放送番組

2012年03月23日

水飢餓の世紀!取材ノートより



時事通信によると、米国家情報長官室は3月22日、
2040年までに世界の水不足が深刻化し、
地域情勢の不安定化や紛争を招く恐れがあると分析した報告書を発表。
水不足の主な要因として、
人口増加、経済発展、気候変動を挙げた。

報告書は、
「今後10年間に水不足が原因で国家間の戦争が起きるとは考えにくいが、
地域の不安定化や緊張を高める可能性がある」と指摘。
一部の農業地帯では地下水が枯渇し、
世界の食料市場にも影響が出るとした。

2020年以降は、特に中東や北アフリカ、南アジアで、
水を「武器」あるいは「テロの手段」として利用し、
ダムなど水源施設が攻撃対象となる危険性が高まると分析。
また、
水の問題が主要国の食料・エネルギー生産を妨げ、
経済成長の足かせとなると警告している。

以下は、
「水飢餓の世紀」のテーマで調べた際の取材ノートを纏めたもの。
今私たちが抱えている「水(=淡水)問題」を知る上で、
多少の手助けになるのでは…と思い、改めてアップした。
参考にして貰えれば幸いです。


【水飢餓の世紀〜取材ノートより〜】


地球上に存在する水の総分量は、約14億立方キロメートル。
地球が「水の惑星」だといわれる所以である。
しかしそのほとんどは海水で、淡水は全体の約2.5%。
しかも淡水の3分の2以上は、
南極や北極の永久凍土や氷河である。


地球1
                   (アポロ11号が月から撮影した地球:NASA)


つまり、私たちが日常利用する河川や湖などからの淡水は、
地球全体の僅か0.01%にも満たない。

近年、その貴重な淡水が枯渇し、
急速なスピードで砂漠化が進行している。

国連の予測では、2025年には、
世界人口の2人に1人が深刻な水不足に陥る可能性があるという。
水は地上に生きる全生命の源であり、
すべての産業もまた、水なしでは成り立たない。
深刻化する水資源の現状に対して、なにができるのか。

東京大学の沖大幹教授は指摘する。
「水というのは量だけを確保すればいいのではなく、
汚れていて使えない水を綺麗にして使えるようにすることは、
水を作るのと同じなので、
そういう技術は短期間に導入可能だし、
非常に効果的な場合が多い」

そこで今、
日本の水処理技術が世界の注目を集めている。


日本の川
(東京・羽村取水場/ photo:kazuhiko iimura)


20世紀は石油の世紀だったが、21世紀は水の世紀

現在、世界の人口70億人のうち、
安全な飲み水を手軽に利用できない人は約11億人。
下水設備や衛生設備がない地域に住む人は25億人を超す。

中東や北アフリカの窮状はよく知られているが、
インドやインドネシア、韓国、マレーシア、シンガポールなども、
衛生設備の不備などもあり水飢餓状態にある。


川辺の人たち1
(インドネシア/ photo:kazuhiko iimura)


当然、中国も水は大問題。
水需要の増大による物理的不足の他、
工業廃水や生活排水による河川汚染が深刻で、
黄河や長江ともに大きな問題になっている。

また、
先進国でも水問題は深刻。
アメリカ中西部やスペイン、オーストラリアなども、
酷い水不足に陥っている。


日本の水資源、その実情とは?

日本は、水に恵まれた国である。
水道の蛇口を捻れば、安心で安全な水が手に入る。

例えば、
多摩川上流にある羽村取水堰を基点としている玉川上水は、
およそ350年前の江戸初期に、
多摩川の水を、
飲料水、農業用水として利用するために作られた。

羽村取水堰で一旦せき止められた水は、
毎秒2トンを川へ戻し、
その他は、一秒間に6トンが浄水施設へ送られる。
現在、多摩川水系の水は、
東京都民の約20%が使う水道水になっている。

しかし…

地球全体で見ると、
利用できる淡水の量は急速に減少している。
その僅かしかない淡水の使用状況はといえば、
70%が農作物と家畜を育てるために使用され、
その他は、
工業用水が20%、生活用水が10%の割合となっている。

特に農業用水の大部分は、
乾燥地域や半乾燥地域での灌漑用に使われている。

東京大学で、
グローバルな水循環と世界の水資源に関する研究を行なっている
沖大幹教授は、
水不足といっても地域によって実情が異なると話す。

「例えば安全な水がないというのは、
どちらかといえば物理的に水が少ないというよりは、
安全で安心な水を安定して供給する施設が足りない。
これは途上国が中心になる。
逆にそれなりに発展していても、
もともと乾燥した地域で、
無理やり循環型ではない資源を使っている地域。
地下水に頼っている地域は、
だんだん使える水資源が減ってきていて、
食糧生産に影響すると懸念される」


船2隻
(インドネシア/ photo:kazuhiko iimura)


世界の水資源問題の現状

下水や衛生施設の整備が進んでいない
インドネシアや中国、マレーシアなどの国々でも、
多くの人が、
きれいで安全な水にアクセスできない状態にある。

驚異的な経済成長を続ける中国では、
主要都市の3分の2が深刻な水不足に陥っている。
下水の大半は、
未処理のまま川や湖に垂れ流されているため、
中国全土では、およそ7億人が、
人間や動物の排泄物で汚染された水を飲んでいるという。

黄河流域では、
農業や生活用に多量の水を取水したため、
その流量が40年前の僅か10%にまで低下。
また、
長江(揚子江)には、
毎日約4000万トンものゴミや汚水が投棄されているという。
これら河川の汚染は酷く、
飲料水はおろか農業用水としても使えない地域も多い。

アメリカでも、
中西部を中心に水不足は大きな問題になっている。

北米・ロッキー山脈の東側に広がる
グレートプレーンズと呼ばれる平原。
日本の国土面積の10倍もあるこの乾燥地帯は、
本来、農業に適した場所ではないのだが、
なぜか大穀倉地帯になっている。
その訳は地下水の利用だ。


穀倉地帯1
(米国・中西部/ photo:kazuhiko iimura)


この地域の灌漑施設では、
井戸を掘って大量に汲み上げた地下水を利用。
半径・数100メートルの腕木に設置したパイプから水を撒いて、
作物を栽培している。

だが、
その水源であるオガララ帯水層の水は急速に減少。
井戸が枯れ、作物を作れない農地が急増している。


日本の食糧自給率と「水資源」の関係

世界の人口は2025年までに、
今より20億人増えると予測されている。
当然その分、食料と水の需要も膨れ上がる。
すると日本はどうなるのか。

日本の食料自給率はおよそ4割。
つまり、
食料の6割を海外からの輸入に頼っている。
実はここに、日本の抱える深刻な「水問題」が潜んでいる。


バーチャル・ウォーター(仮想水)

現在、日本が輸入に頼っている食料を、
もし国内で作るとしたら、どれ位の水が必要になるのか。
それが、
「バーチャル・ウォーター」の考え方である。

東大の沖教授の試算によれば、
「日本が輸入している主要な穀物や肉類を日本で作ったら、
どれ位の水が必要なのかを計算すると、だいたい640億トン。
日本国内で使っている農業用水が560億トンなので
それより多い水が必要だということになる。
我々は食料を輸入しているために、
国内の水資源を使わずに済んでいる」

つまり日本は、
食糧という形で毎年640億トンもの水を輸入していることになる。
これは作物や家畜のために、
日本全国で使われている水の量より遥かに多い。

幾つかの食料について、
もしそれを輸入せずに国内でつくったとしたら、
1キログラム当たりどれ位の水が必要になるのかを試算すると…

牛肉なら僅か1キロの肉を作るのに20トン、2万リットル。
これはエサとなる穀物に大量の水が使われるため。

鶏肉なら4.5トン、4500リットル。
小麦は2トン、2000リットル。
玉ねぎは160リットル。


穀倉地帯2
(米国中西部/ photo:kazuhiko iimura)


例えば、
牛丼を一杯つくるための材料には1890リットル、
およそ2トンの水が必要になるのだという。

21世紀は水の争奪戦になる」といわれている。
大切な水を使って生産された食料を大量に輸入している日本は、
その恩恵を世界に還元する必要がある。

そこで注目されているのが、
日本の持つ水処理技術。
飲み水や農業のために使える水を増やしてあげる。
その一つの方法が、
地球上にある水の約98%を占める海水から真水をつくること。


海水の淡水化とは?

