取材ノートより

2017年02月06日

トランプ的な行為・行動を、「トランプる(Trumple)」と呼ぶことに!



明らかなウソを平気でまくし立て正当化する
意見や考え、主義主張の異なる人と建設的な議論ができない
相手の気持ちを踏みにじる
気に入らない相手には激しく個人攻撃をする

そんなトランプ的な行為全般について使える言葉を思いついた。
日本では、ある人物名の最後に「る」をつけて、
その人物的な行為を表す俗語として使ったりするけど、
この「トランプる」がいいと思ったのは、
「トランプる」を英語で「trumple」とした際の語感と、
その語感から思い浮かべる意味だ。

「trumple(トランプる)」そのものは僕の造語だけれど、
実は英語に「trample」という単語がある。
うちのアメリカ人の奥さんによると、
「trample」は「〈〜を〉どしどし踏みつぶす。〈〜を〉踏みつける。
〈人の感情などを〉踏みにじる」
という意味だから、
造語の「trumple(トランプる)」の意味に似ていて語感もいいとのこと。
「tr」のあとの「u」と「a」が違うだけだから、発音も近いわけだ。
このところ機会があれば積極的に使用している。

そんなトランプがアメリカ大統領に就任して2週間が過ぎた。
イスラム圏7か国出身者を入国禁止にした大統領令はじめ、
この間にあったことは日本でも盛んに報じられているようなので、
ここで細かく紹介するまでもないはず。

「就任式に集まった観衆が過去最高だった」(明らかなウソ)と強弁したり、
大統領選挙では「300万人の不法移民が不正投票した」
と何の根拠もなくいい張って調査を命じたり。
得票数でヒラリーに300万票近くの差をつけられて負けた事実が相当悔しいらしい。
支持率も40%ちょっとで、政権発足直後でありながら驚くほど低い。
いまさらながらこれでよく大統領になれたなと思ってしまう。
また、オーストラリアの首相との電話会談の際、
切れて電話を叩ききった事実などは、彼の本性がそのままでた感じだ。

大統領選挙のときから現在にいたるまで、
やはり一番気になるのがトランプの「ウソ」だ。
枚挙に暇がないとはまさに彼のウソのことで、
明らかなウソでも権力をかさに事実だと大声でがなりたてる。
当然ながら彼はウソを認めたりはせず、
逆にウソを指摘した方を「ウソつき」だと一方的に罵倒、
恫喝まがいの発言さえいとわない。
絶対子どもにはまねさせたくない態度だけど、
それを絶対的な権力を持つ大統領やその側近がしているんだから、
常識的に考えれば、いまのアメリカ政治(トランプ政治)は、
既に破綻しているといってもいいのかもしれない。

分かりやすい例が、ご存知トランプのメディア対応だ。
お仲間メディア(FOXニュースなど)には愛想よく、
自分に批判的だったり、都合の悪い事実を伝えるメディアにたいしては、
「インチキだ」「フェイクニュース(偽ニュース)だ」
とまくし立てて聞く耳を持たない。
CNNやニューヨークタイムス、
ワシントンポストなんかに対する敵愾心は尋常じゃない。





NYT本社
(photo:kazuhiko iimura)



そんなトランプに嫌われているニューヨークタイムスが先月、
「偽ニュース」をでっちあげたある人物に関する記事を載せた。

大統領選挙が終盤に差しかかった頃、
【オハイオ州で投票箱に入った大量の不正ヒラリー票が発見された】
というウソの記事を書いた男性についてだ。
この捏造記事は、当時またたくまに広がり、
トランプ本人も鬼の首でもとったように、
無思慮にその「偽ニュース」をツイートしてばんばん拡散させた。
“その後の顛末”まで仔細にフォローしていない人の中には、
今でもこの「偽ニュース」を本当にあったことだと信じている人が多いかもしれない。
「偽ニュース」をでっち上げて広げた動機についてその男性は、
ニューヨークタイムスの取材に「金のためにやった」と答えている。
そんな行為がいい金になるのがネット社会の負の側面なのだ。

さらにある時点でそれが偽ニュース、ウソ情報だと分かったとしても、
そこに書かれている内容が自分に都合よかったり、
自身の考えに近いものであったりすると、
「いいね」を押したり「シェア」したりする人も少なくないだろうし、
もしかすると、「そんなこともあるかもしれない」、「きっと本当なんだ」
と勝手に思い込むようになるのかもしれない。
特に自分の支持する権力者のものいいに迎合するような人たちは、
その傾向が強いんじゃないか?

その上にネットの世界では偽ニュースやウソ情報が、
削除や訂正されずにのそのまま残ってしまうことが多々ある。
試しに関心のあるテーマでそれなりに事実関係をつかんでいる事柄について、
幾つかキーワードを打ち込んで検索してみよう。
結構な数の事実誤認、ウソ情報、根拠のない噂話がでてくるはずだ。
でもそれがウソやインチキだと分かるのは、あなたがそのテーマに関して詳しいから。
そうでない人や物事の真偽についてあまり検討を加えたりしない人は、
そこに書かれている内容がウソか本当なのか、なかなか判断できないに違いない。

「偽ニュース」や「ウソ情報」は昔からあったものだけれど、
いま僕たちが直面しているそれはかなり厄介な代物なのだ。

トランプ政権を例にとれば、そんな偽ニュースやウソ情報を
トランプ本人はじめ、報道官ほか政府高官までがずる賢く悪用している訳だから驚く。

例えばトランプの顧問で、就任式に来た観衆の数について、
「もう一つの事実」という訳のわからない発言をして、
物議をかもしたケリーアン・コンウェー氏。
今度は米ケーブルテレビ局(MSNBC)の番組で、
実在しない「イラク人過激派による虐殺事件」について語り、また問題になった。
ご丁寧にも今回は、
「これまで報道されていないから多くの人は今まで知らなかったはず」
とまで言ってのけた。
問題を指摘されるた彼女は後にツイッターで釈明したが、
そんな彼女のツイッターをいったいどれだけの人が見るというのか。

影響の大きいメディアで自分たちに都合のいいウソの情報を流して、
間違いを指摘されたら個人のツイッターでしらっと訂正する。
けれども流された情報の絶対量は断然ウソ情報の方が勝り、
結果少なくない人がウソ情報を事実として受け止め続ける可能性が高くなる。

そもそもが「もう一つの事実」ってなんだ?
ふざけた話だけど、こうして一つの表現としてあちこちで見かけるようになると、
そんな訳の分からないものいいまでいったん立ち止まって考える必要がでてくる。
まったくもって嫌な現状だ。





反対集会アマースト大学
(トランプ大統領令反対集会 アマースト大学/ photo:kazuhiko iimura)





極めつけはトランプお得意の個人攻撃だ。
イスラム圏7か国出身者の入国を禁止した大統領令について、
その一時差し止めを命じたジェームズ・ロバート連邦地裁判事を攻撃。
「この、いわゆる判事の意見は本質的にわが国から法執行というものを奪うもので、
ばかげており、覆されるだろう!」
とツイッターに投稿したのだ。
法の精神(司法の独立)を疎んじているとしか思えないトランプに、
法執行云々を語る資格があるのか?

さらに6日には、「なにか起きたら判事のせいだ」とまでいい放った。
とても大統領の言葉とは思えない。
判事に対する個人攻撃は前代未聞で現職大統領としてはほとんど前例のないことらしい。
トランプは、大統領選挙期間中にも「トランプ大学」詐欺疑惑をめぐり、
訴訟を担当していた判事を「メキシコ人」と呼んで人種差別だと批判されたけど、
大統領に就任してもそのままな訳だ。

そんなアメリカ大統領トランプと日本の安倍首相の首脳会談が開かれる。
いったいどんな展開になるのだろう。
ニコニコ笑っていても、意に反することが持ち上がれば、
あっという間に豹変して激高するトランプ。
そんなトランプ個人やトランプ政権を見るいまの世界の眼は極めて厳しい。
にもかかわらず、きちんと言うべきことを言わないまま、
巷間伝わっているようにエアフォースワンに同乗してフロリダまで赴き、
一緒にゴルフまでしてしまうのか?

そんなお気楽な映像が世界中に発信されると思うと恥ずかしいし、
アメリカ人の多くはきっと“いったいどんな神経をしているんだろう”
と白い目で見るに違いない。
それよりなにより、
「トランプ大統領と安倍首相は同類だ」
とテロを企む連中は確信するだろう。

これからアメリカという国はどうなってしまうのか。
分断社会、モラル低下、もろもろの差別…。
ウソを言っても大声でまくし立てれば、
何でも通ってしまうような社会になってしまうのか?
(それが「強いアメリカ」なのか?)
うちの奥さんは、大統領選挙の結果を知ったあと体調を崩した。
ショックというよりも、
これからアメリカで生活していくことが「とっても怖い」からだと。
不安ではなく「恐怖」なのですね。
たぶん、トランプ的なものの考え方に対して嫌悪感を抱いている人の多くは、
うちの奥さんと似たような精神状態だと思う。

50年以上アメリカ人をやってきて、
この地にずっと住んでいる人間がひりひりと肌で感じる怖さ。
これから先何年か(そんなに?)その怖さを感じながらこの地で生活していくこと。
それは日本人の僕なんかには到底感じられない皮膚感覚で、
長いことアメリカに住んでいても、
決して分からない類のものなんだろうなあ…と思う。

こうしてトランプについてつらつら書いているとかなり重たい気分になる。
だからという訳じゃないけれど、
最後にかなり笑える「フェイク新聞」を紹介しよう。
約30年前、初めてニューヨークに住み始めた頃、
その並外れた馬鹿馬鹿しさがおかしくて購入していた、
「National Enquirer」なる新聞(?)だ。




タブロイド
(photo:kazuhiko iimura)



記事の内容はといえば、「その子は、お父さんにそっくりだった!」
として紹介されている「人面馬(?)」の記事だったり、
墜落したUFOから「宇宙人の赤ちゃんが“生きたまま”発見された」というもの。
さらには、407ポンド、つまり約185キログラムもある、
「世界一大きな赤ん坊」の話まで。
ともかく、
いったいどこからそんなアイディアが沸いてくるんだろうという代物ばかりだ。

この新聞(?)が、いま世界中で問題になっている「偽ニュース」とは、
まったく質の異なるものであることは明らかだけれど、
これがスーパーマーケットのレジ横なんかで堂々と販売されているんだから
少なからず驚いたもの。

でも、いまある「虚構」をウリにした「虚構ニュース」などと違って、
この「National Enquirer」は、
“内容は虚構です”とも“ジョークです”とも表明していないから、
なかには「偽ニュース」とは思わないで記事内容を信じる人もいるのか?
30年前は“ほぼ”そんなことはないだろうと考えていたけれど、
今だと、もしかするとこんな新聞(?)でさえ、
情報ソースとして利用している人がいるかも知れないと思えてしまうから怖い。
それだけ世の中がウソと偽ニュースに汚染されてしまっているということなのか?

(飯村和彦)




newyork01double at 14:03|PermalinkComments(0)

2016年12月11日

報道における「匿名性」の問題



薬物疑惑が報じられていた俳優の成宮寛貴さんが9日、
芸能界引退を電撃発表した。

「心から信頼していた友人に裏切られ
複数の人達が仕掛けた罠(わな)に落ちてしまいました」
としたうえで、
「自分にはもう耐えられそうにありません」
成宮さんはそう自ら文書に綴っていた。

ことの発端は、今月2日の「FRIDAY」の記事。
成宮さんのコカイン使用現場とする写真を掲載し、
その写真を提供したのは成宮さんの友人男性だと伝えた。
記事内容の根幹すべてをこの「友人男性」の話や提出素材に頼ったものだ。
“薬物疑惑”の事実関係について、
実名で報じられているのは、成宮さんだけであり、
成宮さんへ直撃取材のときの彼のコメントのみが、
匿名ではない人物の肉声だった。

事実がどうなのか、当然ながら不明。
それもそのはずで、
「友人男性」の証言などにもとづいた、
「FRIDAY」のいうところの“疑惑”でしかないのだから。
けれども現実をみると、
その“疑惑”と題した記事により、一人の役者の人生が一転してしまったのだ。

「事実無根」と成宮さんは訴えていた。
その彼の言葉を信じるのか、
「FRIDAY」のいうところの“疑惑”を信じるのか…




スタジオ
(photo:kazuhiko iimura)




今回の成宮さんの件とは直接関係ないけれど、
ここ数年、ずっと気になっているのが、
報道における「匿名性」の問題。
少し前に書いたものだけれど、加筆して改めてアップしました。

象徴的な例は、数年前長野県で発生した、
小学5年生の少年が諏訪湖で遺体となって発見された事件。
この事件では、
行方不明になった少年の足取りが、
若い女性の「ウソ」の目撃証言によって大きく歪められた。

「ずぶ濡れの少年を自宅に招きいれ、
カップヌードルを食べさせた」

「自宅まで送って行こうとしたら、
白いワゴン車にのった若いカップルが、
“僕たちが送るから”といったので、そうしてもらった」

この目撃証言は極めて重要な意味をもった。
少年の足取りのヒントであり、
なにより彼の「生存」の証明であったから。
ところがその目撃証言がウソ、
若い女性による狂言であることが後に分かる。

動機は面白半分。
報道各社のインタビューに彼女は「顔なし・匿名」で答えていた。
ウソの目撃情報にもとづいた捜索が行われれば行われるほど、
事実から遠のいてしまったという現実は重い。

もちろん、
各報道機関にも問題がある。
ここ数年、
事件が発生するたびに目にするのは「匿名報道」の洪水。

「顔も名前も出しませんから取材に応じてもらえませんか?」

溢れかえる匿名報道を見るにつけ、
現場で取材に当っている記者や番組担当者たちのそんな姿が目に浮かぶ。
「匿名報道」は、
プライバシー保護など取材対象者のやむにやまれぬ理由により、
どうしても実名報道ができない場合に限って許されるもの。

しかしそれとて、
事実関係をきちんと掴んだ上で、
当事者(取材対象者)への実名報道の必要性を説いた後に、
「それでも実名では困る…」
となった場合にだけ許される手法のはずだった。

そのプロセスをきっちり踏むことによって、
取材対象者も証言の重要性を認識し、
さらには、証言につきものの「責任」についても考えられる。
同時に、このプロセスを通して取材者側は、
取材対象者が本当のことを証言しているのかどうかを
少なからず見極めることができるのだ。

「顔も名前も出しませんから…」

この言葉を取材する側が、
安易に発しているように思えてならない。
報道現場における取材する側、取材される側の「責任」。
その所在がいま、
大いに揺らいでいる気がしてならない。

(飯村和彦)





newyork01double at 15:57|PermalinkComments(0)

2016年11月09日

トランプの勝ち!アメリカはどうなってしまうのだろう



トランプ勝利にはもの凄く驚かされた。
さらには選挙の4日前、各種データの分析をもとに「神風でも吹かないかぎり、第45代アメリカ大統領はヒラリーだ!」という文章を、ある種の確信をもって一歩踏み込んだ形で書いていた自分としてはショックですらあった。
「どうしてこんなことが起こるのだ?」と…。
けれども結果がでてしまったからにはその事実をきちんと受け止めるしかない。
潔く、自分の分析やらものの見方の甘さを認めます。



2S
(写真:BBCより)



じゃ、どうしてトランプ勝利なんてことになってしまったのか?
アメリカの新聞・テレビ等の各メディア(たぶん日本のメディアも…)は、今回の結果を受けて「選挙の最終盤にFBIが発表したヒラリーのメール問題」を一因にあげている。
きっとそれも影響したのだろう。でもそれにしたところで数あるファクターのうちの一つでしかなく、それがヒラリー敗因の決定打になったとも思えない。
先の文章にも書いたように、アメリカのメディア(特にテレビメディア)がトランプ勝利に果たした役割(トランプは見事にテレビ報道を利用した)は少なくないと思うけれど、それ自体は選挙戦が始まったときからずっと続いていた訳だから、これ自体が最後の逆転に大きな影響を与えたともいえないだろう。

トランプが勝った、というかトランプを勝たしたのは、
やはりトランプが作り上げた世界(現実的な言葉でいえば彼のいうところの「政策」やら「政治姿勢」やら「理念」なんかになるのだろうけど)、そのトランプ・ワールドに入った人たちの団結力が想像以上に強かったということなのだと思う(これについては前回の文章でも触れたけれど)。
彼らは間違いなく8日の投票日にきちんと投票にいっているだろう。

その意味では、ヒラリー支持派(多くはトランプ嫌悪派)は、最後にきて隙ができたのかもしれない。
数えられないほどのトランプの醜聞により、ヒラリーはそれなりのリードを保っているように見えたし、
実際それを肌で感じていたはずだから。
だた、映画監督のマイケル・ムーアは、そのことをだいぶ前から懸念して以下のように熱心に語っていた。
「トランプを大統領にしたくなければ、あなた自身が自分の住む地域の選挙対策本部長になったつもりで、自分はもとより知り合いを引き連れて確実に投票にいきなない。でないと本番で必ず負ける」
はからずもマイケル・ムーアのいっていた通りになってしまった訳だ。

これからアメリカっていう国はどうなってしまうのだろう。
随分前にも書いたけれど、選挙戦の間にトランプが叫んでいた、彼のいうところの「選挙公約(らしきもの)」がすぐにそのまま現実のものになるとは考えにくいけれど、今回の大統領選を通してアメリカ社会に広がった「分断」は相当厄介だ。
さらにはモラルの低下、人種や民族や性別の違いによる差別、溢れる銃…考えただけでぞっとする。
平気でウソを言っても、大声でまくし立てれば何でも通ってしまうような社会(それが「強いアメリカ」?)になってしまうのでは…と心配になる。

いま、アメリカ国内からカナダに移住を希望する人が急増しているらしい。

(飯村和彦)




newyork01double at 22:55|PermalinkComments(0)

2016年11月04日

神風でも吹かない限り、第45代アメリカ大統領はヒラリーだ!



さてアメリカ大統領選挙のことだ。
投票日を8日に控え、各メディアの報道もラストスパートといったところのようだが、そんな報道のあれこれに接するたびにげんなりする。これまでの選挙戦をずっと眺め、きちんと取材して地域や人種等の違いによる投票傾向などを見てきた人間であれば、もう結果は分かっているだろう。
ここにきて“ヒラリーとトランプの差が数ポイントに縮まった”というような世論調査の結果がでているけれど、文字通りそれだけのこと。あくまで“縮まった”にしか過ぎない。



ヒラリーキャンペーン1
(ヒラリー、選挙キャンペーンメールより)



ヒラリー勝利予測の理由はいたってシンプルだ。

勝敗を決める幾つかの重要な州でトランプの勝ちが見込めないから。
ご存知のようにアメリカ大統領選は、州ごとの勝敗によって得られる選挙人の数で勝ち負けが決まる(総得票数ではない)。もともと民主党の強い州、共和党の強い州というのがあり、極端な話これらの州では誰が大統領候補だったとしても結果は動かないので、重要なのは“結果が流動的な州”。それが今回の大統領選挙では15州程あり、激戦州と呼ばれているわけだ。
トランプが大統領になるためにはこの激戦州といわれている15程の州で少なくとも7つか8 つ以上は勝つ必要がある。ところが実際は、各メディアによって予測に若干の違いはあるももの、よくて4つか5つでしかない。

ニューヨーク・タイムスのデータ予測を例にあげれば、トランプが優勢なのはアリゾナ、オハイオ、アイオワ、ジョージア、ミズーリの5つの州だけだ。残りの10州は全てヒラリーが優勢となっている。なかでも勝った場合の獲得選挙人の数が多い、フロリダやペンシルバニア、ミシガン等でヒラリーが優位を保っているから、それこそ神風でも吹かない限りトランプが勝つ見込みはないだろう。

つまり、このところの世論調査の数字が例え数ポイント差であったとしても、間違いなく第45代・アメリカ大統領はヒラリーである。
米国史上初の女性大統領が誕生する可能性が断然高いのだ。

にもかかわらず、各種データやその傾向を仔細に検討していない方々や薄々わかってはいても“大統領選ネタで引っ張ろう”という思惑のある一部メディアは、「ヒラリーの支持率が下がってトランプと3ポイント差になったゾ!」とか、「これは最後までわかりません」であるとか、ここぞとばかりに煽るような伝え方をする。
挙句にはこの期に及んでも、「もしトランプが大統領になったら…」というような「もし○○だったら□□」形式の特集なんかを流したり。極端な話し、内容のほとんどを可能性の大きくない「もし○○だったら□□」の「□□」の部分に費やしたりする。
今回の大統領選挙でいえば、実情がどうあれメディア的(とくにテレビメディア的)にはトランプ話をした方が視聴率もいいのだろう。
本来であればより現実性の高い事象について時間をかけて検討すべきなのに“視聴者受けしそうな事象”を厚く扱う。これってとっても無責任な報道姿勢であり、これほど視聴者を馬鹿にした話はない。
派手な音楽をつけて赤や青のテロップが画面に踊る…見ていて情けなくなるでしょう?

