生き方

2017年10月12日

「疲れたなあ」と感じたときの処方箋〜金色の鍵



人を楽しませること。喜んでもらうということ。
笑顔はいいよね。最高。どんなものより人にチカラを与えることができる。
だけど四六時中、微笑んでいられる訳じゃない。
人間、そうそう高いテンションを保ったままではいられないから。

「ああ、疲れた」

そういってしゃがみ込みたくなるとき、あるよね。
膝から力が抜けちゃってもう歩きたくない、歩けない。そんなときが…。
でも僕たちは、それでもなんとか前へ進んでいく。
てくてく。
てくてく。
頑張って歩いていれば、またいい日がやってくるって信じているから。



砂浜
(photo:kazuhiko iimura)



東京からアメリカに戻って一週間。ひどい時差ボケと闘いながら次の取材に向け、準備にとりかかった。
NMN? 老化を防ぐそんな物質が体内にあるらしい。「ニコチンアミド・モノヌクレオチド」…それが正式名称。
歳をとると体内にあるこのNMN(正確にはこのNMNからできるNAD「ニコチンアミド・アデニンジヌクレオチド」)が減って老化の原因になるのだという。
だから減った分のNMNを摂れば、老化防止に繋がるそうだ。ちなみみこのNMN、ブロッコリーやアボガドなんかに多く含まれている物質だそう。

老化。
そろそろ他人事じゃなくなってきたなあ。本当に?
でも前へ進む。
てくてく。
てくてく。

日本では衆議院選挙だ。全国の小選挙区と比例代表を合わせて1180人が立候補した。
最大の争点は安倍政権の継続の是非な訳だけれど、さてどうなるのだろう。
いまのところ【自民、公明】が与党で、他は野党っていうことになっているけれど、選挙が終わって気がついてみたら【自民、公明、希望の党、日本維新の会】が与党で、【共産、社民、立憲民主党】が野党…なんてことになりゃしないか?
順列組み合わせ。選挙期間中に明快にして欲しい。

僕たちは、
どうあっても、
選挙結果を受け入れて前へ進んでいくしかないのだから。
てくてく。
てくてく。

忙し過ぎるとき。
自分のため、他のひとのために誠実に働いているとき。
訳もなくふさぎ込んだり、唐突に“疲れた…”って感じる瞬間がある。
頭の中も重くて胸もすっきりしない。
「ああ、どうしちゃったんだろう」
そんな言葉がふいに口からこぼれたりするともういけない。
動きたくなくなって、ただひたすらベッドに転がっている。

「もうガンバレナイ」となったとき、どうする?

僕は「金色の鍵」をもちだす。
もちだすといっても手触りのある鍵じゃない。
助けが必要なときに思い浮かべる自分だけの鍵のことだ。

もう25年以上前のこと。僕はこの「金色の鍵」をニューヨーク大学の心理学講座で手に入れた。
心を落ち着ける、リラックスするための方法の一つとして「金色の鍵」は結構知られたものらしいので、既にその使い方を知っている人もいることでしょう。
そんな方々は以下の文章を読む必要はありません。

さて、
僕は「金色の鍵」を気分を高めるのではなく、心を穏やかに沈めるために使用する。
使い方は簡単だ。
リラックスしたいな…と思ったとき、まず地下へと続く架空の階段を降りていって自分の好きな場所(海でも森でも街でもどこでもいい)にでる。そして必要であれば、ナビゲーター役(…恋人の徹くんでも、憧れのスターのガッキーでも、大好きなハリネズミでも…)と一緒に“秘密の館”に行って「金色の鍵」を使って建物の中に入る。
あとは自由だ。
自分の心が休まる最高の館を好き勝手につくり、そこで存分にリラックスする。昼寝を楽しんでもいい。
言ってみれば自分だけのバーチャルな館だ。
それで、すっかり寛いだら館を後にし、階段を上がっていまの世界に戻ってくる。それだけのことだ。