もともとはアメリカのケネディ大統領が、
国家事業として始めたプロジェクトだったが、
今では日本企業の技術が世界をリードしている

例えば、
福岡にある日本最大の海水の淡水化施設、
「海の中道奈多・海水淡水化センター」
ここでは、
玄界灘の海水を処理して
一日最大5万トンの真水を生産している。
これは、福岡都市圏、25万人分の水になるという。

福岡市は人口が多い割に水源が乏しく、
渇水は日常茶飯事。
その解消のために選択された方法が、
海水の淡水化だった。


逆浸透膜1


逆浸透膜2
(逆浸透膜ユニット/ photo:kazuhiko iimura)


ここで使われているのが、
「逆浸透膜」と呼ばれる特殊な膜。
高圧をかけた海水をこの膜に通すことで、
塩分を除去し、真水だけを取り出す。
淡水の回収率はおよそ60%
つまり10トンの海水から6トンの淡水が生産できる。

コストは、
建設費の減価償却を含めて1トン当たり210円から220円だが、
ランニングコストだけだと、約100円。
平均1トン当たり150円とされる一般的な水道水よりは幾分高い。
しかし、施設の建設費が日本よりも安い海外になると、
一トン当たりのコストはもっと抑えられる。。

逆浸透膜は、
東洋紡、日東電工、東レなどが高い技術を持っており、
現在、
日本企業が占める逆浸透膜の世界シェアは、約7割。

地球レベルで深刻化する水問題に対応するため、
各企業では、
地域の事情に合わせた膜処理技術を構築、
海外展開を加速させている。

東レ、担当部長の説明。
「水源が海に近いところだと海水の淡水化が主に使われるが、
内陸部や、事情によっては下廃水を再利用するという考え方もあるので、
東レとしては、
海水淡水化専用の膜とか、下廃水専用の膜とか、
河川水・かん水用の膜とか、使い方に合わせた膜を開発している」


納豆菌群を使用したブロックで水質浄化も…

福岡県には、
汚れた川や池の底に並べるだけで水の浄化が図れるという、
画期的なブロックを開発した会社がある。

社長は、古賀雅之さん。
古賀さんが水質浄化ブロックの研究を始めたのは20年ほど前。
大手セラミック会社を退社し、
家業のブロック会社を継いだときのことだ。

「池でも非常に汚れたところがあれば、
そこに土を持ってきて混ぜてじっとしていれば、
いつの間にか綺麗になっている。それがヒント。
土の中には浄化する菌が沢山あるというのが最初の発想」

コンクリートブロックは、空気をたくさん含んでいる。
そこに水を浄化する微生物を
生きたまま入れることは出来ないか。

候補となる微生物を何種類も試し、
10年間に及ぶ試行錯誤の末、
最後に辿り着いたのが納豆菌だった。

納豆菌は、強酸性でも強アルカリでも生存し、
環境にも左右されにくい。
さらに、
コンクリートとのマッチングも非常に良かったらしい。

そして出来上がったのが、
納豆菌を含む有用微生物群を使った「エコバイオ・ブロック」。
休眠状態にある納豆菌群は、
水に触れると外へ飛び出し、
大腸菌や水の汚れであるデンプン、タンパク質などの有機物を分解。
同時に悪臭も消えるという。


ブロック(株)コヨウ・古賀さん提供) 


この水質浄化ブロックは、
大掛かりな装置や多額の建設費を必要としないこともあり、
ここ数年、新興国からの引き合いが急増しているという。

2002年にはマレーシアの前首相、マハティール氏が、
マレーシア工科大学の協力のもと、
ナショナルプロジェクトとしてバイオ・ブロックを採用。

2006年から2007年にかけては、
インド政府が、
ニューデリーを流れる河川を使って、
バイオ・ブロックの大規模な性能試験を行なった。

去年7月、
インド政府の中央汚染管理局がまとめた詳細な検査結果によると、
水の汚れを表す指標が、
使用前に比べいずれも低下、30%以上改善された。
浮遊物質の量も60%以上改善。
アンモニア成分も大幅に減り、
バイオ・ブロックに一定の水質浄化効果があると認められた。
さらにインド政府は、
「エネルギーやメンテナンス、大きなプラントなどを必要としない利点がある」とも報告している。


マレーシア1
(マレーシア・古賀さん提供)


「現状から、例えば2割から3割、水の浄化を行なう。
またさらにその後、2割減らす、3割減らす…というように、
徐々に減らしていくという位置づけ。
その後は、もっと高度な処理技術が日本には沢山あるので、
その前段階として使ってもらうには非常にいい」(古賀社長)

インドや中国のバイオ・ブロック導入理由は、
河川の水質浄化という現実的な目的のほかに、
目に見える対策をとることで、
真っ黒に汚れた河川周辺に住む住民に
環境保全意識を持たせる目的もあるという。

どんなに優れた浄化剤や設備・プラントをもってきても、
人間が、
その処理能力を超える勢いで水を汚していたのでは話にならない。
どちらの現場にも、
「バイオ・ブロック導入の理由が書かれた表示」が立ててある。


二羽のかも
(photo:kazuhiko iimura)


地球上に存在する水の量は概ね変わらない。
だから、
使用できる水は、大切に扱う。
汚染された水が、
一夜にしてクリーンな水に変わるとも考えにくい。
身の回りの「水」に注意を払いながら、
気球規模の水環境にも視野を広げて、
ともかく、できることから一日でも早く。
そうしないと、
本当に、取り返しのつかないことになってしまう。


(飯村和彦)

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2010年02月22日

松坂大輔 18歳の頃



横浜高校3年、松坂大輔。
当時、彼は「平成の怪物投手」と呼ばれていた。
そんな松坂の取材を始めたのは、
「怪物」の高校生活も終わりに近づいた、
2月末のこと。

「怪物といわれているが、
自分ではどこが凄いと思う?」

そんな質問に対して、
刹那、戸惑った表情を見せた松坂だったが、
すぐに、明快な答えを口にした。

「うーん、何だろう…。
みんなと違うとは感じていた。
(例えば?)…負けないこと!」



ボール2



その年の夏の甲子園。
延長 17回に及んだPL学園との戦いを、
250球の熱投で制した松坂は、
準決勝も勝ち進み、
8月23日、
甲子園、春夏連破をかけた京都成章戦に臨んだ。

連投の疲れも見せず、
松坂は三振の山を築いていった。
そして迎えた9回2アウト。
27個目のアウトは、狙いすました三振だった。
59年ぶりの、決勝戦ノーヒットノーラン。
以降、松坂は、
「平成の怪物投手」として、
メディアの注目を一身に浴びるようになっていく。

