大リーグ

2010年02月22日

松坂大輔 18歳の頃



横浜高校3年、松坂大輔。
当時、彼は「平成の怪物投手」と呼ばれていた。
そんな松坂の取材を始めたのは、
「怪物」の高校生活も終わりに近づいた、
2月末のこと。

「怪物といわれているが、
自分ではどこが凄いと思う?」

そんな質問に対して、
刹那、戸惑った表情を見せた松坂だったが、
すぐに、明快な答えを口にした。

「うーん、何だろう…。
みんなと違うとは感じていた。
(例えば?)…負けないこと!」



ボール2



その年の夏の甲子園。
延長 17回に及んだPL学園との戦いを、
250球の熱投で制した松坂は、
準決勝も勝ち進み、
8月23日、
甲子園、春夏連破をかけた京都成章戦に臨んだ。

連投の疲れも見せず、
松坂は三振の山を築いていった。
そして迎えた9回2アウト。
27個目のアウトは、狙いすました三振だった。
59年ぶりの、決勝戦ノーヒットノーラン。
以降、松坂は、
「平成の怪物投手」として、
メディアの注目を一身に浴びるようになっていく。

卒業の日。
松坂は3年間の高校生活について、
幾分、頬を赤らめながら語った。

「3年間、男だけの生活をして、色々と体験できた。
(どんな体験?)
それはちょっと喋れないので…」

それは、18歳の青年の言葉だった。
ところが野球の話になると、
松坂の口調は一転、自信に満ちたものへと変化する。

「(プロ初球は?)…まっすぐ」
「(戦いたい選手は?)
…イチローさんを力でねじ伏せたい」

“プロに入るからには、記録にはこだわりたい”
そんな松坂は、
西武への入団が決まった直後には、
“二桁勝って新人王を獲る”と明言していた。

「(新人王の他、一年目の目標は?)
獲れるタイトルは沢山あるので、
出来るだけ多く獲りたい。
(例えば?)…最多勝とか、最優秀防御率賞とか」

爪入りの学生服を着た松坂は、
いとも簡単にいってのけた。
彼が、「平成の怪物投手」といわれる所以。
それは、他人のためではなく、
自分自身のために高い目標を設定し、
それを実現していく強さだった。

「少年の頃は、どんな子だった?」
「太っている時は、若の花に似ていると言われました」

若の花似の少年が、
「怪物」になった瞬間はいつなのか。
はっきりした答えは出ないと知りつつも、
以後、
何人もの“松坂関係者”にインタビューをしていった。

小倉清一郎、横浜高校野球部・部長。
松坂の資質を誰よりも早く認め、育て上げた人物である。
小倉氏が初めて松坂を見たのは、
彼が中学1年の時だった。

「堂々としていて、
振りかぶった時の雰囲気が、非常に格好いい。
それが第一印象でした」

特に小倉氏が注目したのは、松坂の背筋力。
振りかぶった時に背スジがピーンと伸び、
胸を大きく張って腕を振り下ろす投球ホーム。
それは、背筋が強くなければ出来ないものだった。

中学時代、
松坂は、全国でも有数の少年野球チームに所属していた。
当時の松坂はリーダー格ではなく、
“リーダーのグループにくっついて行く”タイプの少年。
だが、野球に関しては、
誰もが一目を置く存在だったという。

少年野球チームの監督だった大枝茂明氏は、
当時の松坂少年の意外な側面を、
冗談交じりに懐古した。

「言ってやらせないと出来ないんです。
普段、何も言わないと手抜きをするんですよ(笑)。
それで、怒って注意すると出来ちゃう。
それが素晴らしい天性のセンスなんです」

この松坂のセンスについては、
横浜高校で松坂の指導にあたった小倉部長も、
似た見方をしていた。

「どんどん、どんどん、
やればやるほど、力が身について行くんだなと。
それが、松坂の素質だった」

やればやるほど力が身に付く…。
横浜高校に進んだ松坂は、
来る日も来る日も小倉氏の激しいノックを受け、
そして、それに耐えた。

しかし、身体能力や技術の高さだけでは、
松坂を説明できない。そこには、
“自分の原点になった”と松坂自身が回想する、
ある大きな出来事があった。

それは、横浜高校2年のとき。
松坂はエースとして、
夏の甲子園・神奈川県大会、
準決勝のマウンドに立っていた。

悪夢が訪れたのは9回裏。
同点に追いつかれた後の1アウト1,3塁の場面だった。
「スクイズを外そうと思った」という、
この日134球目のボールが、
捕手・小山のミットをはじいて、
バックネットへと転がった。

「心に余裕がなくて、二年生でしたから。
もうただ、すぐアウトを取りに行きたくなって…」
これは、小山良男捕手の言葉だ。

痛恨のサヨナラ暴投。
試合後、松坂はベンチの中で泣き崩れた。

しかし、その悔し涙が松坂を変えた。
この日の屈辱が、
高い目標を求めて野球に取り組むという、
松坂の原点になっている。

当時を振り返りながら、
横浜高校の渡辺元智監督は指摘した。

「あれで確かな目標を立てることが出来るようになった。
それが大きな要素だと思います。
そしてそれが、松坂大輔自身の信念に変った」

松坂の信念。
プロ野球選手として初めてキャンプに参加する前日、
ふとした拍子に、松坂はこんな言葉をはいた。

「(いつも思っていることは?)
自分が一番うまいと思って、練習はやっています」

プロとは人に夢を与える仕事。
その最高の舞台がプロ野球だと松坂は話していた。

「(プロ初登板は緊張すると思う?)
その時になってみないと分かりません。
甲子園の時も、周りの人は、
マウンドに立ったら緊張するといっていましたが、
全然なかったので…」

多くの人に注目されればされるほど、
力が沸いてくる。
18歳の松坂はそんな言葉も口にしていた。
現在、松坂の舞台は、
彼の望んでいたメジャー・リーグへと変った。

怪我で不本意な成績しか残せなかった昨シーズン。
今年、松坂はどう巻き返してくるのか。
20勝を目指すのか、
それともノーヒットノーランか…。
2年続けて低迷するような男ではない。

「ONE FOR ALL」

高校時代、
松坂が野球帽のひさしに書いていた言葉である。
いま松坂はそこに、
いったいどんな文字を記しているのか。


(飯村和彦)


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