御巣鷹の尾根

2010年08月03日

日航幾墜落事故、御巣鷹山の記憶



少し前だが報道で、
「御巣鷹の尾根」が荒らされているということを知った。
遺族らがメッセージを記した短冊が切り落とされたり、
千羽鶴が引き千切られたり、
「昇魂之碑」の周辺を荒らす行為が頻発しているのだという。
心ない行為に拳が震える思いである。

1985年8月に発生した、
日航ジャンボ機墜落事故。
今年で25年になる。

「部分遺体発見、部分遺体発見!」
トランシーバーに向かって大声を張り上げる自衛隊員。
その声は、
今でも耳の底に張りついている。
ヘリコプターの轟音と巻き上がる砂埃。
あのとき、
御巣鷹の尾根で見た光景は、
決して忘れることのない惨状そのものだった。

25年前のあの事故は、
取材者としての自分の原点でもある。
報道の世界に入って間もない頃だった故、
ともかく、
事故発生直後から、必死で取材にあたった。

墜落現場の焼け焦げた臭い。
信じられない数の棺が並べられた遺体安置所(地元体育館)。
家族や友人の身元確認を待つ、沈痛な表情をした人たち。
その全てが「悲嘆の固まり」だった。

「自分の目で見たものを自分の言葉でリポートしろ。
それから、遺族に失礼なことだけは絶対にするな!」
取材にあたって、
上司から言われたのはそれだけだった。
現場に入れば、若手もベテランも関係ない。
自分の目と良心に従って取材にあたるしかないのだから。

あの時、
自分がどんな状況の人に対して、
どのような取材をしたのか。
今、その全てを細部まで思い出すことは難しいが、
一つだけ、確かなものが残った。
それが↓の葉書である。


0129b1ca.jpg


息子さん夫婦とお孫さん一人が事故の犠牲になった、
ご遺族からのもの。

事故直後、遺品が並んだ部屋で、
“なんとかインタビューをさせてもらった”のがきっかけで、
翌年の慰霊登山の際に、
同行取材を許してもらった方である。

「頂いたテープ、時折再生しております。
本当にお世話になりました。
…また、お目にかかれるのを期待しております」

届いた葉書には、
そのような言葉が、丁寧な文字で記されていた。

悲しみに沈む遺族に、
無理をいって取材をさせてもらう。
失礼のないようにと気を配っていても、
知らず、
心の傷に触れるような質問もしていただろう。

けれども、
この葉書一枚で、自分は救われた。
取材者が、遺族に助けられるというのも不思議な話だが、
事実、そのような感覚をもったのは確かだった。

以後、
これまでの25年間、
折に触れてこの葉書を思い出す。
取材者として、人にどうあるべきか…。
この葉書がなかったら、
御巣鷹山での取材経験が、
自分の「原点」になっていたかどうか、
…疑わしい。

【2007年7月の記事に加筆・訂正を加えて掲載】
 

(飯村和彦)


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