卒業の日。
松坂は3年間の高校生活について、
幾分、頬を赤らめながら語った。

「3年間、男だけの生活をして、色々と体験できた。
(どんな体験?)
それはちょっと喋れないので…」

それは、18歳の青年の言葉だった。
ところが野球の話になると、
松坂の口調は一転、自信に満ちたものへと変化する。

「(プロ初球は?)…まっすぐ」
「(戦いたい選手は?)
…イチローさんを力でねじ伏せたい」

“プロに入るからには、記録にはこだわりたい”
そんな松坂は、
西武への入団が決まった直後には、
“二桁勝って新人王を獲る”と明言していた。

「(新人王の他、一年目の目標は?)
獲れるタイトルは沢山あるので、
出来るだけ多く獲りたい。
(例えば?)…最多勝とか、最優秀防御率賞とか」

爪入りの学生服を着た松坂は、
いとも簡単にいってのけた。
彼が、「平成の怪物投手」といわれる所以。
それは、他人のためではなく、
自分自身のために高い目標を設定し、
それを実現していく強さだった。

「少年の頃は、どんな子だった?」
「太っている時は、若の花に似ていると言われました」

若の花似の少年が、
「怪物」になった瞬間はいつなのか。
はっきりした答えは出ないと知りつつも、
以後、
何人もの“松坂関係者”にインタビューをしていった。

小倉清一郎、横浜高校野球部・部長。
松坂の資質を誰よりも早く認め、育て上げた人物である。
小倉氏が初めて松坂を見たのは、
彼が中学1年の時だった。

「堂々としていて、
振りかぶった時の雰囲気が、非常に格好いい。
それが第一印象でした」

特に小倉氏が注目したのは、松坂の背筋力。
振りかぶった時に背スジがピーンと伸び、
胸を大きく張って腕を振り下ろす投球ホーム。
それは、背筋が強くなければ出来ないものだった。

中学時代、
松坂は、全国でも有数の少年野球チームに所属していた。
当時の松坂はリーダー格ではなく、
“リーダーのグループにくっついて行く”タイプの少年。
だが、野球に関しては、
誰もが一目を置く存在だったという。

少年野球チームの監督だった大枝茂明氏は、
当時の松坂少年の意外な側面を、
冗談交じりに懐古した。

「言ってやらせないと出来ないんです。
普段、何も言わないと手抜きをするんですよ(笑)。
それで、怒って注意すると出来ちゃう。
それが素晴らしい天性のセンスなんです」

この松坂のセンスについては、
横浜高校で松坂の指導にあたった小倉部長も、
似た見方をしていた。

「どんどん、どんどん、
やればやるほど、力が身について行くんだなと。
それが、松坂の素質だった」

やればやるほど力が身に付く…。
横浜高校に進んだ松坂は、
来る日も来る日も小倉氏の激しいノックを受け、
そして、それに耐えた。

しかし、身体能力や技術の高さだけでは、
松坂を説明できない。そこには、
“自分の原点になった”と松坂自身が回想する、
ある大きな出来事があった。

それは、横浜高校2年のとき。
松坂はエースとして、
夏の甲子園・神奈川県大会、
準決勝のマウンドに立っていた。

悪夢が訪れたのは9回裏。
同点に追いつかれた後の1アウト1,3塁の場面だった。
「スクイズを外そうと思った」という、
この日134球目のボールが、
捕手・小山のミットをはじいて、
バックネットへと転がった。

「心に余裕がなくて、二年生でしたから。
もうただ、すぐアウトを取りに行きたくなって…」
これは、小山良男捕手の言葉だ。

痛恨のサヨナラ暴投。
試合後、松坂はベンチの中で泣き崩れた。

しかし、その悔し涙が松坂を変えた。
この日の屈辱が、
高い目標を求めて野球に取り組むという、
松坂の原点になっている。

当時を振り返りながら、
横浜高校の渡辺元智監督は指摘した。

「あれで確かな目標を立てることが出来るようになった。
それが大きな要素だと思います。
そしてそれが、松坂大輔自身の信念に変った」

松坂の信念。
プロ野球選手として初めてキャンプに参加する前日、
ふとした拍子に、松坂はこんな言葉をはいた。

「(いつも思っていることは?)
自分が一番うまいと思って、練習はやっています」

プロとは人に夢を与える仕事。
その最高の舞台がプロ野球だと松坂は話していた。

「(プロ初登板は緊張すると思う?)
その時になってみないと分かりません。
甲子園の時も、周りの人は、
マウンドに立ったら緊張するといっていましたが、
全然なかったので…」

多くの人に注目されればされるほど、
力が沸いてくる。
18歳の松坂はそんな言葉も口にしていた。
現在、松坂の舞台は、
彼の望んでいたメジャー・リーグへと変った。

怪我で不本意な成績しか残せなかった昨シーズン。
今年、松坂はどう巻き返してくるのか。
20勝を目指すのか、
それともノーヒットノーランか…。
2年続けて低迷するような男ではない。

「ONE FOR ALL」

高校時代、
松坂が野球帽のひさしに書いていた言葉である。
いま松坂はそこに、
いったいどんな文字を記しているのか。


(飯村和彦)


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2010年02月19日

原爆投下の原点(下)〜目的のための犠牲(コラテラル・ダメージ)



原爆投下命令をだしたハリー・トルーマンという男

トルーマン自身は、
ミズーリの「一農夫」。
妻(ベス)は、
ミズーリの「一流の家系」であり、上流階級。
それが当時のアメリカ人一般の見方だった。


トルーマンが、政治家になった経緯

1922年に洋品店の経営に失敗して、
仕事を探していた。
ミズーリ州ジャクソン郡には友人が多いし、
親戚もやたらいたので、
東部地区の判事に立候補した。

全部で5人立候補したが、
その中で、
誰よりも知り合いが多かったので、当選できた。


副大統領に就任できたのは、
ルーズベルト大統領が、
「忠実な小物政治家」を欲したから。

しかし、

副大統領になってからも、
トルーマンは政権内で孤立し、
重要な外交政策については、
情報を与えられていなかった。
そのことは、
トルーマン自身も知っていた。


1945年4月11日のトルーマンの日記

「働いて、
副大統領の職務を作らなければならないが、
なんとも退屈な仕事だ」 


ところが、
日記にこう記した翌日(4/12)、
ルーズベルトの突然の死により、
トルーマンは大統領に就任してしまう。
本人も驚いたろうが、
困惑したのは、
アメリカ政府内の高官たちだった。

スティムソン陸軍長官の日記(4/12)
「新大統領は、
自分が引き継いだ仕事について、
ほとんど何も知らない。
そして、
小さな問題で決断を迫られると、
そんな力はないとでもいうように、動揺する」

また、

ニューヨークタイムズ紙は、
ルーズベルト大統領の後継者となったトルーマンを、
「単なる人形」
と、決めつけた。


しかし、どうしてそこまで、
皆が皆、トルーマンに不安を感じたのか。
答えは簡単である。
その大きな理由は、
彼が、
「フランクリン・ルーズベルトではない」
からだった。

ルーズベルトは、
皇帝のように堂々としていたが、
トルーマンは、
まさに、
「つぶれた洋品店のオヤジ」のようだった。


そこで、
トルーマンは、
あることを決意した。


「責任は引き受けた(back stop here)」


自信はないものの、
大統領としての決意を固めたトルーマンは、
周囲の政策責任者に敬意を持たれるようにするには、
決断力を示さなくてはならないと考え、
「最終決定はすべて私が下す」
ときっぱり宣言した。


子供の頃から、
“意気地なし”で、
“男らしさに欠ける”
と、いわれ続けてきたトルーマンは、
大統領に就任して、
男らしさを証明する機会をはじめて掴んだ。


そんなトルーマンによって、
原爆の投下命令は下されたのだ。


「原爆を、
いつ、どこに投下するのかの最終決定は、
私が下した。
この点に誤解がないようにして欲しい」
(トルーマン回顧録)


そうはいっても…


トルーマンの眼前には、
そもそも、
「ノーとは言えない現実」が、横たわっていたのだ!