さらには驚くことに、「トランプリスク」とかいうらしいのだが、トランプが「もし」大統領になったら世界経済が混乱するからということで株価や為替レートまで変調をきたしている。「おいおいちょっと落ちつこうよ」とは誰もいわないようだ。
「混乱=儲けどき」…と考えている方々も少なからずいるのだろう。



ヒラリーキャンペーン2
(ヒラリー、選挙キャンペーンメールより)



当初は泡沫候補だとしか思われていなかったトランプが共和党の大統領候補になり、(九分九厘負けるにしても)最後まで選挙戦を続けてこられた背景ってなんだったのか。
たぶんその答え、もしくは答えに近いものを求めてトランプのTシャツを着て集会に集うような「トランプ支持者」に話を聞いてもあまり意味はないだろう。耳を傾けるべきなのは、ずっと民主党を支持してきたが今回は仕方なく(トランプは嫌いだけれど)共和党の大統領候補に票を入れる人たちの考えだ。

例えばペンシルバニア州あたりにある鉄鋼関連の小規模企業の経営者や従業員。
産業構造の変化に取り残された彼らの中には、長いあいだ民主党を支持してきたがその間まったく自分たちの生活はよくならなかった、「もう我慢の限界だ」として“熟慮の末”、今回の大統領選挙では民主党に見切りをつけた人も少なくない。
本体なら鉄ではなく、時代が求める新規素材の扱いに取り組むべきところを、それを実行に移すだけの技術やその下地になるはずの教育を受ける機会も少なかった。当然ながら新規事業に転換する体力、つまり資金もないから、これまで通り細々と鉄鋼で生きていくしかない。いわば八方ふさがりの状態に陥ってしまった人たちである。

多くの人が指摘するように、今回の大統領選挙では、いわゆる「トランプ支持者」(信奉者ともいえる人たち)と“普通の”共和党支持者をきちんと分けて考えるべきなのだろう。
誤解を恐れずにいえば、トランプTシャツを着て声高にあれこれ叫んでいるような方々は、もしかすると“普通じゃない環境‘”の中にいるのかもしれない。
彼らはトランプがつくりだしたある種の閉じた世界に誘い込まれ、そのまま出口を閉ざされた人たちじゃないのか。その世界の中では日頃のうっぷんを晴らすことができる。それなりに理屈も通っているし、悩むこともない。強いアメリカ、最高! 迷いもない。
異物は排除(“つまみ出せ!”はトランプの口癖だ)されてしまうから、その閉じた世界にいる人たちの団結力は強い。

けれどもそんな彼らを閉じた世界の外側から見ると、どこか普通じゃないのだ。
ヒラリーのように「嘆かわしい人たち(deplorables)」とはいわない。
でも、“普通の”共和党支持者や、苦渋の選択の末に民主党を見切った人たちとは明らかにタイプが違う気がする。

そもそも、自分はこうだ!という明快な結論を持っているのが凄い。
普通(といって“普通”の定義はそれぞれ違うのだろうけれど)、結論なんてなかなかでないのだ。あーでもないこーでもないと逡巡を繰り返して、悩んで困って、いったんは「これかな」と決めてもまた元に戻る。最終的に「仕方ないけどトランプに入れよう」と意を決して実際に投票したとしてしても、「でも、これでよかったのかな」と思ってしまう。
きっと最近の世論調査にでている数ポイントの揺れは、そんな人たちの判断の揺れを表しているのだろう。

最後になるけれど、今回の大統領選挙で一番残念だったのは民主党の予備選でサンダースが敗れたことだった。政治に新しい風が吹き込む絶好のチャンスだったし、76歳(予備選のときは75歳)のサンダースが若い世代から圧倒的な支持を受けたことの意味も大きかった。
サンダースが訴えた政治改革。
それはアメリカだけじゃなく日本の政治にも間違いなく大きなインパクトを与えたはずだから。

(飯村和彦)



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2016年08月11日

原爆投下から終戦までの信じがたい経緯を!21年前の夏、子どもが誕生した日に考えたこと



「今後2000万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはしない」
原爆が投下された後でさえ、陸軍はそんな強硬論を展開していた。





誕生直後
(photo:kazuhiko iimura)


1995年夏。

いよいよ、君がこの世に生まれてくる日だ。
「きたきた、痛〜い!」
四畳半の和室に母さんの引きつった声が響いたのは夜中の一時ごろ。二夜連続の熱帯夜のことだった。
陣痛のはじまりである。
照明を落としたその部屋にタンクトップ姿で寝転がっていた母さんは、せり出したお腹を手足で抱え込むようにしてもがきはじめた。
助産師からは、予定日は8月7日ですね、と聞かされていたので、君は予定より二週間も早く最終行動を起こしたことになる。

(中略)

「いよいよかも」
「そのようだね」

そう応えながらも父さんはあることに頭を悩ませていた。
当然ながら父さんは、うんうん唸っている母さんの傍にずっと付き添っていたかった。それが前々からの母さんとの約束でもあった。
ところが予想以上に早く君が行動を起こしたことで問題が発生したのだ。
折悪しくというのか運悪くというのか、父さんにはこの日の午前中、代役のきかない大切な取材が入っていたのだ。
父さんの職業を考えれば十分想定されることだったので、取材スケジュールを組むにあたっては父さんなりに注意を払っていたのだが、この日については「予定日の二週間前なら大丈夫だろう」とロケ取材を入れてしまったのだ。
高をくくった。要するに出産という自然の営みを甘く見ていたのだ。


朝7時の段階で陣痛の間隔は5分から7分。
――もう、いつ破水してもおかしくないのでは…
父さんも母さんも、そんな判断をしていた。
築18年の狭い2DKのマンションにひとり。不死鳥の刺繍の入ったシルクのバスローブに身を包んだ母さんは、その光沢のある生地越しに突きでたお腹を撫でていた。
――がんばれ、グー!
前の晩の天気予報通り、この日は三日続けての真夏日となった。

(中略)


それにしても不思議な巡りあわせだなあ、と父さんは考えた。
というのはそのころ父さんが取材していた事柄についてだった。
戦後50年特別企画、原爆が投下された日。
君が生まれようとしているときに、一瞬のうちに30万を越える人の命を奪った原爆や、その投下直後のこの国の在りようを取材するというのは、正直いって気が重かった。
失われた(否、殺された)命のなかには、きょうの母さんと同じように新しい生命を今まさに産み落とそうとしていた妊婦の命もあったはずだ。
ところがそんな妊婦の夢や希望は、胎児の未来もろともあのキノコ雲のなかに霧散してしまったのだ。
悲劇なんて言葉じゃ到底表現できない。
蛮人による冒涜そのものだ。

人類すべてを殲滅しつくせる兵器の出現。
あの日から、『人間の生』という観念そのものが変わってしまったのだ。

では、蛮人が手にした悪魔の兵器、原子爆弾について、当時の日本陸軍の幹部はどんな見方をしていたのか。
父さんは、デスクに積み上げたファイルの中から、外交資料館で接写した「終戦記」(下村海南著)の一部文言を資料用に改めて書き起こした書類を取りだした。
そこには、広島への原爆投下から3日後に開かれた臨時閣議の様子が書かれていた。


一九四五年八月九日、第一回臨時閣議。
十四時半に開会。
阿南陸相、原子爆弾について報告する。
――第七航空隊マーカス・エル・マクヒーター中尉の語る所、
――その爆力は、五百ポンドの爆弾三十六を搭載せるB29二千機に該当する。
――地下壕は丸太の程度で覆ふてあれば充分である。
――裸体は禁物で白色の抵抗力は強い。
――熱風により焼失する事はない。
――電車、汽車なども脱線する程度である。
――地上に伏しても毛布類を被っているとよい。
――本日十一時半長崎に第二の投弾があった…。
――原子弾はなほ百発あり一か月に三発できるが、永持ちは出来ない……


この文言を見て、君はどう考える?
アメリカ軍による広島への原爆投下から三日目ということを考慮しても、父さんには到底信じられない。
物事を正面から見据えることのできない、否、見据えることを意図的に拒んだ人間がいかに罪深いか、その見本のようなものだ。
陸軍側は原爆の威力を意識的に過小評価しようとしていた、と後に東郷外相が述べているがそれにしても程度というものがある。

そもそも、文中に登場してくる第七航空隊マクヒーター中尉なる人物が本当にそんなことを語ったのかさえ怪しいものだ。
おそらく、彼らの目は特別なのだ。
事実がグニャグニャに歪んで見えたとしても、吐き気を覚えるなんてことすらないのだろう。

――もし僕たちが、50年前の日本に生きていたとしたら。

そんなことを無防備に考えそうになって、父さんは慌てて資料を読むのを止めた。
「きょうは大安だっかか、それとも友引だったか」
ファイルを閉じながら、不意にそんな些細なことが気になった。


午前9時半。
父さんと取材クルー(カメラマンと音声エンジニア)は予定通りに西麻布に向かった。
終戦当時、外務大臣を務めていた東郷茂徳氏の奥さんにインタビューをするためである。さらに、東郷外相が書き残した「時代の一面」という手記の原本も見せてもらえることになっていた。

東郷邸の中庭には、こじんまりしたプールがあった。
日本(というより東京)らしい大きさで、もし(アメリカ人の)母さんが見たら、うちにもあんなジャグジーがあったらいいのに、というような感想をもらしたことだろう。
取材は予定通り午前10時から始まり、およそ3時間で終了した。
一番印象的だったのは、東郷夫人に見せてもらった外相の手記、「時代の一面」の最後の方に記されていたある文言だった。

『自分の仕事はあれでよかった。これから先、自分はどうなっても差し支えない』

信念を貫き通した人間だけがもちうる潔さというのか、常軌を逸した世界に身を置きながらも、自分の内なる倫理に忠実に生きた人間だけが達する境地というのか。ともかく、その言葉に父さんは強く心をうたれた。

日本がポツダム宣言を受諾し、終戦を迎えるまでの政府内部の状況はといえば、以下の通り。

東郷外相を中心とした和平派は、
『日本としては皇室の安泰など絶対に必要なもののみを条件として提出し、速やかにポツダム宣言を受諾、和平の成立を計るべきである』と主張。

これに対して陸軍側は、
『皇室安泰、国体護持に留保するのは当然のことで、保障占領については日本の本土は占領しない、武装解除は日本の手によってする、戦争犯罪の問題も日本側で処分する、という四つの条件を連合国側が受け容れないかぎり、戦いを遂行すべきである』との立場を崩していなかった。

それだけではない。
陸軍側は、信じられないような強行論を展開していたのだ。

『今後二千万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはしない』

繰り返すが、これらの議論は広島、長崎にアメリカ軍が原爆を投下した直後のものだ。
自分のでっちあげた嘘を事実だと信じ込んでしまうと、人間というのは知性さえも失ってしまうらしい。
戦争は人を狂気に走らせるだけじゃない。
狂気が正当化され、幻想が事実を呑み込んでしまう危険性を常に孕んでいるということだ。

最終的には、『外相案をとる』とした天皇の決断で日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えたのだけれど、

――もしあのとき天皇が『忍び難きを忍び、世界人類の幸福の為に…』決断していなかったら…
――もし二千万人もの日本人が特攻という形で[殺されて]いたら…

今の父さんたち(つまり、父さん自身や母さんの胎内にいる君)もこの世に存在していなかった可能性があるのだ。
父さんの父や母が犠牲になっていたら、当然のことながら今の父さんも存在していないのだから。
そう考えると背筋が凍る。

『自分の仕事はあれでよかった。これから先、自分はどうなっても差し支えない』

父さんは、そんな科白を口にしなくてはいけないような世界に生きたいとは思わない。
けれどもその一方で、そんな心境になれるぐらい、なにかに懸命になれたら…とは考えた。
生きていくことの意味というか、生き切る価値である。




War is worse
(photo:kazuhiko iimura)



さて、君と母さんの話に戻ろう。
西麻布での取材を終えた父さんは、そのまま母さんの待つ碑文谷のマンションに向かった。ここでいう「そのまま」というのは、取材スタッフと一緒に取材車輌であるハイヤーで、という意味である。
本来なら一度テレビ局に戻り、スタッフと取材車輌であるハイヤーをばらす(解放する)必要があるのだが、女房が大きなお腹を抱えて自宅でうんうん唸っている、という父さんの話にスタッフがピクリと反応してしまったのだ。

「それって非常事態じゃないですか。このまま現場に直行しましょうよ。私たちなら、碑文谷経由でまったく問題ないですから」

そういって目を丸くしたのは女性カメラマンの竹内さんだった。
二十七歳で独身。そんな竹内さんには、自宅で子供を生むという行為がイメージしにくく、とても危ういことのように思えたらしい。瞬く間に取材用機材をハイヤーのトランクに積み込むと、ぐずぐずしないで早く乗ってください、とばかりに父さんを後部座席に押し込んだのだ。
さらに、最近買ったばかりだといっていた携帯電話をジーンズのヒップポケットから引きだすと、「これを使って下さい」といって父さんの方へひょいと投げてくれた。
もちろん、母さんへの電話のためだった。
                                               (以上、「ヘイ ボーイ!」より抜粋)



星条旗
(photo:kazuhiko iimura)




あの日に生まれた「君」は成人して今年の夏、21歳になった。
日本と違ってアメリカでは、この「21歳の誕生日」が「成人」と定義される日。
だから正式に酒を飲めるのも21歳からだ。
そんなタイミングだったからなのか、ふと随分前に書いたままPCの中に眠っていた雑文のことを思いだした。
(実はかなり長いものなので、「抜粋」の形にしました。改めてまとめ直すのも違う気がしたので…)

もうすぐ71回目の終戦記念日。
誰もがスマホを使いこなす便利な世の中になったけれど、いままた世界には嫌が空気が漂いはじめた。
右傾化する風潮、差別、分断、テロの脅威…等々。
この先、「君」や君の世代のみんなが生きていく世界には厄介なことがテンコ盛りだ。
でも、ひるんじゃいけない。
生きていくことの意味というか、生き切る価値のある世界のはずだから。


(飯村和彦)


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2016年08月04日

目を見張る人間力!平均年齢83歳、米国人気コーラスグループ「ヤング@ハート」の歌声が受刑者の心に響く理由とは?(動画あり)



「きょうも元気にロックしてるなあ〜」
彼らのステージや練習風景を見るたびにいつもそう感じる。アメリカの人気コーラスグループ「ヤング@ハート」のことだ。総勢およそ30名。平均年齢は83歳。であるにもかかわらず、このおじいちゃん、おばあちゃんたちが披露するのはパワフルでエネルギッシュなロックンロールでありリズム&ブルース(R&B)なのだ。
先ごろそんな彼らの野外ライブコンサートが開かれた。“日頃のご愛顧に感謝を込めて!”ということで、毎年地元で行っているもの。





y@h OPEN 3
(photo:kazuhiko iimura)




夏の日の夕方、開演の1時間前には緑の芝生が人で埋まった。その数700〜1000人。会場になった広場だけでは収まりきらず、多くの人たちが駐車場や歩道にまで椅子を並べるほどだった。場所は米国マサチューセッツ州にあるフローレンスという小さな街。お年寄りや中年夫婦、子ども連れの家族やヒップホップ世代の若者まで、文字通り老若男女がヤング@ハートの歌声を楽しみ、ロックなサウンドにからだを揺らした。





動画 「Y@H 野外ライブハイライト」

(Video by Kazuhiko Iimura)




ローリングストーンズにボブ・ディラン、ジェームス・ブラウンにビリー・ジョエル、ビートルズ、デビット・ボーイ…彼らの幅広いレパートリーには驚かされる。
音楽ファンの中には、「どうせ有名な曲を歌ってるだけだろう?オリジナルにかなう訳ないし、そんなのねぇ…」という方々もいるでしょう。けれどもそんな狭い了見の人たちの想像を超えるものが彼らのステージにはある。こればかりは実際にライブ会場でその空気を体感するしかないのだろうけど、ヤング@ハートの人気は、音楽そのもののほかに彼らの「在りよう」が大きな要因になっているのだ。

では、そのヤング@ハートの「在りよう」とはいかなるものなのか
ヤング@ハートが結成されたのは1982年のこと。現在も音楽監督と指揮を務めるボブ・シルマンさんが公営住宅に住む高齢者に呼びかけて、「ロックとR&Bを歌う」コーラスグループとして結成された。
だからもうすぐ誕生から35年。残念ながら結成当時のオリジナルメンバーはもう残っていないというが、90歳を過ぎた今でも元気にステージに立つメンバーはいる。
94歳のドーラ・モロウさんは今年4月のライブコンサートでJames Brown(ジェームス・ブラウン)の「I feel good 」を熱唱、会場全体が揺れるほどの喝采を浴びていた。
彼らのファンは海外にも多く、ヨーロッパやオーストラリア、そして日本では2度コンサートツアーを行っている。日本でのライブで「リンダリンダ」や「雨あがりの夜空に」といった楽曲を披露したように、海外で公演するときはその国の曲を何曲か頑張って練習して歌えるようにしているらしい。





Y@H Bob
(Y@H 音楽監督 ボブ・シルマン/ photo:kazuhiko iimura)



Y@H 94歳熱唱
(94歳のドーラ、「I feel good」を熱唱/ photo: kazuhiko iimura)





当然ながら「ヤング@ハートのメンバーになりたい」という人も多いらしい。参加条件は「75歳以上」。ただし、いまのメンバーに欠員がでたとき、つまり誰かが病気等で活動できなくなった場合なので、実際に新メンバーになるのはとっても「狭き門」のよう。
ともかく、「ヤング@ハート」の面々はすこぶる元気だから。
練習は週に2回。ボブの指導のもと、生バンドに合わせて2時間きっちり歌い込むわけだが、これが実に賑やかで楽しそう。歌っていないときは、ほぼ笑っているという状態だ。





Y@H リハーサル
(週に2度の練習風景/ photo: kazuhiko iimura)





彼らの活動は地元の企業や多くの個人の寄付によって支えられている。国や行政に頼ることはない。自分たちにできることに全力を注ぎ、彼ら自身も楽しみながら地域の人たちをその輪の中に巻き込んでいく。つまり、単なるエンターテイメントとしてではなく、地域に根づいた音楽活動としても高い評価を得ているわけだ。

そんな「ヤング@ハート」がここ数年力を注いでいるのが社会貢献活動。
なかでも目覚しい成果をあげているのが2年前から行われている「プリズン・プロジェクト」と呼ばれる、地元の刑務所で行っている活動だ。

活動の基本は毎週1回の練習とおよそ半年ごとに開かれるコンサート。もちろんすべてボランティア活動だ。
練習では音楽監督のボブたちが刑務所(一般刑務所と女子刑務所の2箇所)を訪れ、希望者に2時間のレッスンを行う。ヤング@ハートのメンバーも数人単位で刑務所にやってくる。受刑者の歌う曲のコーラス部分の練習は必須事項だから。わきあいあいの雰囲気ながら、参加者はみんな真剣に練習に取り組む。
歌う曲は受刑者が自分たちで選ぶそうだが、彼らのオリジナル曲もある。多くがラップで、各自が歌詞を書き、好きなテンポの曲に合わせて声をだす。
「Old Souls」…それが受刑者たちのグループ名だ。この名前も彼ら自身が決めたものだ。





Y@H 刑務所の練習2
(刑務所での練習風景/ photo: kazuhiko iimura)





