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(飯村和彦)


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2007年12月13日

ある祝祭の象徴


Happy Hannukah !

hannukah


世界には、
さまざまな祝祭がある。
そして、
それぞれに、
静謐な瞬間がある。


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(飯村和彦)


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2007年11月17日

ダイヤル式電話機、悪いことが出来難かった時代



その電話をみたとき、
娘はちょっと驚いたようだった。
というか、
かなり興味を惹かれたようだった。
考えると、
ダイヤル式の電話機など
身の回りにないから。


古い電話機


そういえば、
電車の切符についても似たことがあった。
「ちょっと前までは、
切符は一枚一枚、駅員さんが切っていた」
と子供たちに教えたら、
「ウソ? めんど(くさい)」
とのリアクションだった。

彼らは、
改札鋏の小気味いい音を耳にしたことがない。
駅員の、あの早業を目にしていない。
だから、そんな反応になるのだろう。

そのようなことは、
レコードであったり、
テレビのチャンネルであったり、
NY地下鉄トークンであったり、
猫のエサ(ちょっと質は違うが…)であったり、
季節ごとの果物であったり、
皆さんご存知のようにあれこれある。

そんないちいちについて、
改めて子供たちと見ていくと、
これが結構興味深い。
便利で効率的ではなくても、
そこにはいつも安心感があった。

だからかどうかは知らないが、
その頃は、
まんじゅうの賞味期限や、
肉や魚の生産地表示に、
神経を尖らせるようなこともなかった。
「悪くない時代」だったのだ。
言い換えれば、
「悪いことが出来難い時代」だったのだろう。


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(飯村和彦)


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2007年08月28日

夏を駆け抜ける子供たち



真夏のビーチ。
波音や風の強さに負けない、
子供らの歓喜…。


夏の海とキッズ


さて、
あと何年、
彼らと共に、
夏の砂浜を快走できるのか。

30回?
40回?

もし、30回だとすると、
自分は80近く、
息子と娘は40前後。

それで、
軽快なステップを踏める?

これって思考する類のものじゃないな。
その時は、
嬉々として…走るのだ。
Happyに!


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(飯村和彦)


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2007年08月27日

「安全でおいしい野菜」の収穫を体験!



このところ、
「食の安全」を危惧せざるを得ないような、
深刻な事例が数多く発覚している。
農薬まみれの、
一部の中国産野菜などはその最たる例で、
そうとは知らず、
危険とさえいえる食物を、
日々口にしているのかと思うと、
刹那、背筋が寒くなるというもの。

そこで!
…という訳ではないのだが、
先日、日頃お世話になっている、
「有機栽培農家」を家族で訪ねた。

茨城県でオーガニック野菜を栽培しているマナ農園 
我が家では、暫く前から、
知人の紹介で知ったこの農家から、
隔週で、野菜を宅配で購入している。


葉っぱモノ畑


場所は筑波山の麓、「八郷(やさと)」地域。
近年、“安全でおいしい野菜作り”を目指して、
多くの人たちが移住している所だそうだ。
ちなみにマナ農園は、
農業大学できっちり農業を学んだ、
オオツさんご夫婦が運営している。


トマト収穫


↑はミニトマト。
信じられないほど甘い。
収穫しながらも、
ついつい自分の口へ運んでしまう。


カボチャ


隔週の金曜日、
我が家に箱で送られてくる野菜は、
“どんな人が、どんなところで、どのように”栽培されているのか。
そんな事実を知ることの意味は、
子供たちにとって、非常に大きい。


草はむヤギ


農園では、ヤギも数頭飼育されている。
↑は、今年生まれた三頭のうちの一頭。
ここでは、
ヤギも、当然ながら、
「安全でおいしい野菜」を食べて育つ。


畑ロング


朝5時から始まる野菜の収穫。
この時期はナスやオクラの収穫でおおわらわ。
特にオクラは、
収穫しているそばから、ぐんぐん大きくなるので、
極端な話、収穫作業に終わりがないほど。


バッタを…


にもかかわらず、
辺りには、バッタやトンボ等々、
子供たちの興味をひく生き物が多いので、
しばしば“お手伝い”の手も休みがちに…。
まあ、それはそれでご愛嬌。


コンテナを運ぶ


収穫された野菜は、
その日のうちに袋詰めにされて市場に出荷される他、
我が家のような顧客用に、
順次、箱に梱包されていく。

農薬を一切使わない、
安心で安全な季節の野菜。
そんな野菜を口にできることは、
この上なく幸せなこと。
けれども、
我が家に届く野菜が、
大変な“苦労の産物”である事実は忘れがち。

猛暑の中、
大汗をかいての収穫作業。
たった二日間だけだったが、その一端に触れられたのは、
我々にとって、何よりの“収穫”。
マナ農園のオオツさん、ありがとうございました!
今後も、心して、
安全でおいしい野菜を食べさせていただきます。


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(飯村和彦)


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2007年08月26日

ヤギ…ある農園にて。



オクラを丸齧りするヤギ。
もちろん、
オクラは獲れたてのもの。


オクラとヤギ


ちなみに、
オクラを餌にしているヤギの乳は、
オクラの味がする…。

さて、
ある農園でのこと。
詳細は後日(明日?)に!