原爆開発計画

マンハッタン・プロジェクトは、
約12万人が加わり、
全米各地に施設を持つ巨大な官僚機構であり、
生産体制だった。

「アメリカは、
わずか3年間で、
当時のアメリカの自動車産業全体に匹敵する、
途方もない規模の工場と研究所を作り上げた」
(科学者:バートランド・ゴールドシュミット)

このプロジェクトには、
巨額の連邦予算(総額20億ドル)がつぎ込まれており、
支出が正当であったことを示すためには、
どうしても、
プロジェクトを成功させる必要があった。


ところが、


トルーマンが、
スティムソン陸軍長官から、
「アメリカが歴史上、最も破壊力のある武器を開発している」
と、
原爆について初めて知らされたのは、
大統領に就任した、
その日(4/12/1945)のことだった。


そして、その2週間後。


1945年4月25日 
トルーマンは、スティムソンから、
「4ヶ月以内にはまず確実に、
人類の歴史の中で、
最も恐るべき武器が完成する。
一発でひとつの都市を破壊しつくせる爆弾になる」
と報告を受ける。


だが、
この段階ではまだ、
トルーマンは原爆投下を決断していない。



夜の街
(photo:kazuhiko iimura)




1945年5月7日にはドイツが降伏し、
日本も、
軍事的に見て絶望的な状況に追い込まれていた。
つまり、
原爆を使う理由はなくなっていたのだ。


さらに、


もし、原爆を日本に使うとしても、
「事前に示威実験(デモンストレーション)を行い、
最後通告をだしてから」
というのが、
ルーズベルト大統領の決定(1944年12月)であり、
トルーマンは、
その方針を受け継ぐ姿勢を表明していた。


西欧方面連合軍最高司令官アイゼンハワー将軍は、
「日本はすでに敗北している」とし、
「原爆投下はまったく必要ない」
と語っていた。

大統領付き参謀長レーヒ提督も、
「軍事的に見て、
すでに、完全に打ちのめされている日本に、
侵攻する理由はない」
としていた。


ところが…


原爆計画の中で最も重要な委員会である、
1945年5月31日と6月1日の暫定委員会
(委員長はスティムソン陸軍長官)で、
原爆を、
「非軍事的な示威行動」の形で爆発させ、
日本の指導者に衝撃を与えることで降伏を引き出す、
…という案は、退けられてしまう。


そして、
暫定委員会は、
事前警告を行うことなく原爆を投下することを勧告した。

この決定を強く支持したのは二人の男。
ひとりは、バーンズ
トルーマンに選ばれて暫定委員会のメンバーになり、
そのすぐ後(7月2日)に、国務長官に就任した人物。

もうひとりが、グローブス将軍
マンハッタン・プロジェクトが始まった時点で、
司令官に任命され、
巨大な原爆開発組織の指揮をとっていた男。


1945年7月18日
アラマゴードで原爆実験成功


このとき、グローブス将軍は、
次のように語っている。

「我々は最大の目標が、
まだ達成されていないことを十分に認識している。
日本との戦争で重要なのは、
“実戦テスト”である」


この時点で、
トルーマンが迫られた決断は、
「実戦テスト」へ向けて進んでいる計画を、
止めるかどうかであった。

この点についてグローブス将軍は、
「大統領の決断は、
我々の動きに干渉しないというものだった。
…どちらかといえば、
“イエス”と言ったというより、
“ノー”と言わなかった、というべき」
と、後に回顧している。


さらに、
ソ連の脅威がトルーマンを焦らせた。


ポツダムでのバーンズ国務長官の助言
「日本に対する戦争で、
新兵器(原爆)の威力を示すことが、
ソ連を脅して従順にさせる手段になりうる。
原爆の力で戦争が終わったとき、
アメリカは、
こちらの条件をソ連に飲ませる立場に立てる」


結局…、広島・長崎への原爆投下


トルーマンは原爆投下を決めた理由を、
「本土上陸作戦を避け、
50万人のアメリカ人の命を救うためであった」
とした。
だが、トルーマンは、
本土上陸作戦を行っても、
50万人もの戦死者がでないことは、
自分の要請で分析させた結果から、知っていた。


統合戦争計画委員会の報告書(1945年6月15日付)

本土上陸作戦の戦死者数を4万人と予想。
マッカーサー将軍の、
「この作戦は極めて容易で、
死傷者数が少ないものになると見ている」
との覚書も報告書には添付されていた。


つまり


トルーマンは、
原爆を使った目的が、
戦争を早く終わらせ、
アメリカ人の命を守るためだけではなかったことを、
十分認識していたのだ!


原爆投下により、
戦争のあらゆる倫理的制約は消滅した。
それは、
破壊の手段がより残酷になったということではなく、
個人としての戦闘員が存在しなくなったことを意味する。


目的のためなら、
敵国の一般人を何人殺そうが正当化される。



それは、
「今」のアメリカの理屈でもある。


そのアメリカ政府に、
今日まで日本政府は、
盲目的なまでに、追随してきたのではあるまいか。
ここにも「変化」が必要だ。

【了】


(飯村和彦)

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〜原爆投下の原点(中)〜目的のための犠牲(コラテラル・ダメージ)



アメリカ陸軍飛行隊の将校らは、
真珠湾攻撃(1941年12月8日)のかなり前から、
日本の人口密集部に対し、
「火炎兵器(焼夷弾)」
を使用することを考えていた。



ストップ



日本本土の爆撃目標に関する、
1939年の飛行隊戦術学校の講義録
「一般住民に対する直接攻撃は、
国民の志気喪失には多大な効果があるにしても、
“人道的配慮”によって排除される。
…しかし、この目標(一般住民)は、
ありうる報復手段として銘記すべきである」


関東大震災をヒントに…
「1923年の関東大震災は、
焼夷弾が、
日本諸都市に恐るべき破壊をもたらしうることを、
実証したものであり、
日本の一般市民に対する直接攻撃は、
日本人の志気破壊にきわめて有効である」
(1939年春、C.E.トーマス)


そんな背景から…


真珠湾攻撃の数日後、
アメリカ化学戦局は、
マサチューセッツ工科大学内に焼夷弾研究所を設立。
スタンダード石油会社のグループが、
尾部からナパームを噴出する、
小型で極めて有効な「焼夷弾M-16」を開発した。


1943年2月:大量焼夷弾空襲効果に関する報告書(外国経済局)
日本の市街地は、
火炎攻撃に対して極度に脆弱であり、
火炎攻撃は、
労働者から家を奪うことによって、
日本の生産を著しく妨げると結論づけた。


そこで、ある実験を行なった。


小東京・攻撃実験
1944年初頭、
国防調査委員会と陸軍航空軍の委員会は、
エグソン・フィールドに、
日本の建物群に見立てた、
「小東京」とよばれる小さな村を幾つか建設、
焼夷弾を使った攻撃実験を実施。


