海外メディア

2011年03月01日

日本の「記者クラブ」というものについて



引越しに備え、
昨晩、過去の取材資料の整理をしていたら、
とっても興味深い書類がでてきた。

「記事解禁
新聞、テレビ・ラジオ
5月28日 17:00」

書類に押された赤のスタンプ。
そこに、これまた赤字で記された注意書き。



行革2
(photo:kazuhiko iimura)



(↑)この書類は、1997年5月28日に開かれた
政府(内閣府だったか…)主催のある会議で配られたものだ。
書類の内容は、当時の橋本内閣(自民党)が力を入れていた
「行政改革会議」の進捗状況を省庁毎にまとめたもの。

会議の出席者は、新聞・テレビ・ラジオの編集責任者たちで、
具体的には、新聞なら「編集主幹(=社説を書くような人)」、
テレビ・ラジオなら「編集長(又は報道局次長)クラス」で、
各々、自社の報道内容に直接責任を持つ立場の人である。

当然、私(=Bloomberg TV 統括プロデューサー・当時)と
Washington Post の担当者(=多分、東京支局長)を除けば、
すべて、各省庁で「記者クラブ」に所属している報道機関だ。

私たち「海外メディア」は、ある経緯から、
その会議に「オブザーバー」として参加していた。

会議の司会(=主催者)は橋本首相の補佐官だった国会議員。
そこでは、各「記者クラブ」メディアの責任者に、
その日の夕方に「報道解禁」される内容について説明がなされる。
その後、意見を求めた上で、
「くれぐれも宜しく…」とメディア側に関係資料が渡される。

通常であれば、行政関係の報道資料は省庁ごとに、
「記者クラブ」を通じて配られる(=多くの問題をはらんだシステム)。
ところがそれとは別に、
各メディアの編集責任者を全員集め、
謂わば、“因果を含めるように…”関係資料を配布していたのだ。

政府(=行革会議)が提示した内容について、
どんなスタンス、視点で報道するかは各報道機関の判断だが、
政府側としては、少しでも「(いい)影響」を与えたかったのだろう。
ある種、「部外者」としてその会議に出席していた自分としては、
たいへん興味深い光景だった。

また、会議を主催している政府側、
そして出席しているメディア側の双方に、
“この会議室の大机を囲んでいる報道機関が「主流」なのだ”
という暗黙の了解のようなものがあったのも気になった。
この国の記者クラブ制度ってやつの最悪なところだ。

では、そんな「偉い人たち」(…当然、皮肉です)の会議に、
どうして「部外者」である海外メディアが参加していたのか。
増してや当時、日本ではまったく認知されていなかったBloomberg TVが…。
その「経緯」は、以下のようなものだった。

そもそも、Bloomberg TVなどと言われても、当時(…もしかすると今でも)
金融業界の人以外は、ほとんど知らなかった筈。
簡単に説明すれば、
ニューヨークに本社がある
Bloomberg News(=金融・経済情報に特化した通信社)が、
日本での知名度を上げるための手段として、
「24時間ニュース放送」を衛星(CS)放送で開始した。
それが1996年(試験放送期間も含む)。

私はといえば、
日本テレビのワシントン支局にいた方(=日本法人社長)と一緒に、
放送の立ち上げ業務から関わった訳だが、
想像通り、これがそう簡単なことじゃない。
ニュース映像の大半はテレビ朝日から買っていたが、
当然ながら、独自取材分も多く入れていく必要がある。
だが、放送局の性格上、
やれ事件だ、スポーツだ…という部分に重きを置く訳にもいかない。
やはり、政治・経済が主体になるから、
当然、永田町や霞ヶ関への取材が必要になってくる。

それまで日本の放送局の報道番組にいたので、
「まあ、今までと同じようにやればいい」
と考えていたのだが、これが甘かった。
立場が変われば全てが変わるという「定理」を忘れていたのだ。

そうです。察しのいい方はもう分かりますね。
そこで壁になったのが「記者クラブ」。
(注:東京証券取引所にある兜倶楽部だけは例外で、
ここはBloomberg Newsが申請したらすぐに入れてくれた)

無名の海外メディア「Bloomberg TV」では、
各省庁で開かれる会見を取材するのも一苦労。
いちいち記者クラブの幹事社に「取材願い」の連絡を入れ、
「お許し」を貰わなければいけない。
で、大抵は「じゃ、オブザーバーで」
ということになるのだが、
「オブザーバー」=「質問は許されない」

だが、
無名の海外メディアを「永田町・霞ヶ関」で認知させるには
取材実績(=あちこちに出没)を積み重ねるしかない訳で、
機会を見つけては各省庁に取材カメラを入れ、
一人でも多くの政治家にインタビューするということを繰り返した。

一方、海外の大手テレビ・新聞や大手通信社はといえば、
日本語で日本国内向けに24時間ニュースをやる訳ではないので、
当時のBloomberg TVのように「ガツガツ」取材する必要はない。
だから、「記者クラブ」に対する立ち位置も当然ちがっていて、
最近の「自由報道協会」(仮)の活動のように、
“みんなで記者クラブと闘い、問題を解決しよう”
という空気にはならなかった。
その意味でも今の「自由報道協会」(仮)の活動は評価すべき。

(備考:ただし、調査・検証報道など独自取材をしている場合は、
大事な案件を記者会見などで“質問”することは、まずしないので、
その意味においては、“どんな取材活動をしているのか”によって、
当然、記者会見の位置づけが違ってくる)

さて、
上記したような「あちこち出没作戦」を数ヶ月続けた結果、
ほとんどの省庁にある記者クラブで、
それなりに「Bloomberg TV」は知られるようになり、
たまにある代表取材で、
「国内記者クラブから一社」、「海外から一社」などという場合は、
海外からの一社として、“質問してもいい”権利をゲットしたり。
(…聞こえはいいが、大抵の場合、他の海外メディアはきていない)

そんなこんなの経緯があって、
冒頭に書いた、場違いの、
日本の「主流メディアの責任者」が一同に介す会議への参加となった。
直接のきっかけは、その数週間前に、
会議の主催者である首相補佐官への単独取材をしたからで、
そこで、
「定期的に編集主幹会議を開いているから、そこに参加したら」
という話になったのだ。

あの会議が14年前。
私はその後、Bloomberg TV の「社内文化」が肌に合わず、
一年弱で当時の(日本法人の)社長と共に退社して、
“古巣”に戻ってしまったので、偉そうなことはいえないが、
少なくとも、
海外のメディアでも、
日本の「記者クラブ」を要領よく使えば「実」を得られるのだという、
一つの方法を実践できたと思っている。

けれども、
あれから14年たった現在でも日本の「記者クラブ」は、
当時のままの「姿」で存在している。
どんな組織にも良いところと悪いところがある。
それを踏まえた上でも、
やはり、今の記者クラブ制度は問題を抱えている。
全ての取材者に開かれた場を…。
それしかないだろう。

一方、
時代の流れというものは早いもので、
衛星(CS)放送や一部のケーブルテレビジョンなどで放送していた
Bloomberg TV の日本語放送は、
2009年の4月末をもって終了したという。
スタッフの出入りの激しかった会社ゆえに、
思い出す顔は数少ない。
けれども、
昔、一緒に仕事をした人物の名前を、
Bloomberg Newsの記事(ネット)で見ることがある。
いまだに頑張っている人がいると思うと、
少しだけ、嬉しくなる。


(飯村和彦)

newyork01double at 15:30|PermalinkComments(0)