練習の成果は、プリズン・コンサートで明らかになる。
収監されている受刑者、一部の家族、刑務所スタッフや関係者向けのものだが、観客はそれなりの人数になる、だから「Old Souls」のメンバーにとっては緊張もの。ほかの受刑者仲間からの評価も気になるところだ。
ところが実際にコンサートが始まってしまうと空気は一変する。ヤング@ハートのおじいちゃん、おばあちゃんたちの歌声はすぐに会場の空気を温かなものに変える。それにつられるように受刑者のメンバーもベストを尽くす。
腕や肩、人によっては顔にまで刺青を入れた受刑者が、白髪のコーラスグループをバックにロックやヒップホップを熱唱する。それは大げさではなく感動的な光景だ。そして最後はいつも全員でボブ・ディランの「Forever Young」の合唱。出演者全員が拳を高く掲げると、観客の側の受刑者たちも右手を高く突き上げる。その直後、会場全体は大きな歓声に包まれることになる。





Y@H 右手を上げる!
(「Forever Young」合唱/ photo: kazuhiko iimura)





ヤング@ハートの歌声や気負いのない仕草は、受刑者たちの心の奥にあって通常ではなかなか動かないある種の感情をほんの少し揺さぶるのだろう。それが何度か続くうちにいつの間にか受刑者たちはヤング@ハートの虜になっていく。おそらくそのようなことじゃないかと思う。
彼らの持っている人間力には、ただただ目をみはるばかりだ。

ヤング@ハートがプリズン・プロジェクトを始めるきっかけはなんだったのか。
音楽監督のボブによると、それは2006年に開いた刑務所でのコンサートだったらしい。最初は何が起こるかまったく予想していなかったが、結果は想像をこえるものだったという。
「あれは一種のマジックだった」とボブは振り返る。
「本当に魔法のような瞬間だった。そして気づいた。この場所は再びやってくるところだと。そしてそのときは、受刑者向けにパフォーマンスをするだけではなく、彼らの歌声が聴けたらどんなに素晴らしいだろうと思った」
そこでボブは、受刑者がヤング@ハートのコーラスメンバーと一緒に歌えるようなプロジェクトをつくったのだという。

ヤング@ハートのメンバーの一人、80歳のクレアはあるときこう語っている。「帰るときに時々受刑者にハグしたくなるけどそれは(規則で)認められていない。でもときにはやっちゃうのよ。どうしても我慢できないから」
受刑者は窃盗や強盗、武器や禁止薬物の不法所持…等々、多種雑多な罪で収監されている。けれどもクレアは誰がなにをしたのかは知らない。「他のメンバーもその方がいいと思っているはず。それが正直な答え。彼らの過去の生活は気にしない。私たちが見ているのは彼らの今、そして将来の希望だから」
この点に関してはボブも同じ考えだ。
「受刑者たちがなにをやってここに来ているのかは知らないし、それに興味はない。それは私たちに関係ない話。一つはっきりしているのは、彼らがコミュニティに戻ってくること。そして私たちは彼らにできるだけ最高の状態で戻って欲しいと考えている。小さなことかもしれないが、私たちの活動はその手助けになっていると思う」

「平均年齢83歳の集団」にしかできない音楽を伴った活動、もう少し具体的にいえば彼らの音楽に対する「ポジティブな姿勢」や好きなものに打ち込む情熱。
そしてなにより彼らの発する「何かを始めるのに遅すぎることなんてない!」というメッセージは強烈である。また実際にそれを実証している姿はともかく圧倒的だ。
ところがこのヤング@ハートのメンバーには押し付けがましいところがまったくない。いつだって肩の力を抜きリラックスしているように見える。このあたりは長い人生経験の賜物に違いない。





Y@H 4
(ネルソンとY@Hメンバーのスティーブ/ photo:kazuhiko iimura)





プロジェクトに参加している受刑者の一人、ネルソン受刑囚の言葉は象徴的だった。
今年38歳の彼は少年時代から窃盗などの犯罪を繰りかえし、これまでの人生の半分以上を壁の内側で過ごしてきた。いまの刑期を終えるころには41歳。「もう後悔するのに疲れ果てた」というネルソンだが、ヤング@ハートのプロジェクトに参加することで「負のサイクル」から抜け出すきっかけをつかんだのだという。
「負のサイクルから抜け出すためには、何か違うことに挑戦しなくちゃダメだと思った。音痴だけど子供の頃から音楽は好きだったから今回はやってみようと…。みんな凄くいい人たちで偏見を持たずに接してくれるのが嬉しい。一度コンサートにもでた。 とても緊張したが、あれを経験してもっと素直になれた。人生でうまくいかないことはあるけど、やらないで後悔するよりは何でもやってみたほうがいいと思えるようになれた」

さらにネルソンは、この経験は出所後の自分の救いになると話す。
「これをきっかけに自分も人の輪の中に入ることができた。年齢なんて関係ないことも学んだし、彼らを目の当たりにして自分も変わらないとダメだ…と気づかされた。社会に異なる役割がたくさんあるように、自分もできることをやっていい人生にしていきたい」





動画 「ネルソン受刑囚インタビュー&プリズン・コンサート」

(Video by Kazuhiko Iimura/ 翻訳:飯村万弥)




「何かを始めるのに遅すぎることなんてない!」
人生の終盤になっても達成することのできる“なにか”に向っているヤング@ハートの「在りよう」が、受刑者の心に訴えかけ、彼らのものの見方、考え方をいい方向に変える一助になっているのだろう。
長い間抱え込んでいた劣等感や他者に対する不満、自分を取り巻く環境へのストレス、後悔、そして「人生をやり直すなんて大変だ」というネガティブな姿勢…そんな受刑者たちの思考が少しずつポジティブな方向に向っていくようだ。

ハンプシャー郡刑務所のロバート・ガアビー所長は、ヤング@ハートの活動について「受刑者が普段とは違った自分たちの役割を知るいい機会になっている。目的に向って努力するというある種のコミュニティができた」と絶賛。さらに「何かのメンバーになっているということは受刑者たちにとって非常に大切。同時に社会の人たちとの繋がりを築ける大切な場にもなっている」として、この活動が、新しい「変化」を受刑者や地域社会にもたらしている話す。

たぶん、日本にもヤング@ハートのメンバーようなお年寄りたちが沢山いるに違いない。愉快でエネルギッシュ、それでいて豊かな人生経験に裏打ちされた包容力をもった方々。そんなお年寄りが活躍できるようなコミュニティができあがれば、少なからず問題も解決されていくのでは?
国や行政がセーフィティネットを充実させることはもちろん必要できちんとやって欲しいけれど、その上でコミュニティの面々が互いにそれぞれが打ち込んでいることに目を配り、少しづつでもポジティブな係わり合いを持つようになれば地域の空気はぐ〜んと良くなる。ヤング@ハートの活動はその一例のような気がする。

(飯村和彦)


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2016年06月30日

増え続ける無差別テロの脅威!沢木耕太郎さんが「深夜特急」で描いたような旅はもうできない。


この暗澹たる気分、言い知れぬ不安感をどう言葉で表現したらいいのか。

トルコ最大都市イスタンブールのアタチュルク国際空港で発生したテロでは、29日までに41人が死亡、239人が負傷した。つい2週間ほど前には、米国フロリダ州オーランドでIS(イスラム国)に忠誠を誓ったとされる男がナイトクラブを襲撃。銃を乱射し49人の命を奪ったし、3月にベルギーの首都ブリュッセルで発生した同時テロでは、32人が死亡。また昨年11月のパリ同時多発テロでは、レストラン、劇場、サッカー場などが襲撃され130人もの人が殺され、350人以上が負傷している。
さらに中東やアフリカに目を移せは、毎週のように何十人もの一般市民が無慈悲なテロの犠牲になっている。

世界は今いったいどうなっていて、これから先どうなっていくのか…。
幾つもの国境を越えて見知らぬ土地を訪れ、初めて出会う多種雑多な人や文化に触れる…もうそんな旅をすることはできないような気がする。実際、中東では現実的に不可能だろう。

イランやイラク、アフガニスタンに行ってみたい…と思ったのは学生の頃だ。沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読んだ後のことだった。路線バスでごつごつした砂漠地帯を夜通し走り、明け方の市場でその土地特有の朝メシを食べる。世界史で学んだメソポタミア文明の地(現在のイラクの一部)であるユーフラテス・チグリス川流域を通り、そのままヨーロッパまで足をのばす。本を読みながら勝手にそんなことを想像していた。
約30年前、メディアの仕事についたのも少なからずそんな願望があったからだ。自分の目と耳で世界の国々に生きる人たちの生活を感じ、意見を聞く。そして、ものごとに対する多様な考え方に接してその意味を多くの人に伝えていく(…というかその努力をしていく)。そんな仕事だ。




北朝鮮国境
(北朝鮮と韓国の国境付近 photo: kazuhiko iimura)




北朝鮮と韓国の国境を目の当たりにしたときは、同一民族でありながらもどうしても折り合いをつけられない問題がそこに在ることを肌で感じたけれど、そんな状況にあっても韓国には、命がけで脱北者に暖かい支援の手を差し伸べている人たちがいた。

ハイチには、上等じゃないけれど綺麗に洗濯された白いシャツを着た少女たちが夜、街灯の下で頑張って勉強をしていた。貧しさに負けない強さだ。
モンゴルでは生活に使う水を買いに行くのは子どもの仕事。一日に一度、大きなタンクをのせた台車を押して給水所にやってくる。道はデコボコだった。




モンゴル2
(モンゴルの給水所 photo: kazuhiko iimura)




これまでに訪れたのは約20カ国。そのたびに痛感したことは「違い」のあることの当たり前さであり、その「違い」を認めることの大切さだ。人種や宗教、政治体制や気候、風土、国としての発展度や成熟度などによってそれぞれ異なるし、同じ一つの国の中でさえ、地域ごとに明らかな「違い」がある。当然ながら、その「違い」があることによっていいこともあれば悪いこともある。意見がぶつかり合って激しい論争になる。紛争もあれば悲劇も起こる。
でも「違い」がなければ「想像力」は喚起されないはず。個人的な考えでしかないけれど、人間が他の人々と共に生きていくうえで一番大切なものは「想像力」だと思う。だからその「想像力」を喚起させる「違い」がとっても重要になり、重要だからこそその「違い」をそれぞれが認め合う必要がある訳だ。積極的にだろうが消極的にだろうが、最終的にはあれこれある「違い」をそれぞれが尊重する。じゃないと世の中が壊れてしまうから。

で今まさに、「違い」を認めない「不寛容さ」ゆえに世界が壊れ始めている。

国民がEU離脱という選択をしたイギリスでは、若者たちが、「クソ移民!」「アフリカに帰れ!」と公衆の面前でアフリカ系男性に罵声を浴びせるという事件が発生、似たような人種差別主義者による犯罪も増えているという。悲しくて空しい現象だ。
また、ベルリンの壁が打ち壊されてから27年たった今、ヨーロッパの国々は難民・移民対策として国境警備を強化している。モロッコとスペインの飛び地セウタの国境、トルコとギリシャの国境、トルコとブルガリアの国境などには、高いフェンスと有刺鉄線が設置された。
まさに不寛容の象徴でしかない。
米国では共和党の大統領候補トランプが、「不法移民の強制送還」や、移民流入阻止のためにメキシコとの国境に「万里の長城」を築くと公約。失われた「大国のプライドと主権」を取り戻すべきだと訴え、少なくない支持を集めているのは周知の通り。

そして中東やヨーロッパ、米国で多発している無慈悲で残虐なテロ。
トルコの空港で発生したテロについては、いまのところどの組織からも犯行声明はだされていないが、当局はIS(イスラム国)による犯行の疑いが強いとみて、自爆した実行犯3人の特定とその背後関係の解明に全力を挙げているという。
けれども一番の問題はそこじゃない。
いま何が恐ろしいかといえば、世界中どこにでもIS(イスラム国)的なテロに及ぶ輩が存在し、増えていること。米軍の支援を受けたイラク軍の攻撃によりIS(イスラム国)支配地域はかつてよりはだいぶ縮小したというが、その分、彼らの主張に同調する他国にある組織や個人がより過激になっているように思えてならない。特に「個人」の場合は、どこの誰が「テロリスト」であるのか、テロが発生した後でないと分からないという現実が横たわる。

いつどこで自動小銃が乱射され、自爆テロが起きるか分からない。だから誰もがもう、傍観者じゃいられない。そんな現実を肝に銘じながら、まずは自分にいま何ができるのかを考えたい。

悲劇の現場を記憶に焼付け、テロの犠牲になった人たちを心から悼むこと。
空から降ってくるミサイルに怯える武器を持たない人たちの心境を想像すること。
子ども達には、「テロや武力では人の心を変えられない」という事実を伝えること。
そして「違い」を認め他者に寛容になること、またはその努力をすること…か。

(飯村和彦)




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2016年06月08日

ヒラリー大統領候補へ「この国の歴史で初めて」。今だからこそサンダースの叫びに耳を傾けたい



民主党の大統領候補は、”ほぼ間違いなく”ヒラリーで決まり。
「この国の歴史で初めて…」
ヒラリーは勝利宣言のスピーチでそういって微笑んだ。
でもそんな今だからこそサンダースの叫びに耳を傾けたくなる。




ヒラリーとサンダース
(CBSニュースより)



ニュージャーシー州での予備選の圧勝を受けて「勝利宣言」をしたヒラリーだが、カリフォルニア州予備選でも勝利するだろう(この原稿を書いている段階では10ポイント以上差をつけてヒラリーがリードしている)。
当初、接戦が伝えられていたカリフォルニア州だけれど、蓋を開けてみればヒラリーの圧勝に…といっても差し支えないだろう。やはり、きのう(6月6日)の全米メディアによる「ヒラリー指名獲得に必要な代議員数2383人を確保」との報道が大きかったに違いない。


さすがのサンダースもこのカリフォルニア州での結果を受けて終戦かと思いきや、冗談じゃないとばかりに最後まで闘うと宣言した。まるで「ドンキホーテ」のよう…といっては失礼かもしれないが、いまだに血気盛ん、意気軒昂だ。既に選挙スタッフ数を半減したというけれど、なんとか上手い具合に踏ん張って、彼の主張や提案を少しでも今後に反映させて欲しい…と彼の支持者も願っているのだろう。

「民主社会主義者」を自任し、格差是正を前面に掲げてヒラリーの前に立ちはだかったサンダース。当初の「泡沫候補」との評を覆してここまで大健闘した彼の戦いぶりは間違いなく賞賛に値する。
1%の金持ちだけが得をするいまの社会構造を徹底的に否定し、既存の「金のかかる政治」からの脱却を訴え続けたサンダースのメッセージは、まったくぶれなかった。「革命を起こすんだ!」という彼の叫びに、多くの学生や働けど賃金の上がらない人たちが共感したのもうなづけるというもの。


69歳の自称ミュージシャン、トンプソン(Scontz Thompson)さんもサンダースの熱狂的な支持者だった。彼から自分の曲のビデオクリップをつくってくれないかというメールが入ったのは今年4月。建設現場での仕事をやめ、いまはランドリー(洗濯屋)でパートタイムの仕事をしながら音楽活動をしている。彼の曲は、「1% Trickle Down Caste System Blues」。1%の金持ちだけが潤う格差社会を痛烈に批判した内容で、サンダースの応援歌だといった。歌詞は、毎月送られてくる請求書にのたうちまわり、銀行預金もなければ将来もない…というような内容で、自分たちの生活をそのまま歌にしたものだった。







トンプソンさんは、いまこの段階にいたってもまだサンダースを応援しつづけている。
「74歳とは思えないあのエネルギー。誠実な人柄。知性。世直し(政治改革)に挑む姿…。凄いと思う」。だから自分も最後まであきらめないのだといった。彼は、サンダースのいってることが一つでも実現することを願っているのだ。

いまさらという気がしないでもないが、サンダースの提案をおさらいしてみると…。彼は就任後100日間に実施する政策として、医療の国民皆保険、最低賃金の15ドルへの引き上げ、インフラ整備への投資拡大を挙げた。
また大学については、「全ての公立大学で授業料を免除する」として、そのための財源(7500億ドル)は金融取引に課す新税から拠出するとした。

この中から、分かりやすい例としてアメリカの大学の学費を見てみよう。高いとはいわれているが実際にはどれぐらい高いのかといえば、これが信じられないほど高い。総合大学の学費は私立で年額35,000ドルから50,000ドル。1ドル110円で換算すると日本円で年間385万円から550万円。つまり4年間で約2,000万円にもなる。州立(=公立)大学でも年間約25,000ドル(約275万円)だから、4年間で軽く1,000万円以上だ。これってどう考えても常軌を逸している。
アメリカには、各種の奨学金制度(返済しないでいいもの)があるけれど、学費が学費だからほとんどの学生が重〜い学生ローンに苦しんでいる。サンダースが打ち出した「公立大学の授業料免除」という提案が、あれほど熱狂的に学生に支持されたのはそんな現状があるからだ。
だが当然のようにサンダースの提案する政策には疑問の声があがった。

「確かに夢のような提案だけれど、本当に実現できるの?」

たぶんこの問いに象徴されるような、政策課題への向き合い方の違いが、ヒラリー支持派とサンダース支持派の違いだったように思う。「実現可能な改革案をだして、ものごとを先に進めることが大切」という実務型がヒラリー派で、「国民が動けば大きな夢も現実になる」という革新型がサンダース派だったように思う。
もちろん、一般的にいわれているようなヒラリー=主流派(体制派)、サンダース=進歩派という表現でもいいけれど、ともかくこの二人の間には思想や政策に大きな隔たりがあるのは事実だろう。




サンダース プレート
(photo:kazuhiko iimura)



しかしそうはいっても、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかない。民主党の大統領候補になることが(十中八九)決まったヒラリーは、一刻も早くサンダースとの間にある深い溝を埋めなくてはいけない。そうしないと秋の本選でトランプに負けてしまうかもしれないから。そのためにヒラリーはなにをするのか、なにをすべきなのか。サンダースを副大統領候補するという選択は(多分)ないにしても、可能な限り彼の考えを尊重し、その提案なりを現実のものにする努力をするのでは?この期に及んでもサンダースが「闘う姿勢」を崩さない理由がそこにあるのは間違いないように思う。民主党の政策目標を提示する党の綱領に「サンダースの主張」を反映させる、そのために7月の党大会まで走る続けるのだろう。

(飯村和彦)




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2016年05月29日

オバマ大統領の4羽の「折り鶴」が、広島に舞い降りた理由とは?



2016年5月27日、広島に4羽の折り鶴が舞い降りた。

ピンクと青の2色。千代紙をつかい、丁寧に折られていたという。
この4羽の折り鶴はアメリカのオバマ大統領が自ら折ったもの。広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪門した際、そのうちの2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は、直筆のメッセージに添えてそっと置いたという。
「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」(メッセージの内容)



ではなぜ「折り鶴」だったのか

広島の平和記念公園に、いつでも何千、何万もの折り鶴が手向けられている、ある少女をモデルにした像がある。1958年の子供の日に建立された「原爆の子の像」だ。この像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれている。



サダコ像
(photo:kazuhiko Iimura)



この「原爆の子の像」のモデルになっているのが、佐々木禎子ちゃん。だららこの像のことを「サダコ像」と呼ぶ人も少なくない。
佐々木禎子ちゃんは、広島に原爆が投下された日、放射能を帯びた“黒い雨”に打たれ被ばく。10年後の1955年に白血病が発病し、わずか12年でその生涯を閉じた少女である。



禎子ちゃんが「折り鶴」に込めた思いとは?