僕自身の「金色の鍵」ストーリーでは、僕は小学生ぐらいの自分に戻り、ナビゲーターにはアオスジアゲハが登場する。特に理由はない。最初に大学の講座で「金色の鍵」を使ったリラクゼーションを試みたときに浮かんだ心象風景の中にふと登場してきたものだから。
とはいっても以降、「金色の鍵」を心の中にもちだして自分の世界に入っていくときはいつだって同じ風景の中の同じ「秘密の館」に入っていくことになるんだから面白い。

例えばこんな具合。



山道
(photo:kazuhiko iimura)



以下は、ベットに倒れ込んで動けなくなったようなときの、
僕自身の「金色の鍵」ストリーだから興味のある方だけ読んでください。
思いつくままに書きなぐった稚拙な文章で、おまけに長いし。


では、リラクゼーション開始!

深い深呼吸を一つ。そしてゆっくりと瞼を閉じる。
すると足元に地下へと続く階段の入り口が現れた。

僕は、暗い階段を下りていく。一段、また一段。怖くはない。
ひんやりとした空気がとってもいい。一段、そしてまた一段。
階段を下りる度に僕の身体にこびりついていた垢がハラハラと落ちていくようで気持ちがいい。
一段、そしてもう一段。

階段を下りきるとそこに扉があった。
出入り自由の茶色い扉、勝手に来ては勝手に入れる勝手ドア。

僕はその扉を押してみた。
重くもなければ軽くもない、想像通りのスピードで勝手ドアは開いていった。
縦に細長い光の線が横へ横へと広がり始め、
ついには目の前が明るい光でいっぱいになった。

いい臭いがした。
森の中だった。
鳥のさえずりが聞こえる。
少しだけ湿った空気が風に乗り、木立の間を自由に流れていた。
僕は、杉や檜から溢れ出る緑の臭いを胸一杯に吸い込んだ。
鼻が少しだけムズムズした。

「よし、歩いてみよう。この森の奥にはきっと素敵な場所がある筈だ」

細い道を歩きだす。道に迷うことはない。枯れ葉色の一本道は勝手ドアから続いている。
僕の足は弾んでいた。明るい光が濃い緑色の葉っぱをくぐり抜け、
枯れ葉道に優しい影を落としていた。
梢に差し込む光の方へ目を向けると、杉の木の先端で蝶の家族が遊んでいた。

「アオスジアゲハだ!」

黒い羽にパステルカラーの青緑。その三日月型の青緑は森の光を思わせた。
風に揺れる森の木の葉に当たった光は、三日月型に散っていく。
アオスジアゲハは森の光を自分の羽にデザインしたに違いない。
僕の大好きな蝶だった。

「こっちだよ。速く」

アオスジアゲハが一羽、僕の鼻先に飛んできた。
さなぎから孵ったばかりなのだろう、
しっとりとした羽にはキズ一つなかった。

「待ってよ、そんなに速く飛ばないでよ」と僕。
「速く! 凄くいいものがあるんだから。きっとびっくりするよ」とアオスジアゲハ。
「エッ、なにがあるの?」
「内緒さ、でもすぐにわかるよ」とアオスジアゲハ。

僕は駆け出した。心がウキウキする。
森の光の後を追ってドキドキしながら走っていった。
期待で胸がパンパンに膨れあがり、身体はまるで風船のよう。

1、2、3―ン、
1、2、3――ン、
1、2、3―――ン。

僕の身体は木の葉のように宙を舞う。フワリと浮いては風に乗り、地面に着いては地を蹴って。
僕は人間であることを確かに感じながら、蝶や鳥の気分になっていた。

「わーっ、空気って柔らかいんだ、重力って気持ちいいなぁ。
海の中に少し似てるけどやっぱり違う。
あっ? でも、海底をポンと蹴って水面に上がる時、
背泳ぎをして空を見ながら上がっていくと、こんな感じになるのかな? 
そういえばフロリダにある何とかっていう泉に潜ると、
空飛ぶ魚が見えるって聞いたことがあるけど。
まあいいや。でも、もうちょっと風があればいいのになあ…」

