被災
2006年06月25日
「錦鯉」と新潟中越地震の今
新潟中越地震からこの秋で2年。
震災の傷跡は、
今尚…、深い。
広範囲に滑り落ちた山肌。
地震のエネルギーが、
いかに大きなものだったのかを物語っている。
けれども、
この地で生活している人の多くは、
既に、前向きに生きていた。
新潟県小千谷(おじや)市。
↓の写真は、
錦鯉の出荷作業である。
錦鯉の生産農家は、
震災後、
改めて、
小さな命を育て始めた。
小さな鯉も、
数年後には、大きく育つ。
日本の伝統文化…錦鯉。
その秀麗さには、改めて舌を巻いた。
壊滅状態だった、
錦鯉を育てる「野池」も、
徐々に再整備されている。
錦鯉の生産農家に限らず、
この地の人が一様に口にした言葉が、
「出来ることから、一つずつ」
…その積み重ねしか道はないのだという。
言われてみれば最もな言葉だが、
実行していくには根気がいる。
被災地の苦労は、
そこで生活している人にしか分からない。
だから、
分かったような口はききたくない。
ただ、
優美な錦鯉を、
和やかな気持ちで眺められるような、
そんな時間を、
一日も早く取り戻して欲しいと願わすにはいられない。
(飯村和彦)
newyork01double at 17:47|Permalink│Comments(4)│