医師から、「長くて1年の命」との宣告を受ける中、禎子ちゃんは死の間際まで懸命に折り鶴を折り続けていたという。禎子ちゃんが「折り鶴」に込めた思いとはいったいどんなものだったのだろうか。

広島に原爆が投下された日、禎子ちゃんは広島市内にあった自宅で、家族と共に被ばくした。爆心からは、およそ1.6キロ。爆風で、家の外まで吹き飛ばされたものの、禎子ちゃんは幸運にも傷ひとつ負わなかったらしい。その時の状況について、禎子ちゃんの兄、佐々木雅弘さんは、かつてこう話してくれた。
「今でもありありと覚えています。一瞬のうちに家が崩れました。2階から落ちたミカン箱がありましてね、その上に禎子は無傷でちょこんとのっかっていました」
ところが瞬く間に辺りは火の海に。禎子ちゃんは、母親に背負われて近所を流れる太田川へと避難したのだという。だがそこで、“黒い雨”に打たれてしまう。
「ドロッとしていて。頭から顔から体中、全身真っ黒です。沢山の方が倒れておられ、川には亡くなった方が流れているという状況でした」(雅弘さん)

“黒い雨”とは、原爆の爆発によって巻き上げられた粉塵や煤により黒くなったタール状の雨のこと。この“黒い雨”は放射能を帯びているので、直接打たれると後に放射能障害になる可能性が高くなる。

しかし、当時の禎子ちゃんたちがその恐ろしさを知る由もなかった。
リレーの選手で将来の夢は体育の先生。そんな禎子ちゃんが体の異変に気づいたのは、1954年の暮れのことだった。首や耳の後ろに幾つかのしこりが発生。年が明けた1955年1月末には、足に紫色の斑点が現れたという。
そして、1955年の2月18日。ABCC(原爆障害調査委員会)の検査結果をもとに、禎子ちゃんの父親に病名が告げられた。“亜急性リンパ腺白血病”だった。
「白血病であり、短くて3ヶ月。長くて1年でしょう…というように言われたんです」(雅弘さん)

それは、まさに死の宣告だった。
入院当初は、快活に過ごしていたという禎子ちゃんだったが徐々に症状が悪化。病院内で顔見知りになった少女が同じ白血病で亡くなると、「うちもああして死ぬんじゃろか」とポツリと呟いたという。

そんな禎子ちゃんの生きる支えとなったのが、「折り鶴」だったのだ。
きっかけは、原爆患者に届けられた愛知県の高校生たちが折った色とりどりの折り鶴。その美しさに心打たれた禎子ちんは以後、自らの病気の回復、「生きたい」というを願いを込めて一心に鶴を折りはじめた。禎子ちゃんの兄、雅弘さんによると、
「だんだん具合が悪くなるに従って、針を使って折るようになったんです。先までピーンと…。最後はもう、本当に気力体力をこれに注いだんです。それで良くなりたいと」




サダコちゃんのつる
(photo:kazuhiko Iimura)



禎子ちゃんの折り鶴は、直径1センチにも満たない小さなものだった。
この話を雅弘さんに伺ったとき、「どうか、手のひらに載せてやってください」といっていただいたので、そのうちの一羽を手のひらにのせた。
針を使って、気力だけで折られたという折り鶴は、ほとんど質量を感じない、驚くほど小さなものだったが、見つめていると吸い込まれるような不思議な力に満ちていた。儚そうでありながら、断固とした存在感…があった。

しかし、折り鶴にかけた禎子ちゃんの願いは届かなかった。

最後は、ピンを使い直径5mm程の鶴まで折っていた。
鶴を折れば元気になれる、
鶴ができれば家に帰れる、
「生きたい…」という気力だけ。まさに、“祈り”である。
けれども、その願いも空しく、禎子ちゃんは、12歳でこの世を去った。
悔しくて、切なくて、虚しくて、………
禎子ちゃん最期の言葉は、「お父さん、お母さん、…ありがとう」だったという。



禎子ちゃんの甥、佐々木祐滋さんの「祈り」とは?

佐々木祐滋さんは、禎子ちゃんの兄、雅弘さんの息子である。
ミュージシャンである裕滋さんは、自ら作った曲や数々の講演活動などを通じて、禎子ちゃんの味わった「悔しさ」や「生きたい」と願った気持ち、さらには「平和への思い」や「原爆の悲劇」を世界の人々に訴え続けている。

今回、オバマ大統領が広島に足を運び、被爆者の方々とも面会し、資料館へ自ら折った4羽の折り鶴を持参した、その背景には、間違いなく祐滋さんたちのこれまでの努力があったはず。
広島平和記念資料館の志賀賢治館長は、資料館を訪れた際のオバマ大統領の様子について、
「特に禎子さんの折り鶴に関心があったようで、ご覧いただいた。そのあと、被爆を伝える資料をご覧いただいた」とし、大統領が事前に勉強していた様子が伺われたと話している。




折り鶴映画イベント




祐滋さん(45)は現在、父の雅弘さん(74)らと一緒にアメリカ、ロサンゼルスを訪れている。
原爆投下命令を下したハリー・トルーマン元大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏と共にロサンゼルスにある「Museum of Tolerance(寛容博物館)」へサダコ鶴を寄贈。また、Miyuki Sohara監督による「折り鶴2015」のLAプレミア上映も行われている。

今回のオバマ大統領の広島訪問、さらには「4羽の折り鶴」について、祐滋さんに伺ったところ、以下のような感想を寄せてくれた。

『今回のオバマ大統領広島訪問には本当に感謝しております。
ましてや、折り鶴をご自身で四羽折られて持って来て頂き、資料館で出迎えてくれた、子供に二羽、メッセージを書いた記帳台に二羽置いて頂いたこともあり、大変感動もいたしました。
まだまだ日米の間で越えなくてはならない壁はいくつもあるとは思いますが、
これまで誰もなしえなかった、現職米国大統領の広島訪問が実現できたのですから、
ここからはじめられることを皆で考えていきましょう!
折り鶴は皆の心を必ずつないでくれると信じています!』

また、祐滋さんは、
「オバマ大統領さまへ」として次のような言葉をFacebookに綴っている。

「オバマ大統領さまへ  今回、広島平和公園を訪問し、慰霊碑に献花をされ、犠牲者に心を手向け、被爆者と笑顔での対話や抱擁をされたこと、本当に感謝しております。
さらに、たった10分程の資料館視察の中で禎子の鶴を見て頂き、ご自身で折られた4羽の折り鶴のうち出迎えた小中学生に2羽手渡され、芳名帳にメッセージを書かれたあと残りの2羽を置いていって頂いたこと、本当にありがとうございます。

僕には、この折り鶴を折って渡してくれた行動が「サダコ、君のことは知ってるよ!僕の故郷であるハワイ、そして、先の大戦で日米開戦のきっかけとなった真珠湾に来てくれてありがとう!」と言ってくれているんじゃないかと思えてなりません…きっとそうなんですよね?

僕は、禎子の鶴を絶対に真珠湾に贈りたいと思い、周りから心配や反対がありながらも勇気を持って、信じて、決断をし、原爆投下命令を下した元米国大統領ハリー・S・トルーマンの孫であるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんと初めてお会いしたときに「禎子の鶴を真珠湾に贈りたいので力を貸してください!」とお願いをしました。そのクリフトンさんが動いてくれて念願であった真珠湾への寄贈が実現し、今度はその禎子鶴を常設展示する為に必要な約7万ドルの費用を集める為に、現地の日系人の方々とオバマ大統領の母校であるプナホウ高校の先生と生徒たちが中心となって動いてくださったおかげて常設展示も出来ました。
そしてその後もオバマ大統領の後輩達がサダコプロジェクトを立ち上げ、展示後から現在も毎月1回、禎子鶴展示ブースに行って、そこを訪れる人達に、鶴の折り方を教えてくれているのです。
いつかこの真珠湾と禎子の折り鶴の事をこの皆の、心の繋がりをオバマ大統領に伝えたいと僕は思っていました。今回、その願いがやっと叶ったと確信しております。

あらためて、オバマ大統領、広島に、平和公園に来て頂いてありがとうございました。
そして、折り鶴を折り、広島の子ども達へ渡してくださって本当にありがとうございました。
最後に、今年の12月7日は真珠湾攻撃から75年目になります。その日に今度は僕らが思いを込めた折り鶴を真珠湾へ届けに行きますね。  佐々木 祐滋」


佐々木祐滋さんの代表曲は「INORI(祈り)」
(作詞・作曲:佐々木祐滋、歌:クミコ)

禎子ちゃんの思いがそのままバラード調の曲になっている。聴くと、本当に涙がでる。ボロボロと泣けてくる。ひとりでも多くの人に「INORI」を聴いて欲しい。この曲は、戦争がもたらす悲惨、平和の尊さ…を訴えかける。以下は、「INORI」の歌詞(全文)である。


別れがくると知っていたけど 
本当の気持ち言えなかった
色とりどりの折鶴たちに 
こっそり話しかけていました

愛する人たちのやさしさ 
見るものすべて愛しかった
もう少しだけでいいから 
皆のそばにいさせて下さい

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした

折鶴を一羽折るたび 
辛さがこみ上げてきました
だけど千羽に届けば 
暖かい家にまた戻れる

願いは必ずかなうと 
信じて折り続けました
だけど涙が止まらない 
近づく別れを肌で感じていたから

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

別れがきたと感じます 
だから最後の気持ち伝えたい
本当に本当にありがとう 
私はずっと幸せでした

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

めぐりめぐり行く季節をこえて 
今でも今でも祈ってる
二度と二度とつらい思いは 
他の誰にもしてほしくはない



12歳の少女が、“生きたい”という願いを込めて折った鶴。
その鶴が、時空を超えて、平和を愛する世界の人たちの心を結ぶ。

最後にオバマ大統領の演説から、その一部を…

「世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が“核戦争の夜明け”ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです」(朝日新聞より)

是非、そうあって欲しい。そんな未来を築く努力を、いまこの瞬間から始めたい。
まずは自分にできることから…


(飯村和彦)


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2016年05月18日

がん治療の新しい地平!アメリカ発「がん免疫療法」(1)



毒をもって毒を制す!
先週、FDA(アメリカ食品医薬品局)が、デューク大学の開発した「ポリオウィルス」を使って脳腫瘍(正確には膠芽腫)を攻撃する治療法を「Breakthrough Therapies」(仮訳:画期的治療法(治療薬)」に指定した。
「Breakthrough Therapies」指定制度は、「FDA安全性及び革新法」(2012年施行:FDA Safety and Innovation Act: FDASIA)に付随するもので、単独または他剤との併用により重篤または致命的な疾患や症状の治療を意図した新薬の開発と審査を加速することを目的としている。(参照:FDAホームページ)

この「ポリオウィルス」を用いた脳腫瘍の治療法は、2013年の米国臨床腫瘍学会(ASCO)で発表されて以来注目を集めてきたもの。その特徴はがん細胞をポリオウィルスが直接死滅させるだけではなく、その療法によって免疫機能も誘発され、がん細胞を攻撃するようになること。

当然ながら素朴な疑問が浮かぶ。なぜ「ポリオウィルス」なのか。
デューク大学の説明によると、がん細胞の表面には、ポリオウイルスを磁石のように引き寄せる受容体が多数あるため、“ポリオウイルスの感染によりがん細胞が死滅するから”だという。

使用されるポリオウィルスは、遺伝子組み換え技術によってつくられた「改良型ポリオウィルス」。ポリオウィルスの基本的な遺伝子配列の一部をインフルエンザウィルスのものと組み換えたもので、この「改良型ポリオウィルス」は正常細胞には無害だが、がん細胞に対しては致死作用があるらしい。
さらには前述した通り、「改良型ポリオウィルス」を患者の腫瘍に直接注入する治療法には、身体の免疫機能を誘発して、ポリオウイルスに感染した腫瘍への攻撃を開始させる効果もあるという。
研究者によると、実はこの免疫系の働きがとっても重要で、ポリオウィルスをがん細胞に感染させて死に追いやるのは、全体の流れでいえば最初のきっかけにしか過ぎず、実際に腫瘍全体を死滅させるのに大きな役割を果たしているのは、この免疫系なのだという。

ここ数年、アメリカで研究されている先端がん治療をあれこれ調べ、取材してきたけれど、やはりその多くが人間に生来備わっている免疫機能を活性化させたり、呼び覚ましたりするものが多い。

これまでは、がんになったら病巣を外科手術で摘出し、その後は抗がん剤や放射線を使用して転移や再発を抑える…という方法が一般的に行われきた。
ところがご存知の通り、この治療法は患者本人への負担が大きい。特に末期がん患者の場合、一定の治療効果があって余命を伸ばすことに成功したとしても、多くの患者が厳しい副作用に苦しむことになり、残された大切な時間を苦悶の中で過ごさざるを得なくなる。
理由は明らか。
外科手術はもとより、抗がん剤を使った治療はその特性から患者本人の身体や正常細胞を激しく損なうからにほかならない。そこでここ数年、先端がん治療の現場で注目され、研究が進んでいるのが人間の持つ免疫機能を活用してがんを叩く、「がん免疫療法」ということなのだろう。

例えば、ペンシルバニア大学を中心にした研究チームは、「エイズウィルス」を使ったがん免疫療法を開発した。ここでのコンセプトは、「患者の免疫細胞(T細胞)をがんを直接攻撃する細胞に作り変える」こと。対象とされたがんは、急性リンパ性白血病、及び慢性リンパ性白血病だった。

この免疫療法が一躍全米の注目を浴びたのは2012年12月。急性リンパ性白血病を患い、残された治療法はなく、あとは死を待つのみと宣告されていた少女(7歳)が、この治療法の臨床試験に参加して奇跡的な回復を遂げたことだった。(この成功例は当時、ニューヨークタイムスによって大きく報じられた)
その後も研究チームは、急性リンパ性白血病、及び慢性リンパ性白血病の患者を対象に臨床試験を継続。治験者は、従来の治療法である化学療法や幹細胞移殖などを繰り返したあと、ほかに残された治療方法がない人たちだったが、2013年12月に発表された結果は、75人の白血病患者のうち45人は、後に再発した患者もいるが、回復しているというものだった。

では「エイズウィルス」を使ったがん免疫療法とは、具体的にはどんなものなのか。
その流れは以下のようになる。
まず、患者本人から取り出した免疫細胞の遺伝子を、不活性化させたエイズウィルスを利用して組み替え、がん細胞を攻撃するように改変する。次に、こうして改変した免疫細胞を培養で増やした後、また患者の体内に戻す。すると、体内に戻された改変した免疫細胞が、がんを叩くという寸法である。
この改変された免疫細胞は、ほとんどのがん細胞の表面上に見られる「CD19」と呼ばれるプロテイン(タンパク質)に向かって進むようにしてあるので、結果、直接がん細胞を攻撃することになり、順調に機能すればがん細胞を破壊しはじめるのだという。

そう、ここでまたしても疑問。どうして「エイズウィルス」だったのか。
臨床試験の指揮をとるペンシルバニア大学のジュン教授によると、「(不活性化させた)エイズウィルスは、免疫細胞のDNAに入り込むのが得意だから」…だそうだ。「エイズウィルス」と聞くとみんな驚くかもしれないが、不活性化して病原性をなくしてあるから問題ないらしい。
確かに、エイズ=「免疫不全症候群」。だからエイズウィルスは免疫細胞に巧妙に進入するのだろう。

余談になるけれどこのジュン教授、取材の問い合わせをした際、ものの1時間もしないうちに返信メールをくれた。何かの役に立てばと自分の研究室にいた日本人研究者(医師)の連絡先も沿えて…。いつも思うことだけれど、リスポンスの速い人ほど素晴らしい仕事をしている。頭が下がる。

さて、このペンシルバニア大学の治療法のコンセプトそのものは50年ほど前からあり、ヒトを対象にした臨床試験も過去20年間ほど行われてきたという。しかし、患者に戻した免疫細胞をその体内で生存させるのがとても難しかったのだそうだ。試行錯誤の末、免疫細胞に組み込む遺伝子を運ぶために使う「乗り物」(ベクターと呼ぶ)に、「改変エイズウイルス」を用いたところ、いい結果が得られるようになったのだという。
このペンシルバニア大学を中心に行われている研究は大手製薬会社の協力のもと現在も着実に進んでいる。

とここまで書いてきて、25年以上前に読んだ一冊の本について触れたいと思う。
「明るいチベット医学〜病気をだまして生きていく〜」(センチュリープレス)
特別な理由もなくふと書店で手にしたものだったが、取材対象の一つの柱として自分が医療分野(…というか医療行為の神秘)に興味を持つきっかけを与えてくれた一冊だ。



明るいチベット医学



改めて著者の大工原弥太郎さんについて調べてみると、『…昭和19年生まれ。チベット医学を専攻。昭和46年インドのダージリンで診療開始。翌年ブッダガヤに移ってのち、印度山日本寺境内に私設の無料診療所を開所。以来、臨床畑を歩むかたわら、招聘に応じてたびたびイギリス、スペインでの講座講義と臨床。昭和50年に国連ユニセフ・フィールド・エキスパートとしての専属契約によりネパール、ブータン、タイ、カンボジア、ヴェトナム、チベット等で、教育・福祉・健康・医療面での諸プロジェクトに従事店』(一般社団法人・仏教情報センターHPより抜粋)とあった。

実はこの「明るいチベット医学」の中にも大変興味深い「がん治療法」が紹介されていたのだ。いま手元にその本自体がないのが残念だが、当時書いた取材メモが残っていたので以下に…。

『…病気を取り除くのではなく、いかに上手く病気と付きあっていくかが大切。例えば、チベット医学のがん治療法。これにはがんの種類、進行具合、患者の資質によって二つの方法があるという。
一つが患者の体力を落として体質改善を図る方法。この方法は主に上皮肉腫に用い、消化器、循環器以外のがんの場合に用いられる。がんはその発生から豊富な栄養をもとにしており、細胞分裂するごとに勢いを増していく病気。だから逆に、がんの進行に拮抗できるような体力の“落とし方”をすればがんの勢いも衰えるという考え方に基づいている。
例えばこんな具合だ。ある期間、ブドウ糖と塩水以外は一切患者に食べ物を与えない。そうして、ほとんど皮下脂肪が無くなった頃合をみて断食を解除、段階的に正常な消化活動を再開させる。ところが、いったん脂肪も体力もギリギリまで落ちた身体は、もう身体にとって望ましい量の食物しか受け付けなくなっている。こうなればもう“出来あがり”らしい。
通常、がんが消えてなくなることはないが、それ以上大きくなることも無く、みんなガンと同居しながら苦しみもせず10年、15年と生きていくのだという。

もう一つが、らい菌をがん患者(主に喉頭や食道、肺ガンなどの呼吸器系を中心とした、比較的症状が軽い患者) に感染させて、ガンを治す方法。この方法は患者をらい菌に感染させるまでに時間がかかるのが難だというが、らい病は、今では重症にしなければ完治させられるし、後遺症は起こらない。その治療効果は抜群だという。上手くらい菌に感染させられれば、がんは大方消えてしまうそうだ。

“医者は患者に関わりはするが結局は他人。頼りになるのは自分の身体だけだ”というのがインドの人たちの考え方だという。だから彼らは病気にならないように生きるべく、昔から語り継がれた知恵を沢山持っている。そしてそれらは、専門的な観点からみても理に適っている場合が多いのだという。…』
(以上、取材メモより抜粋)

いま改めて取材メモを読み返してみてやはりちょっと驚いた。

「らい菌」をがん患者に感染させる治療法は、いま最先端だといわれている「ポリオウィルス」や「エイズウィルス」を利用したがん治療法と通じるものがあるのでは? 当然だといわれればそれまでなのだが、つまり人が長い歴史の中で経験し、実践してきた治療法というものは21世紀の現在にいたっても、その発想に関しては脈々と息づいているということなのだろう。
遺伝子工学や分子生物学、有機・無機化学の急速な発展と共に医学そのものも様変わりしているけれど、人の身体の在りようは変わらない。たぶんそんなところなんだろうなと…。

(飯村和彦)




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2016年05月06日

アメリカ大統領選・トランプの勢いは侮れない!