さらに…


調査をより現実的にするため、
日本の地震の歴史、特に関東大震災から、
火災の広がりと生産低下に関する情報を引き出した。


焼夷弾小委員会は、
「大都市に対する攻撃は、
日本経済を相当痛めつけ、
当該地域の住宅の70%を破壊し、
50万人以上の一般市民を殺害するであろう」
とし、直ちに、
圧倒的兵力をもって、
6都市(東京・横浜・川崎・名古屋・大阪・神戸)を、
爆撃するよう陸軍航空軍に勧告した。


また、


1944年11月末、
第20航空軍のノースタッド将軍は、
日本社会の中核的制度に向けられる航空攻撃が、
日本人を震撼させうると考えた。
そこで、
アーノルド総合司令官に対し、

東京の皇居に対し大規模攻撃を実施することで、
パールハーバーを追悼するよう提案

(…しかしこの提案は、時期尚早ということで却下された)


そして… 東京大空襲。


「東京が焼き払われて、
地図からも一掃され、
その地域のあらゆる工業標的が破壊され、
都市が魅力化されれば、
我々は戦争を短縮できる」
(1945年3月9日:ルメイ将軍)

1945年3月10日午前零時過ぎ
1665トンの爆弾を東京に投下。
焼夷弾により工業地域の18%、
商業地域の63%、
労働者階級の住宅地帯の全域がことごとく焼かれ、
25万戸の家屋が焼き払われた。


アメリカ戦略爆撃調査団は、
3月10日の空襲で、
8万7793人(実際には10万人と言われるが…)が死亡、
4万918人が負傷、
100万8005人が家屋を失ったと見積もった。


ところが、予想外の事態が発生!


3月10日の東京大空襲は、
直接その空襲の影響を受けた人々の志気はくじいだが、
日本の一般市民の志気を、
「受忍限度」に導く者ではなかった。

そこでB-29は、
4月と5月にも数千トンの焼夷弾を投下。
ところが、
東京の約半分にあたる、
150平方キロを焼き払ったにも係わらず、
戦争終結にまでは持ち込めなかった。


日本人の戦意


日本軍が、降伏するよりも自決を選び、
神風特攻機のパイロットが、
米艦船に向けて突入してきたことは、
「日本人を降伏させるのは容易ではない」
ことを示唆していた。


それならば…!



ワースト



最初の原爆の炸裂は、
日本人に途方もない心理的衝撃を与えねばならず、
その兵器の重大性が、
国際的に(特にソ連に!)認識されるためには、
十分に壮大でなければならない。

1945年7月26日、
アメリカはポツダム会談で警告を発した。

連合軍は、
日本人を奴隷化したり、
国家として滅ぼしたり、
領土を、
恒久的に占領したりする意図の無いことを宣言したが、
日本側が戦闘を継続するなら、
国土は完全に破壊されるだろうと警告した。


しかし、


使用する兵器の種類は明らかにせず、
日本にとって極めて重要な問題である、
天皇の運命についても、
意図的に言及しなかった。
                

結果、


日本政府は、ポツダム宣言を「黙殺」
アメリカによる、
日本への原爆投下の“大義”ができた。

連合国側(特にアメリカ)にしてみれば、
ドイツの都市に無差別爆撃を行うのであれば、
日本の都市にも、
無差別爆撃を行うのは、
当然すぎるほど当然だった。


アメリカは、

「戦争を仕掛けてきたのは日本だし、
“われわれの捕虜”を虐待したのも、
日本に他ならない。
そんな国に戦闘員、非戦闘員の区別など無用であり、
そもそも、
現代の戦争に非戦闘員は存在しない」

…として、原爆投下を正当化した。


こうして倫理制約がなくなると、
数10万の人間が住む都市に原爆を投下するのも、
難しい決断ではなくなった。

【つづく】


(飯村和彦)

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目的のための犠牲(コラテラル・ダメージ)〜原爆投下の原点(上)〜



原爆投下に関するトルーマン語録

「日本人が理解すると思われる唯一の言語は、
奴らを爆撃するために我々が使用しているものである。
けだものを相手にしなければならないときは、
けだものとして扱わなければならない。…」
(長崎への投下から二日後の声明)

「私は広島と長崎に原爆を投下するよう命じた。
…同じような状況であれば再度決断したであろう。
原爆は対ジャップ戦を終結させたのだ」
(ポツダム会談からの帰途、妹メアリーに語った言葉)

B-29による残虐な無差別爆撃(例:東京大空襲)、
そして、広島・長崎への原爆投下。

戦時における軍事的必要性」の名目で行われた、
これらの無差別大量殺戮は、
誰によって、いつ、どんな理由で、
正当化されるようになったのか。



自由の女神ロング
(photo:kazuhiko iimura)



第二次大戦で連合国側が掲げた大義は、
「正義と人道」だった。

ところが、アメリカの爆撃機は、
一般市民が住む市街地に、
無差別に爆弾と焼夷弾を投下、
小さな子供や赤ん坊を抱いた女性まで焼き殺した。


なぜか?


非武装の市民を殺さないという倫理観が崩壊した背景

第一次大戦後の20年間における、
科学技術の革新と航空戦力理論の開発は、
約200年にわって発達した、
ヨーロッパの騎士道精神を消滅させた。
これが、
アメリカの無差別爆撃戦略に影響を与えたといわれる。 


ジュリオ・ドウエット将軍(イタリア)の航空戦略理論

国家は、「制空権」を確立することによって、
第三次元を支配しなければならない。

いったん制空権を獲得すれば、
敵軍の施設を爆破でき、さらには、
主要目標である人口密集地に直接向かうこともできる。

爆撃機は敵国民を恐怖に陥れ、
彼らの肉体的・精神的抵抗力を破壊するだろう。

将来の戦争は、軍用機による都市爆撃(高性能爆薬)、
毒ガス、焼夷弾の投下で幕が切って落とされる。 
  
戦争手段に対する道義的制約は偽善にすぎない。
恐るべき攻撃が、
いかに非人間的で極悪非道であるとみなされようと、
誰もひるみはしない。
それが、勝利を得る道であると分かっている時、
司令官が軍隊の損失を甘んじて受け入れるように、
国家は、
人口密集地に対する航空攻撃を甘受しなければならない。


さらに、
第二次大戦前のアメリカ航空軍に大きな影響を与えたのが、
ドウエット戦略。


ドウエット理論

ドウエット理論で最も重要な著書、
「制空権」第一章(1921年)は、
イタリア語版の出版から数ヶ月以内で英語に翻訳されていた。

後の第二次大戦で、
航空軍の司令官になった大半も「制空権」を読み、
影響を受けた。

「国民の志気は価値ある標的である」
というドウエットの概念は、
陸軍飛行隊戦術学校の1926年度版の教本、
「合同空軍力の採用」にも登場。

「制空権確保を第一の任務とする独立空軍」
という考えを容認したばかりでなく、
「戦時下の真の標的は、
戦場の敵軍隊ではなく敵住民と重要地点である」
と明言した。


しかし、まだこの時点では、
ドウエット戦略を支持しない司令官が大半を占めていた。

陸軍航空軍総司令官アーノルド将軍も、
「特別な状況を除けば、人間は優先的標的ではない」
として、
あくまでも軍事関連施設を狙った、
選択的爆撃の方が効率的あるとしていた。


ところが…


第二次戦争が始まり、
空軍力が増し、
闘いが長引きだすと、
政権内部や航空軍司令官たちの考え方が変質してくる。

第二次大戦初期、ルーズベルト大統領は、
「日本軍による重慶空襲は、
道義上許されない行為だと非難し、
アメリカ政府は、
民間人に対するいわれのない空襲と、
機銃掃射を心から非難する政策をといっている」
としていた。


