安保法案
2015年08月18日
「常野物語〜蒲公英草紙」より
「常野物語〜蒲公英草紙」(恩田陸)より抜粋
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漠然とした不安は、いつも丘の向こうにありました。
声高に寄り合う男の人たち。
世の中はきなくさく、
何か殺伐としたものが
遠いところから押し寄せてきていました。
清国との戦争は、
海の彼方の国々がすぐ近くまで来て
我が日本の一挙一動を見張っていることを知らしめました。
小さな半島を巡って、
どろどろしたやりとりがが続いています。
ろしあが、いぎりすが、と
皆いきりたって拳を振り上げているのを見ると、
女たちは一様におどおどと表情を失います。
なぜわざわざ海を越え、
よその国に行って戦争をしなければならないのでしょう。
なぜ人のうちの物を欲しがることに
もっともな理屈をつけて偉そうに叫ぶのでしょう。
外国の脅威を語る人たちがいる一方で、
労働者が、資本家が、社会主義が、
と何やらその三つの言葉が
組み合わせを変えてあちこちで叫ばれていました。
かと思えば汚職に、猟奇的殺人に、
と次々に懲りずに衆目を集めるような騒ぎが湧いてでます。
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赤ん坊が泣いています。
数日前に、広島と長崎に立て続けに落とされた新型爆弾は、
街を根こそぎなくしてしまったそうです。
市民のほとんどが死に絶え、毒がばらまかれ、
今後五十年は草も生えないだろうと噂されていました。
そっと重い身体を動かし、夕焼けの中を歩いてみます。
あちこちに呆然と座り込んでいる人達の姿が見えます。
今日、私は、そしてみんなも、
初めて陛下のお声を聞きました。
みんなでじっと地面を見つめて、
身動きもせずにそのお声を聞いたのです。
空は澄み切って高く、
よく晴れた一日が終わろうとしています。
彼らはどこにいるのだろう。
私は光比古さんの大きな瞳を思い出していました。
彼らは今、どこにいて、どんな気持ちであの陛下のお声を聞いたのだろう。
私は今、とても光比古さんに会いたくてたまりません。
今こそ彼に会いたいのです。
今でも私ははっきり思い出すことができます。
新しい世紀、海の向こうのにゅう・せんちゅりぃに
胸を躍らせていた多くの人々を。
私たちの国は、
輝かしい未来に向って漕ぎ出したはずだったのです。
けれど、日本は負けました。
夫も、息子も、孫の父親も死にました。
残っているのは飢えた女子供ばかりです。
これからも日本は続くのでしょうか。
この国は明日も続いていくのでしょうか。
これからは新しい、素晴らしい国になるのでしょうか。
私たちが作っていくはずの国が本当にあるのでしょうか。
私は光比古さんに会いたくてたまりません。
あの時、
光比古さんが私にした問い掛けを、
今度は彼にしたいのです。
彼らが、そして私たちが、
これからこの国を作っていくことができるのか、
それだけの価値のある国なのかどうかを
彼に尋ねてみたいのです。
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