さて、アメリカ大統領選予備選のこと。

結局、共和党の候補はトランプに。共和党の主流派の多くも、いまのトランプの勢いに屈せざるを得なかったということ。インディアナ州の予備選以降、結構多くの共和党実力者がトランプになびいた。共和党の重鎮の一人、ジョン・マケイン上院議員もトランプ支持を表明した。ともかくまずは勝ち馬に乗れ!ということらしく、そこに主義主張なり定見があるわけじゃない。政治家特有の駆け引きだ。もし定見らしきものがあったとすれば、それは「クルーズは死ぬほど嫌い」という当初からの思いかもしれない。超右派で危険な原理主義者のクルーズよりは、素っ頓狂な大口たたきの実業家、トランプの方が組みやすし…とでも思ったのか。まあ、第三者から見ればどっちもどっちなのだろうが、もしトランプが大統領選の本選でヒラリーに勝つ、などということが起きた場合は、その影響は世界に及ぶ訳だから、のんきに構えてはいられない。
トランプの同盟国は米軍の駐留経を100%負担すべきだという主張やら移民対策、貿易協定のあり方…等々、彼が本気であるなら大変な話だ。



2S
(写真:bbcより)



それでは本選の行方はどうなるのか…ということだが、実はかなり「まずい」状況になっている。なにが「まずい」のかといえば、もしかすると本当にトランプが大統領になってしまうかもしれないから。
現段階の世論調査では、ヒラリーがトランプを5〜6ポイントほどリードしているようだが、その程度の数字はあっという間にひっくり返る。特に多くの米国民から嫌われている二人による闘い(これも珍しい話だ…)だから、ちょっとしたことで形勢は逆転する。
例えば現実にはまったく即していない無理筋の主張であっても、一人でも多くの米国民が単純に「おお、そうだそうだ!」となるような主張を大声で訴えれば、間違いなく瞬時に状況は一転するに違いない。

一般的な米国民にはほとんど興味のない事柄だが、話を分かりやすくする意味で日米同盟の例で説明すると、トランプの「米国が攻撃を受けても、日本は何もしなくていい。それはフェアじゃない。だから駐留費を全額負担しないなら、駐留米軍の撤退もあり得る。アメリカはもう世界の警察にはなれないし、それだけの金もないから…」なんていうもの言いは、「おお、そうだそうだ!」となりやすい。ここでヒラリーが、「在日米軍は日本防衛のためだけに存在するのではない。朝鮮半島、中国、南シナ海など、アジア太平洋の安定は米国の国益そのものだ」なんて力説したとしても、多くの米国民はそんなことには耳を貸さないし、多分きちんと理解しようとしないだろう。

経済政策にしても、一ドルでも多くアメリカが得するための方法はなにか…に話を収斂させるに違いない。つまり、国際安全保障政策にしても対外経済政策にしても、すべてをバランスシート上の損得話にしてしまう訳だ。これって単純でわかりやすいから。
そうはいってもこれまでの国際関係上の取り決めや約束事があるから、そう簡単にはいかないだろう…と思う人も多いはずだ。もちろんその通りで、トランプが大声でいっていることが簡単に現実になる訳じゃない。しかし…だ。トランプやヒラリーはいま実際に安全保障問題や経済政策の舵取りをしている訳じゃない。やっているのはあくまでも「選挙戦」でしかない。だからそこでの目標は、いかにして選挙で一人でも多くの米国民に「おお、そうだそうだ!」と思わせるかが重要で、その意味ではトランプのものいいは、今のアメリカ社会では実に有効に機能しているのだ。
質はまったく違うけれど民主党のサンダースが、「1%の金持ちだけが得をしている格差社会」を大きな問題として、その改革を進めるための「夢」を分かりやすく語って圧倒的に若い世代の支持を集めているのと似ていなくもない。そこに実効性がなくても多くの人がサンダースに票を入れている訳だから。

こう考えてくると、俄然トランプが有利に思えてくる。大きな流れで見れば、暴言でアピールして支持を得てきたトランプは、本選で少しだけ軌道修正すればヒラリー嫌いの浮動票を結構簡単に獲得できるように思える。
実際トランプは、早くも政策を軌道修正。法定最低賃金について昨年11月には「上げない」といっていたのに、最新のインタビューでは最低賃金引き上げを示唆。「私は大部分の共和党員とは違うんだ」と嘘ぶいている。

一方ヒラリーはといえば、本選に勝つために必要な共和党穏健派の票を取り込むために、現状よりさらに保守に傾倒する必要がある。これ、かなり大変なことで、下手をすると民主党左派(つまりサンダースを支持しているような人たち)の票をぐん〜と減らすことにも繋がりかねない。それでなくてもサンダースは、この期に及んでも「最後まで頑張る!」と意気軒昂な訳だから、予備選が終わったあと、本選に向けてすんなりと民主党がまとまるとは考えにくい。だからといってヒラリーが、サンダースを副大統領候補にするとも思えないし。
ただ、人気、実力ともに高いマサチューセッツ州選出の上院議員、エリザベス・ウォーレンを副大統領候補にする…というのは悪くないアイディアに思える。彼女の実力は折り紙つきだし、多分、ヒラリーより大統領にふさわしいぐらいの人物だから。彼女はサンダースと考え方が近い(けれども彼の支持を表明している訳ではない)から、その支持層もサンダースと重なる。当然ながらこの場合、民主党の正副大統領候補が女性ということになる訳だが…。

とにもかくにも今回のアメリカ大統領選挙は、「前例のない」もの、もしかすると不毛な議論や誹謗中傷が乱れ飛ぶ、最低のものになるかもしれない。

(飯村和彦)




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2015年10月25日

Young@Heartに、ルワンダからの客人



Young@Heartコーラスの練習に、
アフリカは、ルワンダからの客人が参加!
激しい民族抗争による大量虐殺等で、
心身ともに傷つき疲弊したルワンダ国民。
その再生に必要な方策を求め、
政府職員のガタバジさんたちはやってきた。




ルワンダ2
(photo:Kazuhiko Iimura)




「Young@Heartの素晴らしいところは、
お年寄りたちみんなが、
明るく元気に音楽を楽しんでいるだけでなく、
社会に大きな貢献をしているところ。
コンサートに訪れる人を愉快にさせるだけでなく、
罪を犯して服役中の受刑者の心も温かくしている」

ガタバジさんは、
ハンプシャー郡刑務所での練習にも参加した。
ルワンダに戻ったら、
Young@Heartコーラスが行っているような、
音楽プログラムをつくりたいと話す。

で、当然のようにルワンダの民族音楽を披露。
みんなからやんやの喝采を受けた。




ルワンダ3
(photo:Kazuhiko Iimura)




来週に迫ったYoung@Heartコーラスと、
受刑者コーラスとのコラボコンサート。
もちろん、ルワンダからの彼らも「参加」する…


(飯村和彦)

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2015年08月08日

結論は「日本必敗」…開戦前に存在した「奇跡の組織」総力戦研究所とは?



彼らが導きだした結論は「日本必敗戦!」
それはまさに「奇跡の組織」だった。

太平洋戦争の開戦直前、1940年9月、
勅命により内閣総理大臣直属の機関として設立された「総力戦研究所」のことだ。
たぶん、ほとんどの日本人はこの総力戦研究所がどんな目的でつくられ、
何を行ったのかを知らないだろう。
それよりなにより、
そんな組織が当時あったことすら関係者以外は知らないに違いない。



総力戦研究所



これまで多くの時間を費やして総力戦研究所に関する史料や文献にあたり、
関係者にも話を聞いた。その結果到達した結論が、
冒頭に書いた通り、それは「奇跡の組織」だったのではないだろうか、
ということだった。

「総力戦研究所」設立の目的は、文字通り総力戦に関する基本研究。
各官庁・陸海軍・民間から選抜された若手エリートたちが、
出身機関・組織から持ち寄った重要データをもとに率直な議論を行い、
国防の方針と経済活動の指針を考察し、統帥の調和と国力の増強をはかることだった。

では、なぜ「奇跡の組織」だったのか。

その最大の理由は、この組織が、内閣総理大臣直属の機関でありながら、
官民軍の垣根を越えた純粋な研究教育機関だったこと。
教育において重要視されたものはセクショナリズム、つまり縄張り意識の払拭だった。
前述した通り、研究員には各省庁や陸海軍はもとより、
日銀やメディア、民間企業から選りすぐりの人材が登用され、その平均年齢は33歳。
つまり、次世代の日本を担う現役中堅幹部たちが、出身母体の利害を越え、
開戦へと突き進む世相に惑わされることなく、
冷静に当時の日本の国力を総合的に分析した訳だ。

翻って現在の総理大臣直属の各機関の在りようを考えて欲しい。
構成メンバーの多くには、総理や時の政府の思惑に沿った人物が任命され、
だされる提言はといえば、政権が実行したい政策を後押しするものがほとんどだ。
ある政策に対して多くの国民が「NO!」を訴えている場合ですら、
いまの総理直属の機関が、
政府方針に真っ向から異をとなえる提言をだすとは考えにくい。
現在問題になっている安保法案などはいい例の一つだ。

ところがあの開戦直前の時期、総力戦研究所のメンバーたちは、
勅命による総理直属の機関でありながら、堂々と自分たちの研究結果を発表し、
政府に異をとなえることも厭わなかったのだ。



文書グループ



総力戦研究所が行った研究の中から、特筆すべきものを二つあげよう。

まずは、開戦のおよそ10ヶ月前にだされた、
当時の日本の戦争指導機構の致命的な欠陥を指摘した研究、
「皇国戦争指導機構ニ関スル研究」

この研究報告書は、昭和16年2月3日付で作成され、
40部を関係方面に配布した「極秘」扱いの文書だった。
内容は、総力戦段階に適した戦争指導機構とは、
あくまで政府を戦争指導の「実行責任者」とすべきであり、
陸海軍は「強力ナル支援」の立場にあるべき。
ところが実際には統帥権が国務から独立し、それ自体が自己運動している現状がある。
これでは到底総力戦段階に適合した戦争指導は望むべくもないとして、
統帥権独立制を正面から批判。
可能な限り統帥権を狭義に解釈することで政軍関係の調整を行うべきだとして、
独自の戦争指導機構改革案を提示している。



統帥権の独立



ここでいう「統帥権」とは、
大日本帝国憲法(明治憲法)第11条が定めていた天皇大権のひとつで、
軍隊の作戦用兵を決定する最高指揮権のこと。
明治憲法下の日本では,統帥権を天皇の大権事項として内閣,行政の圏外においたので、
陸海軍の統帥権の行使に関する助言は国務大臣の輔弼によらず、
もっぱら陸軍では参謀総長,海軍では軍令部総長によるものとされ、
「統帥権の独立」が認められていた。
つまりここに「国務と統帥の二元制」という帝国憲法の欠陥があった。

太平洋戦争においては軍部が、「統帥権」をたてに天皇を利用。
結果、日本は負けると分かっていた戦争に突き進んでいった訳だから、
開戦直前の時期に、政府肝いりの機関だった総力戦研究所が、
軍部暴走の主因であった「統帥権の独立性」に関して、
ここまで明快に否定していた事実は歴史的に重い。

ここ最近の日本の空気が、戦前のそれに似てきていると、
多くの識者が指摘している状況を考えれば、
いま改めて総力戦研究所のような組織が必要なはずだが、
当然ながら安倍政権には、そんな組織を立ち上げようとする空気すらない。


総力戦研究所が行った特筆すべきことの二つ目は、「日米開戦のシミュレーション」

いま開戦に踏み切った場合、
戦況はどのように推移し、結果どうなるのかを見極めることだった。

ここで用いられた手法は、
模擬内閣を組閣し、国策遂行と総力戦の机上演習を行うというものだった。
模擬内閣は総力戦研究所の研究生34名で構成され、
彼らは出身機関・組織から持ち寄った第一級のデータをもとに、
想定される戦況の推移を仔細に検討した。
この研究結果は、開戦直前の昭和16年8月27,28日、
首相官邸で行われた「第一回総力戦机上演習総合研究会」で報告された。

総力戦研究所の模擬内閣の導き出した結論は、

「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、
その負担に日本の国力は耐えられない。
戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗戦は避けられない。ゆえに戦争は不可能」
という「日本必敗」のシナリオだった。
これは真珠湾攻撃と原爆投下以外、現実の戦局推移とほぼ合致していた。

この机上演習に関する報告は、当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、
政府・統帥部関係者の前で行われたが、
結論を聞いた東條陸相は、

「…これはあくまで机上の演習でありまして、…戦というものは、 計画通りにはいかない。…(この演習の結果は)意外裡の要素というものを考慮したものではないのであります」と発言し、「この机上演習の經緯を、諸君は輕はずみに口外してはならぬ」として、演習について口外しないよう求めたという。

結局、この総力戦研究所の研究結果は現実に生かされることはなく、
日本は「必敗」の戦争に突入していく。


歴史に「if」は禁物だか、あえて考えれば、
もしも総力戦研究所のような組織・機関が、開戦間際の時期ではなく、
もっと早い段階、昭和初期にできていたら、
あの不毛な戦争を回避できていたかもしれないし、
そうすれば約320万人もの尊い国民の命が失われずに済んだかもしれない。

終戦から70年の今年、安倍総理が談話を発表する。
例えば、その談話の内容に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」は、
いったいどんな役割を果たしただろう。
座長は総理を支える財界の大物である西室泰三・日本郵政社長、
座長代理は、安倍総理の政策ブレーンである北岡伸一・国際大学長。
その他メンバーの顔ぶれを眺めてもほとんどが総理の考え方に近い人物。
メンバーの人選で公正さを求められない私的懇談会であるから当然なのだが、
ではなぜ日本の戦後70年を総括する談話について、
総理に参考意見を伝える役割の会議が、「私的」なものだったのか。
なぜメンバー人選で公正さが求められる法令に基づく審議会ではなかったのか。

結局、7回に及ぶ会議を経て8月6日にだされた報告書の中身はといえば、
予想通り、概ね当初からの安倍総理の考え方を反映した内容だった。
ポイントをあげれば、

【先の大戦に対する「痛切な反省」を明記】
【「植民地支配」や「侵略」との表現も記載】
【村山富市首相談話にある「おわび」の踏襲は求めず】
ただし「侵略」に関しては、有識者会議の複数の委員から、「国際法上、定義が定まっていない」などとして報告書への記載に異議があったことにも触れている。

北岡伸一座長代理によると、
「侵略」という文言の記載については「二人の委員が反対した」…らしい。

ということは、14日に安倍総理が発表する戦後70年談話には、
「おわび」はもとより、「侵略」という文言も入らない可能性が高い。
安倍総理にしてみれば、2人の反対だけで十分だから。
この点に関しては安保法案に関する「違憲」論争を見れば明らかだ。
違憲が9割を超えても「1割の合憲でも良し」としている訳だから。

つまり、
この「21世紀構想懇談会」なるものの存在理由は、
既に方向性がはっきりしている戦後70年談話の性格や色あいを発表前に幾度か公表して、国内外の反応を探り、地ならしをすることでしかなかったといえる。
いわば観測気球のようなものだった訳だ。
だからこの「有識者会議」が、人選の公正さ云々はもとより、
安倍総理の考え方に異議を唱えるはずもない。


では、戦前の総力戦研究所のような、官民の責任ある立場の人たちが、
それぞれの抱える利害を越えて、
一緒になって日本という国の在り方を真剣に考えるような組織なり機関、
あの「奇跡の組織」はもう二度と登場しないのだろうか。

少なくとも今の政治家や官僚にはまったく期待できない。
その意味では「奇跡」がもう一度起こることはまずないように思える。

けれども少し先を見れば、
「もう一度奇跡が起こるかもしれない」との微かな希望がないわけじゃない。
そのほう芽のようなものか、いまの安保法案反対の運動の中にあるのではないか。
立場を越えた人たちによる縦横の連携。



安倍政治を許さない



なかでも将来の日本を支える多くの大学生や高校生が、
自分自身でこの国のあるべき姿を考え始めた。
安保法案の廃案を訴えてデモを行っているSEALDs(シールズ)や、
T-ns SOUL(ティーンズ・ソウル)が奮闘しているようすは逞しい。

彼等の中から、
間違いなく有能な政治家や官僚、各分野の次世代のリーダーが登場してくるだろうし、
そんな彼等であれば、
省益やら政治的な利害、企業エゴなどを越えた横の繋がりをつくれるに違いない。
そしてそのことが、
次なる「奇跡の組織」の登場を現実のものにしてくれるのだろうと想像する。

ではその実現のために、
彼等の親の世代である自分たちは何をすべきなのだろう?

考えるまでもない、
ダメはダメ、
許してはいけないものに対しては躊躇することなく声を上げて行動するしかない。
もうためらっている時間はないのだから。
でないと、懸命に頑張っている次の世代に申し訳ないじゃない?

(飯村和彦)




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2015年08月02日

「家」をもっと大事にできたらいいのになあ


見たところ、まだ古いとはいえないような、
どちらかといえばまだ新しそうな家の解体工事。
家を壊して更地にしたうえで「宅地」として売りに出されるらしい。

多少ステレオタイプな言い方になるけれど、
多分これが「日本的」な不動産(土地や住宅)市場のありようなのだろう。
実にもったいな話だ。



解体工事



ちなみにアマーストの我が家は45年前に建てられた木造住宅。
これまでに5〜6人オーナーは代わっているが、
住宅そのものの価値はほとんど変わらない。
経済が上向き、住宅需要が高まれば、家の値段は上がる。
その際に、家の新しい古いはあまり関係ない。

より考慮されるのは、築年数よりも家の状態。
きちんと手入れされ、いい状態を保っている限り、
家そのものの価値が下がることはない。
逆にキッチンやバスルームなどを改装したりすると、
古い家でもぐぐっと値が上がったり。

「新築」でなくなった途端、
驚くほど価値が下がってしまう日本とはまったく違う。

日米にはそれぞれいいところと悪いところがあるけれど、
こと住宅に関しては、
日本よりアメリカの方がフェアなような気がする。

もちろん、国土が狭い日本にあっては、
家より「土地」…なのだうが、多分それだけが理由じゃない。
かつて建てられていた長持ちしない「お粗末な住宅」の影響もあるだろうし、
多くの日本人が「まっさら」なもの好きというようなこともあるだろう。

でも、
やっぱり何をどういっても、もったいないものはもったいない。
ますます建築資材やらなにやらが値上がりしていくだけだ。
それでなくても日本のいたるところで「空き家」問題が発生している昨今、
ちょっと考え方を変える必要がありそう。

(飯村和彦)


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2014年10月26日

テロとの戦い。10年前といま、日本の姿勢は?



間違いなく、いま世界は深刻な事態に陥っている。
イラク、シリアで勢力を急拡大している「イスラム国」の存在。
そして、彼らの主張に同調する世界中の組織・個人。
特に後者にあっては、どこの誰が「テロリスト」であるのか、事が発生した後でないと分からないという現実が横たわる。
あるものは自らの信念から自爆テロを起こし、あるものは自らが今置かれている社会状況に憤怒しライフルや斧を手に暴挙に走る。

一方アメリカのオバマ大統領は、イスラム国への対応を巡り、22カ国の軍のトップをメリーランド州の空軍基地に集めて結束を呼び掛けた。会議に参加したのはイスラム国への空爆に参加しているフランスやイギリス、サウジアラビアなど。
この席でオバマ大統領は、「目標は、イスラム国が国際社会の脅威にならぬよう弱体化させ、最終的には破壊させることだ」と力説。イスラム国を壊滅するには、アメリカ単独ではなく「有志連合」の協力が不可欠という認識を示し、参加国も一致したという。

ここで登場した「有志連合」という言葉。
「有志」、つまり志の有るものたちの「連合」を意味するのだろうが、ではその「志(こころざし)」とはどんなものなのだろう。
さらに、このアメリカの呼びかけに日本は今後どのような姿勢で臨んでいくのだろうか。
安倍首相とその仲間たちが「選択」する「立ち位置」によって、これから先日本が向かいあっていくことになる「対イスラム国」「対テロ戦争」の様相が大きく変わってくる。

安倍首相の「選択」によって生じる「結果」。
その結果は私たち日本国民が受け入れられるものになるのか。もし受け入れがたい結果になった場合、安倍首相はどうのような「責任」の取り方をするのだろう。

と、ここまで考えて、ふとあることに気付いた。
約10年前にも似たようなことがあったなあ…と。
そこで当時の原稿を引っ張り出してみた。2004年2月に書いたものである。
内容は、小泉首相(当時)が、自衛隊のイラク派遣を決めたことに関する疑問だ。

考えを整理する意味もあり、改めて原文のまま掲載することにしました。
この10年間で、なにが変わりましたか?



星条旗たなびく?