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(飯村和彦)


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2007年08月19日

砂と花と海岸と…式根島



式根島に限らず、
新島なども、
その海岸線の特徴は…リアス式。


リアス式海岸


↑は神引展望台からの風景。
壮観である。

また、
↓は“島の花”…ハマユウ。
いたるところに咲いている。
清楚だ。


ハマユウ


砂は暑い。
けれども、
それがまた心地よい。


砂の中


娘。
暑さに負けず、
影と風を味方に付けて、
止まった時間に身を委ねる。
悪くないなあ…。


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(飯村和彦)


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2007年08月18日

式根島、美しき海


東京から小型ジェット(調布空港発)で約50分、
竹芝桟橋から高速船で約2時間半。

式根島は、
人口約600、周囲12キロの小さな島だが、
頗る感じのよいところ。
ともかく、
想像以上に海が澄んでいる。


泊海岸


↑は泊海岸。
内海になっているので波が静か。
また、
こじんまりとした趣もいい。
人の数も、多過ぎず、少な過ぎず。
この按配が重要だ。
多過ぎるとうんざりするが、
少な過ぎると寂しいもの。


透明度


↓は大浦海岸にある岩。
“馬”が海水を飲んでいる形をしているらしい。
…どう?


馬岩


確かに、そう見えるね。
馬の横顔だ。
リアリティのある形である。

この島、
岩場近くで海に潜ると、
必ず、水中を泳ぐ魚の群れに遭遇する。
コバルトスズメチョウチョウウオ等々、
熱帯魚も数多い。


磯辺


伊豆七島周辺には、
多種多様の魚が生息しているということを、
改めて実感できる。
ダイビングなんて大袈裟なものじゃない。
ゴーグルだけで充分楽しめて、
間違いなく、
時間を忘れられる。


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(飯村和彦)


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2007年08月12日

真夏のピーチ(フロリダ)



広いビーチを貸し切り状態。
なんとも贅沢な気分。
シャワーもシンプルだ。


フロリダビーチ


フロリダの海。
透明度も抜群だった。



(飯村和彦)

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2007年06月18日

娘作・猫の似顔絵



猫のミルキーである。
本物をご覧になりたい場合は、
過去にアップした写真を参照に!


猫のイラスト


悪くない。
全然、いい!


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(飯村和彦)


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2007年06月17日

視界は良好?



親に似て、
長男、目が良くない。


検眼


さて、
今度はどんな感じ?


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(飯村和彦)

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2007年06月10日

サッカー公式戦!



息子、
1得点。見事なボレーシュートだった。
けれども、
試合は、1-2で敗退。
残念。


ゴール前


けれども、
諦めず、
走りに、走った。


走る走る


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(飯村和彦)


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2007年06月04日

元気なサッカー少年たち



ブログ更新が、
滞っておりました。
また、
明日(?)から、
ボチボチと…、記します。

ところで、
サッカー少年たちには、
「ボチボチ」
なんて曖昧な状態、
ないんだろうなあ。


サッカーだ



(飯村和彦)


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2007年05月13日

サッカー少年



息子。
練習試合ながら、
2試合で、
「3得点、2アシスト」
もちろん、
勝利である。


サッカー少年


細い体で、
良く走り、
良く蹴る。


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(飯村和彦)


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2007年05月12日

奇妙な「顔」になった!



娘の誕生パーティ恒例。
我が家の「福笑い」
↓が今年の“作品”


顔


娘と、
彼女の仲良し5人+息子+妻による、
共作だ。
毎年のことだが、
これ、
最高に笑える。

世界に一つだけ、
ここだけの、
奇妙な「顔」。
極めて簡単にできるので、
皆さんも、
何かのパーティのときには、是非!

ポイントは、
元になる「顔」自体を、
“芸術的”に描くこと!


