教師の詭弁
2006年10月03日
小6少女「遺書」の意味
いじめを苦に、
「遺書」を残して自殺した、
小6少女。
その少女からの、
“最後のメッセージ”を、
教育現場の大人たちは、
正面から受け止めることを、
積極的に、拒んだ。
北海道・滝川市にある市立小学校の教職員と、
教育委員会の面々…。
彼らにとって、
子供とは、
どんな存在なのだろう。
少女の命の叫びである「遺書」を、
公然と「手紙」だと言い張る。
自分たちに
都合の悪いものは、
都合のいいように解釈を変えていく。
子供の心の傷など、
…どうでもいいらしい。
教師としての立場、
…守りたいのはその一点だけ。
卑しく、浅ましい。
さらには、
この期に及んで、
「暴力によるいじめはなかった」
と抗弁する。
冗談じゃない。
「言葉による暴力」が、
いかに深く人間の心を傷つけるかを、
知らないとは言わせない。
詭弁を弄するにも程がある。
教育現場にいるあなた達が、
今回の件で受けた傷より、
もっともっと深い傷を、
自殺に追い込まれた少女は負っていたのだ。
どうして、
そんな明らかなことを理解できないのか。
少女が書き残した最後のメッセージ。
あの「遺書」の意味を、
しっかりと受け止めて欲しい。
それができないのなら、
さっさと教育の現場から去るべきである。
(飯村和彦)
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