…【以下、2004年2月3日、記】

『イラクへの陸上自衛隊の本隊派遣がいよいよ開始された。政治に翻弄された挙げ句の事実上の派兵。日の丸を背に迷彩服に身を包んだ隊員たちの胸中は複雑だろう。イラク国内が戦闘地域であるのは明白であり、そこに派遣されるということは、自らの命を失う危険性があると同時に他国人の命を奪う可能性もあるということを意味するからだ。
 しかし、先週の衆議院特別員会に於いて小泉首相は、自衛隊員に万が一のことが起きた場合、その『責任』をどうとるのかという民主党の前原誠司議員の質問に対し、「派遣された自衛隊員がその任務を果たせることを祈る」という内容の答弁を繰り返すだけで、不測の事態が発生した際の具体的な責任の取り方については一切口にしようとはしなかた。ときに薄笑いさえ浮かべながらのその答弁からは、日本の最高司令官としての決意は微塵も感じられなかった。

自衛隊のイラク派遣は小泉首相の判断であり、『選択』である。自分が行った選択の結果を引き受け、それに責任を持つのは当然のことである。この世に結果のでない選択など存在しない。にもかかわらず、小泉首相は頑なまでに責任の取り方を明確にしない。つまり、選択はしたがその結果については責任をとらないといっているのと同じである。
対テロ戦争は、どこに国境や前線があるのか、誰が敵なのかも曖昧な新しいタイプの戦いである。2年前、『9.11テロ』を検証する報道番組の取材で話を聞いた元FBI副長官のオリバー・レベル氏は、テロリストとの戦いの難しさについて「テロ決行の時間や場所などすべての状況をコントロールしているのはテロリストの方であり、特に自爆テロの場合は、実行犯が十分に訓練を積み、地域社会に潜り込み、時間をかけて計画を練り上げるので、その裏をかいてテロを未然に防ぐことは事実上不可能である」と語った。つまり、テロを防ぐための包括的な対策などは存在し得ないということだ。

自衛隊員が派遣されたイラクもまさにそのような状況であるということを、日本政府が正確に把握しきれていないであろうことは、国会での小泉首相や石破防衛庁長官による「サマワ答弁の混乱」を見ても明らかである。
さらには、イラクの大量破壊兵器問題を調査してきたデビット・ケイ前調査団長が、開戦時にイラクが同兵器を保有していた証拠はないと断言したことで、イラク戦争の大義にまで疑問符がついた現状を考えれば、自衛隊派遣の是非以前に、米英軍によるイラク戦争開戦を支持した小泉首相以下、政府の判断(選択)そのものが改めて問題になっているのである。「自衛隊が立派に任務を果たせるようにするのが私の責任だ」などと答弁している状況ではない。大義なき戦争を支持したかもしれないということの意味は、多くの罪のないイスラム教徒を大量に殺害した戦争、言い換えれば「テロに対する戦争」という名のもとに行われた“国際テロ”を支持したのと同じで、そこが問われているのだ。

ブッシュ大統領は「フセイン政権を打倒して世界はより安全になり、イラクの人々は自由になった」と述べているが、その彼の言葉がいかに空虚なものであるかは未だに戦闘状態が続くイラクやパレスチナの現状を見ればわかる。
小泉首相は日米同盟、国際協調はこれからの日本の平和と繁栄にもっとも大事だと力説するが、では彼のいうところの国際協調とはどんな国々との協調を意味するのだろうか?まさか米国とその同盟国だけを意味しているのではあるまい。これと似た疑問はブッシュ大統領や小泉首相が「テロに対する戦争」という言葉を口にする時にも沸いてくる。テロに屈してはならないというのは至極当然なことであるが、彼らのいうテロとは誰によるどんな相手に向けられたテロを指してのことなのか? 米国とその友好国に向けられるテロだけがテロだともいうのだろうか? 日本政府は米国が過去行ってきた多くの“テロ攻撃”に対してはどんな立場をとっているのか? 

我々はテロという犯罪そのものについて異なった視点から見つめる必要がある。国際司法裁判所が国際テロで有罪を宣告した唯一の国が米国であり(1986年)、米国だけが国際法の遵守を求める国連安全保障理事会の決議に拒否権を発動したという事実。これは1980年代にニカラグアが受けた米国による暴力的な攻撃(「力の非合法な行使」)に対する国際司法裁判所と国連の判断だった。ニカラグアではアメリカによるこの“テロ攻撃”で何万もの人が命を落とした。1998年にはスーダンの首都ハルツウムに米国は巡航ミサイルを撃ち込んだ。この爆撃でスーダンの主要な薬品の90%を製産していた製薬工場が破壊されたため、以降、今日に至るまで数万人もの命が失われていると報告されている。その多くが子供たちだという。彼らの家族にしてみれば米国こそがテロ国家なのである。サダム・フセインと米国が1980年代盟友関係にあったのは周知の事実だし、その当時サダム・フセインが毒ガスでクルド人を大量殺戮するという残忍なテロ行為を行ったのもまた事実である。
これら米国による数々の“テロ攻撃”の歴史については、マサチューセッツ工科大教授のノーム・チョムスキー氏の著書「9.11アメリカに報復する資格はない!」に詳しく述べてられているので是非参考にして頂きたいが、問題はこのような“テロ国家”としての米国の歴史を日本政府がどのように解釈した上で、その米国が掲げる「テロに対する戦争」に現在向き合っているのかが判然としないことである。

二日、宮崎県の高校三年生の女子生徒が内閣府に提出した、平和的な手段によるイラクの復興支援と自衛隊の撤退などを求めた小泉首相宛ての5358人分の署名つきの嘆願書に関連し、小泉首相は「この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない」とした上で、学校の教師も生徒に「イラクの事情を説明して、自衛隊は平和的に貢献するのだ」ということを教えるべきだと語った。自衛隊派遣という重い選択をしたにも係わらず、その結果起こりうる出来事についてどんな責任をとるのか一切説明しない小泉首相に、学校の教師に対して自らの判断の正当性を生徒に説明させる資格があるだろうか。
「暴力の連鎖を断ち切るためには平和的な解決が必要だ」と考え、たった一人で5358人分もの署名を集めた女子生徒の方が、何が善で何が悪なのかをきちんと見極めている気がするし、彼女の考えに共鳴した多くの若者たちの方が小泉首相より自分の正義、うちなる倫理に忠実に生きるように思えてならない。

善か悪か…。その概念は、状況によって変化する例が一つでも見つかった瞬間に焦点を失うものだ。特に「戦争」や「テロ」においては視点をどこに置くかで善悪の見え方も違ってくる。今ほど注意深く物事を見つめる姿勢が重要な時はない』

(飯村和彦)


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2013年04月04日

SUBARU(スバル)、よく頑張ってるなあ!



アメリカ自動車業界が好調だ。
たぶん、そういっていいんだろうな、と思う。
車の運転をあまり得意としない自分には、
ある意味どうでもいいことだけど、
経済の在りようを知るうえでは、
大切な要素の一つだ。

きのう発表された、
今年3月の全米での自動車販売台数(対前年3月比)を見ると、
アメリカ自動車メーカーの数字がいい。

GMの6.4%増を筆頭に、
フォード5.7%増、クライスラー5.0%増。
一方、日本メーカーはというと、
トヨタ1.0%増、日産1.0%増。
ホンダが7.1%増で、なんとか気をはいた…。

とまあ…そんな内容のニュースが、
きのうきょう日本でもアメリカでも流れた。
ネットでチェックしたが、
NHKにしても民放しても、大方そんな報道内容だった。

けれども、
本当にそれだけでいいのかなあ…と思うのだ。
下(↓)は、本日(4/3)付けのニューヨークタイムズの記事。



NYT



「今年3月の伸びは2007年以降最高」
としたニューヨークタイムズの記事も、
内容的には先に記したニュース内容とほぼ同じなのだが、
その紙面に掲載されていた、
メーカーごとの車の販売台数を示す「表」に、
実に、興味深いデータがのっていた。

表の一番下にある「SUBARU(スバル)」の数字だ。
販売台数は36,701台で、GMの245,950台には遠く及ばないが、
前年3月期との比較では、なんと「13.3%増」と驚異的な伸び。
ホンダやGMの2倍以上の伸び率なのだ。
(追記…実はこれで16ヶ月連続で前年実績ごえ。今年1月は21.3%増だった)

確かに全体のシェアは2.5%で決して大きくはないが、
だからといって、
ニュースでまったく触れない理由にはならないはず。
電気自動車のステラや、
オバマ大統領肝いりのフィスカー(電気自動車。破産申告を検討中)など弱小ではなく、
スバルは、全米でネットワーク販売しているメーカーなのだから。

百歩譲って、
アメリカのメディアが触れないのはまあ仕方ない。
しかしだからといって、
日本の一般メディアがまったく触れないというのはおかしい。
スバルの何が、そんな売り上げアップをもたらしたのか、
少しでもいいからその点を伝えるメディアがないのが情けない。

寄らば大樹…で、
大きなところだけを見ているのなら、そんな記者はいらない。
米国でスバルの奮闘を見ていればなおさらだ。

もしかすると、
「いやあ、紙面の都合(字数)で…」とか、
「前に少し触れたから」とか、
「放送時間の問題で…」とか、
あれこれ言い分はあるのかな?
でも、所詮そんなのは言い訳、抗弁でしかない。

小さくても、スバルがきちんと勝負できている理由。

アメリカ自動車業界の全体像の中に、
そのポイントを入れられない訳がないじゃないか。
たとえひと言しか触れられなくても、
見る人はその先を読めるのだから。
そして、
たぶん多くの人たちは、そんなニュースを見たいのだ。
そこが知りたいのだ。

断っておくけれど、
なにも自分は、スバルのまわしものでもなんでもない。
去年の秋にもこのブログで、スバルについて書いたけれど、
だからといってスバリストでもない。

(飯村和彦)


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2012年10月12日

「スバル」、アメリカで快走中!



マサチューセッツ州アマースト。
この街に越してきてすぐ、あることに気づいた。

「やたらとスバルが走ってなあ」

信号待ちの車の群れ、
レストランの駐車場、
街中の道路沿いのパーキング、
そこには「必ず!」スバルがある。
東京では考えられない頻度でお目にかかるのだ。

で、自分なりに納得していた。
「この一帯には山や丘が多い。
おまけに冬は冷え込み、雪も少なくない。
スバルにはもってこいの市場なのだろう」…と。

もちろん、その見方は間違いじゃなかった。
ここ米国・ニューイングランド地方は、
スバルの持つ「技能」(高い安全性や走行性)が、
より発揮しやすい地域であることは確かだから。

けれども、
あれこれ調べてみると、
スバル車がやたらと多いのはそれだけの理由じゃないようだ。



スバル1
(アマースト大学駐車場、photo:Kazuhiko Iimura)



まずは、今どれぐらい「スバル」が好調なのか。
数字で見てみると…

世界販売は今期、前期比13%増の72万台。
2年ぶりに最多記録を塗り替える。
そして史上最高益!
日本国内工場は24時間フル稼働状態。
その半分がアメリカ向けである。


「スバル」人気、いまや全米規模に拡大中!

アメリカ北東部のニューイングランド地方や山の多い地域には、
「スバリスト」と呼ばれる人たちいて、
彼らは、スバル車で大いなる自然を疾走している。
まあ、これは理解できる。
スバルならでは「走り」が堪能できるわけだから。
それがこのところ、
これまでの地盤だった山岳地帯だけではなく、
西海岸のロサンゼルスやアトランタ、
ダラス、オーランドなど南部でも販売が急増している。

アメリカの有力な消費者情報誌「コンシューマー・レポート」が発表した、
2012年の自動車メーカーランキングでは、
「スバル」が堂々の1位を獲得!
部門別でも、
「インプレッサ」が小型セダン部門で首位になっている。



スバル6



成功の鍵は?

各種報道を総合すると、スバルの成功の秘密は、
ドライバーの好みをしっかり理解していることにつきる。
スバル好きの客層は、知性的で、新しいものへの関心が強い。
年齢では、業界平均よりも3歳若く、
その四分の一以上が大学卒だといわれている。
さらに、
自由を好み、経済力はしっかりしている。

「平均所得は88,000ドル。これはホンダとほぼ同じ、
トヨタよりも1万ドル高い」
(市場調査会社Strategic Visionデータ)

その一方で、彼らは倹約家。
自分の経済力で余裕をもって買える車を選ぶ。
36%は、現金で車を買うという。

スバル・オブ・アメリカのマーケティング責任者は…
「スバルに乗る人々は高級車のオーナーとは違い、
品物を買うのではなく、経験を買っているのだ」と説明。
「堅実な購買層にセンスある商品を提供することで、
市場環境の悪化した2009年を乗り切り
その後、過去最高の販売と市場シェアを獲得した」



スバル3



ちなみに、
増産を続けるスバルのインディアナ州の工場。
この工場は、野生生物保護区域(環境保護地域)に立地しているため、
埋め立て地に送るような廃棄物をださないことが義務付けられているという。

ここに工場をつくったのは、
環境保護に取り組んでいるスバルの理念からだが、
結果として、
環境保護に関心をもってる人からの強い支持を得ている。
同時に、構築される「ブランド力」は当然強い。



スバル2



メインストリート
(アマースト・センター、photo:Kazuhiko Iimura)



スバル、いいじゃない。
改めてそう思うようになったのは、
マサチューセッツに住みはじめ、
街中を快走する多くの「スバル」を日々目にするようになったから。

もう10年以上前になるけれど、
東京で経済系の報道番組を担当していたころ、
富士重工の社長がゲストとして番組に登場した。
そのときの社長のコメントが印象的だった。

「わが社は“ふかぼり”ですから」

水平対向エンジンやら四輪駆動技術。
スバル車の安全性と走行性は、
車種を少数に絞り込み、技術面等々で深く掘り込んだ結果…。

で、考える。
こんど車を買い替えるときがきたらどうしようか…と。
いま我が家には、古〜い「サーブ」(おまけにコンバーティブル)がある。
それも親戚からの「おさがり」だ。
そう遠くない将来に走れなくなるだろう。
さてそのとき「スバル」を選ぶのか?
どうだろう…
まあ、そのときだ。

(飯村和彦)

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2012年10月04日

米国・シェールガス革命の「明暗」〜経済発展と環境破壊〜



IEA(International Energy Agency=国際エネルギー機関)は、
「近く、地球全体が、天然ガス黄金時代に入る」と予測している。
その根拠が、シェールガス。

「シェールガス」とは、
シェール層と呼ばれる地層に含まれる天然ガスのこと。
これまで採掘が難しかったが、
「水圧破砕法」と呼ばれる新技術により、
通常の天然ガスと同程度の費用で生産可能になった。

シェール層はカナダ、北米で多く見つかり、
急ピッチで掘削作業が進んでいる。

米国メディアの紙面には景気のいい見出しが溢れる。

「シェールガスブームは、
すでに60万件の新しい雇用を生み出し、
2025年までには160万件になる」
「アメリカ経済再生の切り札になるのでは」との期待から、
一部にはゴールドラッシュの再来…との声まで!

ところが!

シェールガス生産には大きな副作用が伴う。

環境への悪影響である。
採掘作業による地下水や河川の汚染。
さらには、
「地震」を誘発するとの報告もある。

北米大陸同様、
シェールガス埋蔵量の多いヨーロッパでは、
フランスとベルギーが、
水圧破砕法による掘削を禁止した。

いまアメリカで沸き起こる、新エネルギー・シェールガス革命。
そこにある「光と影」とは?



シェールガス



まずはシェールガス革命の「明部」から

1)シェールガスがもたらす明るい未来

「多くの新雇用の創出」
「シェールガスは、すでにに60万件の新雇用を生み出し、
2025年までには160万件になる」(HIS Global Insight)

「天然ガス価格は2008年より80%低下。去年一年間だけで45%も下がった」

「2025年までに石油輸入量が20%減る」

「今後10年では、3割から4割、原油輸入量を減らせる。
4割だと年間およそ$160billion
それがこの先ずっと続くことの経済効果は計り知れない」
「大幅減税と同じ効果をもたらす」
( Moody’s Analytics)

そして、
米政府やエネルギー関係者が夢見るのが、

「Energy independence(エネルギー自給)」

シティグループの分析によると、
米国は2020年までに「エネルギー自給」を達成。
同時に原油や精製石油製品、天然ガスの輸出国になりえるという。

すると…

(エネルギー自給が達成されると)
350万件の新しい雇用が創出され、
失業率は2%減る。

そのうえ、

エネルギー自給(エネルギー輸入に掛かっていたコスト軽減)により、
製造業ほかで構造改革が進み、輸出競争力も高まる。

最近では、
シェールガス埋蔵量の多い北米、カナダ、メキシコのことを
「”New Middle East”(新たな中東=北米、カナダ、メキシコ)の誕生!」
と表現し、その価値を強調する向きまである。



2)“シェールガス革命”に沸く現場
ペンシルバニア州ウィリアムズポートでは…

「6つの新しいホテルが誕生」
「約100の企業が街に入ってきた」

「2010年の経済成長率は7.8%、全米でもっとも早く経済成長している都市」

もちろん、
ペンシルバニア州のトム・コルベット知事の鼻息も荒い。
「長い間失業していた人が、職につけた。
まさにゴールドラッシュならぬ“シェールガスラッシュ”。
家や店、レストランへの需要も高くなった」

「ピッツバーグ郊外に天然ガスから薬品をつくる新しい化学会社ができる。
これだけで10000件の建設関係の仕事が生まれる!」



3)新エネルギー革命の発端は?

約12年前、
テキサスの試掘者、Geoge Mitchell(ジョージ・ミッチェル)が、
「水圧破砕法(hydraulic fracking)」という天然ガス掘削技術を商業化。
これがニューエネルギーブームに火をつけた。

水圧破砕法とは、
大量の水、化学薬品、砂を使い、
岩盤の中にあるガスを出す技術。
この方法では、ガスの含まれた岩盤を水平に掘っていくため、
これまでの垂直掘削より簡単に多くのガスや原油を産出できる。

水圧破砕法によって、
これまで割高だった
シェール層(=頁岩(けつがん)層)に含まれるオイルの採掘が、
安くできるようになった。

その結果、アメリカ国内の石油生産量は…

シティグループ予測:2015年までに「現在より3割」増える
アメリカ政府の予測:2020年までに「22%増加」。一日あたり670万バレル

ちなみに、
いま世界では、一日あたり8600万バレルの原油を生産している。
そのうちの1900万バレルをアメリカ消費。
米国政府によると、
一日に消費する1900万バレルのうち、890万バレルが輸入で、
そのうちの420万バレルが中東(OPEC)からの原油。

つまり、シェールガスの開発により、
アメリカ国内でエネルギー革命が進展して、
海外(特に中東諸国)に頼っている原油の一定量を国内で賄えるようになれば、
米国経済は劇的に変わる…と考えられているのだ。


しかし、シェールガス革命には大きな「副作用」が!



シェールガス革命の「暗部」とは?

1)水圧破砕法にシェールガス掘削は、環境に深刻な悪影響を与える!

イギリスの環境保護団体は、
水圧破砕法によってアメリカの地下水が汚染されていると警告。
フランスとベルギーでは、
すでに水圧破砕法による掘削を禁止した。

さらには、
「地震」を誘発する危険性もあるといわれている。

イギリスの会社、カドリラ・リソースが、
イギリス北西部で掘削を始めたところ、
現場近くで二度地震が発生。
そのため昨年春から掘削作業を中断している。
カリドラが後に発表した調査報告では、
水圧破砕法が「地震」を誘発したとしている。



2)汚染現場を検証:アメリカ河川の危機=「サスケハナ川」

サスケハナ川とは、アメリカ東海岸最長の川。
ニューヨーク州に始まり、ペンシルバニア州とメリーランド州を抜けて、
ワシントンD.C.のチェサピーク湾に流れ込む。
ペンシルバニア州の東部3分の2を占めるなど、
流域面積は7万1224平方キロに及び、
天然ガスの採掘地域「マーセラス・シェール」も通過する。

また、600万以上の周辺住民の水源としても利用されている。

実はこのサスケハナ川がいま、
深刻な危険に晒されつつあるという。

環境保護団体「アメリカンリバーズ」が毎年発表する
「アメリカで最も危機に瀕している川」というリスト。
このリストは、「最も汚染された川」ではなく、
「今後数年で運命が決する岐路に立っている川」を対象にしている。

その2011年度のトップが、サスケハナ川だった。
理由としては、この川の流域に含まれる
「マーセラス・シェールの採掘地域」を主な汚染源として挙げている。
この場所は近年、豊富な埋蔵量の天然ガスを目当てに、
急速に開発が進んでいる地域である。

汚染の理由は、「水圧破砕法」だとしている。

地下のシェール層から天然ガスを取り出す
「水圧破砕法(フラッキング)」は、大量の水を消費する。
砂や化学物質を含む大量の水をポンプで圧送し、
極めて高い圧力で気孔のない岩石層を砕く。

環境保護団体は、
「フラッキングの廃水は人体に有害で、発がん性の可能性もある。
しかし、現在ほとんどの施設で適切な廃水処理ができていない」
と懸念を表明し、
「地下や地表の源泉の汚染を防ぐ法律が不十分だ」
とも指摘している。



では、米国のシェール革命と日本の関係は?