するといきなり風が立ち、僕の身体を空高く吹き上げた。
驚いたアオスジアゲハは、ヒラリと身体を翻す。
見る見る眼下の森が小さくなって、
小川に生えているモウセンゴケぐらいの大きさになったとき、
やっと僕の身体は宙に止まった。

「もしかしたら、この瞬間が『無』っていう状態にいちばん近いのかもしれない。
なんの力もいらないし、なんの苦労もない。
まあいいか、ともかく、これからが凄いんだ。よし!」

空気をいっぱい胸に吸い込み、両手を延ばして下を見た。
視界を遮るものは何も無い。
目標はあの森だ。
背中の糸がプツンと切れる、僕の身体は落下を始める。

「よし、うまく風をつかまえた。あとの事はみんな重力がやってくれる、僕はただ呑気に落ちればいいわけだ。
でも、見た目ってのも肝心かな? 一応、泳いでみるのもいいかもしれない。やっぱりクロールかな、大空で平泳ぎっていうのはなんとなく滑稽だし、バタフライじゃ大袈裟すぎる。背泳ぎも悪くわないけど、それじゃ折角の景色が楽しめないし、
もしかすると森にうまく落ちられない事だって考えられる。まあ、ここはありきたりだけどクロールにしよう」

僕の身体は落下する。
ぐんぐんぐんぐんスピードが増していく。
森の緑が近づいたとき、
目の前を鳶(トンビ)が横切る。

「さぁーッ、みんなどいてどいて危ないよ」

アオスジアゲハが飛んできて、
僕の頭のてっぺんに、羽をたたんでちょこんと座った。
「風の向きを見てあげるよ。いいかい、このまま秘密の館まで一気に降りて行くんだ」
アオスジアゲハはそういった。
「なに、その秘密の館って? あっ、それが君の言っていたびっくりする所なんだね」
「そうさ。捜してるものが、きっと見つかる筈だよ。さあ、そろそろ着地するよ。大きく息を吸って! いくよ、そ───れ!」

アオスジアゲハが僕の頭の上に飛びだした瞬間、僕の身体は風に乗り、ヒューンといったん三日月状に上昇した後、ヒラリフワフワ落ちだした。
十メートル、五メートル…、木の葉のように僕は舞う。そして無事に着地。
気がつくと、森の中にある小さな広場に立っていた。
足元には秋色の落ち葉。赤、オレンジ、黄色…カラフルだ。

「さあ、君の言っていた秘密の館ってどこなの?」
僕はアオスジアゲハに問いかける。
「目の前さ。見えるだろ? 空色の扉が…」
とアオスジアゲハ。

「エッ、何も見えないよ。何もないよ、どこに扉があるの?」
「じゃ、目を閉じてみて。そしたら見えるから」
「目を閉じるって?」
「いいから、目を閉じて。難しいことじゃないよ」

アオスジアゲハに言われるまま、僕はゆっくりと目を閉じた。

「どう? 見えた?」
「あっ、あった。見えたよ空色の扉が…」
「そう、それが秘密の館の入り口さ。どんな家? 大きい? 小さい?」
「うん、煙突のついた大きな家。でも、ちょっと古いネ」
「向日葵が咲いているでしょ、入り口の横に」
「うん」
「彼女から鍵をもらってネ。…そう、金色の綺麗なやつ」

僕は、向日葵からピカピカ輝く金色の鍵をもらうと空色の扉に差し込んだ。
慎重に右回し。カタンと鍵の外れる音がして秘密の館の扉が開いた。
背後からアオスジアゲハの声がした。

「どう家の中は…明るい? 何がある? 何か聞こえる? どんな臭い?」

すると、アオスジアゲハの問い掛けに応えるように、それまで漠として曖昧だった秘密の館の内部が突然、具体的なモノや形になって立ち上がってきた。僕は何も考えず、ただ感じるままに目の前に広がっていく光景をそのまま言葉にしてアオスジアゲハに伝えた。

「何も聞こえない、静かだよ。でも、なんだかカビ臭い。大きな柱時計があるけど動いていないみたいだ。窓には白いカーテンが掛かってる、ヒラヒラのレースのついた。誰もいないよ。あっ茶色い大きな階段がある、映画みたいな。わー、もの凄いシャンデリアがぶら下がってる、おっこちないかなぁ」