しかし、
戦争が進むにつれ、その方針が徐々に揺らぎだす


1940年9月〜41年5月。
ドイツ空軍によるロンドン、コベントリー、
その他の市街地中心部に対する爆撃で、
住民約4万人が死亡。

イギリス軍による報復としての市街地爆撃。

1941年夏、
アメリカ航空軍は、
ある特殊な条件が発生した場合には、 
一般市民を直接攻撃することを提案した。


アメリカ戦略爆撃計画-1」(AWPD-1)
…一般市民は敵の戦争機構の一部であって、
苦難を受けなければならない。
ドイツが敗北の淵にたったとき、
ベルリンの住民に対し、
大規模な全面攻撃を加えるのが有効。


1943年7月末〜8月初頭、ハンブルグ空襲。
…イギリス軍が、
焼夷弾を使った夜間無差別爆撃で、
大きな戦果を上げる一方、
アメリカ軍の選択的爆撃(昼間)は、
「イギリス軍の夜間爆撃よりも“人間的”」
であることは証明したが、
ほとんど効果を上げなかった。


そして…
1943年8月17日。
アメリカ軍の爆撃戦略(選択的爆撃)に、
最も大きな影響を与える出来事が発生した!


レーゲンブルク-シュバインフルト作戦の失敗

アメリカ第八航空軍が行った、
レーゲンブルクにある飛行機工場と、
シュバインフルトの軍需工場を攻撃した作戦。
この攻撃でアメリカ第八空軍は、
約87機のB17爆撃機を失い、
550人以上が戦死、又は捕虜になるという犠牲を出した。

さらに問題だったのは、
「空飛ぶ要塞(=B17)」が、
軍需工場に、
十分な被害を与えることが出来なかったことだった。



DCモニュメント
(photo:kazuhiko iimura)



アメリカ航空軍司令官が、
ハンブルグ空襲と、
レーゲンブルク-シュバインフルト作戦の失敗から得た教訓は、
「市街地空襲は、
時として精密爆撃よりも成果をあげ、
陸軍航空軍の犠牲をはるかに少なくする」
というものだった

そして、1944年8月26日。
ルーズベルト大統領の発言

「アメリカとイギリスのあまりに多くの国民が、
戦争に責任があるのは、
少数のナチス指導者であって、
ドイツ国民全体ではないと考えているのは、間違いである」

1944年9月9日、
ルーズベルトは、スティムソン陸軍長官に書簡を送付し、
「ドイツと日本に対する爆撃効果を分析する機関、
(後のアメリカ戦略爆撃調査団)」
の設立を要請した。


つまり、このことは…


「敵一般市民を恐怖に陥れることを狙った攻撃は、
ルーズベルト大統領にとって容認可能」
であることを意味した。


そして…


1945年
2月3日、ベルリン空襲 
約2万5000人の一般市民が死亡

2月13〜14日、 ドレスデン空襲
約3万5000人の一般市民が死亡
(注:当時ドレスデンは、非武装都市であり、
東部戦線からの避難民で一杯だった)


「我々は軟弱になってはならない。
戦争は破壊的でなければならず、
ある程度、非人間的で非情なのである」
(アーノルド陸軍航空軍総指令官)


その後、
東京大空襲、
広島・長崎への原爆投下へと突き進む。

【つづく】


(飯村和彦)

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2008年05月07日

中国・山東省にて「野菜基地」



中国・山東省。
四季の移り変わりのある温暖な気候は日本に似ており、
緯度的には、
日本の東北地方南部から九州以北地域と重なる。


山東省4
(photo:Kazuhiko Iimura)


山東省では、
年間を通して様々な野菜が栽培されており、
中国最大の野菜生産地域。


山東省1
(photo:Kazuhiko Iimura)


山東省3
(photo:Kazuhiko Iimura)


JETROの資料によると、
山東省は、
中国から輸出される野菜の40%以上を生産。
なかでも日本は最大の輸出相手国で、
山東省で生産される農産物の
約4割が日本向けとなっている。

青島市内から車でおよそ1時間半。
青島郊外には広大な田畑が広がり、
そこには「野菜基地」と呼ばれる、
日系企業直営の農場が点在している。


山東省5
(photo:Kazuhiko Iimura)


ブロッコリー、
ほうれん草、
ちんげんさい、
小松菜…等々。
     
「野菜基地」で生産される野菜の特徴は、
日本から持ち込んだ種子を使った
「日本仕様」の野菜であること。
栽培技術も日本からのものであり、
多くの場合、
肥料や農薬の管理も厳格になされている。
当然ながら、
「野菜基地」で生産された野菜は、
生鮮野菜、冷凍野菜、加工冷凍食品となって、
すべて日本へと送り出される。

この仕組みは野菜版の「開発輸入」であり、
1990年代から、
多くの日本企業が中国・山東省に進出して作り上げた、
日本向け野菜を生産するシステム。
当たり前のことだが、
日本企業直轄の「野菜基地」であれば、
全ての責任は日本側企業が負うことになる。


山東省6
(photo:Kazuhiko Iimura)


さて、 
そこで「中国産」について一考。

中国産の野菜とはいえ、
「野菜基地」で生産されている野菜は、
極めて日本産の野菜に近いということ。
逆にいえば、
「中国産野菜」といっても、
栽培・管理のされ方、
加工・流通方法によって、
大きな違いがあるということになる。


山東省2
(photo:Kazuhiko Iimura)


ギョウザ中毒事件が未解決であるがゆえ、
いまだに「中国産」に対する見方は厳しい。
当然である。
けれどもその一方で、
食品を吟味する際に、
その「背景」に目を向ける必要があるようだ。
いつ、誰が、どこで、どのように…!


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(飯村和彦)


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2007年09月10日

原爆開発物語・「神の火を制御せよ」



史実をベースに、
マンハッタン計画を「物語」に仕上げた、
ノーベル賞作家、パール・バックの作品。
1959年に書かれたものなのに、
何故か、
これまで日本語訳は出版されていなかったという。


神の火を制御せよ パール・バック


苦悶しながらも、
原爆開発に邁進せざるを得なかった科学者たち。
激しい自己矛盾。
けれども、戦時下の狂気には抗えなかった。

タイトル(邦題)には、
「神の火を制御せよ」とある。
しかし、残念ながら、
現実の世界は、
最悪の道筋を辿ってしまった。

この作品は、フィクションである。
だから、
実際のマンハッタン計画には存在しない科学者を主人公に、
物語が進行する。
その意味では、この作品を読んだ後、
原爆開発の詳細を忠実に記した本に目を通す必要があるだろう。

その上で、
パール・バックが、
架空の登場人物たちを通して訴えたたかったことを、
じっくり考えてみる。
すると、
人間が神の火を制御することなど、
到底不可能であるという現実を再認識させられる。

かつて、
テキサス州にある核兵器処理施設を取材した。
そこでは、ボーリングの玉ほどの大きさでしかない、
ミサイル核弾頭の処理が行われていた。
注意深くミサイルから取り外された核弾頭は、
処理後、特性の容器に収められ、
地中深くに埋められる。
そう、
それは“地中に埋められるだけ”でしかない。

また、数年前には、
全米に点在する核施設を回った。
例えばワシントン州ハンフォード。
長崎原爆に使用されたプルトニウムが製造されたプラントは、
赤土の荒野に現存していおり、
付近一帯(…といっても広大)は、
今でも、放射性物質で汚染されたままである。

戦時下の狂気が生み出した“神の火”は、
今尚、人類を脅かせ続ける。

核兵器を持つ国がある。
その保有を公には隠している国もある。
さらには、これから核兵器を持とうしている国もある。
“愚か”としか言いようがない。
パール・バックの作品を読むと、
改めて、その愚かさに激怒するに違いない。


(飯村和彦)


newyork01double at 12:44|PermalinkComments(8)

2007年02月09日

暖冬で、梅が満開!