シェールガスの米国内での生産量が、
ガス全体の2割に達した今、米国政府は次なる目標に向かっている。

「ガス輸出国にもなりえる状況になった」
(エネルギー省ポネマン副長官:2011年12月東京講演)

その実現に向け現在、
シェールガスを液体のLNG(液化天然ガス)にして、
輸出する基地作りが進行している。

これを受けて日本は、
そのアメリカ産LNGを輸入すべく動いている。

原則としてアメリカは、
FTA(自由貿易協定)を結んだ国にしか輸出を行わない。
そこでアメリカとFTAを結んでいない日本は、
「特別許可」を求めている。
今年中にもその結論がだされる予定だという。

現在日本は、LNGを中東や東南アジアからの輸入に頼っている。
おまけに価格はアメリカ国内価格の5倍と高い。
もし、米国から輸入できるようになれば、
輸入ルートを増やせるのはもちろんのこと、
「これまでより安く、LNGを買えるのではないか」と期待されている。

東日本大地震以後、
原子力エネルギーの代わりにLNGが多く使用されているため、
輸入量も急増中(去年38%増。今年は47%増の見込み)

日本でも今月(10月)3日、
石油開発大手の石油資源開発が、
秋田県にある鮎川油ガス田でシェールオイルの採取に成功した(国内初)。
国産資源の開発や、掘削技術の向上に繋がるとの期待されるが、
推定埋蔵量はわずか。
これで日本のエネルギー不足を解消する…とはいい難い。

「明と暗」が交錯するシェールガス革命。
新しいエネルギーはわれわれの未来を豊かにするのか、
それとも、大きな「負荷」を世界に与えるのか、
今後も注視が必要だ。

(飯村和彦)


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2011年09月06日

再考9.11テロ・予見されていた悲劇の裏側



2001年9月11日
米国同時多発テロで犠牲になった人の数は2973人。

ある人は迫り来る死の恐怖と闘いながら、
そしてある人は、
悲鳴をあげる間もなく、
その命を落としていった。



メモリアルタワー
[photo:kazuhiko iimura]



あれから10年。
ニューヨークの現場では今、
「9.11メモリアル」
(=The National September 11 Memorial & Museum)の建設が進んでいる。
けれども、
この場所を訪れる多くの人は、
いまだに、
かつてそこに聳えていた“アメリカ経済の象徴”、
世界貿易センタービルの幻影を見ているに違いない。



機影
[photo:kazuhiko iimura]



2001年9月11日、晴天。
あの日…
悲劇は、以下のようにして幕を開けた

アメリカン航空11便が、
世界貿易センタービル北棟に急接近

午前8時45分
アメリカン航空11便、世界貿易センター「北棟に激突」

午前9時3分
ユナイテッド航空175便、「南棟に激突」

午前9時43分
アメリカン航空77便、「ペンタゴン(国防総省)激突」

午前10時00分
世界貿易センター「南棟が崩壊」

午前10時6分
ユナイテッド航空93便、「ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落」

午前10時29分
世界貿易センター「北棟が崩壊」



マンハッタン、縦位置、空撮
[photo:kazuhiko iimura]



あの同時多発テロの実像を求めるために、
時計の針を、
9.11テロ発生の約8ヵ月後、2002年5月頃に戻してみる。

悲劇を冷静に見つめ直す機運が高まりはじめたこの頃、
多くのアメリカ国民やメディア、議会の目が、
ある方向に向けられはじめた。


テロは本当に防げなかったのか?


多くの人の胸の中に沸いたこの疑念は、
次第に大きなうねりとなって、
ブッシュ政権(当時)に向けらるようになった。

ダイアン・ファインスタイン上院議員(当時)
「大きな疑問の一つは、アメリカ国内での諜報活動の問題です」

ヒラリー・クリントン上院議員(当時) 
「ブッシュ大統領は全ての疑問に答える必要はありませんが、
幾つかには必ず答えるべきです。
特に“テロの事前情報があった”ということを、
どうして私たちが、きょう、5月16まで知らされなかったのか」

そのどれもが、
ブッシュ政権は、テロ事前情報を持っていたにも係わらず、
9.11テロを阻止できなった。
その理由を明らかにせよ!
…というものだった。


真相はどこに?


ブッシュ政権に向けられたこの大きな疑問にたいして、
長年、テロ対策の現場で捜査活動、諜報活動にあたっていた、
FBI、CIAの元幹部たちはどう応えるのだろうか。


FBI元特別捜査官、スミス氏は…

「国内でテロが起きる可能性を示す警告は、全部すぐそこにあった」

では、
もしそうであるとすれば、
なぜ、悲劇を避けられなかったのか?

「事件を未然に防ぐために諜報活動をしますが、
それを嫌がるFBIの性格が、
致命的なミスを引き起こしたのです」
(FBI元特別捜査官、スミス氏)

長年にわたり、
アメリカにおけるテロ対策の指揮にたっていた
元CIAテロ対策本部長のカニストラロ氏は…

「一連のテロの最終的な狙いを見抜けなかった点では、
CIAも同罪です」


2002年に入り、
米国議会では、
テロ事前情報についての大規模な調査が開始されていた。

そのきっかけとなったのが、
「フェニックス・メモ」と呼ばれる捜査報告書。
2002年5月、
連邦議会の調査で、その存在が明らかになったものである。
(参考:ニューヨークタイムズ記事)

報告書を作成したのは、
FBIフェニックス支部のケネス・ウィリアム捜査官。
その内容は、9.11テロ発生の2ヶ月前、
つまり2001年7月の段階で、
ワシントンのFBI本部や
アルカイダの動きを追っていたニューヨークのテロ対策部門にも送られていた。

「報告書(フェニックス・メモ)」の内容について、
CIA元テロ対策本部長のカニストラロ氏は…

「ウィリアムFBI捜査官は報告書の中で、
フェニックス近郊のアリゾナ航空学校で訓練を受けている、
複数のアラブ人の身辺調査を行うべきだと提言しています」

その理由として、
イスラム教過激派と思われる複数の中東系男性が
アリゾナにある飛行学校に入学している事実を指摘。
彼らの追跡調査により、

ビンラディンの信奉者が、
パイロットなどの人員として
民間航空システムに侵入しようとしている」

と断定していた。

ところが…

そのアリゾナからの報告書「フェニックス・メモ」を、
ワシントンのFBI本部も、
ニューヨークのテロ対策部門もまったく無視し、信用しなかったのだ。
当然、
その情報がCIAやホワイトハウスに送られる事もなかった。

ダッシェル下院内総務(当時)  
「FBI本部がどうしてその情報を不要としたのか、まったく理解できない」

「フェニックス・メモ」が見過ごされていたという事実は、
テロの遺族たちに、
新たな苦しみを与えることとなった。


しかも、FBI本部の失態は、これ一つだけではなかった。


実は2001年8月、
ミネアポリスでも、
現場のFBI捜査官たちが、一部のテロ実行犯たちを追いつめていたのだ。

この事実は2002年5月、
FBIミネアポリス支部の女性捜査官、
ロウリー氏の告発によって明らかになった。

13ページに及ぶ告発書簡の中で、
ロウリー氏は、

「9月11日のテロ実行犯の一部を、
事前に摘発できた可能性をFBI本部が握り潰した」

と訴えている。

告発の内容は、
テロ計画に関与したとして、
9.11テロ直前に逮捕、起訴されたムサウイ被告をめぐるものだった。

ムサウイに関する通報に対応したミネアポリスの捜査官は、
“彼がテロリストである可能性がある”と、初動捜査の段階から確信していました」
(告発書簡より一部抜粋)

2001年8月15日(=同時多発テロ発生の約一月前)
FBIミネアポリス支部は、地元の飛行学校から、
「小型機の操縦も出来ないのに、
ボーイング747の水平飛行のみの訓練を要求する不審な男がいる」
との通報を受けた。

8月16日
移民局が入国管理法違反でムサウイを逮捕

その直後、FBIミネアポリス支部は、
テロ防止関連で、
ムサウイの所持品などについて捜索令状を取ろうしたが、
この申請をワシントンのFBI本部は却下したのだ。

この件に関して、
元CIAテロ対策本部長のカニストラロ氏は…

「これはムサウイのコンピューター通信と
電話の盗聴をするために必要な裁判所の許可の事ですが、
証拠不十分ということでFBI本部は、
この申請を却下したのです」

この時、ワシントンのFBI本部に提出された
ミネアポリスの捜査官のメモには、

「ムサウイは、
大型航空機を乗っ取って、世界貿易センタービルに突っ込むつもりだ!」

とまで書かれていたのだ。

以下に、
ロウリー氏の告発書簡の一部を紹介する、

「運が良ければ、
9月11日以前に、
飛行学校にいた一人以上のテロリストを発見できた可能性がありました。
テロを防げたかどうかは分かりませんが、
少なくとも…
9月11日の人命の損失を小さく抑えるチャンスはあった筈です」

だが、
これらのテロ事前情報が、
同時テロを防ぐために生かされる事はなかったのだ。

元FBI特別捜査官のスミス氏は…       

「ミネアポリスからFBI本部に届いた情報は驚くべき内容で、
通常のものとは全く違っていました。
しかし、
“分析に余計な時間をかけるな”…というのが
事件が発生してから行動を起こす事に慣れていた
FBIテロ対策本部の考え方だったのです。
つまり、
テロを未然に防ぐ努力が足らなかったのです。

さらに、
もう一つの要因があります。
これは捜査当局に共通する問題点で、
多分、日本の警察庁も同じ問題を抱えていると思います。

それは、
全国規模の捜査組織は、
どうしても大きな支部からの情報を優先してしまうのです。

つまりFBI本部では、
"ミネアポリスの現場の捜査官に何が分かるんだ!"
と感じていた部分があると思います。
テロ対策タスクフォースが設置されているニューヨーク支局や、
海外テロ関係の捜査経験が豊富な
ワシントンDCの捜査官から上がった情報ではなかったので、
"ミネアポリスやフェニックスで燻っているような素人に何が分かるんだ!"
という気持ちがFBI本部にはあったと思います」


それでは
ホワイトハウスやCIAの方はどうだったのか?



ホワイトハウス
[photo: noa iimura]



ブッシュ大統領は、
“同時テロに関する事前情報は一切なかった”
という立場を一貫して取っていた。
しかし、
これがウソだった事が連邦議会の調査で明らかになったのだ。
                    
2001年8月6日、ブッシュ大統領は、
「ビンラディンが、アメリカ国内でハイジャックを計画している」
との報告をCIAから受けていたのだ。

この件に関して、
ライス大統領補佐官(当時)は以下のように弁明した。


「アルカイダが飛行機を何機も乗っ取って、
それをミサイル代わりにして、
世界貿易センターやペンタゴンに突っ込むなんて、
だれも予想できなかったと思います。
大統領への報告は、従来型ハイジャックについてでした」


しかし、
もしそれが本当だとしたら、
“それこそ由々しき問題だ”と
元CIAテロ対策本部長のカニストラロ氏は憤る。

「彼女(ライス大補佐官)は間違っている。
9月11日のテロの前兆となる、
ハイジャックした民間航空機で建造物に突入するというテロ計画は、
以前、実際に計画されていたのだから」

CIAテロ対策センターの元上級分析官のベドリントン氏も…

「ボジンカ計画と呼ばれるテロ計画があった。
1995年に、この計画が発覚したのは、全くの偶然だったが…」


9.11テロの6年前の1995年
CIAやFBIは既に、
アルカイダ一派が、
航空機を使った自爆テロ計画を持っているという事実を掴んでいたのだ。


暗号名・ボジンカ
いったい、どんな計画だったのか?



航空機
[photo:kazuhiko iimura]



1995年2月、
一人の男がフィリピンからニューヨークへ空路、移送されてきた。
男の名はラムジ・ヨセフ (注:ラムジ・ユセフとも表記される)

ヨセフは、
マンハッタン上空から世界貿易センタービルを眺めながら、
FBI捜査官の問い掛けにこう答えた。

FBI捜査官:「見ろ、世界貿易センターはちゃんと立ってる」
ヨセフ:「もっと金と爆薬があったら倒すのは簡単だった」

実はこのラムジ・ヨセフこそが、
1995年のボジンカ計画の首謀者であり、
また、
その2年前の1993年に発生した、
最初の 世界貿易センタービル爆破事件 の犯人でもあった。


では、
問題のボジンカ計画とは、
どんなテロ計画だったのだろうか。
元CIAテロ対策本部長のカニストラロ氏は…

「ラムジ・ヨセフは、
フィリピンのアジトに仲間と一緒に潜伏し、
そこで極東に運行しているアメリカの民間機を含む、
数機の民間旅客機を同時爆破する計画でした。
少なくとも11機がターゲットになっていましたが、
もっと多かったという説もあります」

アジア、アメリカ間を飛ぶ
11機の旅客機を狙った同時爆破テロ。

しかもそのほとんどが、
9.11テロと同じように、
アメリカン航空やユナイテッド航空など、
アメリカの旅客機を狙ったものだった。

【9.11テロ取材ノートより】


手向けられた花1
[photo: noa iimura]


(飯村和彦)


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2011年02月07日

ひど過ぎるアメリカ「銃犯罪」



またアメリカで「銃」による乱射事件である。
6日。オハイオ州の州立ヤングズタウン大学の近くにある
学生寮で銃乱射事件があり、
学生1人が死亡、学生6人を含む11人が負傷したという。

今年1月には、アリゾナ州トゥーソンで男が銃を乱射し、
連邦判事と9歳の少女を含む6人が死亡、12人が負傷したばかり。
この事件では、
同州選出のギフォーズ下院議員が頭に銃弾を受け、重体になった。

「1日に約40人が射殺され、
3分に1人が銃で傷ついている。
それがアメリカの姿だ」

これは1993年のアメリカ。
しかし、そんな状況が「改善」されたという話は聞かない。
1999年には、13人の犠牲者をだしだ
コロンバイン高校乱射事件も発生。
銃による凶悪な犯罪は今日にいたるまで、まったく減っていない。



ガン



「誰も自分を守ってはくれない。
だから、自分の命は自分で守るしかないんだ。
銃? 当たり前さ…。
だってみんなが銃を持っているから。
撃たれる前に撃つ、
それがこの国の正当防衛なのさ」


5ドルの金、踏まれたスニーカー…
そんな些細な理由でも人が殺されいく。


「拳のケンカ? 冗談じゃないぜ。
そりゃ昔の話だ。
そんな事してたらアッという間に後ろから撃たれてお陀仏さ。
殺られる前に殺る、それには銃が必要って事さ」

かつて、
ロサンゼルスの少年ギャングの取材をしたとき、
少年たちは、そういってうそぶいた。

銃社会アメリカ。
その数は、2億丁以上といわれている。
この数字には警察や軍隊が持っている銃は含まれていない。

まずは、歴史的な背景を確認しよう。

開拓時代のGun 所持者は、主に裕福な人たちだった。
彼らは自分の土地や財産を他の侵入者や盗賊から守るため、
Gun(ほとんどがライフル) を買った。
なぜなら、この時代の警察システムは、
田舎の広大な地にあっては往々にして無力であったからだ。
南部アメリカに於いては、
現在でもこれと似た考えを持つ人たちが多い。

また、アメリカの政治的伝統にあっては、
銃を持つ事は、
自己を防衛していく上でのごく自然な権利であると考えられてきた。
多くのアメリカ人は市民が武器を持つ事が、
政府の圧政から自分たちを守っていく基本であると考えている。

市民戦争に於いて、
民主主義の名のもと、
市民が武器を持って政府に立ち向かった精神からきている。

しかし、
時代と共にアメリカ国民が銃を買う理由、
及びその種類も変わってきている。

連邦政府のデータによると、
1950年代後半に於いては、
そのほとんどが狩猟目的のライフルやショットガンで、
ハンドガンの割合は、
当時の年間売上 200万丁の約5分の1に過ぎなかった。

全米で犯罪が多発し、
各地で暴動や暗殺事件が発生するようになった1960年代になると、
銃の売上も急上昇し、1966年には 300万丁。

Martin Luther King、Robert F. Kennedy が暗殺された、
1968年には 500万丁に達した。
この銃の売上増加の原因が、
ハンドガンの割合の増加にあった事は言うまでもない。

50年代末、その数が50万丁であったハンドガンが、
70年代初頭には年間 200万丁にまで膨れあがった。
現在では、
アメリカ国内で買われている銃の二つに一つは、
ハンドガンという事になっている。

手軽に扱える銃が、
全米に溢れているということだ。



ガン2



1990年代になると、
少年たちの好むGunも小さい型のものになっていった。
『nines』と呼ばれる、
9mmのセミオートマチック銃が人気の的だった。

少年たちに言わせれば、
Tシャツの下でも目立たないこの“nines ”は、
夏用の銃として最適なのだそうだ。
おまけにとっても性能がいいらしい。

だが当然、その分値段も高く、
ストリートでは高値で売買されている。
よって、こんなGunを手にしているのは、
少年たちの中でも『crew』と呼ばれる麻薬や銃のディーラーや、
脅し・恐喝・殺人で金を得ている少年ギャングたち。

真新しいスニーカーを履き、
BMWを乗り回し、
金のネックレスやブレスレットを輝かせ灰色の街を闊歩する。

彼らは、普通の(?) 少年たちの憧れの的だ。
だから、『crew』のメンバーではない少年たちも、
Gunを持ち始めるようになる。

「何でGunが必要かって? 
そりゃ他の連中がみんな持ってるからさ。
格好いいし、強くなった気分になる。
それに、いざという時、
殺られる前に自分を守るにはGunしかない」

これが少年たちのごく普通の反応だ。
『crew』のメンバーにしてみれば、
Gunは簡単に金を稼ぐ最高の道具であり、
ケンカや抗争にあっては不可欠な武器だ。

一方、『crew』のメンバーではない少年たちにとっては、
Gunはファッションであり、
架空の力を他人に保持する為の道具でもある。

彼らは、crewの真似をして、
自分が、
『down』( “格好いい”の意味)な人間になった錯覚を楽しみ、
時には銃を見せびらかせて、
さもcrewのメンバーであるかのように振舞ったり。

「もし俺に何かしたら、
俺のバックにいるメンバーが黙っちゃいないゾ!」
という風に…。
これも自分の命を守っていく一つの方法だ。

『crew』のメンバーになる為には、
“人前で見ず知らずの人間を撃つ事”が条件である。
すると、「奴は本当にイッちまってる!」という、
『rep』(=reputation:評判の略。
殺人や強盗・麻薬などを評価する時に使われる)
が得られ、crewのメンバーになれるのだという。


では、連中は、どうやって銃を手にするのか。


一つが銃規制の緩やかな州から街に持ち込まれた銃を、
ディーラーを通してStreetで買う方法。
人気の9mm semiautomatic から
Saturday Night Special(小型で少年が最初に手にするような銃) 、
T字型の MET Machingun や 、
AK-47 のような大型の銃までなんでも揃う。

もう一つが、
殺されたり、逮捕された仲間が持っていた銃を回してもらう方法。
こちらも、その種類と量には事欠かない。

これらのGunは、
新品から中古まで様々な値段で売られているが、
基本的に、
何人もの人を殺しているGunは安い。
何故ならその銃を持っていて逮捕された場合、
前の持ち主の殺人まで一緒についてくる事になるからだ。

「Gunはユニホームになっている。
野球をしていた時グローブが必要だったように、
今の彼らにはピストルが必要な訳だ」

これは、ロスで取材したあるGunプログラムのカウンセラーの言葉だ。
「彼らの世界では、スニーカーを踏んだだけで、
すぐに銃でパンパンパンという事になってしまう」

“口は災いのもと”という言葉があるが、
彼らの間では口はすぐ Gun Shot に繋がる。
相手への罵詈雑言のことを彼らの言葉では『Beef』と呼ぶが、
この『Beef』がすぐに、
「Yo! whachoo doin',Pow Pow Pow …」という事になり、
ゴロリと死体が地面に転がる。

ファッションで銃を持ち、
ラップを聴きながら、
ビルの屋上でネズミを撃って遊んでいるような少年でも、
こういい放す。

「俺は今まで人に銃を向けた事は無いし、
これから先も向けようとは思わない。
でも、誰かが俺に銃を向けてきたら、
俺は撃つ。
もしそうなったら、
俺の人生がみんな変っちまうだろうから、
考えたくは無いが…」と。