「もし、嫌いな所があったら好きなように直していいんだよ」
アオスジアゲハが優しく教えてくれた。
「部屋が狭かったら広くすればいいし、ソファに呑気な目をした子犬が欲しいと思えばそうしたらいい。この家は自由になんでも出来るんだ。君だけの秘密の館さ。最高の気分で最高の時間が送れる、そんな家をつくってネ。それじゃ、僕、森に戻るから」
そう言ってアオスジアゲハは飛び立った。
森の光を浴びながら、枯れ葉色の一本道をまっすぐに飛んで帰っていった。

さて、僕はといえば秘密の館の建造である。

「自分だけの秘密の館か…、なんかワクワクするな。そう、部屋は広い方がいい。
もちろん床は茶色の板張り。ピカピカで、靴下で走ったら滑って転んでしまうような床がいい。部屋の真ん中には大きなモミの木。もちろん生きたモミの木さ。彼の周りだけは床を丸くくり貫いて…そう、ついでに天井も丸くくり貫こう。こうすれば彼ものびのび出来るだろうし、太陽や鳥や虫たちとも話が出来る。

そして、クリスマスには僕が綺麗に飾るのさ。銀色の星に雪のわた。キラキラ光る赤や青の夢の帯もいいかもしれない。もちろん今年のクリスマスが終わっても、彼は来年のクリスマスを楽しみに待てるんだ。その次の年も、またその次の年も。アンデルセンのモミの木みたいに、屋根裏部屋に閉じ込められたり、切り刻まれてパチパチ燃える薪にされたりしないんだから。僕と彼とは一緒に生きる。

そう、モミの木の横には椅子が一つ。どんなに長い間座っていてもお尻も腰も痛まない、
そんな魔法の椅子があったらいいな。うん、このぐらいがっしりしていて…ああ、いい気持ちだ。

動物はどうしよう? 子ヤギが一頭いればいいか。ヤギと一緒に育った子どもは、性格の優しいとってもいい子になるっておばあちゃんが言っていた。うん、ヤギにしよう。となると彼女専用の出入り口も作らないと…よし、これで彼女も出入り自由だ。

それから東と西には大きな窓、森の向こうの朝日が見えて夕焼け空も楽しめる。

テーブルも一つ置こう。いつでも地図が広げられてどこへでも飛んで行けるように。そうか、アオスジアゲハが羽を休める小枝もいるかな? まあ、いいか、モミの木がいてくれる。………」

いつしか僕は眠っていた。
魔法の椅子にどっかり座り、心静かに眠っていた。
遠方からは波の音。

潮の香りを含んだ風がそっと頬を撫でていく。
澄み渡った空、乱反射する海。
砂糖を撒いたような真っ白い砂浜には、
青空に向かって聳え立つ一本の椰子の木があった。
その根元には、
パリパリに乾ききった黄緑色の海藻が見えた。

ドスン!
鈍い音を残し、椰子の実が地面に転がる。
刹那、空に鯨が舞い上がった。
白い腹の部分に陽が当たる。
真珠のように水が跳ね、黒い巨体が地球を揺らす。
舌は、鮮やかな桃色だった。
と、おっきな瞳がこちらを向いた。
僕の様子を伺うように、鯨は横目で僕を見た。
思わず息を呑んだ。

すると、アオスジアゲハが飛んできて、
僕のまつげにちょんと停まった。

「夕立が来るよ、起きて!」

泉の音?
訳もなく鳥肌だった。
僕はむっくり起き上がる。

木立を渡る風が少しだけ冷たくなっていた。
僕は枯れ葉色の一本道を急ぎ足で引き返す。
西の空に鼠色の雲が掛かった。
森の木々は形を失い、
緑黄色の走査線となって視界の隅を飛んでいく。
全速力だ。
でも、それはそれでなぜか心地よかった。