やはり、異常だ。
先週末、茨城・筑波山では、
梅が見事に咲いていた。


0d69b414.jpg


さて、
昨日、番組構成原稿、脱稿。
こちらも、めでたしめでたし…。

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(飯村和彦)


newyork01double at 10:36|PermalinkComments(0)

2007年02月02日

人権侵害は、許されない!



4bebf357.jpg


番組構成原稿、執筆中。
取り急ぎ…


「追記」

あまりにも、
“急ぎ”過ぎていたので、
上記原稿について少々…。

今、取り組んでいるのは、
中国、及び北朝鮮の
「人権」についてです。

当たり前のことを、
当たり前に言えず、
正当な意見や、
ごくごく人間的な主張が、
受け入れられない。

もし自分が、
そのような状況に追い込まれたら、
どうでしょう。
想像したくもありませんね。

では…。


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(飯村和彦)


newyork01double at 09:27|PermalinkComments(2)

2006年12月28日

日本海マグロの叫び!宇宙船地球号(1/7/2007放送予定)



来年1月7日(日)放送予定、
「素敵な宇宙船地球号」 
(テレビ朝日系列・午後11時30分〜)は、
牾い離瀬ぅ筌皀鵐鼻函弔噺討个譴襯ロマグロの話。


竿とリール


体を張って、
200キロ級のクロマグロを竿で釣る、
一本釣り漁師たち姿。
彼らのマグロ一本釣りに賭ける思い、
「美学」とは?


漁師とマグロ


そして、
日本近海を産卵場にしている、
太平洋クロマグロの生態を解明。
どうして日本海に、
クロマグロが数多く回遊するようになったのか?
その主な理由も紹介していきます。

現在、
世界のマグロ資源は、枯渇の危機に瀕しています。
オーストラリアのミナミマグロや大西洋クロマグロは、
漁獲枠が大幅に削減されることが決定しました。


マグロ顔


今回の取材では、
「まき網漁」による大量漁獲が原因で、
太平洋クロマグロも、
資源枯渇の危機に追い込まれている現状も
詳しく報告します。


朝の港


ロケに赴いた場所は以下の通り。

沖縄県・石垣島
長崎県・壱岐
山口県・見島
鳥取県・境港
静岡県・清水
東京都・築地
青森県・大間
北海道・天売島。

それぞれの場所で、
多くの方々にお世話になりました。


見島港空撮


世界の海でとれるマグロの、
約4分の1を食べつくしている日本。

これから、
一体、どうしたらいいのか…
ほんの少しだけ、
そのヒントが見つかるかもしれません。

来年1月7日(日)、午後11時30分。
「素敵な宇宙船地球号」 
…を是非! ご覧あれ。


(飯村和彦)

newyork01double at 15:28|PermalinkComments(8)

2006年10月29日

竹は地球を救う!



今、
石油製プラスチックや
グラスファイバーに変わる原料として、
「竹」が注目されている。


2b029409.jpg


猫のミルキーと
編集中…。



[追記:竹の可能性について]

竹は、非常に大きな可能性をもった、
再生可能、つまり、
いくらでも再生産できる、
天然資源ですね。

すでに、石油由来プラスチックや
グラスファイバーの代わりに、
利用され始めています。

軽くて硬く、
「草と木」両方の性質もった竹は、
有効利用できれば、
枯渇の心配のある他の天然資源、
(森林やトウモロコシ、ケナフ等々)
より、断然有望のうようです。

京都にある同志社大学には、
「竹の高度利用研究センター」があり、
多角的に竹を研究しています。
“竹は地球を救う!”
は、その研究センターのポリシーです。

竹繊維からつくった「強化プラスチック」は、
車の内装材、携帯端末のボディ、
食器などなどに使えます。
また、竹繊維そのものは断熱材にもなり、
竹繊維をグラスファイバーの代わりに使った、
ボート(公園にあるいようなボート)
まで完成しています。
同志社大学には、全ての試作品があり、
製品化されたものあります。

来年夏からパナソニックが量産化する、
「竹繊維振動板をつかったスピーカー」
(…針葉樹を使ったものより、断然いい音です!)
も、同志社大学の技術から生まれたものです。

1年で成育してしまう竹は、
日本のみならず、
世界中に豊富に存在します。
しかも、そのほとんどが、
有効利用されていないのが現状です。
日本などでは「放置竹林」が、
大問題になっているほどですから、
この竹を上手く利用できれば、
最高でしょう。

(飯村和彦)


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2006年07月27日

米原万里さんの凄さ



今年5月末、
ガンで亡くなった米原さんのエッセイ集。
数ある作品の中から、
20世紀から21世紀に変わるときに書かれたもの。

改めて、
彼女の時代を見つめる目の確かさに感服した。

米原さんの一番いいところは、
思ったことをはっきりと明解に述べる点。
ウジウジしたところがまったくない。
さらに、
その意見・発言の根拠も、
論理的に、きっちりと提示する。


米原万里


テレビ番組にもコメンテーターとして出演していたが、
彼女と「それ以外の多くの方々」では、
コメントの質がまったく違っていた。
「自分の発言には、最後まで責任を持つ」
それが米原さんの強さであり、魅力の秘訣だったように思う。

彼女が鎌倉に引っ越す前、
都内にあったご自宅に、
一度、お邪魔したことがあった。

ある番組で、
「ネットオークションの表裏」について扱うことになり、
テレビ取材に応じてくれる人を、
ネットを通して「公募」したときのことだった。

公募開始から4、5日目、
確か…「mari」のハンドルネームで、
「取材を受けてもかまいません」というメールが入ってきた。
で、「mariさん」に電話を入れてみると、
「mariさん」は、「米原万里です」と応えたのだ。

彼女らしいといえばそれまでだが、
そんなことを、ごく自然にやってのける米原さんには驚いた。

企画の性格上、
いくら高名な方でも、番組での扱いは、
当然、他の方々(…一般の方々で取材に応じてくれた人たち)と同じ。
米原さんは、“ネットオークション利用者の一人”として、
テレビカメラの前で、ご自身の意見を述べたのだった。

そのとき彼女は、
あるオークションサイトで、
ご自宅を「賃貸」に出していた。
「ネットでも顧客との信頼関係は築ける。
そうなると手数料を取るだけの不動産斡旋業者はいらない。
不動産業界でも“中抜き”ができる!」
それが米原さんの意見だった。

取材終了後は、
彼女と駅前商店街をぶらついた。
豆腐屋の大将や、焼き鳥屋のオヤジさん、
八百屋のお女将さん…等々とにこやかに言葉を交わしながら、
街を闊歩していた米原さん。

それが米原さんとの最後の思い出になった。
自分がガンであることを公表し、
その闘病生活についても自分の言葉で書き綴った彼女。
本当に素敵な女性だった。
改めて、米原さんの冥福を祈りたい。


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(飯村和彦)


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2006年03月03日

トロ用「まぐろ」の不正捕獲



なんだ、だから煮え切らない態度だったのか。
きょうは、日本のマグロ漁関係者が、
重大な「隠し事」をしいていた話。

おととい(3月1日)、
水産庁は、高級魚の「ミナミマグロ」(インドマグロ)を、
日本船が、
国際的に定められた漁獲枠を、
大幅に超えて捕獲していたことを明らかにした。