けれども、
こんな少年でも、
実際に銃を人に向けるようになるまでに、
そう時間はかからない。



スクーター


 
1968年、
ロバート・ケネディはこう演説した。

「現在のアメリカが抱えてる最大の問題は、
溢れるGun とそれによる犯罪だ」

しかし、
彼は、この演説の翌日に暗殺された。
あれから43年。
銃社会アメリカは、
いまだに、思考停止状態にあるようだ。


(飯村和彦)

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2010年08月03日

日航幾墜落事故、御巣鷹山の記憶



少し前だが報道で、
「御巣鷹の尾根」が荒らされているということを知った。
遺族らがメッセージを記した短冊が切り落とされたり、
千羽鶴が引き千切られたり、
「昇魂之碑」の周辺を荒らす行為が頻発しているのだという。
心ない行為に拳が震える思いである。

1985年8月に発生した、
日航ジャンボ機墜落事故。
今年で25年になる。

「部分遺体発見、部分遺体発見!」
トランシーバーに向かって大声を張り上げる自衛隊員。
その声は、
今でも耳の底に張りついている。
ヘリコプターの轟音と巻き上がる砂埃。
あのとき、
御巣鷹の尾根で見た光景は、
決して忘れることのない惨状そのものだった。

25年前のあの事故は、
取材者としての自分の原点でもある。
報道の世界に入って間もない頃だった故、
ともかく、
事故発生直後から、必死で取材にあたった。

墜落現場の焼け焦げた臭い。
信じられない数の棺が並べられた遺体安置所(地元体育館)。
家族や友人の身元確認を待つ、沈痛な表情をした人たち。
その全てが「悲嘆の固まり」だった。

「自分の目で見たものを自分の言葉でリポートしろ。
それから、遺族に失礼なことだけは絶対にするな!」
取材にあたって、
上司から言われたのはそれだけだった。
現場に入れば、若手もベテランも関係ない。
自分の目と良心に従って取材にあたるしかないのだから。

あの時、
自分がどんな状況の人に対して、
どのような取材をしたのか。
今、その全てを細部まで思い出すことは難しいが、
一つだけ、確かなものが残った。
それが↓の葉書である。


0129b1ca.jpg


息子さん夫婦とお孫さん一人が事故の犠牲になった、
ご遺族からのもの。

事故直後、遺品が並んだ部屋で、
“なんとかインタビューをさせてもらった”のがきっかけで、
翌年の慰霊登山の際に、
同行取材を許してもらった方である。

「頂いたテープ、時折再生しております。
本当にお世話になりました。
…また、お目にかかれるのを期待しております」

届いた葉書には、
そのような言葉が、丁寧な文字で記されていた。

悲しみに沈む遺族に、
無理をいって取材をさせてもらう。
失礼のないようにと気を配っていても、
知らず、
心の傷に触れるような質問もしていただろう。

けれども、
この葉書一枚で、自分は救われた。
取材者が、遺族に助けられるというのも不思議な話だが、
事実、そのような感覚をもったのは確かだった。

以後、
これまでの25年間、
折に触れてこの葉書を思い出す。
取材者として、人にどうあるべきか…。
この葉書がなかったら、
御巣鷹山での取材経験が、
自分の「原点」になっていたかどうか、
…疑わしい。

【2007年7月の記事に加筆・訂正を加えて掲載】
 

(飯村和彦)


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2010年02月22日

松坂大輔 18歳の頃



横浜高校3年、松坂大輔。
当時、彼は「平成の怪物投手」と呼ばれていた。
そんな松坂の取材を始めたのは、
「怪物」の高校生活も終わりに近づいた、
2月末のこと。

「怪物といわれているが、
自分ではどこが凄いと思う?」

そんな質問に対して、
刹那、戸惑った表情を見せた松坂だったが、
すぐに、明快な答えを口にした。

「うーん、何だろう…。
みんなと違うとは感じていた。
(例えば?)…負けないこと!」



ボール2



その年の夏の甲子園。
延長 17回に及んだPL学園との戦いを、
250球の熱投で制した松坂は、
準決勝も勝ち進み、
8月23日、
甲子園、春夏連破をかけた京都成章戦に臨んだ。

連投の疲れも見せず、
松坂は三振の山を築いていった。
そして迎えた9回2アウト。
27個目のアウトは、狙いすました三振だった。
59年ぶりの、決勝戦ノーヒットノーラン。
以降、松坂は、
「平成の怪物投手」として、
メディアの注目を一身に浴びるようになっていく。

卒業の日。
松坂は3年間の高校生活について、
幾分、頬を赤らめながら語った。

「3年間、男だけの生活をして、色々と体験できた。
(どんな体験?)
それはちょっと喋れないので…」

それは、18歳の青年の言葉だった。
ところが野球の話になると、
松坂の口調は一転、自信に満ちたものへと変化する。

「(プロ初球は?)…まっすぐ」
「(戦いたい選手は?)
…イチローさんを力でねじ伏せたい」

“プロに入るからには、記録にはこだわりたい”
そんな松坂は、
西武への入団が決まった直後には、
“二桁勝って新人王を獲る”と明言していた。

「(新人王の他、一年目の目標は?)
獲れるタイトルは沢山あるので、
出来るだけ多く獲りたい。
(例えば?)…最多勝とか、最優秀防御率賞とか」

爪入りの学生服を着た松坂は、
いとも簡単にいってのけた。
彼が、「平成の怪物投手」といわれる所以。
それは、他人のためではなく、
自分自身のために高い目標を設定し、
それを実現していく強さだった。

「少年の頃は、どんな子だった?」
「太っている時は、若の花に似ていると言われました」

若の花似の少年が、
「怪物」になった瞬間はいつなのか。
はっきりした答えは出ないと知りつつも、
以後、
何人もの“松坂関係者”にインタビューをしていった。

小倉清一郎、横浜高校野球部・部長。
松坂の資質を誰よりも早く認め、育て上げた人物である。
小倉氏が初めて松坂を見たのは、
彼が中学1年の時だった。

「堂々としていて、
振りかぶった時の雰囲気が、非常に格好いい。
それが第一印象でした」

特に小倉氏が注目したのは、松坂の背筋力。
振りかぶった時に背スジがピーンと伸び、
胸を大きく張って腕を振り下ろす投球ホーム。
それは、背筋が強くなければ出来ないものだった。

中学時代、
松坂は、全国でも有数の少年野球チームに所属していた。
当時の松坂はリーダー格ではなく、
“リーダーのグループにくっついて行く”タイプの少年。
だが、野球に関しては、
誰もが一目を置く存在だったという。

少年野球チームの監督だった大枝茂明氏は、
当時の松坂少年の意外な側面を、
冗談交じりに懐古した。

「言ってやらせないと出来ないんです。
普段、何も言わないと手抜きをするんですよ(笑)。
それで、怒って注意すると出来ちゃう。
それが素晴らしい天性のセンスなんです」

この松坂のセンスについては、
横浜高校で松坂の指導にあたった小倉部長も、
似た見方をしていた。

「どんどん、どんどん、
やればやるほど、力が身について行くんだなと。
それが、松坂の素質だった」

やればやるほど力が身に付く…。
横浜高校に進んだ松坂は、
来る日も来る日も小倉氏の激しいノックを受け、
そして、それに耐えた。

しかし、身体能力や技術の高さだけでは、
松坂を説明できない。そこには、
“自分の原点になった”と松坂自身が回想する、
ある大きな出来事があった。

それは、横浜高校2年のとき。
松坂はエースとして、
夏の甲子園・神奈川県大会、
準決勝のマウンドに立っていた。

悪夢が訪れたのは9回裏。
同点に追いつかれた後の1アウト1,3塁の場面だった。
「スクイズを外そうと思った」という、
この日134球目のボールが、
捕手・小山のミットをはじいて、
バックネットへと転がった。

「心に余裕がなくて、二年生でしたから。
もうただ、すぐアウトを取りに行きたくなって…」
これは、小山良男捕手の言葉だ。

痛恨のサヨナラ暴投。
試合後、松坂はベンチの中で泣き崩れた。

しかし、その悔し涙が松坂を変えた。
この日の屈辱が、
高い目標を求めて野球に取り組むという、
松坂の原点になっている。

当時を振り返りながら、
横浜高校の渡辺元智監督は指摘した。

「あれで確かな目標を立てることが出来るようになった。
それが大きな要素だと思います。
そしてそれが、松坂大輔自身の信念に変った」

松坂の信念。
プロ野球選手として初めてキャンプに参加する前日、
ふとした拍子に、松坂はこんな言葉をはいた。

「(いつも思っていることは?)
自分が一番うまいと思って、練習はやっています」

プロとは人に夢を与える仕事。
その最高の舞台がプロ野球だと松坂は話していた。

「(プロ初登板は緊張すると思う?)
その時になってみないと分かりません。
甲子園の時も、周りの人は、
マウンドに立ったら緊張するといっていましたが、
全然なかったので…」

多くの人に注目されればされるほど、
力が沸いてくる。
18歳の松坂はそんな言葉も口にしていた。
現在、松坂の舞台は、
彼の望んでいたメジャー・リーグへと変った。

怪我で不本意な成績しか残せなかった昨シーズン。
今年、松坂はどう巻き返してくるのか。
20勝を目指すのか、
それともノーヒットノーランか…。
2年続けて低迷するような男ではない。

「ONE FOR ALL」

高校時代、
松坂が野球帽のひさしに書いていた言葉である。
いま松坂はそこに、
いったいどんな文字を記しているのか。


(飯村和彦)


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2006年10月18日

北の核開発、歴史的背景を…「取材ノートより」



北朝鮮による「核実験発表」から一週間。
一部には、通常火薬を使用した、
“偽装説”もあったが、
やはり、
プルトニウムを使った「核反応を伴う爆発」、
つまり「核実験」であったらしい。

国連の制裁決議や、
その決議に対する北朝鮮の反発、
次なる核実験への不安、
…等々については、
新聞やテレビ報道を見てもらうとして、
ここでは、

「北朝鮮が“核開発”に邁進した歴史的な背景」

について少し…。
そもそも、
どうしてあの国は、「核兵器開発」に驀進したのか。


戦争は最悪

 
まずは、北朝鮮の国際社会での孤立化から。
 
1983年、
韓国の全斗換大統領を狙った「ラングーン事件」が発生。
そして、その4年後の1987年には、
死者78人をだす大韓航空機爆破事件が発生した。

これらのテロ行為を、
国際社会は北朝鮮による犯行であるとほぼ断定。

大韓航空機爆破事件については、
「金正日書記(当時)の司令によるものだった」
と、実行犯だった金賢姫(キムヒョンヒ)は、
直属の上司の言葉として語っている。

97年1月に韓国に亡命した元北朝鮮外交官も、
当時の北朝鮮における政策決定の構図を、
以下のように説明している。

「80年代後半に、
金日成がすべての権限を金正日に委任にしてから、
金正日の政策決定の構図が始まった。
すべての政策は、
金正日ひとりの決心と、
金正日の意図だけを追う、
忠臣たちによって作り出された」

度重なるテロ行為に対し、
国際世論は北朝鮮を激しく非難。
こうして、
北朝鮮の国際社会からの孤立化がはじまった。

さらに、
これに拍車をかけたのが、
90年代に入ってからの冷戦構造の終焉。

90年9月、ソ連が韓国と国交を結び、
中国も韓国との国交樹立に向けて動き出した。

そんな情勢の中、
金正日書記は91年12月、
人民軍最高司令官に選任され軍を掌握、
国内の権力基盤を強固なものにしていった。

しかし、
それまで北朝鮮の後ろ盾だった、
中国とソ連の外交政策の転換は、
政治的にも経済的にも、
北朝鮮を窮地に追い込んでいった。

そこで、
金正日書記率いる「超軍事国家」、
北朝鮮が切った外交カードが
「核兵器の開発」…だった。

当時の北朝鮮政府内部の動きについて、
元北朝鮮外交官、
高英煥氏は次のように話している。

「北朝鮮の指導層は、
何かをやらないと、
韓国に、
軍事力においても負けてしまうかもしれないと思った。
だから、
北が、韓国に対して優位を保つための唯一の方法は、
核兵器の開発を加速させることだと考えた」

93年3月、
北朝鮮は核拡散防止条約からの撤退を宣言。
全軍に「準戦時体制に入れ」と厳命を下した。

この時、金正日書記(当時)は核爆弾について、

「もし、アメリカや西側諸国が、
我々に経済制裁を加えたりしたら、
その時は隠してある核爆弾を使って地球を破壊する」

と豪語したという。

93年3月には、
核拡散防止条約(NPT条約)からの撤退を宣言。
翌94年3月19日にソウルで行われた南北実務者協議では、
あの「火の海発言」まで飛び出した。

さらに、
強行姿勢を崩さない北朝鮮は、
94年6月、
国際原子力機関からの脱退を宣言。
国連が制裁措置に踏み切るならば、
宣戦布告とみなす」とまで言い放った。

この対応は、
国連による制裁決議を受けた、
今回の北朝鮮の反応とまったく一緒である。


ホワイトハウス2


94年のときは、
強硬姿勢を崩さない北朝鮮に対して、
アメリカ政府も安全保障会議を招集。
「米朝開戦」までをも覚悟したというが、
まさに、
その安全保障会議を開いている最中に、
北朝鮮を電撃訪問し、
金日成主席(当時)と会談していた、
カーター元大統領から電話が入り、
間一髪の所で開戦は回避された。

当時、
元韓国中央情報局のカンイントク氏は、
金正日戦略の特徴を、
以下のように指摘していた。

「脅威を示して、
自分たちの望むものを獲得していく“搾取外交”を、
北側は、今後も続けていくと思われる」 

あれから12年。
まさに、
当時と同じ状況が生まれた訳である。
やっかいなことは、
今回の場合、北朝鮮が、
不完全ながらも“核兵器”を手にしていると思われる点。

北朝鮮の“搾取・恫喝外交”に屈したくはないが、
さりとて、
暴君である金正日に、暴発されても困る。
国際協調…など眼中にない北朝鮮に対して、
いったい何ができるか。
嫌な…状況である。


(飯村和彦)


newyork01double at 12:04|PermalinkComments(8)

2006年01月23日

鏡の向こう側…心の青空を求めて!



ちょっと古いけれど、時には、こんな本を…。
『Nobody Nowhere』(Donna Williams 著)
…日本語版あり。
「自閉症だった私へ」(新潮社)…続編も出版されている!


自閉症少女、ドナ・ウィリアムスが鏡の中に見ていた世界とは?


グラセン


気違い、聾(Deaf) 、知恵遅れ、乱暴者。
幼少期から彼女には幾つものレッテルが貼られていた。
しかし、彼女は気違いでも知恵遅れでもなかった。
他者との接し方が分からない、
必要以上の他者の接近がどうしても耐えられない。

結果、彼女は自分の中に自分自身の世界を作り、
自分の世界の中で生きていた。

『自閉症とは何か?』

人はよく“自閉症”という言葉を使うが、
実際はそれがいかなる病気で、
どんな症状を伴うものなのかを正しくは理解していない。
更には、専門であるはずの精神分析医でさえ、
その実態をきちんとは把握していないという。

よって、自閉症児に対して間違った対応をしている場合も数多い。
この本は、自閉症少女本人が見てきた世界、味わった苦悩、
感じてきた対人間関係の苦悩を、
彼女自身が必死の思いで書き記した自伝である。

───では、自閉症少女、ドナが見てきた世界とはどんな世界だったか?

家族をも含む、他者の接近から逃れるためにドナが作りだした彼女の世界。
その世界に逃げ込んでいる時だけ、彼女は安心できたという。
幼児期にはすでに出来上がっていたその世界とは一体どんな世界だったのか。
また、そんな彼女だけの世界に立ち入る事が出来た数少ない人物、
彼らは何故その世界に招かれる事が出来たのか。

───自閉症少女、ドナにとっての他者とは一体どんな存在だったのか?

土足で彼女の世界に勝手に入りこむ他者たち。
それは、母であり兄であり、
また、彼女とCommunication を持とうとする全ての現実世界の人間たちだった。
彼女には彼らが話す言葉さえ恐怖の対象であり、
それが彼女に向けられた途端、彼女は彼女の世界に逃げ込む。

また、そんな他者と付き合っていく為に彼女が作り出した、
キャロル、ウィリーなる人物像。
彼らは彼女との関係の中でどんな役割を果たしていたのか?

───自閉症少女、ドナが作り出した自分以外のもう二人の人物の意味とは?

明るい性格のキャロルが上手く他者と付き合い、
現状認識に長け時に暴力的なウィリーが、
必要以上にドナに接近してきた他者を払い退ける。
そして、ドナはまた彼女の世界に閉じ籠もる。

しかし、自閉症少女ドナは多重人格ではない。
なぜなら、そこには常にドナがいた訳だから。
増してや、精神分裂患者でもない。


パーキングに男


───自閉症少女、ドナにとっての現実世界とは?
───自閉症少女、ドナが自己としてのドナをどう見つけだしていったのか?

他者との意志疎通が出来ないドナ。
母親を含む、まわりの人間は彼女を“気違い”と呼んだ。
現実の世界とドナの世界の間にある壁。
安息できる自分の場所を求めて少女は転々と彷徨う。

ある時は道端に住処を探し、
またある時は男に身を任せる。
笑顔で気立てのいいキャロルと用心坊的存在のウィリー。
ドナはいつもこの二人の影に隠れ、なかなか表に出たがらない。
“普通の人間”、“尊敬される人間”に対する憧れ、
自分が他の人と何か違っていると気づいた彼女は、
“普通(Normal) ”を渇望し始める。

苦しみ悩み、時には自分を傷つけながら、
それでも彼女は、自活して高校を卒業し、大学へと進んだ。
自分自身を見つける事、
自分の世界と現実の世界との架け橋を見つけること…
ドナは必死で自分を見つける旅にも出た。

そして、25歳の時、彼女は“Autism”という言葉を発見した。
Autism (自閉症) …
勿論それを理解する事が全てではなかったが、
彼女はその言葉の中から、
現実の世界に架かる橋を見つけるチャンスを得たのだった。


ドナさんと共に、自分探しの旅にでる。
良くも悪くも、
きっと、その人なりの発見があるはず…。

(飯村和彦)

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newyork01double at 10:01|PermalinkComments(23)

2005年10月31日

東京story:原爆の子「サダコ」ちゃんの甥



昨晩は、素晴らしいコンサートを見てきました。
「事前にブログに記しておくべきだった」
と思ったのは会場に入った時、ごめんなさい。

広島平和記念公園にある、
「原爆の子の像」はみんな知っていると思います。
モデルは佐々木禎子(さだこ)ちゃん。享年12。
被爆10年後に白血病で亡くなった少女であり、
「折鶴」
の物語でも有名です。



サダコ像



けれども、
その禎子ちゃんの甥(おい)が、
ロックグループのボーカルを担当し、
無念だった禎子ちゃんの思いや「平和」について、
熱く歌っていることはご存知ないと思います。

バンドの名前は「GOD BREATH」
彼の名前は佐々木祐滋(ゆうじ)。
60年前、
禎子ちゃんと共に被爆した兄、佐々木雅弘さんの息子さんです。

私が彼と知り合ったのは、今年5月。
8月7日に「終戦60年特別番組」として放送した、

 「ザ・スクープスペシャル」
〜検証・核兵器の真実・それは人体実験だった〜!〜

…での取材を通してでした。
佐々木祐滋、まっすぐな性格のいい男です。

代表曲は「INORI」
闘病中の禎子ちゃんの思いを歌にした、
バラード風の楽曲で、
8月の放送の際には、ロックバージョンではなく、
ギター一本で歌ってもらい、
番組エンディングで紹介しました。
素晴らしい曲です。

しかし、残念ながらまだマイナー。
活動が地道な分、メジャーへの道は険しいようです。
このブログを読んで下さっている皆さん、
騙されたと思って、一度「INORI」を聴いて下さい。
きっと、何かが見えてくるはずです。

「GOD BREATH」
のホームページを参考にしてください。

尚、今回の記事は多くの人にTBさせていただきました。
コメントを送れなかった方々、申し訳ございません。
宜しくお願いします。

(飯村和彦)





newyork01double at 11:26|PermalinkComments(11)