アメリカ
2017年06月09日
もはやテレビじゃない!「いま」を映しだす【Vlog(ヴログ)】の逞しさ
時代を映すものってなんだろう。
ふとそんなことを考えて身のまわりを眺めてみると、
実に様々なものがあると改めて気づかされる。極端な話「全て」なのだ。
でもそうなってしまうと身も蓋もないので、ひとまず自分の係わっているメディア、
特に映像媒体を例に考えてみることにした。
一昔前まではテレビは時代を映すメディアの代表だった。
「それテレビで見たよ」とか、「テレビでやってたやつだろ?」
そんな会話が頻繁に交わされて、
そこには意識するしないに係わらず「テレビ=正しい情報源」的な認識が少なからずあったように思う。
テレビを「社会の窓」なんて呼んでいた時代もかつてあった訳だから。
もちろん、いまでもそんな会話が世界中で交わされているんだろうけど、
その評価はだいぶ変わってきているのも周知の通り。
「テレビ=正しい情報源」的な部分に多くの人が疑問を持っているだろうし、
テレビが「在るがままの社会」を伝えていると考えている人は少ないはず。
どうしてテレビの評価は下がってしまったのか。
個人的には、
ニュース(民放)でやたらと見かけるようになった“映像のボカシ”なんかがその一つ、
象徴的なものだと思っている。
街角の自販機や看板、店内のビールや会議中の卓上に並んだペットボトル…、
それら商品の銘柄が、伝えているニュースの内容とは無関係に消されているあれだ。
ご存知の通り、すべて番組スポンサーとの兼ね合いでそうなっているのだけれど、
視聴者にとっては邪魔なだけの映像処理だ。
本来のニュース内容に集中したくても、
あの“映像のボカシ”のために注意が散漫になってしまうばかりか、逆に、
ニュースそのものよりも、内容とは関係のない“映像のボカシ”が気になってしまう、
なんてことも少なくないだろう。
番組スポンサーから実際に、
「競合する企業の商品が映像に映っていたら、伝えている内容に係わらず消してください」
というような要請が番組側に入っている場合もあるだろう。
だが、過去にそんな要請を受けた経験のある番組担当者が、
「スポンサーの関係があるから消しておいた方がいいんじゃないか…」
と先回りしてボカシを入れてしまうケースもあるように思う。
このところよく耳にする、いわゆる「忖度(そんたく)」ってやつだ。
「私が申し上げたことを忖度していただきたい」
最近では、安倍首相本人がそんないただけないジョークを飛ばすほど世に広まった言葉だが、
政治家や官僚だけではなく、
ニュースに携わっている人間まで、あれこれ「忖度」していたんじゃ話にならない。
そんなニュース番組、おかしくありません?
いったい誰のためのニュース番組なんだ?
伝えるべきことをそのまま、まっすぐに伝えていないんじゃない?
視聴者がそんなふうに感じてしまうのも当然な気がする。
だからなのだろう。
ここ数年、自分の思いや考え、さらには日常を「動画」の形で一般に公開する人が増えている。
ブログやYoutubeに、自作動画をアップする【Vlog(ヴログ)】だ。
この【Vlog】をつくる人は【Vlogger』(ヴロッガー)】と呼ばれ、
アメリカなどでは情報を発信するプラットフォームとして今や欠かせない存在になっている。
人気のあるVloggerになると、数千、数万、なかには数百万人ものチャンネル登録者を抱えている。
CaseyNeistat
PlayTheGameFilms
iphoneはもとよりドローンや高性能カメラなど、
動画制作に用いられている機材は「いま」を象徴するもの。
手に入れようと思えば誰でも一般に購入できるものだから、
そうした機材面から見ても、Vlog動画が「いま」という時代を切り取っていないはずがない。
この【Vlog(ヴログ)】のポイントは、“プロ”と呼ばれる人たちではなく、
一般の人の手による動画だということ。
つまり前述した「忖度」なんてこととは無縁な訳だ。