前方に茶色い扉が見えた。
出入り自由の勝手ドア。
僕は躓きそうになりながらも、
一塁ベースにヘッドスライディングを試みる高校球児のように、
扉の中へ滑り込んだ。

セーフ。
まさに間一髪だった。

息を整え、暗い階段を上りだす。
一段、また一段。
やっぱり、ひんやりとした風が吹いていた。
階段の上の方に目をやると、
光の点が一つ浮かんで見えた。

一段、そしてまた一段。
光の点は少しずつ膨らんで、
ついには四角い赤紫色の絵になった。
雲が見えた。
空だ。


(飯村和彦)


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2017年09月25日

想像力を駆使して手当たり次第に“考える” 「例えば、新垣さん」



自由にあれこれ「考える」こと。順不同。
そんなときにはタイトルやら小見出しやらが必要ないから愉快になれる。深刻にもなれる。
だからいい。


インタビューは受け手と聞き手による共同作業。

大切なのは想像力だ

ちょっと考えればすぐに気づく。
ご存知の通り、自分の思いや考えを言葉でいい表すのってもの凄く難しい。というか大抵の場合、考えていること、思っていることのほんの一部しか言葉にならない。だから思いの全てを相手に伝えるなんて絶対できっこないと感じてしまう。誤解されてしまうことだってある。
でもあきらめたらそれまで。
水が湯になり湯が沸騰する直前に現れるあの泡のように、ポツリポツリと沸いてくる言葉に耳を傾けてみたい。焦らず気負わず勢い込まずに。想像力を最大限に働かせてね。
でもテレビだとそんな余裕はない。そもそも放送時間の制約もあるし。
やっぱり本にする?
本にだってそりゃ文字数やページ数の制約はあるけれど、活字だから、ゆったりとした時間の中で交わされた言葉を何度も眺められる。言葉を口にしたときの表情も思い描ける。行間から言葉にならなった相手の思いなんかも感じられる。


「どんなことがあっても生き抜いて。そして生き切るのよ!」

生きることと「行き切る」ことは決定的に違う。
がんとの闘いを何度も克服し、97歳まで生きた祖母。手元には最後の7年間を記録したVTRがある。映像は祖母が90歳のときの正月から始まる。
撮影舞台はといえば、ほとんどが実家だから、シーンも私どもが実家を訪れる盆と正月が大半だ。だから当然、同じ行事の繰り返しになる。
ところが、完成したものを通して見ると、そんな毎年の繰り返しだからこそ、「そうなのか…」と合点するところが多々あった。




Hana2
(photo:kazuhiko iimura)



当然ながら祖母は年々、老いていく。
“老いが深まる”といった方が適切かもしれない。
けれども、「生きよう!」 「生き切ろう!」とする意思は健在で、末期がんで死の淵に瀕したときも、70年間連れ添った夫(祖父)と死別したときも、彼女は強い意志でその都度、奇跡的な回復を遂げた。
もちろん歳が歳だから、顔に刻む皺は年々深くなるし、幾度となく繰り返される外出時に玄関をでる様子は、“一人でスタスタ歩いている” 姿から“家族の誰かに抱えられて…” の姿へと変わっていく。

だが、それは単なる身体的な老いでしかないようで、祖母の老いと反比例するように、年々成長するひ孫たちと接するたび、祖母は自分自身の中にあった「生きる力」を再確認していたように思える。

家族の中に高齢者がいること。
自宅とケアハウスを行き来する祖母の生活。
そんな祖母の生活を支える家族の日常。
もちろん、介護する側の負担は大きい。
でも、だからといって何か特別なことをする訳じゃない。
明るく楽しく。
毎年、どんなときでも…いつも通り、普段通り。
そんな「いつも通り」がどれほど大切で、どれだけかけがえのない時間だったことか。
亡くなる1年前、祖母が語ったこと。

「人の人生にはそれぞれの持分(もちぶん)というものがあってね。
私は自分の持分を使い切ったから、あとはもうどうなってもいいんだよ」

素敵な言葉だった。


雪の多い地方では、冬の間、開墾した土地に降り積もった雪の上にケイ酸や水溶性カルシウムを散布すると聞いたことがある。上空から降ってくる雪には大量の窒素が含まれている。窒素は土壌にとって貴重な肥料。だから雪の上から蓋をして窒素を閉じ込めてしまうのだそうだ。
 

