英語教育

2006年10月02日

何のための英語教育なの?



はっきりいって、
呆れた。
“不毛”という言葉があるけれど、
それに近い印象をもった。

きのう、
息子たちの通う小学校で、
「英語」の授業を見た。
以下は、
自分が見た授業の感想なので、
他の小学校では、事情が違うかもしれない。

けれども、
大なり小なり、
似たような現実があるのでは…、
と思うので、一応。


ガソリンスタンド1


さて、
問題は、“担任教師”による英語の授業である。
結論から言えば、
残念ながら“お粗末”のひとこと。

日本人同士でしか通じない“英語に似た言葉”
を子供たちに教え込んで、
いったいどうするのか?

“本来の英語”には程遠い発音や、
不正確な会話表現を、
言語吸収力の高い子供たちに聞かせることは、
「罪」ですらある。

子供たちの「言葉を聞き取る力」、
「耳にした言葉(発音)を真似る力」を、
侮ってはいけない。
現状だと、
“間違った英語”が子供たちにすり込まれていく。
これほど不幸なことはない。

その上、授業内容にも問題が多い。
…というより授業にすらなっていない。
短い時間なのに、
あれこれ詰め込み過ぎ。
教える側の段取りだけで、
どんどん時間が過ぎていく。

結果、
子供たちは集中力を保てないし、
興味も薄れる。
さらに、
そこに教師の力量不足まで加わるのだから、
正直、見るに耐えなかった。

教える教師の余裕のなさ
(=正しい英語を話せない、聞き取れない)は、
そのまま子供たちに伝わってしまう。
あれなら、
英語を母国語にする人、
…または、それと同等の英語力をもつ人による、
(例えば…)「料理教室」や「サッカー教室」
でも行なった方が断然いい。

近隣にそのような人がいなければ、
子供たちが見て楽しめる、
良質な海外ドラマやアニメ(=正しい英語、いきた表現)
でも見せて、聞かせた方が余程いい。


パンフ


担任教師が、
懸命に努力して、
英語を教えようとしていることは理解できる。
しかし、
その努力を子供たちに押し付けても仕方ない。

子供たちにとって重要なのは、
教師の努力などではない。
ポイントは、
子供たちが、正しい・いきた英語に触れ、
少しずつでも身につけていくことじゃないか?

“教えること”を職業とする教師であっても、
“できないことはできない”、
“ダメはダメ”…の筈。
早急に代替案を練るべきだと思った。

それでなくても、
今の教師は忙しい。
やるべきことが沢山あるのに、
その時間を削ってまで、
“間違った英語”
を子供たちに教えるのは、
辛いことであり、
本望ではない筈。

小学生のうちから、
英語に“触れる”ことには賛成である。
前述した通り、
子供たちの、
「言葉を聞き取る力」、
「耳にした言葉(発音)を真似る力」
は、非常に高いから。

けれども、それは、
「正しい英語」
…が前提である。
日本人同士でしか通じない、
“英語に似た言葉”では話にならない。


(飯村和彦)


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