トロ身の多いミナミマグロは、
日本人に大人気のマグロである。

本来なら、日本のミナミマグロの漁獲枠は6065トン。
それを、1500トンも! オーバーしていた。


まぐろを手で捕獲3
(豪・ポートリンカーン、撮影:Hori-shin)


去年、
オーストラリアで、「ミナミマグロの蓄養」を取材し、
その関連で、東京・築地へも行ったのだが、
その際、「何故か」、
業界関係者が、「あーでもない、こーでもない」といっては、
取材に非協力的だった理由がこれだったのだ。

「もしかすると、自分たちの“不正”が暴かれるのでは…」
との危惧があったのだろう。

私たちの放送趣旨は、
…世界中でマグロ資源が枯渇し始めている。
…その対策としては、今後、どんな手法(漁業)が必要なか。
を提示することだったのだが、
「不正」を働いていた日本の関係者にとっては、
ひやひやものだったに違いない。

水産庁によると、
今後の新ルールでは、
「捕獲したミナミマグロにタグを付けて、
水揚げした数を明示することを義務化」
することになった。

当然の話。
オーストラリアの業者は、
捕獲したマグロを網に移す際に、
水中カメラで「ビデオ撮影」までして、
一尾一尾、数えていた。

参考までに、
今回の日本によるミナミマグロの過剰漁獲を指摘したのは、
オーストラリアだった。

「ウソ」を付かなくていいところは、堂々としている。
オーストラリア取材において、
地元マグロ業者が、
「一切の制限なし」に取材に応じてくれたのも頷ける。


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(飯村和彦)


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2006年02月10日

再び、マグロを求めて!




去年は、オーストラリアで、
「マグロの蓄養」を取材した。
10月に放送した素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日系列)
…見て頂いた方も多いはず。

で、今年も、
引き続き「マグロ」を取材している。

殺伐とした事件が多い昨今、
この手の取材をしている時は、
仕事をしながらリフレッシュできるのがいい。


南紀白浜


南紀白浜。
ロケを行うにあたっての事前調査だった。
しかし、曇天である。


マグロくん


上の写真は、養殖されたものだが実物大のマグロ。
体調3メートル弱。

この大きさのマグロを、
春から夏にかけて、各地の海で撮影する。


波


マグロと聞いて、
「そうだね、トロが旨いね」
という話ではなく、
「そうだね、かなり繊細な魚で、
生態も分からないことが多いらしい。実はさ…」
との会話が弾むような番組になるはず。

rankingご協力を…、お願いします!

(飯村和彦)


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2005年12月24日

死と闘う子供たち:世界風景…[ルーマニア]




虚空を見つめて…

虚空を見る





ルーマニアの子供たち。
彼らは、エイズと闘っている。
過去15年以上、
そんな子供たちの「生死」を、
数年毎に、見つめてきた。

冷戦下、
チャウチェスク独裁政権の政策…

「産めよ、増やせよ、それが国力だ!」

しかし、結果は
…貧困。
劣悪な生活環境。

栄養失調の子供には、「売血」が輸血された。
けれども、使われた注射針。
消毒なんてされていなかった。
そして、
幼い子供たちは、
エイズに感染していったのだ。

その数は3000人を超えた。






最期の闘い

最期の闘い





少女だ…
命の炎を最後まで…。
けれども。






永遠の眠り

永遠の眠り






丘の上には墓がある。
ここで、
幼い子供たちが、
静かに眠っている。






笑顔!

笑顔だ!






15年ほど前、
一人の日本人医師が、
エイズウィルスに感染、「完全発症」した子供たちを、
「生薬」で治療し始めた。

誰もが、
疑心暗鬼…。
けれども、
信じられないことが起こり始めた。

死んでいく子供たちが、
劇的に、減ったのだ。






元気に…

元気に!

(写真は全て、一緒に現地に赴いた、近藤篤氏によるものです)
「ザ・スクープ」 1996年11月30日 / 1999年9月11日放送 
番組バックナンバーを参考にして下さい






エイズウィルスに感染・発症していても、
「元気に!」
日々を送っている子供たち。

「メリークリスマス!」
…みんな、今、何をしていますか?

(飯村和彦)








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2005年10月31日

東京story:原爆の子「サダコ」ちゃんの甥



昨晩は、素晴らしいコンサートを見てきました。
「事前にブログに記しておくべきだった」
と思ったのは会場に入った時、ごめんなさい。

広島平和記念公園にある、
「原爆の子の像」はみんな知っていると思います。
モデルは佐々木禎子(さだこ)ちゃん。享年12。
被爆10年後に白血病で亡くなった少女であり、
「折鶴」
の物語でも有名です。



サダコ像



けれども、
その禎子ちゃんの甥(おい)が、
ロックグループのボーカルを担当し、
無念だった禎子ちゃんの思いや「平和」について、
熱く歌っていることはご存知ないと思います。

バンドの名前は「GOD BREATH」
彼の名前は佐々木祐滋(ゆうじ)。
60年前、
禎子ちゃんと共に被爆した兄、佐々木雅弘さんの息子さんです。

私が彼と知り合ったのは、今年5月。
8月7日に「終戦60年特別番組」として放送した、

 「ザ・スクープスペシャル」
〜検証・核兵器の真実・それは人体実験だった〜!〜

…での取材を通してでした。
佐々木祐滋、まっすぐな性格のいい男です。

代表曲は「INORI」
闘病中の禎子ちゃんの思いを歌にした、
バラード風の楽曲で、
8月の放送の際には、ロックバージョンではなく、
ギター一本で歌ってもらい、
番組エンディングで紹介しました。
素晴らしい曲です。

しかし、残念ながらまだマイナー。
活動が地道な分、メジャーへの道は険しいようです。
このブログを読んで下さっている皆さん、
騙されたと思って、一度「INORI」を聴いて下さい。
きっと、何かが見えてくるはずです。

「GOD BREATH」
のホームページを参考にしてください。

尚、今回の記事は多くの人にTBさせていただきました。
コメントを送れなかった方々、申し訳ございません。
宜しくお願いします。

(飯村和彦)





newyork01double at 11:26|PermalinkComments(11)

2005年10月26日

東京story:「放送迫る!豪州のマグロ」



クリフ3



突然ですが、今度の日曜日。
私の担当した番組が放送されますので、
興味のある方、
といっても日本国内在住の方となってしまうのですが…、
見ていただければ嬉しいです。

10月30日(日)
夜11時からの、
素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日系列)
という番組です。

内容は「マグロ

オーストラリア南岸にある、
ポートリンカーンという港町を中心に、
この夏から秋にかけて取材したものです。



マリーナ空撮3



現在、
世界でとれる刺身・寿司用マグロの、
90%以上が、日本人の胃袋に消えていきます。
特に、ここ数年のトロブームが、
マグロ消費に拍車をかけています。
となれば、当然気になるのが水産資源としてのマグロ。
実は、
このマグロ(クロマグロとミナミマグロ)が、
今、枯渇の危機に瀕しているのです。
勿論、ご存知の方も多いでしょう。

つまり、
マグロにとって日本人は、「天敵」なのですね。



蓄養ネット3
{写真:hori-shin}



今度の番組では、
「マグロを手で捕まえる街」、
ポートリンカーンの現状を見ながら、
多くの日本人が大好きな「マグロ」の将来を、
なんというか、思索(?)…できるはずです。

日曜日の夜11時という時間ですが、
翌朝、問題のない方は是非!

(飯村和彦)



まぐろを手で捕獲3
{写真:hori-sin}





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