氷の中に封じ込められる時間。
タイムマシーン。





neko
(photo:kazuhiko iimura)





猫は自分のことを猫だとは思っていないだろう。自分を「そういう分類を超越した特別な存在」だと思っている? 
そもそも分類なんて窮屈な発想自体がないに違いない。在るがまま。羨ましい。
一度ゆっくり猫と話をしてみたいものだけれど、現実にはねぇ。

だいぶ前のことになるけれど、小渕恵三さん(…あえて“さん付け”にしています。その方が親近感があって好きなので)は首相になる朝に話していた。
自分は「冷めたピザ」でも構わないと。 
他人からの批判を甘んじて受け入れる政治家には、視線の先に思い描いているはずの、その政治家なりの国家観を聞いてみたいと思う。好き嫌いに関係なく。
じゃぁ、いまの首相は? 
彼には「美しい国へ」という著書があった。
「美しい国」=「うつくしいくに」。
逆から読むと、「にくいしくつう」=「憎いし苦痛」
近々、総選挙があるらしい。いま政界では摩訶不思議な力というか「思惑」がうごめいているよう。いい方向にその力が働いてくれるといいのだけれど。


自然の大きな力は、ものごとをあるべき状態に戻していく


熊本地震では、落ちない巨石、「免の石」が落下した。
筑波山(茨城県)には「落ちそうな巨石」がある。「弁慶七戻り」と呼ばれている大きな石のことで、言い伝えには、そこを通りかかった弁慶が、いまにも「落ちそうな巨石」が頭上に落ちてくるのではないか…と不安になり、その巨石の下をくぐるのを7度もためらったとある。
あの弁慶でも…ということなのだろう。


「つわもの」だって怖いものは怖い





つくば
(photo:kazuhiko iimura)





平成の怪物投手なんて呼ばれていた松坂大輔 さん。
「自信が確信に変わりました」
ブロ入り直前、当時18歳だった彼は、そんな決意を口にした。
けれどもそこに至るまでの努力や苦悩、不安な日々は並大抵ではなかったはず。事実、人目をはばからず悔し涙を流した日もあった。
横浜高校2年のとき。エースとして臨んだ夏の甲子園・神奈川県大会準決勝でのサヨナラ暴投、134球目だった。彼は試合後ベンチで泣き崩れた。
でも、あの日の屈辱があったからこそ高い目標を求めて野球に取り組むことができるようになったのだという。

あれから19年。
いま松坂さんは度重なる肩の故障に苦しんでいる。今シーズンは二軍のマウンドにさえ登らなかった。

18歳のとき彼はこうも語っていた。
「(いつも考えていることは?)自分が一番うまいと思って、練習はやっています」。そして「プロとは人に夢を与える仕事。その最高の舞台がプロ野球。多くの人に注目されればされるほど、力が沸いてきます」
37歳で迎える来期。もう一度輝いて欲しい。


不可能は可能のはじまり

あるベンチャー企業の社長は、インタビューの最後をそんな言葉で締めくくった。
脳梗塞や外傷性脳損傷によって死滅した脳細胞を再生させる薬の開発。
健康なヒトの骨髄液からとった幹細胞に特別な処置を加えてつくる「 細胞薬 」、つまり、生きた薬だ。
開発を始めてから今年で16年。
臨床試験も順調に進んでいて製品化(治療薬としての承認)まで「もう少し」の段階にまできている。

「出来っこない、不可能だ」といわれ続けた日々。

けれども彼自身は不可能だなんてまったく思っていなかったらしい。
人のために自分ができること。
誰かの役に立ちたいという一貫した信念だ。





623
(photo:kazuhiko iimura)