見せたもの伝えたいことをまっすぐに、ダイレクトに動画という形で表現する。
また、
動画をつくってネットに公開するまでには、
そんぞれがその人なりに自分自身を客観視しなくてはいけない過程が必ずあるので、
少なくとも書きっぱなしの日記なんかよりは自省的にもなれる。
なにより匿名じゃなく、きちんと顔をだし、自分の在りようを公開しているところがいい。
動画の内容はVlogger(ヴロッガー)によって様々だ。
自分の打ち込んでいる仕事や趣味、流行やトレンドの紹介、
身近で起こっている“ニュース”、自分の住む国の姿、
旅先での体験をまとめた旅行記…なんでもある。
もちろんネットの世界だから玉石混合。
いいものもあれば、「ちょっとどうかなあ…」と首を捻るものまで多種雑多だから、
見る側が自分で判断、取捨選択して、
「これ、いいぞ!」
と思えるVlogger(ヴロッガー)を見極め、探しだす必要がある。
Dan Crivelli
Collective Iris
実はわが家にも一人、Vlogger(ヴロッガー)がいる。
大学生活の合間に動画をつくり、
Vlog(ヴログ)をはじめて約1年ぐらいだけれど、
既に5000人を超えるチャンネル登録者がいるというからちよっと驚く。
さらに、その数は日々少しずつ伸びているから、
相当な数の人が毎回動画を視聴していることになる。
内容はアメリカの学生生活や、
ロンドン留学中、週末ごと足を運んだヨーロッパの国々(まさに弾丸ツアー)を、
大学生の目線で撮影・紹介したもの。
日々の行動をドローンや一眼レフで撮影してまとめられた動画だ。
[ noa iimura x japan ]
「これって分りやすいかなあ…」
が大好きなテレビ番組のような押し付けがましいところがなく、
テンポ良くすきっと仕上がっていることろが人気の秘密らしい。
生きていれば色々なことが起こる。そのことに年齢は関係ない。
ささいなことから人生に影響を与えるようなことまで、
想像もつかない出来事が日々発生する。
そんな一つ一つをきちんと記録していければいいのだけれど、これがかなり難しい。
日記という手段があることはみんな知ってる。
でも、三日坊主どころかたった一行さえ書き始められない場合がほとんじゃないか?
なのにVlog(ヴログ)の場合、
自分の日々の在りようや思いを映像にして残していくのだ。
さらにその映像記録を誰でも見られるように一般公開するのだから大変なこと。
もちろん、公開する日常は自分で選択するにしても、
それには相当な覚悟が必要なはずだから。
そんなあれこれをいとも簡単にぴょんと軽快に飛び越えていくんだから、
世界中のVlogger(ヴロッガー)、大したものだ。
(飯村和彦)
newyork01double at 04:40|Permalink│Comments(0)│
2008年11月05日
「アメリカ素描」司馬遼太郎
100年に一度ともいわれている世界的な金融混乱。
その震源であるアメリカの景気は、
向こう数年間は好転しないのでは?
そんな観測も流れている。
これだけは史上初の黒人大統領となる
オバマ氏でも舵取りに窮するだろう。
そこでという訳ではなかったのだが、
ふと一冊の本を手にとった。
それが司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」
この本は、昭和60年9月から12月まで、
読売新聞に連載された司馬氏の手記を一冊にまとめたもの。
どこを読んでも、
司馬氏の思慮の深さと視線の鋭さに脱帽する。
例えば、「ウォール街」とサブタイトルのついた記述。
これは昭和60年当時、野村証券の常務だった
寺沢芳男氏のマンハッタンにある自宅を訪ね、
司馬氏なりにアメリカ経済を語ったものだが、
その洞察力の鋭さ、
時代の先を読み取る眼力には、改めて驚かされる。
少々長くなるが一部抜粋させていただく。
「以下はウォール街知識の初歩だろうが、
寺沢さんによると、