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(飯村和彦)


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2007年05月10日

巨大ウミウシを発見!〜動画付きだ〜



神奈川県の馬堀海岸。
潮干狩りで有名なところだが、
我らは、
磯に生息している生き物に集中。
そこで発見したのが、
↓のウミウシ。


ウミウシ写真


巨大である。
それとも、
ウミウシという生き物は、
押しなべて大きいものなのか?
↓は動画映像。


ウミウシ動画


手に持った感触は、
べた付かず、ひんやりとした、
「つきたての餅」といった感じ。
なんとも、
チャーミングな生き物でしょ?


(飯村和彦)


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2007年05月01日

うさぎの目だ!



やっぱり、赤いなあ。
悲しい?
切ない?
そんな訳ないだろうが、
なんとなく。
なに見てる?


うさぎの目


娘の膝の上。
うさぎは、
大人しかった。
体毛は、
とても柔らかだ。


うさぎの顔


いい耳してるね。
ぴんとして、
何が聞こえる?
happy?


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(飯村和彦)


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2007年04月24日

君はサルか?



f1a76ab0.jpg


娘だ。

慎重に、
手足の置き位置を、
決める。
落ちるなんて、
考えない。


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(飯村和彦)


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2007年04月16日

息子の「嗜好品」



ラジコンなのだが、
それなりに「本物」らしい。
↓は、息子の撮った写真だが、
質感もある。


ラジコンカー


しかし、
ラジコンの写真を撮るというのも、
息子らしい。
好きなものを記録に残す。
いいことだ。


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(飯村和彦)


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2007年04月01日

自慢のサッカーボール



少し前になる。
サッカー教室に参加した息子が、
指導してくれたプロの選手たちから、
サインをもらってきた。


自慢のボール


ところが、
彼はといえば、
その後も、↑のボールを、
日常的に使用していたので、
いつしか、
大切なサインは消えてしまった。

まあ…、
ボールを蹴るたびに、
サインが目に入る訳だから、
練習で教えてもらったことを、
思い出す。

つまり、
サインは消えても、
「技術」は身に付いた、
…に違いない(?)。


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(飯村和彦)


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2007年03月29日

これ、子供の絵じゃないなあ…


些細なことなのかもしれないが、
やはり、引っかかる。
↓は、地下鉄車内で見たFIのポスター。


3a859690.jpg


子供たちが、
「うちのパパ、運転ヘタなんだよね」
「じゃ、ドライバー替えれば」
との会話を交わしながら、
チョークでレーシングカーの絵を描いている。
そんな設定にしか見えない。

けれども、どう見ても、
↑のレーシングカー、
子供の絵ではないように思える。
間違いなく、
大人の「手」が入っているのでは?

宣伝広告上の「演出」なのだろうが、
日常的に、
子供たちの描いた絵を見ている「親」としては、
少々、嫌な気分になる。

子供の感性を宣伝に利用するのなら、
「本物」の感性で表現して欲しい。
大人の思惑(…端的にいえば“ウソ”)が、
優先されると、
ちょっとしたことで子供は傷つく。

例えば、
絵を描くのが苦手な、ある子がこのポスターを見て、
「僕と違って上手いなあ…」
という感想を口にしたとしよう。
その時、
このポスターを作った担当者は、
その子になんと返答するのだろうか?


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2007年03月27日

ビーターラビットと一緒に…



6a609ab7.jpg


娘が、
ピーターを好きかどうかは別として、
彼女は、ウサギが好きだ。
けれども、
このウサギには柔らかな毛がない。
となると、また、
話が違ってくるなあ…。


(飯村和彦)


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2007年03月24日

馬術は楽しい!



8591863b.jpg


娘曰く、
一番好きな動物は、
「馬」だそうだ。
将来は、馬術部か…。


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2007年03月20日

祖母の心の詩



95歳で亡くなった祖母が、
死の数日前に書いた詩が、
二編ある。
70年以上連れ添い、
その数年前に先立った、
祖父への思いが込められている。

その一

「幾晴霜
君の御胸に守られて
七十有余年
こよなく生きて」


庭


その二

「初七日の夜
まどろむ我に
君の笑顔
とっさに消えて
無限の世界」


祖母が、
祖父をこよなく愛していたのが、
よく伝わる。
夫婦生活70年…。
一日一日、
一歩一歩、
人生は重い。

明日は、8歳の娘と、
墓参りである。


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2007年03月11日

息子の「自作」おやつだ!



↓は、
息子が、サツマイモを、
自分でスライスして、
ふかしたもの。


さつまいも


シンプルなおやつ。
けれども、
これが旨い。
なつかしい味なのだ。



(飯村和彦)


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2007年03月06日

靴が鳴る?



ffa4c178.jpg


娘、
どんなものでも、
おニューは、
嬉しいらしい。

けれども、
その靴、
いつ履くの?