新しいものを世の中にだすこと。
これまでの常識をくつがえすこと

魔法なんてないから、本気で自分の信じる道を進み、努力するしかない。
でもきっと心が折れそうになる瞬間もあるのでは?
そんなときはどうするの?
小声でもいいから教えて欲しい。とくに自分が弱っているときは…ね。





こけ
(photo:kazuhiko iimura)





ある人は、
「スナゴケやスギゴケに水をあげているときが唯一ほっとする時間ですね」
と応えるかもしれない。
そんなときはスナゴケやスギゴケについて詳しく教えてもらう。同じものを同じ気持ちになって眺める。 
石に張り付いているビロードのようなコケ。よく見ると微小な真珠のような芽がたくさん並び輝いていてとっても綺麗だ。

夢を実現すること。
または夢に近づくために努力をすること


孤独かもしれない。
でも、努力を惜しまず目標に向かってまい進する姿は人を魅了する。
夢を共有してくれる人が現れ、仲間ができる。
凄いことだ。


「いまは誰かのために医者でありたいと思う。
俺はそれをお前らから教わった。
俺は出会いに恵まれた。お前との出会いを含めて」

これはフジテレビで放送されたドラマ「コード・ブルー 〜ドクターヘリ緊急救命〜 THE THIRD SEASON 」の最終話で山下智久 さん演じるフライトドクターの藍沢が、新垣結衣 さん演じる白石に語った台詞だ。
おそらく season1 にあった指導医・黒田の「お前らに出会わなければよかったなあ」という台詞が伏線になっているのでしょう。

心が揺さぶられ、泣いた。

ちょうど脳を再生させる薬の取材を進めている期間とこのドラマの放送期間が重なっていたため、初回から毎週興味深く見ていた。
良質なドラマが描くものごとや人物像には時として圧倒される。そして文句なしに感動させられる。知らず涙を流している自分がいること、それ自体が四の五の言えぬ動かない証拠だ。
なかには「あれはドラマだから」という人もいる。けれどもドラマだからこそ伝えられる大切なものが確実にある。


ドラマのなかで生きること。
でも、当然ながら一人の人間としての日常もある。
俳優、女優というのは大変な職業だと思う。


仕事から帰ってベッドに倒れ込んだときの脱力感や充実感。
自分の光で歩くということ。
公園に寝ころんで秋空を見上げたときの心の在りようは、どんな言葉に還元されるのだろう。


演じることと生きること。
俳優、女優として多くの人の期待に応える。
並大抵のプレッシャーじゃないはず。巨大だろう。
けれども彼らは全員、そんな重圧のなかを軽快に駆け抜けているように見える。


例えば、新垣さん

巨大なものを相手にしている怖さのようなものを感じさせない立ち振る舞い、まとっている空気は特有だ。
でもその特有さは「なんて普通なんだろう」と感じさせる空気なのだからこれは言葉では説明できない。
だからこそきっちり役を演じきれるのだろう。
にもかかわらず、そんな空気を多分、というか間違いなく計算や意図なく自然にかもしだしているのだから、その在りようには驚くほかない。 

そういえば新垣さん、ヒョウモントカゲモドキを飼っていると何かの記事で読んだ(…確か犬も)。
ヒョウモントカゲモドキのクリっとした目を覗き込んだときに湧いてくる親密さ。
指先でからだに触れたときに感じる安心感。
もっといえばそんなときにふと思いだす日常の風景や出来事ってどんなものなのだろう。



周りにいる人たちに目を移せば、ある人は猫を飼っている。
もちろん犬を家族の一員にしている人もいる。
モモンガを飼っている人もいるに違いない。

我が家にはいま猫がいる。今年で9歳(だったか?)になる黒い猫だ。
彼の爪を切ったりブラシをかけているとき、自分はなにを考えている?
だいたいにおいてそんな時に思い浮かべるのは特別なことじゃない。
ささやかで、ごく日常的なことが多い。でも実は、そんな特別じゃないあれこれこそが自分の成り立ちみたいなものに一番大切なことだったりする訳だ。






noa
(photo:kazuhiko iimura)