アメリカでは銀行が証券会社の要素をもち、
証券会社が銀行の要素をもっているという。
また、保険会社にとっては
客から金を集めるのは当然の業務ながらそれは半分の性格で、
あとの半分は投機をやる。
投機。むろん投資ではない。
三者とも投機をするためにこそ
ウォール街にオフィスを置いているのである。
バクチでありつつもソンをしないシステムを開発しては、
それへカネを賭け、カネによってカネをうむ。
(アメリカは大丈夫だろうか)
という不安をもった。
専門家の寺沢さんには決して反問できない不安である。
資本主義というのは、
モノを作ってそれをカネにするための制度であるのに、
農業と高度技術産業はべつとして、
モノをしだいに作らなくなっているアメリカが、
カネという数理化されたものだけで(いまはだけとはいえないが)
将来、それだけで儲けてゆくことになると、どうなるのだろう。
亡びるのではないか、という不安がつきまとった。
十九世紀末から、
世界通貨はポンドからドルにかわった。
イギリスの産業力を
アメリカの産業力が圧倒的に凌駕したためである。
そのドルを裏打ちしている産業力がもし衰えれば、
金融や相場という、
考えようによっては資本主義の高度に数理化された部分は、
どうなるのか、
素人の不安はとりとめもなくひろがるのである」
(以上、「アメリカ素描」より抜粋)
今のアメリカ経済の在りようを見れば、
上記文中にある
(アメリカは大丈夫だろうか)
という23年前の司馬氏の不安が、
そのまま現実のものになったといえる。
経済のグローバル化の名の下、
デリバティブに代表される高度な金融商品を武器に
金融市場で勝ち続け、
わが世の春を謳歌していたアメリカ。
ところが、
自らモノを作らず、マネーゲームに明け暮れた過ちのツケは、
ことのほか大きく、さらに悪いことには、
その災禍を世界中に伝播させてしまった。
モノづくりに関しては、
似たようなことが日本にもいえるのだろう。
日々汗水を垂らし、
懸命にモノを作っている人たちの生活は厳しい。
にもかかわらず、
偉い(と自ら思っている)人たちの言質は、いつも概ね同じだ。
「モノづくりこそが日本の生命線である」
しかし、高い技術を持っている会社であっても、
現場はいつだって辛く苦しい。
その苦悩の先には何があるのか?
将来、日本はどうなってゆくのだろう。
もしいま司馬遼太郎氏が生きていたら、
10年後、20年後、50年後…の日本をどう語るのだろう。
そんな思いに囚われながら、
「アメリカ素描」を読み終えた。
(飯村和彦)
newyork01double at 18:20|Permalink│Comments(0)│
2007年08月12日
真夏のピーチ(フロリダ)
広いビーチを貸し切り状態。
なんとも贅沢な気分。
シャワーもシンプルだ。
フロリダの海。
透明度も抜群だった。
(飯村和彦)
newyork01double at 14:12|Permalink│Comments(2)│
2007年04月22日
Kids and Guns…銃社会アメリカ(中)
少年たちの好むGunの傾向は、
最近どんどん小さい型の銃になっている。
『nines』と呼ばれる、
9mmのセミオートマチック銃が人気の的だ。
少年たちに言わせれば、
Tシャツの下でも目立たないこの“nines ”は、
夏用の銃として最適なのだそうだ。
おまけにとっても性能がいいらしい。
だが当然、その分値段も高く、
ストリートでは高値で売買されている。
よって、こんなGunを手にしているのは、
少年たちの中でも『crew』と呼ばれる麻薬や銃のディーラーや、
脅し・恐喝・殺人で金を得ている少年ギャングたち。
真新しいスニーカーを履き、
BMWを乗り回し、
金のネックレスやブレスレットを輝かせ灰色の街を闊歩する。
彼らは、普通の(?) 少年たちの憧れの的だ。
だから、『crew』のメンバーではない少年たちも、
Gunを持ち始めるようになる。
「何でGunが必要かって?