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(飯村和彦)


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2007年02月24日

家族が減っていく現実



7d0167fa.jpg


10年程前、
子供たちが作った家系図。
このうち、
既に4人が、他界している。
時間というものは、
やはり残酷だ。

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2007年02月17日

Baby人形を抱く、Baby



娘が今、
小学校の授業で、
「自分史」的なことをやっている。

↓の写真は、
彼女が1歳丁度の頃。
この写真を使って、
生まれてから一歳位までのことを、
娘なりに書くらしい。



娘1歳、ベービー人形



ベービーがBaby人形を、
スリングに入れて抱いている…。
いい写真じゃない?
我が著書「ダブル」にも、
多分(?)、使っていた筈。


(飯村和彦)

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2007年02月11日

娘と、今日は碑文谷へ!



晴天につき、
本日も、
きのうに引き続き、
娘と外出。

で、
行ったのが、
懐かしい、「碑文谷公園」


碑文谷い


碑文谷あ


以前は、
この公園の近くに住まいがあったので、
それこそ、
毎日、行っていたところ。

きょう気がついた点は、
池の真ん中にある、
神社が改築されていたこと。
昔は、ボロボロだったから。

さて、
この公園では、
馬に乗れる。
約6年間。
ほぼ毎日、乗っていたから、
我が家の子供たちは、
全ての馬と仲良しだった。

きょうも、
一頭、当時からの馬がいた。
「ステラ」という雌。
元気そうだったので、一安心。
旧友再会…という感じかな。

さあ、
明日から地獄(?)の「編集作業」。
休日返上である。


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(飯村和彦)


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2007年02月10日

娘と六本木でデート!



久々の休日。
で、
娘と外へ。


六本木1


六本木2


六本木3


さあ、
いつまで、
こんな素敵な週末を送れることか…。


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(飯村和彦)


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2007年01月28日

夢のような紫色クレヨン!

こんなクレヨン、
あったらいいなあ…。

ドラえもんが、
あのポケットから取り出すような、
「夢のクレヨン」の話。


紫のクレヨン


「ハロルドと紫色のクレヨン」
…というタイトルになるのか。
ともかく、
この絵本、気に入っている。

ストーリーは簡単で、
欲しいものを紫色のクレヨンで描いいけば、
どんどん、
なんでも出てくる。

以下、抜粋。


絵の1


2の絵


3の絵


この話の面白いところは、
ストーリーが、
「線」で繋がっていくところ。

紫色のクレヨンで描かれる世界は、
途切れることがない。
次から次へと、
夢の世界が広がっていく。

一度、
手にとって眺めてみる価値あり。


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(飯村和彦)


newyork01double at 11:26|PermalinkComments(2)

2007年01月09日

娘が見た、成人女性!



きのう、
成人式の日。
娘が、
「晴れ着姿の、
お姉さんたちを見たい!」
というので、
近所の駅へ行ってみた。

すると、
約1時間の間に、
「210人!」(…娘がカウント!)
もの、
成人女性を目撃した。


成人1


成人2


成人3


成人4


成人5


成人6


将来、
娘も“確実に!”、
この日を迎える。
その日に、
彼女は、
父と一緒に晴れ着姿を探した、
幼い日のことを、
どう、回想するのか…。

それを考えると、
胸が、
“きゅん!”としてしまう、
父親である。


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(飯村和彦)


newyork01double at 21:24|PermalinkComments(2)

2007年01月07日

水槽に新しい仲間が…!



仲間は多い方がいいだろう。
…ということで、
数種類の「魚くん」を水槽に入れた。
勿論、
水槽の大きさに合わせてだが、
元々、数が少ないので問題なし。

で、↓がアルジーイーター。
正式な名前は、失念。


ぽつ


息子が、「ポツ」と名前をつけた。
見たままだが、悪くない。
実は、同じ種類のアルジーイーターを、
もう一尾いれた。
そちらの名前は、「スポット」(…笑)

「ポツ」と「スポット」のお陰で、
水槽のガラスは、いつもピカピカ。
これには、感動…。

で、↓が紅白の和金。
なんという種類?


しろっぽ


こちらは、
「白っぽ」という名前がつけられた。
「白っぽいから」がその理由だ。


金魚のあわ


このところ、
熱帯魚に負けず、
「金魚」の人気が高いらしい。


ポン


妻が気に入って、
半年ほど前、我が家にやってきた、
「ピンポン」(写真↑)などは、
現在、入荷待ちの状況だとか…。
ちょっと驚きである。


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(飯村和彦)


newyork01double at 10:40|PermalinkComments(4)