悪戦苦闘しながら子育てと仕事を両立させているお母さん。
彼女は、わが子が眠りについたとき、彼ないし彼女の寝顔をどんな気持ちで眺めるのだろう。初めて高熱をだしたとき、初めて血を流すようなケガを負ったときはどうだったのか。

うちの息子がまだ1歳半ぐらいのころ。
朝から切れの悪い「ゴホゴホ」を繰り返し、夕方には、耳にして不安になるほどの「湿った音」になっていた。
熱は38度弱。とはいっても本人は、ときどき咳き込みながらも普段と同じように積み木を積んではそこにミニカーをぶつけて遊んでいた。
妻が電話で医師の判断を仰いだところ、「一晩様子をみて、咳がもっとひどくなる様だったら朝一番に病院に来るように」とのことだった。
翌朝の明け方近く。息子の湿った咳は、「ゴホゴホ」ではなく「ゼーゼー、ゴーゴー」という嫌な音に変質した。小さな胸に耳を当ててみると風が舞っているような鈍い音が聞こえてきた。それが、息を吸うたびに繰り返えされる。
「病院へ行こう」
そう決めて、息子を抱きあげようとしたときだった。

「ここにライオンがいるみたい」
と彼がいった。

息子には、胸の中で渦巻く音がライオンのうなり声に聞こえていたらしい。
そういうなり息子は、ニコッと笑った。その笑顔が私たち夫婦をどれだけ安心させてくれたことだろう。
結局、病院での診察結果は気管支炎の初期症状。薬を飲むとその日の午後には症状も治まった。
しかし、こうも考えた。
息子の胸の中からライオンを退治したのは薬ではなく、彼自身じゃなかったのかと。
それぐらい息子は落ち着いていたのだ。


普通でいることの難しさ
普通に見えることの特別さ
普通であろうとする努力
普通に振る舞える尊さ
多くの人がいうように「普通」ほど厄介な概念はない



じゃぁ、特別な状況に置かれたときは?

御巣鷹山の記憶。

「部分遺体発見、部分遺体発見!」
トランシーバーに向かって大声で話す自衛隊員の声は今でも耳の底に張りついている。
ヘリコプターの轟音と巻き上がる砂埃。
あのとき御巣鷹の尾根で見た光景は決して忘れることのない惨状そのものだった。
墜落現場の焼け焦げた臭い。信じられない数の棺が並べられた遺体安置所(地元体育館)。
家族や友人の身元確認を待つ、沈痛な表情をした人たち。
その全てが「悲嘆の固まり」だった。

「自分の目で見たものを自分の言葉でリポートしろ。それから、遺族に失礼なことだけは絶対にするな!」
取材にあたって上司から言われたのはそれだけだった。現場に入れば、若手もベテランも関係ない。自分の目と良心に従って取材にあたるしかないのだから。

あの時、どのような取材をしたのか。今、その全てを細部まで思い出すことは難しいけれど、一つだけ確かなものが残った。
一枚の葉書。




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(photo:kazuhiko iimura)




息子さん夫婦とお孫さん一人が事故の犠牲になったご遺族からのもの。
事故直後、遺品が並んだ部屋で、なんとかインタビューをさせていただいたのがきっかけで、翌年の慰霊登山の際には同行取材を許してもらった方だった。

「頂いたテープ、時折再生しております。本当にお世話になりました。…また、お目にかかれるのを期待しております」

届いた葉書には、そのような言葉が丁寧な文字で記されていた。
悲しみに沈む遺族に無理をいって取材をさせてもらう。
失礼のないように気を配っていても、知らず心の傷に触れるような質問もしていたに違いない。

けれども、葉書一枚で救われた。
以来、今日に至るまで折に触れてその葉書を思い出す。
取材者として人にどうあるべきか。さらには人としてどうあるべきか。
御巣鷹山での経験は、自分の仕事の原点になっている(少なくとも自分ではそう考えている)けれど、もしあの葉書が届いていなかったら果たしてどうなっていたのか。
はなはだ…疑わしい。 

はなはだ…。甚だ。
誰かの本に「確率」は、「たぶん」と同じ意味合いだとあった。
多分…。


(飯村和彦)


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