そりゃ他の連中がみんな持ってるからさ。
格好いいし、強くなった気分になる。
それに、いざという時、
殺られる前に自分を守るにはGunしかない」
これが少年たちのごく普通の反応だ。
『crew』のメンバーにしてみれば、
Gunは簡単に金を稼ぐ最高の道具であり、
ケンカや抗争にあっては不可欠な武器だ。
一方、『crew』のメンバーではない少年たちにとっては、
Gunはファッションであり、
架空の力を他人に保持する為の道具でもある。
彼らは、crewの真似をして、
自分が、
『down』( =cool、格好いい)な人間になった錯覚を楽しみ、
時には銃を見せびらかせて、
さもcrewのメンバーであるかのように振舞ったり。
「もし俺に何かしたら、
俺のバックにいるメンバーが黙っちゃいないゾ!」
という風に…。
これも自分の命を守っていく一つの方法だ。
『crew』のメンバーになる為には、
“人前で見ず知らずの人間を撃つ事”が条件である。
すると、「奴は本当にイッちまってる!」という、
『rep』(=reputation:評判の略。
殺人や強盗・麻薬などを評価する時に使われる)
が得られ、crewのメンバーになれる。
では、連中は、どうやって銃を手にするのか。
一つが銃規制の緩やかな州から街に持ち込まれた銃を、
ディーラーを通してStreetで買う方法。
人気の9mm semiautomatic から
Saturday Night Special(小型で少年が最初に手にするような銃) 、
T字型の MET Machingun や 、
AK-47 のような大型の銃までなんでも揃う。
もう一つが、
殺されたり、逮捕された仲間が持っていた銃を回してもらう方法。
こちらも、その種類と量には事欠かない。
これらのGunは、
新品から中古まで様々な値段で売られているが、
基本的に、
何人もの人を殺しているGunは安い。
何故ならその銃を持っていて逮捕された場合、
前の持ち主の殺人まで一緒についてくる事になるからだ。
「Gunはユニホームになっている。
野球をしていた時グローブが必要だったように、
今の彼らにはピストルが必要な訳だ」
これは、あるGunプログラムのカウンセラーの言葉だ。
「彼らの世界では、スニーカーを踏んだだけで、
すぐに銃でパンパンパンという事になってしまう」という。
“口は災いのもと”という言葉があるが、
彼らの間では口はすぐ Gun Shot に繋がる。
相手への罵詈雑言のことを彼らの言葉では『Beef』と呼ぶが、
この『Beef』がすぐに、
「Yo! whachoo doin',Pow Pow Pow …」という事になり、
ゴロリと死体が地面に転がる。
ファッションで銃を持ち、
ラップを聴きながら、
ビルの屋上でネズミを撃って遊んでいるような少年でも、
こう言い放す。
「俺は今まで人に銃を向けた事は無いし、
これから先も向けようとは思わない。
でも、誰かが俺に銃を向けてきたら、
俺は撃つ。
もしそうなったら、
俺の人生がみんな変っちまうだろうから、
考えたくは無いが…」と。
けれども、
こんな少年でも、
実際に銃を人に向けるようになるまでに、
そう時間はかからない。
【つづく】
人気ブログランキングへ!
(飯村和彦)
newyork01double at 08:20|Permalink│Comments(0)│
2007年04月20日
銃社会アメリカ(上)
1日に約40が射殺され、
3分に1人が銃で傷ついている。
それがアメリカの姿だ。
「誰も自分を守ってはくれない。
だから、自分の命は自分で守るしかないんだ。
銃? 当たり前さ…。
だってみんなが銃を持っているから。
撃たれる前に撃つ、
それがこの国の正当防衛なのさ」
5ドルの金、踏まれたスニーカー…
そんな些細な理由でも人が殺されいく。
「拳のケンカ? 冗談じゃないぜ。
そりゃ昔の話だ。
そんな事してたらアッという間に後ろから撃たれてお陀仏さ。
殺られる前に殺る、それには銃が必要って事さ」
かつて、
ロサンゼルスの少年ギャングの取材をしたとき、
少年たちは、こう言ってうそぶいた。
銃社会アメリカ。
その数は、2億万丁以上といわれている。
この数字には警察や軍隊が持っている銃は含まれていない。
まずは、歴史的な背景を確認しよう。
開拓時代のGun 所持者は、主に裕福な人たちだった。
彼らは自分の土地や財産を他の侵入者や盗賊から守るため、
Gun(ほとんどがライフル) を買った。
なぜなら、この時代の警察システムは、
田舎の広大な地にあっては往々にして無力であったからだ。
南部アメリカに於いては、
現在でもこれと似た考えを持つ人たちが多い。
また、アメリカの政治的伝統にあっては、
銃を持つ事は、
自己を防衛していく上でのごく自然な権利であると考えられてきた。
多くのアメリカ人は市民が武器を持つ事が、
政府の圧政から自分たちを守っていく基本であると考えている。
市民戦争に於いて、
民主主義の名のもと、
市民が武器を持って政府に立ち向かった精神からきている。
しかし、
時代と共にアメリカ国民が銃を買う理由、
及びその種類も変わってきている。
連邦政府のデータによると、
1950年代後半に於いては、
そのほとんどが狩猟目的のライフルやショットガンで、
ハンドガンの割合は、
当時の年間売上 200万丁の約5分の1に過ぎなかった。
全米で犯罪が多発し、
各地で暴動や暗殺事件が発生するようになった1960年代になると、
銃の売上も急上昇し、1966年には 300万丁。
Martin Luther King、Robert F. Kennedy が暗殺された、
1968年には 500万丁に達した。
この銃の売上増加の原因が、
ハンドガンの割合の増加にあった事は言うまでもない。
50年代末、その数が50万丁であったハンドガンが、
70年代初頭には年間 200万丁にまで膨れあがった。
現在では、
アメリカ国内で買われている銃の二つに一つは、
ハンドガンという事になっている。
手軽に扱える銃が、
全米に溢れているということだ。
【つづく】
人気ブログランキングへ!
(飯村和彦)
newyork01double at 17:34|Permalink│Comments(2)│
2006年01月11日
NYの騒音…Boom car:NY'90
No.28
Get lost!
消え失せろ!
行っちまえ。
ともかく、
うっとおしくて、邪魔な奴に対して、
「(どっかに)行っちまえ!」
「(目の前から)消え失せろ!」
というときに、“get lost! ”
例えば、こちらが忙しく仕事をしているときに、
耳元で、
ゴチャゴチャとくだらないことを喋っている奴。
そんなときに、Get lost!
アメリカ映画などでも、頻繁に耳にする表現。
NYの騒音:Boom car
東京も騒々しい街だが、
ミューヨークはその比じゃないような気がする。
ネズミのようにあちこちを走り回るパトカー、
そんなに病人がいるのかと、
つい首をかしげたくなるほどの救急車の行き来。
気の短いタクシードライバーたちは、
ウィンカーを出すのと同じタイミングでクラクションを鳴らす。
極め付けが、
誤報やイタズラと知りつつも、
ともかく出動していく消防車…。
さらには車の盗難が後を絶たないニューヨーク。
その防衛のためだが、
ちょっとしたことで、いきなり、
車がとんでもないデカイ音をだす。
なかには、
“Step back!(後ろに下がれ)”と警告したあと、
「5,4,3,2,1」と秒読みまでして、
ピーピー叫びまくる“喋る車”まである。
その言葉も、英語、スペイン語、フランス語と選り取りみどり…。
まったく、車にまで自己主張させてどうなるの?
といった感じ。
ところが、
もっとでっかい音を撒き散らしながら、
街を走り回る車がある。
「Boom car」
と呼ばれる車で、
12インチだの20インチだの、
ともかく、どでかいスピーカーを積み込んだ車だ。
使用可能な車内スペースは、全てオーディオ機器。
トランクはもとより、
ダッシュボードから後部座席まで、
スピーカーとアンプで埋め尽くされているのだ。
なかには、
$10.000以上(…百万円以上)もかけて、
Boom carをつくりあげる輩までいる。
この連中、
当然のように窓は全開、音量も全開。
「ドデスカドン、ドデスカドン」
祭り太鼓さながらに、
車体だけではなく、
地面までバリバリ震わせながら街中を走り回る。
いい加減、頭にくる!
そのほとんどが、
スパニッシュやプエルトリコ系の連中。
金だの銀だの、
むやみに“光モノ”を体中につけている方々だ。
Get lost!(消え失せろ!)
声を大にして叫んだところで、
ドンスカ、ドカドカ…、
当然ながら連中には聞こえない。
これってかなりのストレスになるのだ。
ここ数年、
夏になると日本各地にも出没しているので、
その被害にあった方もいるのでは?
(飯村和彦)
newyork01double at 13:47|Permalink│Comments(13)│